17 5月 2011

勝林院での大原問答と親鸞会の歴史

Author: もん太 | Filed under: 親鸞会もん太のどこまで脱線するの?

もん太@射水市民です。

昭和48年に親鸞聖人御生誕800年記念として発刊された『法戦1』は親鸞会の法論を綴ったものである。その「はしがき」の最後にはこのように記されている。

親鸞会は、これまで幾度となく、真実をネジ曲げる者に対し、容赦なき破邪の利剣を払ってきた。親鸞会の歴史は法戦の歴史であり、法戦の歴史はそのまま真実開顕の歴史であった。

仏教を説かれたお釈迦さまは『涅槃経』に、

僧にして、法を壊つ者あるを視ながら、これを黙視し、更に呵責駆遣せざる者は、この僧は、これ仏法中の怨なり。若し、よく駆遣呵責せば、これ我が真仏弟子なり

と遺されているが、破邪顕正しない者は仏弟子ではないぞ、それどころか仏法の敵であるとまで厳しくおっしゃっている。親鸞会の歴史は、まさにこのお釈迦さまの仰せのままに実践してきた歴史であった。

これはまた、歴代の善知識のなされてきたことであり、親鸞聖人も真実の仏法をネジ曲げる者は容赦せず破邪され、その親鸞聖人の教えをそのまま徹底された中興の蓮如上人もまた『御一代記聞書』に、

「開山聖人の御流を申しみだすことの浅ましさよ、憎さよ。切り刻みても飽くかよ飽くかよ」と仰せられ候

と、穏やかでない言い方で親鸞聖人の教えをネジ曲げる者を許されなかったことを仰っている。

法戦と言えば日本始まって以来の大法論である「大原問答」が思い出される。親鸞聖人の師である法然上人が、日本中の仏教学者を相手にお一人で論破された大法論だ。4月に京都へ行って来た時に、比叡山へ行くついでではあったが京都の大原へ寄ってみた。

親鸞聖人のご旧跡が集まっている京都の東山付近から北上していく。途中で「本当にこの道でいいのだろうか?」と思うくらい寂しいところを進んでいくと、ひっそりとした観光地のような場所が見えてくる。ここが大原の里である。

京都市内を移動する際は、ホテルで借りた無料自転車を利用していたが、さすがに大原ともなると遠いので自家用車での移動となる。駐車場を探そうにも、実際に大原問答が行われた勝林院がどこなのか分からない。「大原三千院」という看板はいくつもあったが、そこに停めればいいのだろうかと思い近所の人に聞いてみると、ひたすら坂を登っていけば行き止まりになるから……ということだった。

観光地にしては細くて曲がりくねった坂道をひたすら登っていく。すると、石段に突き当たり車は進めなくなった。その周辺に駐車場があったので有料ではあるが車を停めて大原の三千院門跡へと歩みを進めていく。

大原三千院門跡の入口(Photo by 親鸞会)

観光地にしては細く曲がった坂道を登ると三千院門跡の入口だ

どちらかというと城址公園と言った方がいいような雰囲気であるが、ここが有名な大原三千院だ。

石段を上ると一直線に道があり、その脇にみやげ物屋がズラリと立ち並んでいた。いかにも京都の風情だ。

大原三千院前のみやげ物店(Photo by 親鸞会)

大原三千院の前にはみやげ物店がズラリと立ち並ぶ観光地だ

左手にみやげ物屋が軒を連ね、右手には三千院門跡を眺めながら直進するのみ。

三千院門跡の山門(Photo by 親鸞会)

観光客が訪れるのは勝林院ではなく、三千院門跡の山門より向こう

途中に、城門のような三千院門跡の山門がある。この中に入っていくと「境内」に入っていく事になる。ほとんど全ての観光客はここへと入っていくのだが、大原問答の勝林院はこの中ではなかった。更に先ほどのみやげ物屋ストリートを直進するのだ。そういうこともあってか、ネットでも勝林院の情報は乏しく、結果、迷う事になってしまった。

直進すると、次第にみやげ物屋が途切れ律川にかかる朱色に塗られた末明橋を渡る。

末明橋(Photo by 親鸞会)

みやげ物屋が途切れた辺りに律川にかかる末明橋がある

この勝林院、大原問答でも有名だが、受け取るパンフレットにも「天台宗 大原魚山流 声明道場」と書かれている通り声明の寺だ。声明とは仏教特有の音楽で経典などに節をつけたものだである。よく「呂律(ろれつ)が回らない」と言われるが、短調の曲と長調の曲からなる声明から派生したもので、そこからこの大原に流れている川に呂川と律川と名付けたのだとか。それほど、この勝林院は声明の根本道場となっている。

