7 7月 2009

お父さん、ありがとう…。

執筆: もん太 | カテゴリ: トンちゃんの一筆啓上

お久しぶりです!トン子です。

今月は知り合いのパパから聞いた、心温まる実話です。

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お父さん、ありがとう。

ちなみにそのパパは、子供をだっこしようとして、ギックリ腰になっていました(> <)/


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もん太@射水市民です。

「射水市の親鸞会メンバーによるブログ」という立場上、射水市関連のことを書かなければならないようですが、もん太が執筆しているものに関しては調子こいて、上越の旅日記を書いてしまっているようです。

まあ、カテゴリーが、

「もん太のどこまで脱線するの?」

ですから、この際、気にしないようにしていただければ幸いです。

そんなわけで、「上越の親鸞聖人ゆかりの地を訪ねて」シリーズを続けているのですが、なんやかんやと居多ケ浜探訪を終らせまして、予告していたアレに行ってみましょう!そう、「親鸞聖人越後七不思議」の1つ、

片葉の葦!

まあ、この際ですから七不思議というからには、7つあるわけでして、その7つを列記しますと……、

  1. 保田の三度栗 (阿賀野市)
  2. 田上のつなぎ榧 (田上町)
  3. 小島の数珠掛桜 (阿賀野市)
  4. 小島の八房の梅 (阿賀野市)
  5. 山田の焼鮒 (新潟市)
  6. 鳥屋野の逆竹 (新潟市)
  7. 国府の片葉の葦 (上越市)

……といったところですね。1番目から6番目までは、結構まとまった場所にあるんですが、7番目の片葉の葦だけは上越市ということで結構離れているんですね。居多ケ浜記念堂でタダでくれるプリントには、この簡単な説明が書かれている。

それで、前回紹介した「居多ケ浜記念堂」の裏や「見真堂」の脇には、この片葉の葦が群生していた。

居多ケ浜記念堂の裏に生い茂る片葉の葦

居多ケ浜記念堂の裏に生い茂る片葉の葦

鬱蒼と生い茂る葦なのだが、これらが柵で囲われている。先に来ていたバスガイドさんが「あら~、今年は両葉の葦だわねぇ~」とガッカリしておられた。確かに、クローバー畑で四葉のクローバーを探すようにしないと、「これは片葉!」と明言できるような「片葉の葦」にお目にかかれない。

