16 1月 2012

勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ(2)

Author: monta | Filed under: 真宗十派

もん太@射水市民です。

さて、昨日から富山県高岡市伏木にある真宗寺院・勝興寺で行われている御正忌報恩講「御満座」のレポートを行っております。

昨日の記事はコチラ→勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ(1)

改めまして、昨日の説教の内容を起こしたものを、そのままペーストしてしまったので、読みにくくなってしまったことをお詫び致します。いや、文字ばっかで読みにくいねぇ〜。

……で、昨日は午後から開始でしたが、今日は日曜日であり中日ということもあって午前と午後の日程が組まれておりました。日曜日ということもあって、参詣者が増えることを期待してか出店の屋台は1店舗だけありました。たい焼きですね。昨年はたこ焼きもあったんですが、年々、この出店も減っているようです。

勝興寺の出店(Photo by 親鸞会)

前日にはなかった屋台も出ていた。白いテントはうどんなどの「おとき」

ただ、やはり日曜日の強みもあり、また、昨年からの親鸞聖人750回大遠忌法要が西本願寺で行われている最中ということもあってか、昨年の御満座よりは駐車場も埋まっていました。昔に比べて少なくなったとはいえ、それなりの参詣者だったように思います。

勝興寺の駐車場(Photo by 親鸞会)

前日は余裕のあった駐車場も、それなりに埋まっていた

昨日同様にデカローソクに火が灯され、読経などが行われ、御伝鈔の拝読も行われました。

土山照慎(Photo by 親鸞会)

読経などは、実に荘厳な雰囲気で行われる。さすがだ

午後からは元高岡市長で、現在は自民党所属の衆議院議員の橘慶一郎氏も来ておりました。

橘慶一郎(Photo by 親鸞会)

元高岡市長で現在は自民党の国会議員の橘慶一郎氏も少し来ていた

ただ、御伝鈔の拝読や説教が行われる時にはいなかったので最初だけで帰ってしまったようです。

そして、説教が始まりましたが、親鸞会のご法話のように午前と午後に分けて行われました。

お賽銭(Photo by 親鸞会)

説教の合間にお賽銭を集める役員の皆さん

よ〜っく見ると、イス席の前に設けられたカーペット敷きの部分に数名が正座しておられますね。

参詣者(Photo by 親鸞会)

中には、イス席より更に前で正座をする参詣者もおられた

中でも熱心な真宗門徒の方々と思いますが、さて、お説教はどんな布教使が立ったのでしょう?

昨日は某高校の英語教師もしている明覚寺の林要昭という布教使でしたが、昨日の記事をご覧になられた方は実に酷い説教だったということがお分かりかと思います。

林要昭(Photo by 親鸞会)

昨日の説教をした英語教師でもある林要昭氏。本道から外れた説教だった

親鸞聖人の教えられたことを、そのまま伝えねばならないのが真宗の布教使でありながら、お聖教のお言葉を出して説明するということに対して「難しかった」「眠たくなった」と参詣者が言うからと、親鸞学徒の本道を真っ向から否定していた。

しかし、高森顕徹先生は「分かりやすい話ができない理由に3つある」と教えられる。その3つとは何だろうか?

  • 理解不足……話す者が充分に理解できていない。
  • 気持不足……知ってもらいたい!!の気持ちが、希薄である。
  • 術がない……言葉の使い方、文章の書き方の研究不足。

門徒が分からんと言っているのを門徒のせいにするのではなく、自分の反省としてもらいたいものである。

本日、午前から午後にかけて説教していたのは、小矢部市にある宝性寺の初瀬部有可(はせべ ありか)という女性の布教使でした。何と31歳!!親鸞会には若い布教使が活躍していますが、ここまで若い人は初めて見ました。

初瀬部有可(Photo by 親鸞会)

この日の説教は小矢部市の布教使である初瀬部有可さん。何と31歳!

