もん太@射水市民です。
親鸞会の年始の行事「新春大会」と「初聞法会」を天気予報に反して穏やかな天候で迎えさせていただきましたが、青空も見えたりして……、
いやはや、迎春ですね。
……と思っていたのですが、今日も用事があって親鸞会に行かせていただいたのですが……、
雪だしっっ!!
いくら旧暦とはいえ、どう考えても「春を迎えて」はいませんよね?冬真っ盛りかと思うのはもん太だけでしょうか?
上の写真は、親鸞会に参詣される方が溺愛している(だって正本堂に近いんだもん!)赤3駐車場にある桜の木から正本堂を眺めてみたんですが……、まさしく枯れ木っ!!
しかし、この木だって、春真っ盛りには……、
こんなに素敵な花をつけてくれるんですよ!
うっかり定点観測をしてしまったもん太ですが、この写真を見比べて思い出すのが、
「年ごとに 咲くや吉野の 山桜 木を割りてみよ 花のありかは」
の和歌ですね。
春になると立派な花を咲かせる桜の木も、冬には枯れ木同然に見えます。ならば、木のどこかに花びらが隠されているのだろうと一分刻みに細かくしても花びらは1枚も出て来ません。しかし、花を咲かせる目に見えない力は桜の中に確実にあるんですね。
私たちが行った行為も、目には見えませんが目に見えない業力となって確実に私たちの阿頼耶識という心に納まっていきます。
仏教の根幹は因果の道理と教えていただきます。善い行為も悪い行為も自分が行った行為の結果は必ず自分が受けていかねばなりません。その為、釈迦は膨大な一切経に一貫して廃悪修善を説かれています。
その釈迦の教えの真髄を明らかにされた親鸞聖人の教えに善の勧めがないはずがないのに、その親鸞聖人の教えに従って善を勧める親鸞会を非難する人がいらっしゃるようです。
まさしく、木を見て森を見ず、森を見て山を見ないという仏教の理解不足から来るものでありますが、光に向かって指授の道を進ませていただきたいものです。
ではでは。


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