それでも、見真堂の周囲には、誰がどう見ても「片葉の葦」というものが生えていた。

見真堂の脇に生えていた片葉の葦

見真堂の脇に生えていた片葉の葦

ちなみに、この片葉の葦は居多ケ浜周辺にはチョコチョコと生えているようだ。ちょっと車を走らせたところにある「居多神社」の門前にも、

居多神社前に鬱蒼としていた片葉の葦

居多神社前に鬱蒼としていた片葉の葦

ただ、こちらも柵で囲われているものの、イマイチ片葉っぽくない。

……が、柵からチョロリとはみ出ている葦が「片葉の葦」っぽかった。

柵から逃げ出そうとしているような片葉の葦

柵から逃げ出そうとしているような片葉の葦

バスガイドさんの言うように、今年はどうも片葉が両葉になってしまっているような気がする。

さて、ここで片葉の葦について、当時の親鸞聖人を慕った越後の人々の想いが伝わってくる話があるので紹介したいと思う。

親鸞聖人が「流刑」となった承元の法難から5年後、親鸞聖人の「流罪」が解除になった。冤罪が晴れ、自由の身になられたのである。

この時、土佐へ流刑になっておられた師匠の法然上人も、京都へ戻っておられた。

「恩師・法然上人はお元気だろうか。今はもう80歳になられたはず。急がねば、今生でのお目通りはかなわぬかもしれぬ……」

親鸞聖人は、京都へ向かおうとされた道中、法然上人がお亡くなりになったおちう知らせが届き、愕然とされた。

「都行きは……、やめる。お師匠様のおられない京都には、親鸞、何の未練もない。

まことの仏法を踏みにじり、無法な怒りで、お師匠さまを流刑にし、住蓮房、安楽房の首をはねた者どものいる都だ。親鸞、何の未練があろうぞ。

東国へ行く!関東で、阿弥陀如来の本願を、力一杯、お伝えしようではないか」

親鸞聖人は、新たな布教に旅立たれた。

権力者の無法な束縛から解放された聖人にとって、もはや、行く手を阻むものはない。叫ばずにおれない、伝えずにおれないと、精力的な活動を開始されたのである。

越後でご教化を受けた人々にとって、聖人との別れは、大変辛いものであった。心から敬慕し、名残を惜しむ人々の心情が、海辺の葦にまで通じ、奇瑞を起こした。すなわち、葦はみな関東の方角へなびき、葉も片側だけとなって、別れの辛さを表したという。

葦はススキに似た背の高い植物だ。本来、細い茎の両側に葉がついているのに、片側だけになっている。科学者は“突然変異”と片付けるだろう。しかし「片葉の葦」に託した人々の心情は真であり、切々と伝わってくるものがある。

このことは、昨日の記事でも紹介した小冊子「流罪の親鸞聖人」にも記述があったりするので、少し紹介しますと……、

「親鸞聖人が七年後に関東に向かわれたときに、聖人のみ跡を慕って、葦が関東の方に向かって合掌されたという言い伝えもある。

実際の所は西風の影響が強くて葉が片方に寄ったのではないかと思われるのであるが、その位親鸞聖人は大変な所に流罪になった事を意味するのではないだろうか。

冬の西風は本当にすごい。この地では雪は下から降ると言われている。雪は地吹雪となって何も見えなくなって吹き付け、屋根など吹き飛ばしてしまいそうである。隙き間があればそこから雪が吹き込んでくる。そして一本の白い雪の線が家の中にできる。

山の斜面に生える木は全て根元で曲がっている。新芽が出た後、雪で押さえつけられて寝てしまうが、春になって、そこからまた伸びてくる。だから根元で曲がった木になってしまう。細い木も太い木も同じである。権力者によって弾圧された親鸞聖人が、そこから力強く立ち上がり念仏の教えを私たちに伝えて下された。そのご苦労を偲ぶに余りある片葉の葦の姿である。(「流罪の親鸞聖人」P7より)

……とのことだ。

いずれも、当時の越後の人々が関東へ旅立たれる親鸞聖人を想う気持ちが伝わってくる。その気持ちが、あまりに強く葦に伝わり片葉に変えてしまったのかもしれない。

そう思うと、片葉が少なくなり、両葉になりつつあるのはどういうことか?

今の真宗界の、親鸞聖人に対する想いが表れていないだろうか?先の「流罪の親鸞聖人」に書かれているように、権力者に弾圧され、決して自由に布教活動ができない中でも力強く立ち上がってご布教くだされたその「教え」をどれほどの人が聞いているのだろうか?そして、伝える寺は、どれほど正しく伝えているのだろうか?伝説ばかりを有り難く伝え、その伝説の底にある親鸞聖人の教えが、伝わっていないのではないだろうか?つまり、親鸞聖人に対する想いが薄れているのではないかと思うのだ。

親鸞聖人が流刑にあわれ、「これなお師教の恩致なり」と微笑まれ、越後に上陸されて布教活動をされた時、どれだけ力の限り話しても耳を傾ける人はいない。その時の心境を詠まれた歌が、

「この里に 親をなくした 子はなきか
み法の風に なびく人なし」

……であるが、今の真宗界をご覧になられてのお歌のように思われてならない。

それだけに「片葉の葦」が「両葉の葦」になりつつあるのは、現在の人たちの聖人の教えに対する想いのように思われてならない。

「どんなに苦しくても、なぜ生きなければならないのか」という「人生の目的」を生涯かけて徹底していかれた親鸞聖人。この教えは、平成の現在でも全人類が求めている教えであることは間違いない。