この橋を渡ると木々の向こうに大原問答の舞台、勝林院が堂々と建っている。

末明橋から勝林院(Photo by 親鸞会)

末明橋を渡ると木々の向こうに勝林院が見えてくる

入り口で入場料を払って境内へと入っていく。

勝林院(Photo by 親鸞会)

法然上人の名を天下に知らしめた大原問答の勝林院だ

前庭がやたら広く感じられ、観光客も少ないのに結構綺麗に掃除されている。一見、一般的な寺院の建造物のように見えるのだが、入り口の柱に掲げられている大きな木札が目に飛び込んでくる。太く白い筆文字で右に「勝林院」、左に「大原問答」とあった。

大原問答(Photo by 親鸞会)

勝林院の入り口には大原問答と大書された木札が掲げられている

親鸞会のご法話で高森顕徹先生が法然上人のことをお話をされる際、何度も大原問答のことをお聞きしていただけに、ここで法然上人が、かの有名な大法論をなされたのかと思うと感動する。三千院と離れているので本当に静かだ。

さて、中に入ってみよう。

勝林院の内部(Photo by 親鸞会)

勝林院の中には中央に阿弥陀如来像、その両側に問答台がある

中央に本尊の阿弥陀如来坐像。その前の左右に普通の寺院では見られない階段つきの高座が設置されている。これが問答台であり、この片方に法然上人が座られ、もう片方に各宗派の代表が次々に登り激しい論戦がなされた。

さて、この大原問答では、どのような問答であったのか。法然上人の伝記を要約すると「聖道門と浄土門、いずれが真実か。日本国中の学者が集まり、火花を散らしての問答」とあった。

仏教の宗派を大きく分けると聖道門と浄土門の2つとなる。聖道門仏教は自力の修行で仏になろうとする教えで、天台宗、真言宗、禅宗などを指す。

これに対して、阿弥陀仏の本願以外に、我々の救われる道はないと教えるのが浄土門仏教だ。親鸞聖人の教えそのものである。

この大原問答は、宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島で決闘したように、聖道門と浄土門の全面対決が行われたのである。

ただ全面対決とは言っても、聖道門と浄土門それぞれに何人もの学僧が立っての団体戦ではない。聖道門サイドは、比叡山、高野山、京都、奈良の高僧380余人が論陣を張って、それらの弟子僧2000余人が勝林院を埋め尽くしたという。伝記によれば、高野の明遍、笠置の解脱、栂尾の明恵など、親鸞会でも聞いた事があるような有名な学者が名を連ねていた。

では、浄土門サイドのスターティングメンバーはどれほどいたのか。何と法然上人だけだったというのだ。身の回りのお世話をするお弟子が14〜15人同行しただけと伝記にはあるが、それらのお弟子はあくまでお世話をするだけ。つまり、380余人vs1人という普通の戦いならば圧倒的不利な状況である。

「今日こそ、念仏の息の根を止めてやる」と、2000余人の大衆は殺気に満ちている。そして「もし、法然上人が一言でも詰まられたら、お命が危うい」と、お弟子たちはガタガタと震えるばかり。ところが、法然上人はニッコリと微笑まれ「この法然は幸せ者じゃ。今日一日の問答で、天下の学者たちを弟子にできるとは。阿弥陀仏の本願を明らかにする又とない好機だ」と仰ったという。法論は一切経が土俵であり、お釈迦さまの真意を体得すれば、たとえ相手が何万人であろうと破れる事はないのだ。

43歳の御時に、阿弥陀如来に救われられた法然上人には絶対の自信があふれておられた。

勝林院の問答台(Photo by 親鸞会)

法然上人は、この問答台に座られ自力諸宗の学者を論破された

そして、激しい問答が始まった。

問答台の片方に法然上人が座られると、もう片方に日本中の仏教の学者が次々と登り、まず聖道門から切り出した。

「浄土門が聖道門より優れているとは、どういうことか」

「お釈迦さまの教えに優劣はないが、法は何のために説かれたものか。衆生の迷いを転じて、仏覚に至らすためである。衆生を救う点において、浄土門の方が優れておる」

2000余人の学僧たちがどよめく。

「これは聞き捨てならぬことを」

「聖道門は、人を選ぶではないか。経典を学ぶ知恵のない者、修行に耐える精神力のない者は求められない。首楞厳経には、長期間、戒・定・慧の三学の修行を積まねば仏になれぬ、と説かれている。欲や怒りのおさまらぬ者は、救われないということではないか(三学の修行とは、煩悩を抑え、煩悩をさえぎり、煩悩を断つ修行)

