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15 1月 2018

平成30年 勝興寺の御満座レポート(2)

Author: もん太 | Filed under: 真宗十派

もん太@射水市民です。

今年の勝興寺の御満座ですが、丸々1日勤められたのは14日の1日だけでしたし、日曜日だったのでお参りしてみたもん太ですが、昨日の記事では亡くなられた方の追悼の為に行われる萬年講までをレポートしました。

浄土真宗は「聴聞に極まる」といわれますので、御正忌報恩講で最も大事なのは聴聞です。そう、法話ですね!

もちろん、勝興寺の御満座でも〝法話〟が行われます。それも、14日は午前と午後にありましたよ!

勝興寺の御満座は儲からないということから近隣の布教使を招待するのに苦労されているようですが、今年の御満座には3名の方が招待されたようです。

  • 14日(午前)…… 青木哲静(射水市・覚円寺)
  • 14日(午後)…… 圓山望(氷見市・法順寺)
  • 15日(午前)…… 林史樹(高岡市・要願寺)

……という面々のようです。

そんなわけで、最初の法話は射水市朴木にある覚円寺の青木哲静さんのお話。

讃題は、親鸞聖人のご和讃から、

清浄光明ならびなし 遇斯光のゆえなれば
一切の業繋ものぞこりぬ 畢竟依を帰命せよ

でした。

青木哲静

射水市朴木にある覚円寺の青木哲静さんの法話

まずは、報恩講の歴史から親鸞聖人のご和讃の構成などについて説明。

持ってこられた聖典はだいぶ読み込まれた感じで、付箋紙も至る所に張られています。もの凄く勉強されているようで、ホワイトボードに板書しながら話をしてくれました……が、このホワイトボードがだいぶ古いのか、消しても消しても消えないくらいに汚れてしまっており、ちょっとイライラしたのか「濡れた布あります?」と世話役に催促することも。また、ホワイトボードのマーカーもインクが殆どないのか、かすれかすれで薄く、それにも少々イラだっておられたようです。

参拝者

法話を聞く人がまばらなのが寂しい

この法話の間も、お参りは30名弱。しかも、勝興寺の住職親子の姿は見えず、どこかに行ってしまっていました。一緒に聞いたらいいのに……。

そう思っている間に、讃題で述べたご和讃について話が始まりました。本願寺の布教使にありがちな、世間話ばかりが長くて肝心の教えが説かれないというスタイルではなく、ご和讃について丁寧に話が始まったので「おぉ〜、本願寺の法話も変わってきたなぁ〜」と感動するもん太でした。

青木さんは、ご和讃の左訓もよくご存知のようで「遇斯光」についても左訓からも説いてくれました。

遇斯光

「遇斯光」の説明から様々な「あう」の意味の説明

「遇斯光」の「遇」は「あう」と読みますが、「あう」にも色々と漢字があって「会」「合」「遭」「逢」などがあり、それぞれに意味が違うという説明もありました。「遇」は「たまたまあう」ということだから、私たちが自分からあうのではなく、阿弥陀仏の方からあってくださるのだと説明。

そして「光」とは、仏さまの智慧のことであると説明。

無明

無明の説明もありました

光がなければ暗く、それを仏教では「無明」というとありました。親鸞会の法話では、毎回のように出てくる仏語ですが、私が今まで聞いた本願寺の法話では初めて出てきた仏語です(もちろん、他の場所で出てきていると思いますが……)。

そこで、親鸞聖人の一念多念証文のお言葉から、

凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて欲も多く、瞋り、腹だち、そねみ、ねたむ心多くひまなくして、臨終の一念に至るまで、とどまらずきえずたえず

から「無明」とは「煩悩」であるとの説明がありました。

確かに、この一念多念証文に出てくる「無明」は、貪欲・瞋恚・愚痴といった108の煩悩として出てきますが、その場合は信前信後変わらないものであり、救われても無くならない煩悩のことを無明といわれています。

しかし、阿弥陀仏の智慧の光によって破っていただく「無明」は、蓮如上人が無明業障の恐ろしき病と仰っているように平生の一念で無くなるものなので、その辺がゴチャゴチャになっているんじゃないかなぁと思うのでした。