新興宗教やカルト宗教が蔓延しているため、現代人の宗教偏見は酷いものだ。その勢いでか、仏教離れも酷い。しかし、本当の仏教は葬式や法事を教えられたものでもなければ、死人に用事のある教えでもない。生きている私たちに絶対に必要な教えなのだから、

「仏教はなぜ聞かねばならないのか、ではなく、仏教を聞くために生まれてきた

と言われる。

必死になって勉強や仕事をするのも、医療なら1分1秒でも命を延ばすのも、生きるため。では、なぜ生きるのかということになると、誰もスッキリと回答できないでいる。この根本問題にハッキリと「今生で完成のある人生の目的」を明示してくださったのが親鸞聖人だ。科学が発展しようが、人類が必要としているテーマではないか。誰もが知りたいテーマだから、聖人の時代の人々も片葉の葦の如くに、聖人の所へと集まってきたのだ。

今のような時代だからこそ、片葉の葦のように親鸞聖人の教えに向かいたいものである。


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もん太@射水市民です。

前回の記事「片葉の葦」については次回に……というようなことを書いたような書いていないような気がする今日この頃ですが、大人の事情で「居多ケ浜」についての特集が、まだ終っていない模様ですので、今回は居多ケ浜をやっておきたいと思います。

さて、居多ケ浜の丘の上には、前回紹介した「見真堂」とは別に、ちょっと「堂」っぽくない集会場のような外観の「居多ケ浜記念堂」が建っている。

居多ケ浜記念堂の入り口

居多ケ浜記念堂の入り口

では、今回はこの中に入ってみたいと思います。

実は、外の撮影をしている時に「天地人」関連の観光をしてきたと思われる御一行さんが観光バスでやってきたのだが、一同、中に入って何やら賑やかに飲食しているようだった。「う~ん、これは予約を入れなければ入れない場所なのか?」と思って入ってみると、おばちゃん3人が、やたら親切に迎えてくださった。

「アンタ、頑張って写真撮っていたわねぇ~♪」

……とのこと。入る前から、ロックオンされていたようだ。

「まーまー、お茶でも飲んで行ってね♪」

あらやだ、何て親切な方々なのかしら?どうも、先ほどの観光客もこの勢いでもてなされていたのでしょう。この中は、こんな感じです。

居多ケ浜記念堂の内部は柱がない!

居多ケ浜記念堂の内部は柱がない!

親鸞会正本堂のように広間の途中には柱が一本も立っていないので、結構広く感じる。まあ、正本堂は2000畳に柱がないのだから、ケタは違うのだが……。ド真ん中にテーブルがあって、湯のみと急須が用意されている。ここで、おばちゃんがお茶を入れてくれている間に、「写真撮らせてくださ~い♪」と黄色い声でおねだりしてみたところ「いいわよ~、ちゃんと宣伝してね」と承諾してくださった。

ここの正面は、こんな感じ。

居多ケ浜記念堂のお仏壇

居多ケ浜記念堂の正面

中央にお仏壇、そして、両側には模造紙のようなものに毛筆で書かれた親鸞聖人の御和讃が3首掲示されていた。

向かって左には、

無明長夜の燈炬なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり
罪障おもしとなげかざれ (正像末和讃)

そして、右には、

盡十方無碍光の
大悲大願の海水に
煩悩の衆流帰しぬれば
智慧のうしほに一味なり (高僧和讃)

五濁増のしるしには
この世の道俗ことごとく
外儀は仏教のすがたにて
内心外道を帰敬せり (悲歎述懐和讃)

