もん太@射水市民です。
先月末に親鸞会で行われたテレビ座談会では、高森顕徹先生に『なぜ生きる』のご著書についての質問にお答えいただきました。
その時の質問で親鸞聖人がご出家される時のことなどがございましたので、当ブログでも親鸞聖人が出家得度なされた地である青蓮院門跡の紹介などをしてみました。そして、2問目の質問では『なぜ生きる』のP127の最後にある、
九歳で仏門に入って二十年、仏教の中心地・比叡山での日々は、まさに煩悩との格闘だった
という箇所について「煩悩との格闘」とはどういうことかといった質問が寄せられました。
煩悩とは文字どおり、私たちを煩わせ悩ませるものであり、除夜の鐘で108回突くように、その数は108と教えられます。その中でも大きなものを三毒の煩悩と言われ、
- 貪欲(欲の心)
- 瞋恚(怒りの心)
- 愚痴(うらみ、ねたみ、そねみの心)
があります。罪を造るものであり、煩悩とは罪悪のことと言ってもいいでしょう。
因果の道理で、悪いこと(罪悪)をしていれば悪因悪果で、後生いい所へは行けない。だから、親鸞聖人は比叡山で悪いことをやらないように、思わないようにされたんですね。しかし、やらないように思わないようにしようとすればする程、それらの煩悩は吹き上がってきて、親鸞聖人は格闘されたわけです。
そうやって親鸞聖人が格闘された比叡山に登ってみました。まあ、麓から山頂付近まで「比叡山ドライブウェイ」という便利なものがありまして、もん太は、大津側の田の谷峠料金所から延暦寺東塔の駐車場までを往復しました。これで、通行料1620円徴収されます。
道中は、数箇所に展望のいい場所があり、そこでは車を駐車できて、琵琶湖を見下ろす展望を楽しむことができます。

比叡山から大津市街を眺める。琵琶湖の南端のチョロリとした部分だ
今、登ってきた大津市方面を見ることができます。琵琶湖の南端のチョロリとした部分ですね。それでも、大きく見えるので、琵琶湖の大きさが実感できます。

比叡山から堅田方面を眺める。琵琶湖のくびれた辺りで琵琶湖大橋がかかる
そして、琵琶湖のくびれた部分ですね。堅田方面です。
琵琶湖大橋の向こうには広い琵琶湖が見えるのですが、親鸞聖人が煩悩と格闘されていた苦闘が『歎徳文』という古書に生々しく記されています。
定水を凝らすといえども、識浪しきりに動き、心月を観ずといえども、妄雲なお覆う。しかるに、一息つがざれば、千載に長うゆく。なんぞ、浮生の交衆をむさぼって、いたずらに仮名の修学に疲れん。すべからく勢利をなげうって、ただちに出離をねがうべし。
静寂な夜の山上で、修行に励まれる聖人が、ふと見おろす琵琶の湖水は、月光に映えて鏡のようだ。
「あの湖水のように、なぜ、心が静まらぬのか。思ってはならぬことが思えてくる。考えてはならぬことが浮かんでくる。恐ろしい心が吹き上がる。どうしてこんなに、欲や怒りが逆巻くのか。この心、なんとかせねば……」
平静な湖水にくらべて渦巻く煩悩に泣かれる聖人が、涙にくもる眼を天上にうつすと、月はこうこうと冴えている。
「あの月を見るように、なぜ、さとりの月が見れぬのか。みだらな雲がわき上がり、心の天をおおい隠す。こんな暗い心のままで、死んでいかねばならぬのか」
吸う息吐く息に、永遠の苦患に沈む自己を知られて、居ても立ってもおれぬ不安に襲われる。こんな一大事を持ちながら、どうして無駄な時を流せよう。はやく俗念を投げ捨てて、この大事を解決せねば。
一刻の猶予も、聖人にはありませんでした。この一大事、どこかに導きくださる大徳はないのか、高僧ましまさぬかと、思い出深き比叡をあとに、泣き泣き下山された聖人の、苦衷を書かれたものです。
これほど、後生の一大事の解決に真剣になられた親鸞聖人のことを思うと、もん太の求道姿勢は、まったく猛省すべきであります。欲の中には「色欲」といって男女の欲もありまして、それも断たねばならぬと比叡山はかつて「女人禁制」で女性は入ってはならない掟がありました。そんな掟があったことを知っているもん太は、ドライブウェイを走っていて思わず笑ってしまう看板を見つけてしまいました。

