もん太@射水市民です。

昨日は、日本全国おしなべて体育の日で盛り上がっていたかと思いますが、体育の日とは国民の祝日の1つらしいので、お祝いムード一色だったような気もします。もん太もご多分に漏れず、時代の流れに乗り遅れまいと体育の日を全力で祝ったのですが、親鸞会では、連休の過ごし方は聞法ドメインで……というのが、トレンドのようです。

そんなワケで体育の日をドップリと同朋の里で……ということで、行ってきましたよ!

体育の日は、晴れる日が多いと言われるそうですが、デフォルトで曇天の富山県とは思えないほど、気持ちよすぎる快晴でした。もん太も早朝から同朋の里に入ったつもりでしたが、駐車場はほぼ満車状態で、スペースを見つけるのに一苦労。

D館の周辺は……、

同朋の里はD館前も車でいっぱいでした

同朋の里はD館前も車でいっぱいでした

こんな感じで停めるスペースなんざ、ないようですね。こちらは、富山県の支部が大半でした。各部屋で信心の沙汰が行われていたようで、周囲を歩いていても、声が外に漏れてきていました。う~ん、元気!

ちなみに、C館の前の方の駐車場は……、

メイン駐車場もご覧のとおり

メイン駐車場もご覧のとおり

ご覧のとおり、満車でした。ナンバーを見てみますと西日本の車が多かったですね。山口県広島県島根県、鳥取県岡山県兵庫県京都府大阪府奈良県といったところでしょうか?どうも、高森光晴講師を招待しての勉強会がなされていたようです。C館で行われていたようですが、C館と言えばお気に入りの場所が、裏庭ですね。

同朋の里C館裏の庭園は静かでした

同朋の里C館裏の庭園は静かでした

ここの芝生とか、竹などあったりして、気分的に竹林精舎です(笑)。ちなみに、百味館で食事していると、大きな窓からこの立派な庭を眺めることができるんですよ!

さて、祝日だというのに、工事現場は非常に賑やかでした。まずは、ゲリラ豪雨などによる洪水の被害から守ってくれる調整池ですが……、

調整池もだんだんと、それらしくなってきました

調整池もだんだんと、それらしくなってきました

ご覧のとおり、大野クレーンさんの白いクレーン車がやってきて作業が進められていました。余談ですが、大野クレーンさんの白いクレーンは、もん太邸新築工事の際、建て方でお世話になりました。重機と言えば「黄色」のイメージが強かったもん太としては、この白いクレーンは清潔感があって新鮮でしたね!

……で、このクレーンが何をしているのかと言えば、

聖地課の皆さんが調整池の滝の作業をしていました

聖地課の皆さんが調整池の滝の作業をしていました

洪水の被害を防ぐ以外に、景観を良くするという面もある調整池ですので、あの滝工事が進められていました。巨石を組んで滝を作っていくのですが、作業をしているのは、どっかの造園業者じゃありません!聖地課の皆さんです!

蓮如上人の時代、山科本願寺の建立は、全国のご門徒の御報謝でなされた大事業でしたが、こちらの記事によれば、ご門徒の労力奉仕で資材が運ばれ、建立されていったのだそうです。まさに親鸞学徒の手で成し遂げた大事業だったわけですね。聖地課の皆さんの姿を見ていると、当時の親鸞学徒の姿が思い浮かぶようでした。

それにしても、立っている聖地課の皆さんの大きさを見ると、石の大きさがよく分かります。まさに巨石ですね。怪我をしないように気をつけていただきたいと念じています。

では、F館の偵察に行ってみましょう。

森林浴も気持ちがいいものです

森林浴も気持ちがいいものです

七宝の池から行ってみましたが、天気がいいとこんなにも気持ちがいいものか……というくらい森林浴でした。木々の香りが何とも言えませんね。山道にたくさんのドングリが落ちていました。う~ん、秋!

さて、次は定点観測。

F館の足場も5階“床”の高さまで組まれました。まだまだ高くなるよ!

