もん太@射水市民です。
前回は予定外の訪問地「浄興寺」のレポートをしましたが、今回もまた予定外だった訪問地「ゑしんの里記念館」を訪れてみましたのでレポートしてみます。ここを訪れたのも浄興寺同様に、上越の親鸞学徒の紹介で「今、イベントやっているから一見の価値ありだよ!」ということで「なら、行ってみようか……」ということになったのだ。
ただ、この場所は御旧跡が密集している居多ケ浜付近よりも、ちょっと離れた浄興寺よりもず~っと山の方に進んで行き、上越市板倉区米増という場所となるので、少々気合を入れて走らねばならなかった。なんせ、日頃は箱入りの射水市民で、射水市すらロクに出ないもん太ですので、遭難するんじゃないかとビクビクしながらフラフラと運転していってきました。
ところで、住所を見て思った。
「これって、恵信尼公廟所のある場所じゃないか?」
もん太が大学生の頃、リージョンプラザ上越などの会場で高森顕徹先生の講演会があったので、サークルの先輩と聞きに行ったことがあった。その時の思い出は、昼休みにご当地アイスのコシヒカリモナカを奢ってもらって食べたことと、講演会終了後に先輩の車で恵信尼公廟所に行ったことだ。その時に見たのがコレ。

平成17年以前の五重の石塔周辺
先輩がモノクロカメラで撮ったものだったが、立方体やら球体の石を積み上げて作ったお墓のようなものだったことと、浄土真宗の御本尊である、六字の名号「南無阿弥陀仏」が親鸞聖人の筆跡で石に彫られたものが壁に埋め込まれていたことと、恵信尼さまの姿があったことはよく覚えている。しかし、これ以外は何もないところという印象が強かった。
「こんなところで、何のイベントが……?」
……と思って車を走らせてみた。それにしても、いやぁ~便利だ、GoogleMap!
そうして、道端を歩く幼児の行列に紛れていた保育士のおばちゃんに道を尋ねながら向かった先がコレだ!

現在は、かなり整備されて綺麗過ぎます
おーっ!なんてこったい!これが同じ場所か?従来の「和」テイストから大変貌を遂げていた。なんて、メタリック!

金属製の屋根がちょっと嬉しい
あの頃と違って、広々としていますね。

中心には六字の御名号が御安置されていた
中心には、以前もあった南無阿弥陀仏の正御本尊が……。屋根もついたので、横からの雨以外はしのぐことができます。

昔を知っていると広々したなぁ……と感じる
御名号の両脇には、親鸞聖人の奥様である恵信尼さまの肖像画と、「五輪の塔」と呼ばれる五重の石塔があった。

恵信尼公の肖像も健在です
向かって左側には、恵信尼さまの肖像画。

五重の石塔も健在でした
右側には、「五輪の塔」こと、五重の石塔があります。

五重の石塔の横に恵信尼公文書の第8通の石碑があった
更に、五重の石塔の隣には、何やら以前は見かけなかった石碑が……。
これは恵信尼さまが、京都の親鸞聖人やご家族などに宛てて書かれたお手紙「恵信尼文書」の第8通のようだ。もん太的に推測するに、
「たしかに候へハ ことしは八十三になり候か こそこなにことも としはしにとしと申候へは こまかにおほせられ よろつつねに申うけたま候へし はりたく候へとも たしかなる あなかしこ あなかしこ たよりも候はす さて いきて候時と思候て 五ちうに候たうの 七しやくに候いしのたうをあつらへて候へハ このほとハ しいたすへきよし申候へハ いまはところともはなれ候て 下人ともみなにけうせ候」
……の部分だと思う。
早い話が、この五輪の塔を建てられる時のことを書かれたものらしい。

「恵信尼さまと五輪の塔」という解説文がありました
その恵信尼公廟所と隣接して、立派な「ゑしんの里記念館」があった。 記念館から張り出した月見台という舞台を囲むようにして、水が張られ大学時代に訪れた場所とは思えない状態になっていた。

やたら立派な「ゑしんの里記念館」。綺麗です
どうも、この辺は平成17年に整備されたらしく、「浄土真宗の歴史と本」というブログの「恵信尼公廟所の整備が進んでいます」という記事によれば、西本願寺国府別院が平成16年7月から整備を始めたらしく、仏婦総連盟が1口1,800円で献金を募って土地を購入し、駐車場やら礼拝区域を設けたらしい。そして、旧板倉町が、その周辺を造成して作ったのが「ゑしんの里記念館」だそうな。
では早速、入ってみたいと思います。
この時、行われていたイベントというのが、
「親鸞の妻 恵信 十通の手紙特別展」
……というものだった。平成21年4月19日~7月5日という、そこそこ長期間に亘って開催されていた。受付で入場券300円を購入し、パンフ片手に、いざ展示室へ!

