22 5月 2011

親鸞聖人の岡崎草庵跡である岡崎別院に行った

Author: もん太 | Filed under: 親鸞会もん太のどこまで脱線するの?

もん太@射水市民です。

4月に京都にある親鸞聖人のご旧跡を巡って、少々そのレポートを当ブログでしてきたが、比叡山を下りられ吉水の法然上人のお弟子となられた聖人が住まわれた草庵が「岡崎草庵」である。現在は東本願寺の岡崎別院らしいが、そこも訪れておきたい。

聖人の出家得度の地「青蓮院門跡」、法然上人の「吉水草庵」は円山公園の周辺に集まっているが、岡崎草庵は少々離れていた。もん太的には生理的に受け付けない平安神宮の朱色の巨大な鳥居が見える方向へと自転車を進めていく。この周辺が岡崎の地らしいが、かつて岡崎にある「みやこめっせ(京都勧業館)」で親鸞会のご法話があったので懐かしい。

岡崎別院の山門(Photo by 親鸞会)

親鸞聖人の岡崎草庵跡である東本願寺の岡崎別院にやってきました

そのみやこめっせの近くに岡崎別院があったのだが、観光地扱いされていないためか周囲には平安神宮やら動物園や美術館の看板が目立ち、かなり道を迷ってしまった。かなり行き過ぎて哲学の道まで行ってしまったので変速ギアなしの自転車走行のもん太としては、かなりキツかった。

見た感じ、そんなに派手な寺院でもなく山門前に「親鸞聖人御草庵遺跡」とか、その手前にある「洛東岡崎御坊」の石標がなければ、ここが御旧跡である事に気づかないような感じだ。それにしても、東本願寺の別院にしては、

親鸞に学ぶ(Photo by 親鸞会)

別院の案内板なら呼び捨てにせず「親鸞聖人に学ぶ」にするべきでは?

山門にある「親鸞に学ぶ 今月の法話」という案内が気になった。

どうしても仏縁が浅い方のために一般的な会場で行事を設けて、特別な事情があって「聖人」を外させていただく事があったとしても、別院の門前にある看板で親鸞聖人を呼び捨てにするとは申し訳ない。親鸞学徒なら「親鸞聖人に学ぶ」にさせていただきたいものだ。

さて、山門をくぐってみよう。

東本願寺・岡崎別院(Photo by 親鸞会)

岡崎別院は東本願寺なので水色の750回御遠忌ののぼりが立っていた

もう普通の寺といった佇まいだ。東本願寺の別院なので4月は自粛した親鸞聖人750回御遠忌法要の水色ののぼりが何本も立っているのが気になる。

では、本堂に入ってみよう。

岡崎別院の内部(Photo by 親鸞会)

内部は講義形式で机が並ぶ。最前列以外は基本的にイス席だ

一面、畳敷きの空間が広がっているかと思いきや、畳の上にいくつも椅子と長机が並んでいた。最前列以外は全部イス席で基本的には正座で聞法させていただこうという雰囲気ではない。

ちなみに「根ぶべきもの」である御本尊を見てみると、

岡崎別院の内陣(Photo by 親鸞会)

御本尊は蓮如上人が「他流」と仰った「木像」である

木像ですね。

中興の蓮如上人は御一代記聞書の中で、

他流には「名号よりは絵像、絵像よりは木像」というなり。
当流には「木像よりは絵像、絵像よりは名号」というなり。

とご教示くださっている。木像でも絵像でも名号でもよいなら、蓮如上人が当流(浄土真宗)と他流(浄土真宗以外)に分けられる必要があろうか。本尊から狂っているのだが、東本願寺は「真宗大谷派」と自称している。親鸞聖人は「浄土真宗」と名付けられたのに、後生を否定し「浄土」を取り払って「真宗大谷派」と言っているのだ。本尊も教えも狂っているのがよくわかる。

そして、そんな東本願寺の教師になったのが、親鸞会に対する個人的な愚痴を書き連ねたサイトやブログをいくつも乱立させている自己顕示欲旺盛なUクンだ。親鸞会が根拠を示して「これが親鸞聖人の教えだ」と主張している事に対して、御本尊から他流になっている東本願寺の主張こそが親鸞聖人の教えだと言っているのだ。ご承知の通り、東本願寺の「教え」は清沢満之らを初めとした者たちが西洋哲学にかぶれて親鸞聖人の教えをネジ曲げてデッチ上げた近代教学と呼ばれるものだ。

近代教学を始めた清沢満之の言説は「私はああだった、こうなった」という体験ばかりを語るものだった。

「自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗託して任運に法爾に、この現前の境遇に落在せるもの、即ち是なり」(救われた体験)「地獄極楽の有無は無用の論題である」「来世の幸福のことは私はまだ実験しないことであるからここに述ぶることはできぬ」