F館の足場も5階“床”の高さまで組まれました。まだまだ高くなるよ!

F館正面側の足場も5階の床の高さまで組みあがっていました。これでも十分に大きく感じるのですが、これでもまだ4階建ての建物の高さです。まだまだ高くなるんですね。向かいにある、柱の鉄筋組み立て用の足場が、やたら小さく感じました。

中に入ってみると、先日は組み立てている最中だったサッシが開口部に取り付けられていました。

F館の1階にはサッシが取り付けられました。これはラウンジです

F館の1階にはサッシが取り付けられました。これはラウンジです

さすがにビル用サッシというだけあって、メチャメチャ大きいですね。ガラスはまだ入っていませんが、F館は「魔法瓶のような構造」ということですので、ペアガラスが入るのだと思います。

2階は、支柱が撤去されていましたので、だいぶ広い空間が広がっていました。ちょっと掃除中でしたね。

3階は、養生中ということで、しばし“待て”状態です。

では、現段階の屋上である4階に行ってみましょう。

F館の4階部分は柱部分に型枠が取り付けられていました

F館の4階部分は柱部分に型枠が取り付けられていました

柱の鉄筋は溶接が完了し、その柱に型枠が取り付けられていました。

こうやって見てみると、あの巨大なクローラークレーンの先端がすぐそこにあります。そして、向こうに山がほとんど見えず、空だけです。4階だけで、相当の高さがあることが分かりますね。そういえば、法輪閣の屋上から見えたのは、このクローラークレーンの先端の紅白のアームでした。あそこまで行けば、法輪閣が見えるのだろうな……と思うもん太であった。

では、高くなった足場に昇ってみましょう。

足場が5階床の高さなので、そこから見た4階の様子です

足場が5階床の高さなので、そこから見た4階の様子です

うーん、クレーンや木立の先端しか見えません。まさしく、天空の城!!それにしても、祝日にも関わらず工事を進められる作業員さん、本当にご苦労様です!!

さて、5階からの眺めを堪能してみましょう。まずは、お約束のD館!

5階の床の高さからD館を見下ろしてみました

5階の床の高さからD館を見下ろしてみました

ちょっと紅葉した木とD館!ステキですねぇ。鮮やかな緑の屋根がまぶしいです!これはまさにF館ならではの光景!

視線を右に向けると……、

徳水館と百味館も木立越しに見えますよ〜♪

徳水館と百味館も木立越しに見えますよ〜♪

徳水館と百味館が木立越しに見えました。更に向こうの田んぼまで見えますね。F館屋上の景色を想像すると、今からワクワクしますねぇ!!

まあ、そんなこんなで工事状況でした。

七宝の池越しにF館を見てみましょう。

七宝の池からF館を見てみたけど、すごい存在感だなぁ!

七宝の池からF館を見てみたけど、すごい存在感だなぁ!

かつて見た完成予想CGを思わせる光景ですね。存在感がハンパないです。

報恩講の頃には、どこまで進んでいるのかな……と思いつつ、偵察は完了したのでした。

ではでは。

12 10月 2009

カミュへの手紙

Author: lapin | Filed under: ラピンのそんなバナナ★

今回は、ブンガク的にデビューさせてください。。。

拝啓 アルベール・カミュ 様

あなたの「異邦人」を読んだのは、中学2年のころだったでしょうか。「不条理の哲学」。その妖しい言葉の響きは、14歳の少女をひきつけるに十分でした。

その「異邦人」と時を同じくして、あなたは書かれましたね。

〈真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである〉(シジフォスの神話)……と。

タイトルにある「シジフォス」とは、ギリシャ神話に出てくる最も狡猾な男だとか。度重なる神たちの警告を無視したシジフォスの受けた刑罰は、巨大な岩を山の頂まで運び上げるというもの。ところが山頂に達すると、岩は自然に転がり落ちてしまう。シジフォスは、これを無限に繰り返すんですよね。

「人間の運命は、このシジフォスに劣らず無意味である」というメッセージが、込められているのでしょうか。

暗い……。(ごめんなさい)