たまたま開催していた「十通の手紙特別展」入場券とパンフ

ゑしんの里記念館のパンフ。いろんな展示があります
展示室内は撮影厳禁だったので、写真がないのが残念!有料の今回の特別展の展示室内は、壁一面に恵信尼文書が張られていた。正直、達筆すぎて読めないのだが、考古学者とかはこういうのが読めるのがすごいと思う。
「私はああだった、こうだった」と、私ごとを書かれない親鸞聖人なので、「歴史家泣かせ」とまで言われるのだが、この恵信尼さまのプライベートなお手紙が、かなり重要かつ貴重な史料となっているらしい。現代訳が添えられていたので、読んでみたが、家族間の連絡のようなものが多く当時の様子を髣髴とさせた。
常設の展示室は、親鸞聖人や恵信尼さま、そして覚信尼さまの肖像があったり、ご長男の善鸞を勘当された時の有名な「義絶状」までもが展示されていた。どうして、親鸞聖人が善鸞を勘当されなければならなかったのか、そのことに関しては真宗講座の「親鸞聖人が善鸞を義絶された根拠は何か」をご覧ください。
さて、折角なので、その恵信尼文書が手に入らないものか……と思っていたら、売店で「親鸞の妻 恵信 十通の手紙(恵信尼文書)」という小冊子が500円で販売されていた。

販売していた「親鸞の妻 恵信 十通の手紙(恵信尼文書)」
ゑしんの里観光公社による発行らしく、松野純孝監修、千葉乗隆、大場厚順協力となっている。中は、

「十通の手紙(恵信尼文書)」の中は古文の教科書のようだ
恵信尼文書の複製と、それを活字にした原文、そして、現代語訳が書かれていた。高校時代に使っていた古典の教科書に非常に似ている。周囲のゆかりの地の紹介などもあったりして、結構充実していました。

正誤表もやたら充実していました(苦笑)
まあ、正誤表も非常に充実していたんですが……(苦笑)。是非、再版時には修正して出してもらいたいものです。
それはそうと、これを購入して記念館を出ようとしてガッカリしたことを1つ。
掲示板を見ると、この冊子を購入すると「十通の手紙特別展」の入場料300円がタダになるというのだ。つまり、本来なら800円のところが、冊子代500円で済む事になる。これは、払い戻しをしてもらわねば!と思ったら但し書きで、すでに入場料を払った人への払い戻しはできないとのこと。そりゃないよ!それなら、受付で言ってよ!!……と思ったが、後のカーニバルでした。まあ、裏口から入ったもん太が悪いんだろうね。
こういった恵信尼文書の中から、第3通を通して、恵信尼さまが夫である親鸞聖人をどのように思っておられたのか、紹介したいと思う。親鸞聖人がお亡くなりになった後、娘の覚信尼さまに書かれたものと言われているものだ。
「さてひたちのしもつまと申候ところに さかいのかう申ところに候しとき ゆめをみて候しやうハ たうくやうかとおほへて ひんかしむきに御たうハたちて候に しんかくとおほえて 御たうのまへにハ たてあかししろく候に たてあかしのにしに 御たうのまへに とり井のやうなるに よこさまにわたりたるものに ほとけをかけまいらせて候か 一たいハ たゝほとけの御かほにてハわたらせ給はて たゝひかりのま中 ほとけのつくわうのやうにて まさしき御かたちハみへさせ給はす たゝひかりはかりにてわたらせ給 いま一たいハ まさしき仏の御かほにてわたらせ給候しかは これハなにほとけにてわたらせ給そと申候へハ 申人ハなに人ともおほえす あのひかりはかりにてわたらせ給は あれこそほうねん上人にてわたらせ給へ せいしほさつにてわたらせ給そかしと
三 申せハ さて又 いま一たいハと申せハ あれハくわんおんにてわたらせ給そかし あれこそせんしんの御房よと申とおほえて うちおとろきて候しにこそ ゆめにて候けりとハ思て候しか さハ候へとも さやうの事をハ 人にも申さぬときゝ候しうへ あまかさやうの事申候らむハ けにけにしく 人も思ましく候へハ てんせい人にも申さて 上人の御事はかりをハとのに申て候しかハ ゆめにハしなわいあまたある中に これそしちむにてある 上人をハしよしよに せいしほさつのけしんとゆめにもみまいらする事 あまたありと申うへ せいしほさつハ ちゑのかきりにて しかしなから ひかりにてわたらせ給と候しか とん くわんおんの御事ハ申さす候しかとも 心はかりハ そのゝちうちまかせてハ思まいらせす候しなり かく御心へ候へし」
大体の内容は、
越後から関東へ移って間もなくのことでした。次のような夢を見たのです。
ある新築の御堂で、厳かに堂供養が行われていました。堂前の鳥居のようなものの横木に、二幅の絵像本尊がかかっています。一幅の尊形は明らかに拝せられましたが、もう一幅は、ただ金色に輝いて、尊容が分かりませんでした、そこで、そばの参詣人に、
「あの光り輝いている方は何仏でしょうか」
と尋ねると、
「あの光りばかりでいられるのは勢至菩薩で、今の法然上人です」
とのことでした。
「では、もう一幅の尊形は」
と聞くと、
「大悲観世音菩薩であって、あれこそ善信の御房、親鸞聖人です」
と告げられたところで目が覚めました。翌日、聖人に申し上げると、
「夢には種々あるが、それは真実だ。法然上人は勢至菩薩のご化身に間違いない」
と仰せられました。しかし、どうしても殿(聖人)が、観世音菩薩のご化身であるとのお告げは、憚って申し上げられませんでした。それ以来、心中深く思い留めて、共敬の真心でお仕えしてきました。どうか貴女(覚信尼)も、「わが父は、このようなお方」と心得ていてください。
……というような感じです。
恵信尼さまが見られた霊夢の話で40余年間、誰にも語らず、深く胸に秘めておられたことを、愛嬢、覚信尼さまにソッと漏らされたものであるが、恵信尼さまは、生涯、夫である親鸞聖人を、観音菩薩のご化身と仰いでおられたことがよく分かる。
では、今回のゑしんの里記念館をもって、上越の旅シリーズは終ります!
ツッコミ大歓迎!