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17 1月 2018

平成30年 勝興寺の御満座レポート(3)

Author: もん太 | Filed under: 真宗十派

もん太@射水市民です。

今年の勝興寺の御満座ですが、昨年まで3日間勤められていたのが今年から2日間(実質1日半)になってしまいました。

かつては北陸一円からお参りがあったといわれますが、前回のおばちゃんの嘆きにもあったように、若い人は勝興寺も知らなければ、勝興寺の御満座も知らないという有様で、名物のデカローソクの寄付金もなかなか集まらない現状です。

そんな御満座なので、今年は行くのをやめておこうかと思ったのですが、やっぱり心配で来てしまってレポートを書いております。

勝興寺の御満座を再びかつてのように盛り上げたい!という活発な議論が交わされるかと思いきや、お斎の後の休憩時間も聞こえてくるのは嘆きとアキラメの声ばかりでした。ご年配の方ばかりで、これからこうしようというプランもないようです。

そうしている間に午後の部になりました。土山住職の導師による正信偈の勤行です。

御満座の勤行

お斎が終わって午後の勤行

そして、勝興寺の御満座といっても御正忌報恩講ですので、親鸞聖人のご恩に報いるということで聖人のご遺徳が書かれている御伝鈔が読まれました。

御伝鈔

勤行に続いて御伝鈔が読まれた

お経などと異なり、古文ではあるものの日本語ですので、なんとなく意味が分かるのではないかと思います。第2段には、

建仁第一の暦春の頃、隠遁のこころざしにひかれて源空聖人の吉水の禅坊に尋ね参りたまいき。これすなわち、世くだり人つたなくして、難行の小路迷い易きによりて、易行の大道に赴かんとなり。真宗紹隆の大祖聖人ことに宗の淵源をつくし教の理致をきわめてこれを述べたまうに、たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、飽くまで凡夫直入の真心を決定しましましけり

とあります。皆さんも、他力摂生の旨趣を受得し、凡夫直入の真心を決定していただきたいと念ずるばかりです。

さて、午後にも法話がありました。

氷見の法順寺の圓山望さんという方で、一昨年にもん太が来た時にも話されていた方です。

圓山望

午後の法話は氷見市にある法順寺の圓山望さん

四苦八苦の中から生苦について話が始まりました。

さて、法話を聞いている人はどれくらいか……?

勝興寺の御満座

午後の法話も本堂は閑散としていた

実に閑散としています。昼休みにお参りの皆さんが過去の御満座と比べて悲嘆しておられましたが、メインの法話がこの状況では嘆かずにおれないでしょう。

ちなみに、かつての様子を知ることができる写真が数枚見つかりましたので、ご紹介しましょう。まずは、昭和41年の勝興寺御満座の様子です。

昭和41年の勝興寺の御満座

昭和41年の勝興寺の御満座。座る場所もない

名物のデカローソクが3本あるように見えますね。重さでしょうか「四拾八貫」とか「四拾八貫」と書かれておりますね。モノクロですが、デカローソクの基本は変わっていないようです。しかし、手前の参詣者の数が凄いですね。

布教使の法話の時も、

勝興寺の御満座

布教使の法話を聞く人も多かった

こんな感じで、参詣者でギッシリでした。

昼休みに聞いたかつての御満座では「御示談」といって、夜通し教義について話し合うということがなされていたようです。昭和48年の御示談の様子が出てきました。

勝興寺の御満座のご示談

昭和48年の御満座での御示談

ご覧のとおり本堂ではなく、別の棟にある各地区の詰め所にて行われていたようです。

一昨年に世話役の方に、御示談がなくなってしまった理由を聞きましたが、表向きの理由は御示談をする詰め所となる建物を取り壊してしまったということでした……が、本当のところは京都の本山から教学の専門家である勧学が来てくれなくなったためということでした。

当時は、勧学以外にも後に続く者はいないだろうといわれた御示談の指導者である宮本同行と呼ばれた人がいたようです。

宮本同行

御示談で活躍していた宮本同行

当時の様子を知る人の手記がありました。

勝興寺の本堂には、高さ三メートルの”デカローソク”が二本、明々と燃えていた。二十畳、五十畳など、大小様々な部屋は、「高岡の詰め所」「砺波の詰め所」などと地域別になっており、それぞれ満堂の人でにぎわっていた。

