6 8月 2009

上越の親鸞聖人ゆかりの地を訪ねて(浄興寺)

Author: monta | Filed under: 親鸞会もん太のどこまで脱線するの?

もん太@射水市民です。

上越の親鸞聖人御旧跡巡りがまだ終っていないのに、前回は射水市の“片葉の葦”ということで脱線してしまいましたが、当ブログでは射水市ネタを書くことが本道のようですので、脱線したつもりが脱線していなかったようでございます。

そんなわけで、改めて脱線したいと思います。

……で、今回は、御旧跡が密集している居多ケ浜付近よりもだいぶ内陸に入った寺町という所にある「歓喜踊躍山 浄興寺」という寺。

浄土真宗浄興寺派の本山「歓喜踊躍山 浄興寺」というらしい

浄土真宗浄興寺派の本山「歓喜踊躍山 浄興寺」というらしい

実は、この寺は居多ケ浜でゆかりの地巡りを終えようと思っていたもん太としては、予定外の訪問であった。この近くで活躍する上越の親鸞学徒が「でっかい寺だから一度見てきたら?」と言っていたので、ついでに寄ったところなので、それなりのレポートになるのは勘弁してもらいたい。

さて、どうして浄興寺なのか……ということで、境内にあった本山浄興寺の由緒という案内板を読んでみた。

要点だけまとめてみると、聖人は上越から関東に移られた後、茨城県の稲田を拠点にご布教なされました。その稲田の草庵にて、現在も残る浄土真宗の根本聖典「教行信証」を著されたのですが、そのお喜びを山号・寺号に顕されたのが歓喜踊躍山 土真宗であり、略して「歓喜踊躍山 浄興寺」となりました。それが、元仁7年(1224年)で、本願寺の創建より48年前なんだそうです。

その後、聖人が京都へお帰りになり、弘長2年(1262年)に御入滅なされ、御遺骨などは稲田浄興寺に安置されたそうですが、戦火で灰燼となり信濃国の長沼に移りました。その長沼には300年ほどあったそうですが、永禄4年(1561年)に川中島合戦で焼け、永禄10年(1567年)に上杉謙信の招きで春日山城下に移転。その後も、慶長12年(1607年)に堀氏が上越市古城に福島城を築城すると共に、城下に移転し、更に松平忠輝の高田築城と共に高田へと移転し、寛文5年(1665年)に地震で喪失し、時の藩主・松平光長によって現在の場所に創建し、300年ほど経った今に至っているのだそうです。

何といいましょうか……移転しすぎ(汗)?

本堂は寺院建築としては新潟県内で最大最古らしい

本堂は寺院建築としては新潟県内で最大最古らしい

まあ、この由緒に関する真偽はいろいろとあるそうですが、親鸞聖人が20年近く関東でご布教された拠点である稲田の草庵が、この浄興寺っていうことみたいですね?茨城から長野を経て新潟とは、移動距離ありすぎのような気がしますが……。

そんな感じで、昭和中期くらいまでは東本願寺に所属していたそうですが、分派独立運動があって今では「浄興寺派」という一派になってしまったんだそうです。由緒によれば本願寺創建よりも48年も前にできたとか、そういうことで「オレたちこそが本山だ!」と言っているのだそうです。ハイ。

そういうことで、ゆかりの地なんだそうですよ。だから、境内には……、

ご多分に漏れず聖人の銅像が雨ざらしだ

ご多分に漏れず聖人の銅像が雨ざらしだ

他のゆかりの地同様に親鸞聖人の銅像が、ご多分に漏れずに雨ざらしになっていました。雨だれの跡がクッキリとあったりして大変申し訳ないんですが……。両脇には蓮がありました。

そして、その親鸞聖人の銅像前には、

親鸞聖人の銅像の向かい側にあった「八房の梅」

親鸞聖人の銅像の向かい側にあった「八房の梅」

「片葉の葦」同様に「親鸞聖人越後七不思議」の1つに数えられている「八房の梅」というものがありました。これって、本当は阿賀野市の梅護寺っていう寺にあるらしいんですが、上越市の中でも数箇所にあったような気がする。多分、梅護寺の梅の子とか孫のきだったりするのだろうか?

この「八房の梅」についてのエピソードを紹介しましょう。

越後の国をくまなくご布教に歩いておられた親鸞聖人は、ある日の夕方、小島の里をお通りになられた。ちょうど一夜の宿を求めておられた時である。快く聖人をお迎えした仏縁深い夫婦があった。親鸞聖人は、

「人生は苦しみに満ちています。しかし、阿弥陀仏は、すべての人間の苦しみを抜き去り、最高の幸せを与えると誓っておられます。私達が幸せになれる道は、阿弥陀仏の本願に救い摂られ、他力の信心を獲得する以外にないのです」

と、夜もすがら説かれた。この夫婦は、熱心に聞き入り、「たちどころに凡夫直入の信心を受得した」と伝えられている。すべての苦しみから解放され、絶対の幸福に救われたのである。夫婦の喜びは大変なものであった。親鸞聖人も、夫婦の求めに応じて、この地に数ヵ月間滞在され、近隣の布教につとめられたという。