ドライブウェイの途中にあったホテルの看板「結婚式を楽しもう」
「結婚式を楽しもう」
……比叡山内にあるホテルの看板ですが、色欲を断つどころか、エンジョイ色欲ですね。結婚式をただするのではなく、楽しんじゃうあたりが「女人禁制はどうなった?」とツッコミを入れたくなってしまう看板であります。
親鸞聖人はすべての人は煩悩具足の凡夫であり、その煩悩具足のままが至徳具足となる弥陀の本願を教えられました。すべての人が救われる仏教を示されるがために、親鸞聖人は当時としてはご法度であった、肉食妻帯を断行されたわけですね。そういうことを思うと、天台宗の総本山である比叡山も、それまでの煩悩を断つ教えから、煩悩があるままで救われる教えに変わってきたのでしょうか?
さて、比叡山に来たと言っても観光ではないので、親鸞聖人がご修行なされた大乗院に行ってみましょう。大乗院はマップにもあまり大きく出ていないのだが、無動寺谷という所にあるらしい。
親鸞会の法友から、大乗院は延暦寺のメインである根本中堂から相当歩かなければならないと聞いておりましたので覚悟していたのだが、比叡山ドライブウェイの東塔エリアの第3駐車場が一番近い。それでも、ここから往復1.4kmほどなので平地ならまだしも、かなりシビアだ。
駐車場から坂本ケーブルの駅を通り過ぎ、ひたすら下の写真のような道を下っていく。

根本中堂から大乗院へ向かう山道。舗装されていても、かなりシビア
基本的に下り坂なのだが、行きの下り坂が長いということは、全く同じ道を戻るわけなので帰りは長〜い上り坂ということになる。行きはヨイヨイ帰りはコワイはまだいい方で、行きの下り坂もブレーキをかけながら歩かなければならないので本当に疲れる。出だしから、「僕には千日回峰行は無理だ」と実践をもって(?)知らされるのであった。
こんな山道を延々と歩きながら、まだ満開のスギの花が両側に立っているのを見ては「そういや、マスク着けてないや」と青ざめる。それにしても、歩いても歩いても「大乗院」の看板が出てこない。車社会で近所のスーパーにも車で行くという富山県民ですから「もう、歩くのイヤやねん!」とにわか関西人となって不平を言いつつ歩いていた時、窮すれば転ず、転ずれば通ずで(?)、いくつかの寺院が目の前に現れてきた。

まだ到着しないのか……とヘトヘトになって、いくつかの寺院が見えてきた
それにしても、なんちゅうところに建っているのだろうか。家事になったら消防車も来れないじゃん。急患が出たら救急車も来れないよ。そうなったら、救急ヘリだね。あ、でもケータイが圏外だ。えへへ……。
ヘトヘトになりながら、目前の大乗院に到着〜。

無動寺谷のいくつかの寺院の中の1つが大乗院だ
山道の脇にちょっと広い場所があり、そこに「親鸞聖人御修行旧跡」という石標が建っているので、ここが親鸞聖人のご旧跡ということが分かるが、周囲には全く人がいない。聞こえるのは風の音と鳥のさえずりだ。

大乗院の前の庭は、整備されていたが、人気が全くない
以前にも大乗院の写真は見たことがあったが、どうもここの玄関の引き戸はいつも開いているらしい。中に入ってみよう。

大乗院の玄関です。引き戸が開いていたけど、誰かいる気配がない
ごめんください、と言っても返事がない。やはり、無住なのだろうか。
参詣者用の下足棚があったので、そこに靴を置いて中に入ってみる。

大乗院の内部はどこかの集会所といった感じ。虫の死骸が沢山落ちていた
すると、どこかの集会所のような内装だ。天井からつり下げられた一般家庭用の蛍光灯が生活感が溢れている。この奥に仏壇がなければ、本当にどこかの公民館か集会所といった感じ。ちょっと驚いたのが、虫の死骸がいっぱい落ちていることだ。キョロキョロしながら歩いていたら、足の裏に何やら異物感が……。イヤな予感がしたが、下を見てみると、大きなクマバチの死骸だった。ただ、死後かなり経過しているのかカリカリで、ハラワタがグニュリと出てくることはなかった。それほど、掃除もされていないようで、放置されたのが大乗院という印象だった。
ただ、意外だったのが仏壇の仏花が新鮮なことですね。

