30 9月 2009

加賀一向一揆最後の砦「鳥越城」に行った

Author: monta | Filed under: 親鸞会もん太のどこまで脱線するの?

もん太@射水市民です。

当ブログには、もん太以外にも数名のライターが存在するのですが、脱力&タメにならない系のもん太に対して、非常にタメになるのがフーさんの日本語教室かと思います。

いや……、あの……、タメになりますよね。

ところが、もん太は根っからの理系人間で、語学嫌いがDNAに組み込まれてしまっているのか、免疫細胞が語学を“異物”として攻撃する有り様でございます。おかげで、日本語が乱れ切ってしまっているので、当ブログには、「声に出して読みたい美しい日本語」「声に出して読みたくない乱れ切った日本語」が共存しておりまして、読者の皆さまには大変、混乱させてしまっているようで伏して伏してお詫び申し上げる所存でございます。まあ、もん太の記事は、そもそも日本語なのかということが問題となっているようですが、それを明らかにするというのが、確か民主党のマニフェストにあったかと思いますので、是非とも明らかにしていただきたいと思います。

……さて、無駄な時間を過ごしてしまいましたね。

そんな、ワケでもん太もフーさん(もう、気持ち的にはフー教授とお呼びしたい所存です)より、正しい日本語を学びたいと思うよっ!!

……で、以前の記事石川県白山市に行ってきた旨を書きましたが、行く前に知人の城マニアから、

「白山市には、城マニア垂涎の『鳥越城』というものがある。加賀一向一揆で最後まで戦った城であり、親鸞学徒的にも行ってみる価値はあると思うから、一度、見てくるがよい」

という趣旨のことを言われましたので、言われるがままに行ってみたよっ!!

……っていうか、白山市広すぎっ!!

海から山まで網羅していますからね。前の記事が海岸沿いにあるようなものなのに、一気に山城ですよ。移動距離がハンパじゃなかったですね。でもまあ、何とか山城である鳥越城に到着。全く知らなかった城だったので、名もなき城跡のように、ちょっと土が盛り上がっているだけとかいうのを想像していたんですが……、

駐車場に立っていた鳥越城跡案内図

駐車場に立っていた鳥越城跡案内図

駐車場脇には案内図がございました。

鳥越城……侮れない!

……ということで、歩みを進めて行くと突如現れたのが、

何かビミョーな「一揆敗れて山河あり」の碑

何かビミョーな「一揆敗れて山河あり」の碑

「一揆敗れて山河あり」の碑。

何なんでしょう、コレ。このレリーフ、微妙すぎます。北陸ビアパーク衝撃のビジュアルじゃないですけど、白山市には、こういった個性の強いのが多いんでしょうかね?

この碑を過ぎていくと……、

鳥越城を囲んでいた空掘はチョットした溝だった

鳥越城を囲んでいた空掘はチョットした溝だった

本丸手前に空掘が……。堀といったら水があるものだと思いましたが、これはチョットした溝。知人の城マニアは、長年のうちに土砂が堆積して、こんな感じだけど、当時は深くて簡単に越えられるものではなかったとのこと。なるほど……。

そして進んでいくと……。

鳥越城跡は、こうやって見ると沖縄っぽい

鳥越城跡は、こうやって見ると沖縄っぽい

う~ん、どことなく沖縄のお城のような風情の外観ですね。石垣とか門は復元されたものっぽいですが、山の頂上に建っている為か、上には空しか見えないのがグッと来ますな。

ちょっと角度を変えてみると……、

ちょっと別の角度で鳥越城跡を見る。石垣がやたらキレイだ

ちょっと別の角度で鳥越城跡を見る。石垣がやたらキレイだ

2つの門が復元されています。

鳥越城の枡形門(左)と本丸櫓門(右)

鳥越城の枡形門(左)と本丸櫓門(右)

ここで当時の人は、どんな生活をしていたのだろうか?

では、手前の枡形門からくぐってみましょう。

枡形門をくぐって本丸櫓門へと向かう

枡形門をくぐって本丸櫓門へと向かう

お~、ちょっとだけ当時の人に戻った気分です。

そして、本丸跡に……。

本丸があった場所。本当に山のてっぺんだと実感……

本丸があった場所。本当に山のてっぺんだと実感……

こっちは、どこに何があったかというプレート以外には何もないのですが、どんな建物があったんでしょうかね?

本丸跡から本丸櫓門(左)と枡形門を見る

本丸跡から本丸櫓門(左)と枡形門を見る

それにしても、山の頂上というだけあって、目線の高さより上に何もないというのがスゴイ。今は平野部が都会だけど、昔は、こういう山の頂上がトレンドだったんですねぇ。確かに、山の上を攻めるのは大変ですけど……。

こんな柵も復元されていましたよ

こんな柵も復元されていましたよ

一向一揆の時には、激戦地となっただけに、こういう柵があると、非常に生々しい……。

ちなみにここからの景色は……。

鳥越城跡から下の田園地帯を眺める

鳥越城跡から下の田園地帯を眺める

非常にのどかなものです。山の上からなら城下が見渡せたってことなんでしょうね。

それはそうと、加賀の一向一揆。100年以上も続いたんだそうです。

あの信長とも戦ったそうですが、真宗の門徒集団がそれだけもの長い間、戦い続けたというのはスゴイ話ですね。

あまり、一向一揆に関しては詳しくないのですが、護法に生きた当時の真宗門徒の気迫が伝わってくるようでした。

徳光CCZには一面のコスモス畑がありました♪

徳光CCZには一面のコスモス畑がありました♪

私たち親鸞学徒が命をかけて護らねばならないのは、真実の仏法であることを真宗の先達が教えてくださっているんでしょうね。その先達方があって、真宗王国と言われる今の北陸があるのだと思うのでした。

参考までに、福井県の勝山市っていう名前は一向一揆から来ているそうですよ!

勝山の由来は浄土真宗から(at 浄土真宗親鸞会 奥越親鸞学徒の集い)

ではでは。

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