御示談は永年、三人の同行が仕切っていたが、四十一年当時、すでに二人は亡くなっていた。最後の一人となった宮本同行は、お聖教のどこに何が書いてあるか暗記しているほどの”学者”であり、全国各地の有名な同行たちも、彼の話を聞くために参集していた。石川県の能登や加賀、遠くは広島など、真宗王国といわれる所から、多数来ていた。まさに、自他ともに認める”三国一の同行”であったのだ。

御示談が始まると、ヤギのような白ひげを生やした宮本同行は、各詰め所を歩いて回った。すると、一緒について歩く参詣者が何人もあったという。

宮本同行はこの日も、人々の質問に得意満面で答えていた。

ところが、ある若い参詣者が質問を始めると、様相は一変する。

「あなたは、信心を頂くと大満足の世界があると言われましたが、本当ですか」

身をのり出して尋ねる質問者を一瞥して、宮本同行が、

「本当です」

と答えたまではよかったが、

「では、どんな世界ですか」

と問いただすと、

「いや、そんな世界はない」

と、あっさり前言を撤回。信後の境地をあると言ったり、ないと言ったり、追及するたびに、答えがクルクル変わる。そのうちに、

「信心頂くまでは、五逆罪も犯す奴であったが、今は、全然そんなことのない菩薩になりました」

と、とんでもない信後の世界を言いだした。金輪際助かる縁手掛かりのない五逆・謗法の者を目当てに建てられた弥陀の本願が、見込み違いだったといわんばかりである。かと思えば、

「実は私は、仏なのです」

と、今度は、一益法門の異安心発言。

「この世は正定聚の菩薩、死ぬと同時に弥陀同体のさとりを開く」

という、親鸞聖人の現当二益の教えを破壊する妄言である。

「私は二、三年前に助かった」

と、自身の獲信の年を語ってみたり、

「十年ほど前だった」

と変更したりもする。

ここで、別の参詣者が、核心に迫る一言を放った。

「讃題に、『領解文』がありました。『領解文』には、信心頂くと、雑行雑修自力の心が廃るとありますが、あなたはどのように廃ったか教えてください」

すると、宮本同行、

「もろもろの雑行だから、一日や二日、千年万年話しても尽くせない。それでも少し話しましょう。五雑行を並べ修しても助からん」

と言ったまではよかったが、

「六度万行もいかんのです。六度万行の六度とは、六道のことですよ。六道とは、地獄、餓鬼、畜生、……菩薩、仏のことです」

と言いだした。

……ということでした。

だんだんと本当の親鸞聖人の教えを説ける人がいなくなってきたんですね……。寂しい限りです。

今回の圓山さんの法話……。私たちの人生を幸せな人生だったと花丸をつけてくださるのが阿弥陀仏という話。

後生の一大事

法話の最後に後生の一大事が出てきたが……

最後には「後生の一大事」が出てきたものの、死後に極楽浄土へ行かせてくださることとして話していた。確かにその一大事もあるが、それよりも説かねばならないのが、一息切れれば必堕無間の後生が待っているという一大事ではないだろうか。その解決をしなければ、圓山さんの言われる後生の一大事がないのだから。

かつて、高森先生より、このようにご教導いただいたことがある。

「呼吸之頃即ち是れ来生なり。一たび人身を失ひぬれば、萬劫にも復らず。
 此の時悟らざれば、仏、衆生を如何したまはん。
 願はくは深く無常を念じて、徒に後悔を残すこと勿れ」
(教行信証行巻)

 一息つがざれば後生である。永遠のチャンスは、今しかない。只今救われねば、永久に後悔する後生を迎えねばならぬ。
 永久に後悔する後生を一大事という。この一大事の解決を急げ、との御文である。
 死んで極楽へ往くことが後生の一大事だと言う人がいる。
『教行信証』の御教示が知られていない。

大雪の中でも、寺へ参って法を聞かねばならないのは、この後生の一大事の解決のためであると、頑張っている布教使の皆さんに伝えていただきたいものです。

来年の御満座はどうなるのだろうか……?

ではでは。

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