大乗院の仏壇の本尊は親鸞聖人の「そば喰いの木像」と言われるものだった
これだけは毎日手入れをしているのか、枯れ木にはなっていなかった。
ちょっとビックリしたのが、ここの本尊が「そば喰いの木像」と呼ばれる親鸞聖人の坐像だということだ。かつて、親鸞会の先輩が大乗院を訪れた時に、ここの住職でちょうど千日回峰行を実践中だったKT氏に本尊のことで聞いたことがあったそうだ。
先輩「大乗院の本尊は、親鸞聖人ですか」
KT氏「いいえ。本当は薬師如来ですが、真宗の方のお参りが多いので、親鸞聖人を中心にしました」
という会話がなされたそうだ。親鸞聖人を敬慕してではなく、観光客へのサービスで本尊を変えるとは言葉も出ない。さて、その「そば喰いの木像」とは、どういうものか。ご丁寧に仏壇脇に説明書きがあった。
【そば喰い木像】
聖人が慈円の下で修行していた頃、薬師如来の霊告により京都の六角堂へ百夜の参詣をつづけたことがあった。これがいつとなく山僧の間にしれわたり、よからぬ噂がたちはじめた。ある夜範宴(聖人の修行時代の名)が京へ下ったあとで、俄に蕎麦の振舞いをするとお師匠様から達しがあって沢山の若僧が集まってきた。彼らは例によって範宴のいないことを悪しざまに罵しろうとしたとき、お師匠様は大声で範宴の名をよんだ。ところが居ない筈の範宴が師の呼び声に応じてあらわれ蕎麦の振舞をうけた。以来、誰いうとはなく、身代りの木像、或は、そば喰いの木像とあがめるようになった。
……ということらしい。
ちなみに、供物としてのし付きの酒が供えられてあった(もしかして、ミネラルウォーター?)。
今の大乗院は、こんな感じであったが、後生の一大事を何とか解決しようと命がけでご修行された聖人を想いつつ大乗院を後にした。
帰りに、無動寺谷で修行をしていると思しき白装束を着た若い修行僧が2人こちらを見ているのに気づいた。人が珍しいのか、微動だにせず見ている。おじぎをすると、丁寧に一礼してくれた。試しに「皆さんが修行される時に通られる修行道は、この道ですか?」と駐車場から歩いてきた道を指差すと「いいえ、こちらの道です」と脇から山奥へと上っていく獣道のような細い道を教えてくれた。
試しに、そこを進んでみた。

大乗院近くの修行僧らしき人が「修行道」と教えてくれた道
もう、延々とこんな道が続いているのでした。舗装されていた先ほどの道は、あくまで参道ということか。こんな道を毎日何十キロも歩くとは、親鸞聖人のなされた千日回峰行よりも厳しいと言われる大曼の難行とは、どんなものだったのか。たかだか、駐車場から大乗院までの往復でヒィヒィ言っているもん太は問題にもならない。
やっとの思いで、第3駐車場へと戻る。そこから、ドライブウェイの田の谷峠料金所へ直接戻ることはできず、一旦トンネルをくぐって第1駐車場へ行かなければUターンはできないらしい。そこで、第1駐車場へ行ってみると売店や根本中堂への入場料受付が立ち並んでいた。広い駐車場には10台近くの大型観光バスが並んでいた。これ以外にバスはないといっていい。

東塔の駐車場にズラリと並ぶ観光バスは750回大遠忌の参拝団だった
一体、どこの団体様で……?と見てみると、西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌に参拝したグループだった。駐車場の隅には、プレハブハウスで750回忌の事務所が用意されていた。本願寺は、こんなところまで入り込んで750回忌をやっているのか……と絶句した。それにしても、親鸞聖人のご旧跡を巡るとしてもご修行をなされた大乗院でこのグループを見ることがなかった。恐らく根本中堂へ行っていたのだろうが、そこで何をしていたのか大体察しがつくのが怖い。
はるばる、京都の本山までやってきて親鸞聖人750回大遠忌に参拝していながら、全く教えが聞けない上に目的もハッキリしていないから、雑行はやりたい放題である。改めて本当の750回忌を勤修できるのは親鸞会のみと知らされるのでした。
親鸞聖人は、ここでご修行されて、法華経の教えでは救われないと泣き泣き下山されたのでした。

琵琶湖から比叡山に沈む夕日を眺めた
その後で、吉水の法然上人に巡り会われるのですが、今の真宗の道俗に親鸞聖人がどのような思いでご修行なされ、下山されたのか知る人がいないことを嘆かずにおれません。
ではでは。
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