ご滞在中のことである。ある日、親鸞聖人は、食卓に出された塩漬けの梅を手にとられ、

「すべての人が、阿弥陀仏の本願に救われて、浄土往生できるならば、この漬けたる梅より芽を生じ、花一輪に八つの実を結ぶであろう」

と仰って庭に植えられた。すると不思議にも、やがて芽が出て枝が茂り、薄紅の八重咲きの花をつけた。しかも、この木は、花一つに八つの実を結ぶようになったので「八房の梅」と名づけられた、と伝記にある。

さて、その八房の梅から本堂を見て、少し目線を右に移すと……、

本堂の隣には「拝堂」というものが建っている

本堂の隣には「拝堂」というものが建っている

「拝堂」という建物があった。ちょっと聞きなれない名前の建物だが、行ってみると、

拝堂の脇には「親鸞聖人御本廟」の案内板が……

拝堂の脇には「親鸞聖人御本廟」の案内板が……

拝堂の脇に「親鸞聖人御本廟」という看板が立っていた。浄興寺由緒によれば、親鸞聖人の御遺骨が安置されているそうだから、ここがまさにその場所なんだろう。その拝堂の奥へと延びる参道を進んでいくと……、

拝堂の奥には「本廟」があった

拝堂の奥には「本廟」があった

「本廟」といって、親鸞聖人の御遺骨(頂骨と言うらしい)が納められ、また、本願寺3代目の覚如上人以降の20代目門主までの遺骨も納められているんだそうです。この脇にあった看板がこれ。

本廟脇には説明書きがあった

本廟脇には説明書きがあった

親鸞聖人の御遺徳を慕って、納骨する人々が増加し、その数50有余万にのぼる諸人渇仰の霊所だとある。聖人はじめ先祖の遺骨を粗末にしろというのではないが、親鸞聖人の常の仰せとして改邪抄には、

「親鸞閉眼せば、賀茂河に入れて魚に与うべし」

とあります。

こういったことに関する詳しい解説は真宗講座死んだら賀茂川の魚に食わせよとなぜいわれたのかなどをはじめとして、仏教講座読経は死人のためになるのか祖先の供養はどうすればよいのか浄土真宗の法要の意味などを一読いただければハッキリしますが、死人の後始末こそが寺の仕事と思っている人たちにはビックリするお言葉ですね。親鸞聖人の教えの一枚看板は平生業成。生きている今が大事だと教えられます。亡き親族をご縁として、無常を見つめ親鸞聖人の教えを真剣に求めさせていただきたいものです。

さて、この浄興寺には、さまざまな宝物もあるようです。真宗史からしても重要な史料なのだそうですが、浄興寺にある宝物は公式ページの中の浄興寺の至宝のページに「真宗史上欠くことの出来ない法宝物の数々」として紹介されています。それらの宝物の中でトップに挙げられているのが「親鸞聖人自筆〈六字名号〉一幅」というもの。また、9番目にも「親鸞聖人筆〈九字名号〉一幅」がありました。

それぞれの説明書きには、

「当時、仏教の諸宗は仏像などの形像を本尊としているのに対して、聖人は独自の思想にもとづいた「名号本尊」を用いました。 本名号は、聖人の頂骨とともに浄興寺の由緒を物語る遺品としてきわめて貴重なものです」

とか、

「聖人は、仏教の他宗派と異なって木造や絵像を礼拝対象とせず、本画像のような名号の本尊を尊びました」

……と書かれています。

上越の親鸞聖人ゆかりの地には、御名号本尊が多いことは今までの記事でも書きましたが、その根拠もまた書いてきました。浄興寺の、この説明を読んでいても分かることは、絵像や木像といった仏像を本尊として礼拝対象とするのは「仏教の諸宗」であり「仏教の他宗派」であることが分かります。まさしく、親鸞聖人の教えを、そのまま伝えられた蓮如上人の、

「他流には『名号よりは絵像、絵像よりは木像』というなり。当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり。」

のお言葉通りのことが書かれています。そう、絵像や木像を本尊にするのは当流(浄土真宗)ではなく、他流(浄土真宗ではない)なのです。本尊が狂えば、教えが皆狂ってきます。それまで、本尊とされてきた木像や絵像を本尊とせず、御名号を本尊とされたのが親鸞聖人です。いやはや、聖人の御遺骨だけを大事にしているのではなく、聖人の教えも大切に伝えているのだな……と思って、浄興寺公式サイトの境内を歩くの中の「内陣」に紹介されている写真を見てビックリした。

バリバリに木像本尊じゃん!

いやぁ~、正直ズッコケましたよ。宝物の紹介で、聖人は御名号のみを本尊とされ、絵像や木像を礼拝対象とされなかったと書かれているのに、当の浄興寺の本尊は他宗派が本尊としている仏像だったとは!!

一方で、自分たちこそ浄土真宗の本山だと、東本願寺から独立までしているのに、肝心の教えで見てみると本尊から狂って木像だった……まさに、自分で自分のことを「浄土真宗じゃありません」と否定しているようなものだ。この矛盾に是非とも気付いて、本山らしく「教え」から正して門徒の方々にお伝えしていただきたいものだ。守るべきは、骨でも宝物でもない、教えなのだ。

ではでは。

はてなブックマーク - 上越の親鸞聖人ゆかりの地を訪ねて(浄興寺)
Share on Facebook
このエントリーをはてなブックマークに追加
Post to Google Buzz
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Tweets - 上越の親鸞聖人ゆかりの地を訪ねて(浄興寺)
Bookmark this on Livedoor Clip
Share on FriendFeed

合わせてこちらもどうぞ

Tags: ,

ツッコミ大歓迎!