……などと、正統なる仏説と明らかに反することを説いている。また、救われたとは言っても、阿弥陀仏や七高僧方のご恩徳を讃嘆することもなく、念仏もない。親鸞・蓮如両聖人のお言葉を挙げて丁寧に解説することもない。ただ「こうなった、ああなった」の自己の体験を声高に喧伝した。

教えよりも体験や実感を殊さら強調するので「清沢教学」とか「近代教学」と呼ばれる。

そんな東本願寺の岡崎別院であるが、本堂の柱にひときわ大きな活字で印字されたものが張り出されていた。

雑行を棄てて本願に帰す(Photo by 親鸞会)

柱には大きな活字で「雑行を棄てて本願に帰す」と張ってあるが……

「雑行を棄てて本願に帰す」

正直、びっくりした。これは浄土真宗の根本聖典である『教行信証』の化土巻のお言葉だ。

然るに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す

弥陀の本願に帰す(救われる)には、雑行を棄てねばならないのだが、そうなってくると俄然「雑行」が問題になってくる。雑行の体は諸善万行であるが、まさか、一貫して廃悪修善を勧められた仏教の真髄を説かれた親鸞聖人の教えを伝える者でありながら、雑行を聞き誤って諸善万行を捨てよと教えているのではあるまいなと疑ってしまった。そもそも、後生の一大事を助かろうとして弥陀に向かって行う善を雑行と言うのに、後生を認めずに雑行が出てくるわけがない。ハナから問題にもならないことなのだが、一体どんな説教をしているのだろうか?

どんな説教をしているんだ?ということでなら、更に興味深いものを見つけた。本堂の後方に記念品コーナーが用意されており、岡崎別院の絵などが置かれているのだが、親鸞聖人のお言葉などが紙に印刷されて置かれていたのだ。

記念品コーナー(Photo by 親鸞会)

記念品コーナーに「自性唯心に沈みて浄土の真証を貶し」とあるが

「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」「自性唯心に沈みて浄土の真証を貶し」「悪を転じて徳を成す正智」「念仏者は無碍の一道なり」といった、親鸞会でもよくお聞きする聖人のお言葉がズラリと張り出されている。

後生を認めないのに後生暗い心である「無明の闇」をどう説明しているのだろうか。

さらに、清沢満之と一緒に近代教学をしていた金子大栄や曽我量深なども「実在の浄土は信ぜられぬ(『浄土の観念』より)」などと阿弥陀経でハッキリと西方十万億土に実在すると説かれている浄土を否定しているのだが、この「自性唯心に沈んで」というのを、どう解説しているのか興味深い。真意が分かれば自性唯心に沈んでいるのは他ならぬ東本願寺自身であることに気づく筈だが……。

まあ、そんな感じでもはや浄土真宗ではなくなった「真宗大谷派」なので、その近代教学にどっぷり浸かっているUクンの目からすれば、親鸞聖人のお言葉に従っている親鸞会は「邪」にしか見えないのだろう。

そんなこんなで岡崎別院は御旧跡であることをすっかり忘れていたので、御旧跡っぽいところをチェックしたいと思う。

本堂の横に「御池」と書かれた石灯籠が建っていた。

御池(Photo by 親鸞会)

本堂横に「御池」と刻まれた石灯籠が建っていた

横には「鏡池(姿見の池)」と書かれた案内板があり「宗祖親鸞聖人が承元法難の折、この池に自らの姿を映され越後に旅立たれたといわれる」と書かれていた。その池とは、

鏡池(Photo by 親鸞会)

親鸞聖人が越後流刑の際にお姿をうつされたという鏡池があった

こんな感じの多角形の池であった。この池にお姿をうつして名残惜しまれたそうだが、承元の法難が惹起したのは聖人35歳の時であり、岡崎に住まわれたのは越後流刑までの6年間であった。また、巻頭から帰京されてからお住まいになられたのも、この岡崎草庵だったそうである。

近代教学の話というだけで親鸞学徒として、どうも気分がすぐれないので岡崎草庵の近くにある琵琶湖疎水にやってきた。

琵琶湖疎水(Photo by 親鸞会)

岡崎別院の近くには桜の名所である琵琶湖疎水が流れている

桜の名所ということだけあって、見事な桜が疎水沿いに咲き誇っていた。さらに、

琵琶湖疎水の船(Photo by 親鸞会)

琵琶湖疎水には遊覧船もある。船上からの桜もいいものだろう

遊覧船もあって、そこから眺める桜も見事に違いない。

琵琶湖疎水は平安神宮の前も通っていくのだが、そこから青蓮院から吉水草庵跡である安養寺へと道は真っすぐである。

三条神宮通(Photo by 親鸞会)

平安神宮から円山公園へと続く道。聖人もここを通われたのだろうか

親鸞聖人はこの道を通われたのだろうか。

法然上人のご説法を聴聞しに、岡崎草庵から雨の日も風の日も通われたのだろう。

聞法求道に命がけだった聖人のお姿が彷彿とする。

ではでは。

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