もん太@射水市民です。
長いようで実は短かった北海道ロケの日程が終わり、小樽港から新潟へとフェリーで戻ってきた。久しぶりに踏む本州の土。なにもかもが懐かしい……(?)
新潟に到着して、北陸自動車道で一路、富山へ!
ETC割引は土日などの一律1000円とか、通勤割引のイメージが強いが、平日の日中でも「平日昼間割引」として、走行距離100km未満なら3割引になるというありがたいものがある。100km走る一歩手前でICを出て、再び北陸道へ……という面倒くさいことをやって高速代を節約。まあ、こういう走り方は普通なのかインターネットのサイトでも「ETC100km検索サービス」というものがあり、出発ICを入力すれば100km圏内のICが表示されるというスグレモノ。
この平日昼間割引でケチケチ走っていくと、親不知ICで一旦、下りることになる。
新潟といえば、親鸞聖人の流刑の地。当ブログでも以前に居多ヶ浜を起点として上越の御旧跡巡りをやったことがある。親不知といえば、親鸞聖人が居多ヶ浜に辿り着かれる前に歩かれた難所……ということで、すぐにICに入らず親不知を少々撮影してみた。
親不知は立山連峰がそのまま日本海に入り込んでいると言っても過言ではないほどの絶壁。海岸沿いを見ても広い砂浜なんぞ見当たらず、断崖絶壁の下は日本海という場所でした。
昔の旅人は、この眼下の波打ち際を走って渡ったという。今日では想像できないほどの大波が、たえず襲うため、海岸線の岸壁には、一定間隔ごとに、身を潜める穴があった。
旅人は、波の合間をぬって疾走し、岩穴に飛びこむ。そして、波が引くと同時に、次の穴へ向けて全力で走る……。息をつく間もない。
市振から青海までの約15kmの海岸線を、この繰り返しで進むのだから、まさに、命がけだ。もし、走り遅れれば、一瞬にして海の藻屑と消えてしまう。
親は子を、子は親を顧みる余裕すらないので、この海岸を「親不知子不知(おやしらずこしらず)」と呼ぶようになったという。
江戸時代の書物には、その有り様が生々しく描かれている。
「巨濤激浪間なく打ちよせて見るもの気を失い魂を消す。此間絶壁の岩根に大きなる穴ありて、或は五七間又は八九間にしておなじさまなる穴のいくつもあり。是を往来の旅人彼大浪の引を見合せ急に走りて其穴の中へ駆込ぬれば、はや跡より打よする巨濤岸壁へ打ちくるに汐烟いともすさまじく立のぼり走りおくれたるものは浪にふれて、忽大洋の藻屑と成れり(二十四輩順拝図会)」
そんなかつての命懸けの難所も高速道路が走り、簡単に通り抜けられる。そして、展望台から海岸線へと降りられる急な階段もあった。
写真をご覧になればお分かりかと思いますが、とても急で足をふんばっていかねば落ちていきそうな気がしてくる。そんな階段を降り切ると……、
さすがに5月末というだけあって、冬の荒々しい日本海のような波ではなく穏やかな海ではあったが、そこに砂浜などはなく、荒々しい岸壁と海岸の間のわずかな土地は、大小さまざまの石で覆われていた。足元を気をつけていかねば、足首をひねってしまいそうなほど、足場が悪く、昔の旅人は、ここを走って通り抜けたと思うとゾッとする。穏やかな海でもちょっとしたしぶきがかかってくるのだ、波の激しい冬場など、生きて通り抜けられるのがおかしいくらいと思った。
親鸞聖人も、800年前、この「親不知子不知」の難所を走り抜けられたのだ。岩穴から岩穴へ、全力で……。
親鸞聖人の流刑の地、越後の御旧跡を巡ると、配所での流罪人としてのご苦労を偲ばずにおれない。そして、なぜ親鸞聖人が流刑にあわれたのかという原因を改めて知らねばならないと思った。
親鸞聖人が上越に流刑となられた時、お師匠さまの法然上人もまた四国の土佐に流刑となられた。世に知られる「承元の法難」である。
さて、この承元の法難はなぜ起きたのか……。いろいろと言われているが、本当の原因はお釈迦さまの教えの結論「一向専念無量寿仏」の強調であったことを知る人はどれだけあるだろうか?この承元の法難についての詳しいことが、つい最近、親鸞会公式サイトの中に「史上最大の宗教弾圧「承元の法難」は1冊の本から起こった」という特集記事が掲載されたので、そちらをご覧いただきたい。
史上最大の宗教弾圧と言われるくらいの大弾圧だったわけだが、法然上人はじめ、そのお弟子たちは死刑や流刑などにあっている。具体的なことはあの有名な「歎異抄」にも書かれているくらいだ。阿弥陀仏以外の仏や神を信じてはならないという釈尊の至上命令を純粋に護ったが故の大弾圧だが、そこまでして護らねばならないのが仏法ということが、よく分かる。
親鸞聖人のご和讃に、
五濁の時機いたりては
道俗ともにあらそいて
念仏信ずるひとをみて
疑謗破滅さかりなり (正像末和讃)
というのがある。
真実の仏法を伝えようとすれば、必ずや疑謗破滅が起きてくると仰っている。釈尊はじめ、七高僧、親鸞聖人、蓮如上人といった方々のご生涯を見てみてもよく分かる。最近、何かにつけインターネット上では、アンチサイトというものが存在し、匿名だからなのか心ない誹謗中傷がなされ、風評被害などが社会問題にもなっている。そういうことを聞くにつけ、それらの善知識方の時代にインターネットが存在したら、どれほど酷いことになっていたことかと案じられる。
親鸞聖人の肉食妻帯の断行などは、現在の不倫騒動並みのスクープとして書き込まれ、えげつないコメントで埋め尽くされていたに違いない。浄土真宗を日本最大の仏教教団にまでされた蓮如上人に至っては、首に賞金がかけられていたくらいだからお顔の写真がアップロードされ煽られていたに違いない。ご門徒が喜び喜び出された懇志によって建立された山科本願寺や石山本願寺などの聞法ドメインにつけても、どこにあんな金があるのか、きっと門徒から金を搾取して……と無責任な放言がなされていただろう。吉崎御坊の焼失にしても、心ないものからすれば、どんな憶測でものが言われるかすら分かったものではない。いずれにせよ無責任極まりないことなのだが、相当ひどいことが言われていたと案じられる。
極めつけは、一向専念無量寿仏の強調に対する反発が書き込まれたりするであろうということ。
そんな大弾圧を受けると分かりながら、なぜに歴代善知識は一向専念無量寿仏を強調されたのか。
ひとえに後生の一大事の解決一つのためのことなのだが、今の真宗界を見るにつけ、教えの要が抜けてしまっていることを嘆かずにおれない。




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