まず、午前の讃題では、

本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし

のご和讃を読んでいました。ちなみに昨日の林要昭という布教使は、

人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く。この身今生において度せずんば、更に何れの生に向かってかこの身を度せん。大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。

無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭い遇うこと難し。我今見聞し受持することを得たり。願わくば如来の真実義を解したてまつらん

のお言葉でした。ただ、説教の内容は、このお言葉に触れてもいませんでしたけどね。

しかし、今回の初瀬部という布教使は「先ほど頂きましたご讃題についてお話します」と、黒板に「本願力」と書いてから説教を始めました。黒板を使って話すのは本願寺では、あまり見かけないだけに、若い布教使がこうやって仏語を板書して説明する姿がやけに新鮮に見えました。まあ、親鸞会では普通ですけど……。

初瀬部有可さん(Photo by 親鸞会)

親鸞会の法話のように黒板を使って話す場面が多く見られた

初々しい布教しながら、昨日の林要昭という二足のわらじを履いている布教使に比べれば、なんぼかマシな話をしていました。日曜日ということもあってか参詣者が多かったのですが、いつもは説教になると結構帰宅してしまう人があるんですが、この日は、説教を聞いている人が意外と多かったですね。しかも、居眠りしている人もわずか。

説教(Photo by 親鸞会)

説教中の本堂は、最近では見られないくらいの参詣者だった

休憩中に3年ほど前から勝興寺の事務長をしているという人が挨拶をしていましたが「私が事務長になってから最も多いお参りかと思います」と言っていました。

初瀬部という布教使は、「むなしい」という所の話で、死んだ後がハッキリしないから今がむなしく不安であるようなことを言い、また、彼女が大学受験を控えた受験生だった頃、毎日が何となく不安だったという話をしておりました。しかし、大学に合格し4月から大学生になることが分かったら、その後の4月までは毎日同じようなことをしているのだけど心が全く違って不安がなくなる、という、そこそこまともな話をしていました。

一応、下の動画で一通り聞くことができます。

う〜ん、ただ残念なのが一念で頂く信心ということを説き切れなかったことですね。最終的に十劫安心の異安心の話になってしまったのが残念です。前日の布教使と異なって、お聖教のお言葉について一生懸命話そうとしているのが伝わってくるだけに、十劫安心の教えしか聞いて来れなかった彼女がかわいそうでなりませんでした。

小矢部の寺の娘さんだそうですので、一度、親鸞会の小矢部会館で聞法されることを念ぜずにおれませんでした。

あと、もん太が聞いている側に、実に久々に勝興寺の御満座に参詣したという高齢のお婆さんが座っていたのですが「あれ?今日はどうしたのかねぇ?御満座と言ったら本堂に入り切れないくらいの参詣者なんだけど……。前は、若い人も多くいて、本堂だけじゃなく、他の部屋も使ってね。いろんな所から参詣者があってね。分からんことを質問したりするご示談があったんだけど、変わってしまったねぇ……」とポツリと漏らしておられました。

かつて、高森顕徹先生が勝興寺に行かれた頃は、本当に熱気がありました。あのような布教使を呼んで御満座を開いているようでは、かつての活気は戻らないでしょう。

勝興寺のある伏木には親鸞会の伏木会館もあります。

伏木会館(Photo by 親鸞会)

正しい教えを聞きたい方は勝興寺の近くにある親鸞会の伏木会館で!

本当の親鸞聖人の教えを聞きたい方は、伏木会館へどうぞ!