でも、こんな気分をひきずって10代を過ごしたラピンは幸いにも、この暗さを抜けだす言葉に出会うことができました。それは、親鸞会館で「人生の目的」を聞かせていただいたから。人生が生きるに値することを、知らされたからです。親鸞聖人はおっしゃいます。

「生きる目的は、金でもなければ、財でもない。名誉でもなければ地位でもない。

人生苦悩の根元を破られ、

〝よくぞ人間に生まれたものぞ〟という生命の大歓喜を得て、

未来永遠の幸せに生かされることである」(教行信証)

「みな人よ、限りなき生命の歓喜を獲て、ただ念仏するほか、

人と生まれし本懐はないのだよ」(歎異抄)

これが親鸞聖人、90年の一貫したメッセージだった、と聞かせていただきました。

私たちからいえば、

「苦しみ多き一生を、生命の歓喜で満たせるか、否か」

どうか自分に、つぶやいてみてください。

「苦しみ多き一生を、生命の歓喜で満たせるか、否か」

あなたもきっと、こういうことを求めていたんですよね?カミュ様。

朝、眠い目をこすりながら電車に揺られて通勤し、クタクタに働いて、帰途に就く。代わり映えのない毎日だから、昨日、何を食べたか覚えていないこともあるほど。

日々の楽しみといえば、夏の夜の冷えたビール、冬は温かい鍋物に舌鼓を打つといったささやかなことです。そうして壮年となり、老いて、やがて人生の終幕となる。

人生のこの基本的なサイクルは、大統領からホームレスまで変わらない。一生懸命生きているのは何のためか。なるほど人間の営みはシジフォスに似ているかもしれません。

火鉢の縁を際限なく回り続け、火中に落ちていく尺取り虫のように、同じところをグルグル回り続ける悲劇を仏教では、「流転輪廻」といわれます。

そんな人生、なぜ生きる。

答えは親鸞聖人の教えにあり。

だから、親鸞聖人の教えを聞いて、

苦しみ多き一生を、生命の歓喜で満たしたい。

もん太@射水市民です。

今日は、月に1度の高森顕徹先生の教学講義のご縁で、お釈迦さまの説かれた一切経で最も重要なご文である本願成就文についてご解説いただきました。

1日、しっかりと聞かせていただいた後は、信心の沙汰でガッツリと確認しなければなりませんね。蓮如上人の御文章には信心の沙汰の大切さが随所にありますが、最近の勤行で拝読している所を抜粋してみても……、

仏法の由来を障子・垣越に聴聞して、内心に「さぞ」とたとい領解すというとも、重ねて人にその趣をよくよく相尋ねて、信心の方をば治定すべし。そのまま我が心に任せば必ず必ず誤なるべし。

(4帖目第7通)

と仰って、「よく聞けた!」と思っていても、「必ず必ず誤なるべし」と「必ず」を2回も繰り返されて間違いだぞーっ!と警告されています。もん太も、「今日は、よく聴聞できたなーっ!」と自分でも気持ちがいいくらいの時がありますが、その聞けたことを信心の沙汰で語らねばと反省させられます。さらに、蓮如上人は、

信心を獲たるとおりをば、幾度も幾度も人に尋ねて、他力の安心をば治定すべし。一往聴聞しては必ず誤あるべきなり。

(4帖目第7通)

とも、トドメをさして仰っていますね。「幾度も幾度も」と何回も念を入れて信心の沙汰をすることの大切さをおっしゃっていますし、「一往聴聞しては必ず誤」と厳しい一言がついています。どうして、聞き誤ってしまうのか、ということにも蓮如上人の御一代記聞書に、

「一句一言を聴聞するとも、ただ得手に法を聞くなり。ただよく聞き、心中の通りを同行に会い、談合すべきことなり」と云々。

(御一代記聞書 137)

