もん太@射水市民です。
昨日、親鸞会館で行われた二千畳座談会では、高森顕徹先生より歎異抄についてお聞かせいただきました。
浄土真宗中興の祖・蓮如上人は奥書として、
「右この聖教は、当流大事の聖教たるなり。無宿善の機に於ては左右無く之を許すべからざるものなり。 釈蓮如」
と書き加えられて封印されたほど、仏縁の浅い人に読ませると、とんでもない読み誤りをしやすいお聖教が歎異抄です。
中でも非常に多い読み誤りが、
「念仏を称えたら誰でも極楽へ往ける、と教えられたのが親鸞聖人」
というものではないでしょうか?
しかし、この読み誤りは親鸞研究の第一人者とされ、学校の教科書に執筆するような人からなされている読み誤りなんですね。
もん太は、歴史が苦手で大学時代に仏縁を結ばせていただくまでは、鎌倉仏教の開祖とその宗派が結びつかないほどでしたが、それでも、日本史の教科書で浄土真宗では「念仏を称えれば救われる」と教わってきましたし、図書室にあった「日本の歴史」といった歴史マンガでも鎌倉仏教の巻で浄土真宗は念仏称えて救われる……と念仏のオンパレードだったのを思い出します。
歎異抄の第1章には、
「弥陀の本願には老少善悪の人をえらばず、ただ信心を要とすと知るべし。(意訳:弥陀の救いには、老いも若きも善人も悪人も、一切の差別はない。ただ信心を肝要と知らねばならぬ。)」
とあり、このお言葉は先の迷信を正すのみならず、歎異抄全体を通して数ある誤解を正す、限りなく重い聖人の発言といっても過言ではないと教えていただきました。
親鸞聖人のおっしゃる「信心」とは、どういう「信心」なのか。そこが分からないと蓮如上人が危惧されたような読み誤りをしてしまうんですね。
決定ということのある信心、獲得ということのある信心、完成のある信心……とは、いかなる信心なのか。ハッキリするまで聴聞の一本道を進ませていただきたいと思います。
さて、その二千畳座談会が終わったら、勿論、同朋の里で信心の沙汰ですよねっ!!
みんなで聞かせていただいた二千畳の掃除をさせていただいてから、続々とF館へ集まって来られましたよっ!もはや、親鸞会館でのご縁の前日にF館で泊まって、聞かせていただいた後には、F館で信心の沙汰をさせていただいて、夕食をいただいて帰る。そんなスタイルが出来上がっているようです。
そんなスタイルに更に変化が起きそうです!
土曜日にF館の前の山林へと延びていく山道を発見!ついついフラフラと中に入ってしまいましたよ。
上の写真は、山道を少し入ってF館側を振り返った様子です。高〜い杉木立の下に延びる山道と、その山道を出た所にF館が見えます。杉はホントに「まっすぎ(?)」でした。
この山道は、だいぶ前からあったらしいのですが、最近になって聖地課の方々の手によって整備され、伐採やら除草が行われ歩きやすくなっていました。
まあ、まだ作業の途中のようで、雨上がりなどは少々ぬかるんでいるようです。ハイヒールで歩くのはNGっぽいですね。長靴がマストアイテムですね。それから、虫除けスプレーをしていくといいと思います。
この山林に入ってすぐの山道脇に目をやると……、
ご覧のとおり、屋久島を思わせるようなマイナスイオンたっぷりのビジュアル!シダの林と、その奥の苔むした倒木が深山幽谷っぽくていいですね。ここは屋久島か知床かという感じです。空気も澄んでいておいしいですよ〜。
そして、上を見上げると……、
葉を通して日光が差し込んできます。透き通る緑が美しい!目が癒されますよ〜。
そして、ちょっとした窪地には……、
こんな感じの池があります。マングローブじゃないですが、池の中から生えている木がまたグッと来ます。
同朋の里でリフレッシュしながら、信心の沙汰というのもいいですね。






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