28 8月 2011

親鸞会で歎異抄についてテレビ座談会でした

Author: monta | Filed under: 法話

もん太@射水市民です。

今日は親鸞会のテレビ座談会があり、歎異抄第3章についての質問に高森顕徹先生が答えてくださいました。

正本堂(Photo by 親鸞会)

本日の親鸞会のテレビ座談会は、快晴の空の下で勤められました

歎異抄第3章といえば、悪人正機ということで、教科書にも載っているくらいに有名な章ですね。

歎異抄(Photo by 親鸞会)

歎異抄でもあまりに有名な第3章についての座談会でした

善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。しかるを世の人つねにいわく、「悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや」。この条、一旦そのいわれあるに似たれども、本願他力の意趣に背けり。

そのゆえは、自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたる間、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力の心をひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生を遂ぐるなり。

煩悩具足の我らはいずれの行にても生死を離るることあるべからざるを憐れみたまいて願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。

よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人は、と仰せ候いき。

特に冒頭の一文は、衝撃的な内容だけに、最も有名な言葉かと思います。ただ、大変な誤解を生みやすい一文ということもあって、よく知らなければならない場所であると思います。その解説に、

人間はみな煩悩の塊、永遠に助かる縁なき「悪人

……という所がありますので、そのことについてお答えくださいました。

煩悩は仏教では、悪業煩悩と言われるから、その塊がすべての人間となれば当然、悪人ですよね。

そして、同じ歎異抄に、

いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし

とあります。「いずれの行も及び難き身」とは、まさしく「煩悩の塊」であり「悪人」ということですが、どうして、悪人は助かる縁がないのかということについて、仏教の根幹である「因果の道理」から詳しく聞かせていただきました。

蒔かぬタネは生えませんし、蒔いたタネは必ず生えます。しかも、私に表れる運命の原因は、例外なく私自身が過去に行った行為であると教えるのが仏教です。善い運命がやってくれば、自分自身の過去の努力の賜物と納得できますが、悪い運命がやってくれば、自分自身の過去の行為とは納得できません。都合のいいことは聞けるけど、都合の悪い事は真実でもねじ曲げてしまうお粗末な私たちですが、そういうことも徹底して教えてくださいました。

そして、煩悩の塊が人間ということは、悪人とは人間の代名詞であり、また、その悪の塊はまた地獄より他に行き場がない、永久に助からない者となるのは当然でしょう。

そう教えられるお釈迦さまや親鸞聖人の教えを、そのまま伝える親鸞会に対して「威しだ!」「カルトだ!」と非難している東本願寺の某教師などがいらっしゃるようですが、事実を事実のままに伝え、しかも、それはお釈迦さまや祖師聖人が仰っている事なのに、何を騒いでいるのやら……と思いますね。そもそも、仏教を求める目的を何と思っているのか、はなはだギモンです。

さて、テレビ座談会のお昼休みには、親鸞会の法友とお弁当をいただきました。

昼食(Photo by 親鸞会)

親鸞会のお昼休みには、みんなでお弁当を開いて楽しく会食です!

午前中に聞かせていただいたことを語り合いながら、法友と会食……っていいですよね!肩の力を抜いて語れるので本当に良いですよ!

テレビ座談会の後には、ブログ『はたけくらぶ』の管理人・なおちゃんのドメイン農園に行ってまいりました。

瓜(Photo by 親鸞会)

ドメイン農園で収穫された瓜など

無農薬&有機栽培の農園で、体に良い瓜やメロンが豊作でした。

上の写真では、前列左から「タイガーメロン」「かわい〜ナ」「ニューメロン」、後列左から「冬瓜」「マスクメロン」でございます。

仏法が大切だから、体が大切。医食同源とも言われますが、食事もしっかりととっていきたいものです。

ではでは。

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