が張ってありました。

そして、気になる中央のお仏壇の内部ですが……、

居多ケ浜記念堂のお仏壇内部

居多ケ浜記念堂のお仏壇内部

中央には浄土真宗の正しい御本尊である「南無阿弥陀仏」の六字の御名号。嘆かわしいことに今の浄土真宗の寺は本山から、絵像や木像になっているのだが、上越の「親鸞聖人ゆかりの地」と言われる御旧跡は意外なほどに御名号本尊なのだ。意外も何も親鸞聖人の教えがそうなのだから、当然といえば当然なのだが……。

そして、その両脇には、右に親鸞聖人。左に、恵信尼さまのお姿がお掛けしてある。

そして、お仏壇の上には、

聖人直筆の「正信念仏偈(正信偈)」の複製が掲げられている

聖人直筆の「正信念仏偈(正信偈)」の複製が掲げられている

……と、親鸞聖人直筆の「正信念仏偈(正信偈)」の複製が掲げられていました。一見、ホンモノか?と思うほどのものですが、この正信偈を拝見していても、聖人が加筆修正をされた跡が生々しく残っています。不可称・不可説・不可思議の阿弥陀仏の救いを絶望との戦いで言葉をもって伝えようとされた親鸞聖人のご苦労が偲ばれます。

浄土真宗の根本聖典「教行信証」の複製もありました

浄土真宗の根本聖典「教行信証」の複製もありました

そして、右脇には「顕浄土真実信文類序」が掲げられていました。つまり、「教行信証信巻」ですね。その序です。

決して、豪華とはいえない居多ケ浜記念堂であるが、中に入ってみると、おばちゃんは温かいし、非常に懐かしい思いがする。お茶が入ったようなので、おばちゃんと色々と話をしてみた。

「あなた、もうちょっと早く来ていたら、住職さんの話聞けたのにねぇ」

へぇ~、最近はロクに話もしない寺が増えていると聞いていたが、ここの住職さんは話を聞かせてくれるんだなぁと思って聞いてみた。

「あそこに張ってある御和讃の話などを聞かせてくださるんですか?」

すると、ちょっと照れながら、

「いやぁ、そういう話はしないんですが、ここの歴史なんかだねぇ」

ということだった。

ちなみに、ここの土産物コーナーで「流罪の親鸞聖人」という小冊子が100円で販売されていたので求めてみた。ちょっと、この居多ケ浜記念堂に関する記述のところに、

「木像の記念堂は昭和四十二年に建立された。法要に、結婚式に、研修に、講演に、参拝の休憩にと大勢の人達の来訪を得ている。また、海が近いこともあって、野外研修の基地として子供会などの宿泊にも利用されている。一般の子供会などの利用は、皆でお勤めをして住職の法話を聞くことが条件である。仏縁の少ない子供達にとっても素晴らしい経験となって喜ばれている。畳に座して聖人の喜ばれた海を見、潮騒の音を静かに聞いて聖人の教えをかみしめてみよう。(「流罪の親鸞聖人」P8より)

……とある。

住職の法話とは一体どのようなものか。ただの観光仏教的な歴史案内だけでなければいいのだが……。仮に歴史案内でも親鸞聖人の流刑の御苦労を語りながら、なぜ流刑にあわれたのかということなどでも、キッチリと話をされればと思うのだ。

もん太が、色々と話をしていると「あんた、坊さんかい?えらく勉強しなさっているようだが、感心だねぇ」と褒められてしまった。

「前に張ってあるのは御和讃ですねぇ」とか「御本尊は御名号なんですねぇ」というようなレベルの話しかしていないのだが、この程度で坊さん扱いされるとは……。今の真宗の門徒とは、こういうことも話をしないのか……とさえ思えてしまった。

親鸞聖人ゆかりの地という仏縁深い場所なのだ。「流罪の親鸞聖人」に書かれているように、正しい親鸞聖人の教えを説かれる法話を聞き、聖人の教えをかみしめられる記念堂であってもらいたいと思うのであった。

そんなわけで、次はいよいよ「片葉の葦」についてです。


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