もん太@射水市民です。
今日は、月に1度の高森顕徹先生の教学講義のご縁で、お釈迦さまの説かれた一切経で最も重要なご文である本願成就文についてご解説いただきました。
1日、しっかりと聞かせていただいた後は、信心の沙汰でガッツリと確認しなければなりませんね。蓮如上人の御文章には信心の沙汰の大切さが随所にありますが、最近の勤行で拝読している所を抜粋してみても……、
仏法の由来を障子・垣越に聴聞して、内心に「さぞ」とたとい領解すというとも、重ねて人にその趣をよくよく相尋ねて、信心の方をば治定すべし。そのまま我が心に任せば必ず必ず誤なるべし。
(4帖目第7通)
と仰って、「よく聞けた!」と思っていても、「必ず必ず誤なるべし」と「必ず」を2回も繰り返されて間違いだぞーっ!と警告されています。もん太も、「今日は、よく聴聞できたなーっ!」と自分でも気持ちがいいくらいの時がありますが、その聞けたことを信心の沙汰で語らねばと反省させられます。さらに、蓮如上人は、
信心を獲たるとおりをば、幾度も幾度も人に尋ねて、他力の安心をば治定すべし。一往聴聞しては必ず誤あるべきなり。
(4帖目第7通)
とも、トドメをさして仰っていますね。「幾度も幾度も」と何回も念を入れて信心の沙汰をすることの大切さをおっしゃっていますし、「一往聴聞しては必ず誤」と厳しい一言がついています。どうして、聞き誤ってしまうのか、ということにも蓮如上人の御一代記聞書に、
「一句一言を聴聞するとも、ただ得手に法を聞くなり。ただよく聞き、心中の通りを同行に会い、談合すべきことなり」と云々。
(御一代記聞書 137)
と教えられています。なるほど、「ただ得手に法を聞くなり」と自分の都合の良いように聞いてしまうんですね。
そして、信心の沙汰の場に行けばいいのかと言えば、蓮如上人は、
もとより我が安心の趣いまだ決定せしむる分もなきあいだ、その不審をいたすべき所に、心中を包みて有の儘に語らざる類あるべし。これを責め相尋ぬる所に、有の儘に心中を語らずして、当場を言い抜けんとする人のみなり。勿体なき次第なり。心中を遺さず語りて、真実信心に基くべきものなり。
(4帖目第8通)
と仰っていますね。「心中を遺さず語りて」と、仰っていますが、そういうことは御一代記聞書にも、
蓮如上人仰せられ候、「物を言え物を言え」と仰せられ候。「物をいわぬ者は恐ろしき」と仰せられ候。「信・不信ともにただ物を言え」と仰せられ候。「物を申せば心底も聞こえ、又人にも直さるるなり。ただ物を申せ」と仰せられ候。
(御一代記聞書 87)
とか、
「仏法談合の時、物を申さぬは信のなき故なり。我が心に巧み案じて申すべきように思えり。よそなる物を尋ね出すようなり。心に嬉しきことは、そのままなるものなり。寒なれば寒、熱なれば熱と、そのまま心のとおりを言うなり。仏法の座敷にて物を申さぬことは不信の色なり。また油断ということも、信の上の事なるべし。細々同行により合い、讃嘆申さば、油断はあるまじき」の由に候。
(御一代記聞書 203)
とか、
蓮如上人仰せられ候、「世間・仏法ともに人はかろがろとしたるがよき」と仰せられ候。黙りたる者を御嫌い候、「物を申さぬが悪き」と仰せられ候。又微言に物を申すを「わろし」と仰せられ候と云々。
(御一代記聞書 313)
と教えられ、心のままに語らずに黙っているのは「恐ろしい」とまで仰って嫌われるのだと言われています。これはもう、聴聞させていただいたら信心の沙汰をして、自分はどのように聞いたのかを、そのまま語っていかねば、損どころか恐ろしいことなのだと知らされます。もん太は「こんなこと言って、間違っていたら恥ずかしいな……」とメンツを大事にしてしまうんですが、その聞き間違いを正していただくための信心の沙汰ですからね。間違いが間違いと知らされれば、自分が得をするんですよね!
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
と言いますが、未来永劫の浮沈をかけた仏法のことですからね、一生どころか、
「聞くは一時の恥、聞かぬは永劫の恥」
ですね。ハイ。
更に、
信心決定の人も、細々に同行に会合の時は、相互に信心の沙汰あらば、是れ即ち真宗繁昌の根元なり。
(4帖目第8通)
と仰っていますが、信心の沙汰が盛んになれば、真宗繁昌と言われています。これは、浄土真宗の信者が増えていって、寺や会館がどんどん建てられていって……ということでしょうか?そうじゃないですね。御一代記聞書には、
一宗の繁昌と申すは、人の多く集り威の大なる事にてはなく候、一人なりとも人の信を取るが、一宗の繁昌に候。
(御一代記聞書 122)
……とあります。一人でも多くの人が信心決定することが浄土真宗の繁昌なのだと教えられています。信心の沙汰をすることは、私自身が信心決定の身に救われるために積極的にしなければならないんですね。
まあ、そういう徹底した蓮如上人のオススメもありまして、もん太の支部も信心の沙汰をやっているのですが、