「いかにも……」

「さらに、厳しい戒律が、比丘に250、比丘尼に500ある。一体、完全に実行できる人はどれだけあるのか。大衆のほとんどは、救われないではないか」

「いや、法華経には、8歳の龍女でも救われたとある」

「龍女は、ただの女ではない。『知慧利根』と法華経に説かれているように、前世に文殊菩薩より法華経を聞き、厳しい修行に打ち込んできた仏縁あつい女性じゃ。法華経の至る所に『この法華経は深智のために説く。浅識はこれを聞いて迷惑して悟らず』『無智の人の中に於いては、この教を説くことなかれ』とあるのをご存知ないか」

「……」

「しかし、浄土の法門は違う。欲のやまぬ者もこい、愚者でも智者でも、悪人でも女人でも、侍でも農民でも、商人でも職人でも、全く差別がなく平等に救われるのだ。なぜならば、阿弥陀如来が、すべての人を必ず救い摂ると本願を建てておられるからじゃ。しかも、末法の今日、聖道門の教えで救われる者は一人もないのだ」

「なにを、たわけたことを。そんな根拠がどこにある」

「賢劫経や大集経には、釈迦入滅後500年を正法の時機とし、その後1000年間を像法の時機、像法後10000年を末法の時機と説かれている。聖道門の教えは、時代とともに衰え、末法には、1人もさとりを得る者がなくなる、と経典にある。すでに、現在は末法である。自力の修行では、成仏得道の望みは絶たれているのだ。これに対し、大無量寿経に説かれている阿弥陀仏の本願は、正法、像法、末法、法滅の時代になっても始終変わらず一切の人々を救うと説かれている。されば、すべての人の救われる道は唯一つ、浄土の一門のみであることが明らかではないか」

「……しかし、阿弥陀仏以外の仏や菩薩に向くなとは、言い過ぎではないか」

「お釈迦さまは大無量寿経に『一向専念無量寿仏』と説かれている。あらゆる諸仏、菩薩、諸神を捨てて、一向に専ら阿弥陀仏を念ぜよ、と厳しく戒められている」

「ううむ……」

と問答は一昼夜に及んだが、法然上人はいかなる難問にも経典の根拠を挙げて、よどみなく答えられ全ての学者を論破された。

聖道門の学者たちは、心から法然上人の高徳に伏し「智慧第一の法然房」「勢至菩薩の化身」と讃えたという。

阿弥陀仏の本願の素晴らしさを知らされた2000余人の大衆は異口同音に念仏を称え、三日三夜、その声が大原の山野にこだましたと言われる。

このことは勝林院のパンフレットにも『大原問答』という項目で紹介されている。

上人は法相・三論・華厳・天台・真言などの諸宗にわたって凡夫の初心より仏果の極意にいたるまで修行の方軌・得度の相貌をくわしく述べられて

「是等の法みな義理深く利益すぐれたり。しかも源空(法然上人)ごとき頑愚のたぐいは更にその器にあらざるゆえ、悟りがたく惑いがたし。源空発心の後、聖道門の諸宗について広く出離の道を求むるに、かれもかたくこれをかたし。是即ち世くだり人おろかにして機教あいそむく故なり。しかるに善導の釈義、三部の妙典のこころ、弥陀の願力を強縁とする故に、有智無智を論ぜず、持戒破戒を選ばず、無漏無生の国に生まれてながく不退を証すること、ただこれ浄土の一門念仏の一行なり」

と阿弥陀如来の徳果を理を極め詞を尽して申された(中略)中でも法印は双眼より涙を流して仏前に踊り立って自ら香炉を持たれ行道をして高声で「南無阿弥陀仏」と念仏されたので他の大衆も異口同音に念仏を修して三日三夜その声が、山野に満ちひびき林野にこだましたと云うことであります。

しかし、今の大原に法然上人が論破された阿弥陀仏の本願を説く者がいない。大原問答で何が明らかになされたのか、それを是非有縁の方に伝えていただきたいものだ。

ではでは。

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