と教えられています。なるほど、「ただ得手に法を聞くなり」と自分の都合の良いように聞いてしまうんですね。

そして、信心の沙汰の場に行けばいいのかと言えば、蓮如上人は、

もとより我が安心の趣いまだ決定せしむる分もなきあいだ、その不審をいたすべき所に、心中を包みて有の儘に語らざる類あるべし。これを責め相尋ぬる所に、有の儘に心中を語らずして、当場を言い抜けんとする人のみなり。勿体なき次第なり。心中を遺さず語りて、真実信心に基くべきものなり。

(4帖目第8通)

と仰っていますね。「心中を遺さず語りて」と、仰っていますが、そういうことは御一代記聞書にも、

蓮如上人仰せられ候、「物を言え物を言え」と仰せられ候。「物をいわぬ者は恐ろしき」と仰せられ候。「信・不信ともにただ物を言え」と仰せられ候。「物を申せば心底も聞こえ、又人にも直さるるなり。ただ物を申せ」と仰せられ候。

(御一代記聞書 87)

とか、

「仏法談合の時、物を申さぬは信のなき故なり。我が心に巧み案じて申すべきように思えり。よそなる物を尋ね出すようなり。心に嬉しきことは、そのままなるものなり。寒なれば寒、熱なれば熱と、そのまま心のとおりを言うなり。仏法の座敷にて物を申さぬことは不信の色なり。また油断ということも、信の上の事なるべし。細々同行により合い、讃嘆申さば、油断はあるまじき」の由に候。

(御一代記聞書 203)

とか、

蓮如上人仰せられ候、「世間・仏法ともに人はかろがろとしたるがよき」と仰せられ候。黙りたる者を御嫌い候、「物を申さぬが悪き」と仰せられ候。又微言に物を申すを「わろし」と仰せられ候と云々。

(御一代記聞書 313)

と教えられ、心のままに語らずに黙っているのは「恐ろしい」とまで仰って嫌われるのだと言われています。これはもう、聴聞させていただいたら信心の沙汰をして、自分はどのように聞いたのかを、そのまま語っていかねば、損どころか恐ろしいことなのだと知らされます。もん太は「こんなこと言って、間違っていたら恥ずかしいな……」とメンツを大事にしてしまうんですが、その聞き間違いを正していただくための信心の沙汰ですからね。間違いが間違いと知らされれば、自分が得をするんですよね!

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」

と言いますが、未来永劫の浮沈をかけた仏法のことですからね、一生どころか、

「聞くは一時の恥、聞かぬは永劫の恥」

ですね。ハイ。

更に、

信心決定の人も、細々に同行に会合の時は、相互に信心の沙汰あらば、是れ即ち真宗繁昌の根元なり。

(4帖目第8通)

と仰っていますが、信心の沙汰が盛んになれば、真宗繁昌と言われています。これは、浄土真宗の信者が増えていって、寺や会館がどんどん建てられていって……ということでしょうか?そうじゃないですね。御一代記聞書には、

一宗の繁昌と申すは、人の多く集り威の大なる事にてはなく候、一人なりとも人の信を取るが、一宗の繁昌に候。

(御一代記聞書 122

……とあります。一人でも多くの人が信心決定することが浄土真宗の繁昌なのだと教えられています。信心の沙汰をすることは、私自身が信心決定の身に救われるために積極的にしなければならないんですね。

まあ、そういう徹底した蓮如上人のオススメもありまして、もん太の支部も信心の沙汰をやっているのですが、

もん太の支部はアリーナ横で信心の沙汰だった……

もん太の支部はアリーナ横で信心の沙汰だった……

……とまあ、やっている場所が、顕真会館のアリーナ横の廊下だったりするわけです。廊下と言っても赤い絨毯が敷かれて快適と言えば快適なんですが、色々な人が通るし、集中できませんね。同朋の里のような場所だったらいいのですが……。

では、ちょっと周囲を見てみましょう。もん太の支部のやっていた場所の隣のラウンジでは……、

顕真会館2階のラウンジも信心の沙汰でいっぱい

顕真会館2階のラウンジも信心の沙汰でいっぱい

学生さんやら青年の親鸞学徒がワイワイと数カ所かで信心の沙汰をしていました。

隣の本館に行ってみますと……?