もん太の支部はアリーナ横で信心の沙汰だった……
……とまあ、やっている場所が、顕真会館のアリーナ横の廊下だったりするわけです。廊下と言っても赤い絨毯が敷かれて快適と言えば快適なんですが、色々な人が通るし、集中できませんね。同朋の里のような場所だったらいいのですが……。
では、ちょっと周囲を見てみましょう。もん太の支部のやっていた場所の隣のラウンジでは……、

顕真会館2階のラウンジも信心の沙汰でいっぱい
学生さんやら青年の親鸞学徒がワイワイと数カ所かで信心の沙汰をしていました。
隣の本館に行ってみますと……?

本館の願海でも数カ所で信心の沙汰が行われていた
昔の第一講堂である「願海」にて、数カ所に分かれて信心の沙汰が行われていました。この写真は、北海道の親鸞学徒や富山県の小矢部の親鸞学徒ですね。
同朋の里や法輪閣で、信心の沙汰をしたいのだけど、なんせ満室で入りきれずに、こういった場所でされている方も多いのだそうです。
法輪閣に行ってみますと……?

法輪閣のラウンジは居心地がいいので人気らしい
2階より上にある個室が満室なのか、1階のラウンジで信心の沙汰が行われているようです。ただ、法輪閣のラウンジというのは、非常にリラックスして語れるということで、ここに集まってしまうということもあるようです。そういうこともあってか、同朋の里F館には、この法輪閣のラウンジをモデルにした、更に大きなラウンジが作られているんですね。テーブルごとに小さなグループが出来ていて、かなり濃厚な語らいがなされているようですよ!
さて、同朋の里に行ってみましょう。ウワサに聞くほど、いっぱいなのだろうか?

百味館と徳水館前の駐車場まで満車
うぎゃー!車・車・車〜〜〜!!
これでもかって程、駐車場が満車です。停める所がなくて、やむなくバス用のスペースや、白線の外に停めざるを得ない状況ですね。

百味館では夕食しながら信心の沙汰がされていたようだ
百味館からは暖かい光が漏れていますね。会食をしながら信心の沙汰というのもいいようですし、徳水館でお風呂に入りながら信心の沙汰というのも、お風呂ならではの語らいができていいそうです。
そういえば、もん太がこの写真を撮っている時に、後ろを歩いていた親子連れがいらっしゃいまして、小学校に入るか入らないかくらいの子が「ここのお風呂入ってこー!ここのお風呂に入るぅ〜〜〜!!」とテンション上げ上げでお母さんに訴えているのを見かけました。お母さんは「う〜ん、でもねー、今日はこれで帰るつもりだったから準備していないのよー」と返答していまして、子供さんが「やだー、ここのお風呂に入るー!ここのお風呂に入るー!」とダダをこねているのが何とも微笑ましかったですね。何て尊い子なんやー!
一応、徳水館ではタオルを買えた気がしたので、いきなりやってきても大丈夫ですよ〜。ママさん!
C館の前の大きな駐車場に行ってみましょう。

C館前の駐車場も満車のようですね
うっはー!いっぱいいっぱいですね。

駐車スペースまったくなし!
駐車スペース全くなし……っていうか、白線に入りきっていませんね(汗)。

もういっぱいいっぱいですわぁ〜
うん、はみ出てる……。
そんな感じで、「部屋が足りん、足りん」と、F館が待望されているんですね。この調子だと、F館もすぐに一杯になりそうですが……大丈夫かな?
最後に、食い意地の張っているもん太は、百味館から漂ってくるアノ香りに負けて潜入してみました。

百味館では旬の松茸料理が振る舞われていました
松茸ごはん〜!!他にも、さんまや松茸のお吸い物とかいろいろありましたよ。
親鸞会の山内拓講師の支部の皆さんが、松茸づくしで会食されていました。こりゃ、いい香りがするはずだ。
松茸をほおばりながら、熱一杯信心の沙汰をされる皆さんを横目に、もん太は帰るのでした……いいなぁ。
そんなわけで、明日は祝日ですからね。同朋の里は、賑やかそうですよ〜!
ではでは。
10月 12th, 2009 at 6:57 PM
もん太さん、いつも楽しい記事ありがとうございます。
この日の同朋の里D館は時間差で信心の沙汰をしていましたので、かなりたくさんの人がD館をお借りしていましたよ。
下足棚もいっぱいでした。