もん太@射水市民です。
今や社会現象となった「タイガーマスク運動(現象)」ですが、不景気で世知辛い世の中で何とも心温まるニュースに日本も捨てたもんじゃないなと思った。
そのタイガーマスク運動について、昨日の「ズームイン!!SUPER」の「Somo Somo」コーナーで、こんなことが取り上げられていた。
全国各地にタイガーマスク運動が広まったことで注目されている“寄付”行為。日本の寄付とアメリカの寄付を比べると大きな違いが。果たして、日本で寄付は定着するか……(『ズームイン!!SUPER』サイトより)
番組中で、日本人数名に「あなたは寄付をしたことがありますか?」とインタビューすると、大半が「したことがない」と答えていました。そう答える人の中でも「赤い羽根募金」には寄付をしたことがあるようですが、その後に、同様の質問をアメリカでしてみると回答が全く異なっていた。番組中でインタビューに答えていたアメリカ人は、毎月1回は寄付をしているというのだ。
そこで、「寄付」についてのWikipediaの記述を調べてみると、2000年の寄付総額が、アメリカでは約20数兆円であるのに対して、日本では約1000億円にとどまっている。世帯で言っていくと、アメリカが1世帯につき約17万円に対して、日本は約3000円らしい。若干の数値の誤差があるかもしれないが、両国の大体の差は変わらないと思う。
では、日本人は寄付をしたくないのかということで、次の質問として「あなたは寄付をしたいと思いますか?」とインタビューしてみた。すると、意外にも番組中に登場した人では全員が「寄付したいと思う」と答えていた。
ならば、なぜ寄付したいのに寄付しないのかと疑問に思って聞いてみると、「寄付したくても、どうしたらいいか分からない」とか「寄付する宛がない」というようなことを答えていた。つまり、寄付する縁がないのだ。だから、先の質問で「赤い羽根募金はしたことがあるけど……」ということでも分かるように、あのように街頭で積極的に募られれば寄付してもいいと思うらしい。しかし、アメリカに比べて日本は圧倒的に寄付する縁がないようだ。
番組中では、アメリカのお店に行けばあちこちに箱が置かれていて、靴なら新品なり中古品なりを寄付して入れておけば、靴で困っている人に届けてくれるらしい。そういうスポットというか窓口が街のあちこちに存在するらしいから、アメリカでは寄付は身近でよくするらしい。
「寄付」とは、仏教の言葉で言えば「布施」と言えよう。もっと詳細に言えば「財施」となる。
この「布施」ということを、よく知りたい方はこちらを一読していただきたい。
「布施」とは、自利利他の善で、また、施された人もそうですが、施した人がより善い結果を受けられる尊い行いなのです。
この「財施」を施す相手について仏教では「三田」と教えられています。
施す相手を「田」に例えられて、それに3種類あるから「三田」と言われます。田にモミ種を蒔けば、一時は田のものになったような気になりますが、収穫する時には何倍もの米となって蒔いた人の手に戻ってきます。布施とは、まさにそのような行いだから、施す相手を「田」に例えられます。それに「敬田」「恩田」「悲田」があると教えられています。
この「三田」については、こちらを一読していただきたい。
布施をすれば善果となって返ってくるから、布施は多いにしたいのだが、布施をする縁がないのは、種を持っていながら蒔く田畑がないのと同じである。だから、田畑があるということは非常に有難いことなのだが、布施をする縁を与えていただけるというのは実に有難いことである。
布施をするとなると、生活に困窮している人などに財施させていただくのも非常に良いことですが、仏法に財施させていただくのが最も良いと言われます。更に、財施よりも尊い布施が「法施」です。
親鸞聖人のご内室(奥様)であった恵信尼が書かれたお手紙が「恵信尼文書」として現在に伝えられていますが、その第5通はこのようなものです。
せんしんの御房
くわんき三年四月十四日
むまの時はかりより かさ心ち すこしおほえて そのゆふさりよりふして 大事におハしますニ こしひさをもうたせす てんせい かんひゃう人をもよせす たた おともせすしてふしておはしませハ 御身をさくれハ あたたかなる事 火のことし かしらのうたせ給事もなのめならす さて ふして四日と申あか月 くるしきに まハされあらんとおほせらるれは なにことそ たわこととにや 申事かと申せハ たわことにてもなし ふして二日と申日より 大きやうをよむ事ひまもなし たまたまめをふさけハ きやうのもんしの一時ものこらす きららかにつふさにみゆる也 さて これこそ心へぬ事なれ 念仏の信しんよりほかにハ なにことか心にかかるへきと思て よくよくあんしてみれは この十七八ねんかそのかみ けにけにしく三ふきやうをせんふよみて すさうりやくのためにとて よみはしめてありしを これハなにことそ ししんけう人しん なんちうてんきやうなむ とて 身つから信し 人をおしへて信せしむる事 まことの(佛おんを)佛おんをむくゐたてまつるものと信しなから みやうかうのほかにハ なにことのふそくにて かならすきやうをよまんとするやと思かへして よまさりしことの されハなほもすこしのこるところのありけるや 人のしうしんしりきのしん よくよくしりよあるへし とおもひなしてのちハ きやうよむことハととまりぬ さて ふして四日と申あか月 まハさてあらんとハ申也と おほせられて やかてあせたりて よくならせ給て候し也
三ふきやう けにけにしく千ぶ よまんと候し事ハ しんれんはうの四のとし むさしのくにやらん かんつけのくにやらん さぬきと申ところにて よみはしめて 四五日はかりありて 思かへしてよませ給はて ひたちへハおはしまして候しなり
しんれんはうハ 日つしのとし 三月三日のひるむまれて候しかハ ことしハ五十三やらんとそおほえ候
こうちやう三ねん 二月十日 ゑ信
この時の事が「親鸞聖人略年表 三部経読誦」に詳しく書かれていますので、一読ください。
文中の強調されている部分が善導大師の「自信教人信 難中転更難」のお言葉です。
飢饉で苦しむ人々の為に、浄土三部経を千回読誦されようとしましたが、途中で止められて直ちにご布教(法施)に立たれました。
仏法の為に財施のご縁を頂き、また、法施のご縁も頂けることは実に有難いことと思うのでした。
ではでは。


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