本館の願海でも数カ所で信心の沙汰が行われていた

本館の願海でも数カ所で信心の沙汰が行われていた

昔の第一講堂である「願海」にて、数カ所に分かれて信心の沙汰が行われていました。この写真は、北海道の親鸞学徒や富山県の小矢部の親鸞学徒ですね。

同朋の里法輪閣で、信心の沙汰をしたいのだけど、なんせ満室で入りきれずに、こういった場所でされている方も多いのだそうです。

法輪閣に行ってみますと……?

法輪閣のラウンジは居心地がいいので人気らしい

法輪閣のラウンジは居心地がいいので人気らしい

2階より上にある個室が満室なのか、1階のラウンジで信心の沙汰が行われているようです。ただ、法輪閣のラウンジというのは、非常にリラックスして語れるということで、ここに集まってしまうということもあるようです。そういうこともあってか、同朋の里F館には、この法輪閣のラウンジをモデルにした、更に大きなラウンジが作られているんですね。テーブルごとに小さなグループが出来ていて、かなり濃厚な語らいがなされているようですよ!

さて、同朋の里に行ってみましょう。ウワサに聞くほど、いっぱいなのだろうか?

百味館と徳水館前の駐車場まで満車

百味館と徳水館前の駐車場まで満車

うぎゃー!車・車・車〜〜〜!!

これでもかって程、駐車場が満車です。停める所がなくて、やむなくバス用のスペースや、白線の外に停めざるを得ない状況ですね。

百味館では夕食しながら信心の沙汰がされていたようだ

百味館では夕食しながら信心の沙汰がされていたようだ

百味館からは暖かい光が漏れていますね。会食をしながら信心の沙汰というのもいいようですし、徳水館でお風呂に入りながら信心の沙汰というのも、お風呂ならではの語らいができていいそうです。

そういえば、もん太がこの写真を撮っている時に、後ろを歩いていた親子連れがいらっしゃいまして、小学校に入るか入らないかくらいの子が「ここのお風呂入ってこー!ここのお風呂に入るぅ〜〜〜!!」とテンション上げ上げでお母さんに訴えているのを見かけました。お母さんは「う〜ん、でもねー、今日はこれで帰るつもりだったから準備していないのよー」と返答していまして、子供さんが「やだー、ここのお風呂に入るー!ここのお風呂に入るー!」とダダをこねているのが何とも微笑ましかったですね。何て尊い子なんやー!

一応、徳水館ではタオルを買えた気がしたので、いきなりやってきても大丈夫ですよ〜。ママさん!

C館の前の大きな駐車場に行ってみましょう。

C館前の駐車場も満車のようですね

C館前の駐車場も満車のようですね

うっはー!いっぱいいっぱいですね。

駐車スペースまったくなし!

駐車スペースまったくなし!

駐車スペース全くなし……っていうか、白線に入りきっていませんね(汗)。

もういっぱいいっぱいですわぁ〜

もういっぱいいっぱいですわぁ〜

うん、はみ出てる……。

そんな感じで、「部屋が足りん、足りん」と、F館が待望されているんですね。この調子だと、F館もすぐに一杯になりそうですが……大丈夫かな?

最後に、食い意地の張っているもん太は、百味館から漂ってくるアノ香りに負けて潜入してみました。

百味館では旬の松茸料理が振る舞われていました

百味館では旬の松茸料理が振る舞われていました

松茸ごはん〜!!他にも、さんまや松茸のお吸い物とかいろいろありましたよ。

親鸞会山内拓講師の支部の皆さんが、松茸づくしで会食されていました。こりゃ、いい香りがするはずだ。

松茸をほおばりながら、熱一杯信心の沙汰をされる皆さんを横目に、もん太は帰るのでした……いいなぁ。

そんなわけで、明日は祝日ですからね。同朋の里は、賑やかそうですよ〜!

ではでは。