ではでは。

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15 1月 2012

勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ(1)

Author: monta | Filed under: 真宗十派

もん太@射水市民です。

現在、京都の西本願寺では親鸞聖人750回大遠忌法要御正当が行われており、もん太も全日程というわけではありませんが、行ってまいりました。その辺のことは西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ(1)からレポートというかレビューを4回シリーズで当ブログで紹介してきました。

京都の西本願寺に行きますと、あの大伽藍に驚く人が多いようですが、富山県高岡市伏木には勝興寺という真宗寺院があり、その規模は、勝興寺を見たら本山(西本願寺)に行っても驚かないと言われるくらいのものです。そんな勝興寺では、1月の今ぐらいの時期に御正忌報恩講が行われるのですが「御満座(ごまんざ)という名前で知られております。かつては、1週間ほど連続で行われ、富山県外からも参詣者があり、大変な賑わいだったそうです。熱心な門徒が集って、夜通しでご示談といって信心の沙汰がなされたとも聞いております。

かつて、親鸞会の高森顕徹先生が学生服姿で行かれて真仮の水際をスパッと説き切られた寺としても知られていると思います。

昨年、平成23年1月15日にも、もん太は勝興寺の御満座に行きましたが、その時の様子は勝興寺の御満座に見た本願寺衰退の原因に書いてありますので、ご覧ください。

今年も1月14日〜16日の3日間、行われると聞きましたので14日と15日に様子を見に行ってきました。

昨年は大雪の中での勝興寺の御満座でしたが、今回は寒いものの天気が良かったです。射水市から車を走らせて勝興寺への道の入口にある伏木駅に辿り着きますと、

伏木駅(Photo by 親鸞会)

勝興寺での御満座が始まる前の伏木駅。天気も良く、実に静かである

人気が感じられないくらいに静かでした。かつては、御満座に参詣する為の人で賑やかだったであろうに……。昨年は、この辺に勝興寺の交通整理の人でも立っているかと思って来てみたところ、誰もおらず心配したくらいでしたが、今年も誰も立ってないようでした。もん太だけが、空しくカメラを構えておりました。

そして、道路から伏木駅のロータリーへ入る部分には、

御満座の看板(Photo by 親鸞会)

伏木駅前には「御満座法要厳修」と書かれた看板が設置されていた

御正忌報恩講 御満座法要厳修

と書かれ、日程が記された看板が立っておりました。3日間あるうちで2日間が土日ですから、多くの方がご縁を結ばれそうです。

……と思って勝興寺の門前に到着してみたところ、

勝興寺の門前(Photo by 親鸞会)

勝興寺の門前。以前は、ここに多くの屋台などの出店が並んだらしい

あれ?誰もいない。門の中に数台の車が見えるけど……。もう、皆さん、寺に入られたのでしょうか?昨年と同様に勝興寺内の駐車場に車を停めて、カメラを持って本堂へ向かってみた。

すると、既に数名の門徒さんがおられて始まるのを待っていました。そういえばアレはどうなった?

御満座の案内

勝興寺の公式HPでは「デカローソクを見にお参り下さい」と太字でPR♪

そう、勝興寺の公式HPでは、なぜか14日しか案内されていないんですが、勝興寺と言えばデカローソク!法話よりも「デカローソクを見にお参り下さい」と太字で熱烈にPRされている。法話を聞きにお参り下さい、ではないのがミソだ。そのデカローソクなんですが、

デカローソクの点灯(Photo by 親鸞会)

午前の部が始まる前に名物のデカローソクに火が灯される

もん太が入った時に、係の人が脚立を使って点灯されていました。さて、このデカローソクはこの御満座で何を照らすのでしょうか?

ちなみにもん太が到着して、読経などが行われている間の参詣者はこんな感じ。

本堂(Photo by 親鸞会)

勤行中の本堂の様子。イス席が基本らしい。参詣者もまばらだった

親鸞会では、足の都合の悪い人を除けば正座での聞法が勧められています。その方が、真剣に聞けますからね!しかし、勝興寺では、西本願寺の大遠忌同様に基本はイス席という状態です。イスに座れなくなったら仕方なく畳に正座という感じです。それにしても、土曜日だというのにまばらですね。