業繋

心口各異言念無実などから解説

「明来闇去」と板書していたので、「おっ!」と期待しましたが、阿弥陀仏の光明で明るくなると同時に、無明の闇が破れて去ってしまう一念の救いが説かれなかったのが残念です。

結果的に、阿弥陀仏の智慧は、南無阿弥陀仏となって私たちの手元に届いているという十劫安心の異安心になってしまっているので、その呪縛のようなものから逃れられないものか……と悲しくなりました。

法話の後は、お斎(おとき)です。

もん太は、申し込みしていなかったのですが、世話役の方から一昨年に続いて今年も「どうぞ食べていってください」とお斎券をいただいたので、折角なのでご馳走になりました。

お斎券

お斎券をいただいたのでご馳走になりました

ただ「その代わり、しっかりと御満座を紹介してくださいね!」と3回ほど念を押されましたので、イミズムにて3回くらいかけて記事にして紹介したいと思います。多分、ここほど詳しく勝興寺の御満座をレポートしているところはないでしょう!!

……ということで、お参りの皆さんがお斎をいただいております。

お斎

本堂の左側3分の1でお斎(おとき)をいただいた

奥では、世話役の皆さんも集まってお斎を楽しんでいました。ただ、恐らく全員が勝興寺の門徒さんじゃないんですよね〜。

世話役

運営を仕切る世話役の皆さんもお斎

一昨年のお斎は、芝寿しさんのお寿司だったんですが、勝興寺の寒さでカチカチに冷えてしまって大変でした。しかし、今年は温かいご飯に温かいお蕎麦があり、いろいろと美味しゅうございました。

勝興寺のお斎

今年の勝興寺のお斎

お斎をいただくと、お参りの皆さんが本堂のストーブの周辺に集まって何やら話をしています。

もん太もお仲間に入れていただいて数カ所を回っては話を聞いてみたんですが、いずこも勝興寺の御満座がどんどん衰退していることに対する嘆きの声でした。特に今年は1日半にまで縮小してしまった上に日曜日にもかかわらずお参りが30名程度ということで、衰退っぷりが顕著にあらわれていましたので、嘆きというかぼやきがハンパなかったです。

「昔は御満座は1週間あって、ご示談っていって夜通しやっていたんだけどねぇ。寂しくなったねぇ」

「昔は勝興寺の御満座といったら氷見や井波や砺波からも沢山お参りがあって、詰め所の場所を取って座るところがなかったくらいだったんだけど、氷見の人も全然来なくなっちゃったねぇ」

「私が小さい頃は、前にあった出店が楽しみで来ていたのもあったんだけど、今年はお店が来なかったねぇ」

「勝興寺はご連枝だから、寺の格ばかり高くて、そこを住職さんも嘆いていたわ。下の寺の方がお金持ちなのよね」

「私は、あの人と2人でデカローソクのお金を集めに回ったんだけど、最近は勝興寺の御満座といっても知らない人が多くなってきて『そんな知らんもんにお金出せん』って言われるの。その度に『一度、勝興寺にお参りしてください』っていうんだけどね。普通は1軒につき1000円くらい出すんだけど、今はそれも難しくて、500円とか気持ちだけ受け取っている。だけど、そろそろ若い人に任せて私もやめたいわ」

……という声が至るところで聞こえました。もん太が「ご示談で教えを話し合ったらどうですか」と言うと「そもそもお参りが少ないからねぇ」とアキラメ顔。

デカローソク

デカローソクの灯の下では、嘆きの声が飛び交っていた

確かに5年くらい前には、孫を連れてお参りしている人たちも数組ありましたが、今年は見かけませんでした。

親鸞聖人は、若い人にこそ聞いてもらいたい「なぜ生きる」の答えが説かれていますので、平生にハッキリする本当の親鸞聖人の教えを説けば、上市の観勢寺のように参詣者が増えることでしょう。

では、次回は午後のレポートをしたいと思います。

ではでは。

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