そうしている間に長い読経などが終わり、説教の時間になりました。昨年、もん太が来た時には実にやる気のない布教使が立ってガッカリしましたが、今年は本山で親鸞聖人750回大遠忌法要の御正当が勤められている中の御満座ですからね。どんな説教が聞けるのか、大いに期待したいものです。

……で、この日に説教した布教使さんは明覚寺の住職をされている林要昭という方。どっちが副業か知りませんが、高校の英語教師でもあるようです。

林要昭(Photo by 親鸞会)

初日の説教を担当した高岡市の明覚寺の住職・林要昭氏

前半50分で休憩を10分入れて、後半が25分という感じでしたので、だいぶ話されましたね。可能なら全部、書き出してアップしたいところですが、なんせ長いので部分的にアップしてみたいと思います。恐らく他力の念仏ということを話したいんだと思いますが、今の本願寺布教使が、どんな説教をするか興味のある人は、読んでみてください。非常に長いので忙しい人は、テキトーに読み飛ばしてして、次のところに行ってくださいね。

「もろもろの聖教を読み、ものを知りたりというとも、一念の信心のいわれを知らざる者はいたずらごとなり」という500年前の蓮如上人のお言葉と何か似たようなことをやっているんですよ。

えー、非常に時間をかけて何かした割には、外国の高校生にも負けるわけですよ。勝つ部分もあるかも知れません。知ってる単語、どっちがでかいあるといえば、きっと私の方が知っていると思います。16〜7の高校生にはきっと負けない自身があります。知っている単語だけならね。だけれども、それをきっちりと人に意志を伝える為に使い切っているかと言うと、これは無理です。無理ですね?

あのぉー、そういうことの似たようなことを言うと、皆さんだって日本語どこで習われました?えー、学校でという人はおられないですよね?えー、お顔を見ただけでは分かりませんけども本当は国籍はブラジルでーす、とか、韓国でーす、とか、中国でーすという方はおられますかねぇ?そういう方が日本語を学ぶのは大変だそうですよ。途中からしても、ところが、私たちは小さい頃にですよ、お母さんから「はい、今日は形容詞の日だよ」「今日は形容動詞の日だよ」「今日はラ行変格活用の日だよ」「五段活用は今度やるから、まず下二段活用から、下一段活用から」……そんな何かワケの分からんことを言うてね、お母さんが「まあ、そこに座られ」と言って「今日は日本語のレッスン」と言って、そんな家はないはずですよ。いつの間にか覚えましたね?いつの間にか覚えている。

どうして?耳から入って、日本語という言葉の仕組みがいつの間にか皆さんの心の中をガッチリとらえて、皆さんの心の中に住みついてしまって、そして気がついたら、もうそこから口をついて出てるんですよ。ねぇ?そうですよね?3歳にもなると、もう、かなり憎たらしいことを言うじゃないですか?どこで覚えてきたのかねぇ?そんなもん教えている学校、まだないはずなのにねぇ?「母ちゃんのバカ!」って言ったりするでしょう?それがどこでどうして考えたのか、本当に不思議なことなんですよ。私たちが言うのも変ですけども、そういう言葉は、人間は言葉をどのように覚えるのかなどと言うのも、面白い研究らしくてですね、多くの学者さんが取り組んでおられますよ。まあ、今一番ね、何といいますか、皆さんが納得していらっしゃる説はですね、こうなんですって。

私たちの頭は非常に柔軟でしてね、最初に飛び込んだ言葉や、相手が何かを言おうとしている、その気持ちがですね、頭の中に自動的にしみ込んで来て、頭で勉強して作ったんじゃ部分に染み付くんだそうです。えー、勉強と関係ない所に染み付いていくので、そのまま何かこう印刷したような、コピーしたような形になっていって、心配しなくても、難しいことを習っていないはずなのに、かなり難しいことをちゃんと正確にね、人はしゃべれるようになるという、こういうふうなことなので、今一番の最新の学説なんだそうです。

興味のない話をしましたかも知れませんけど、こういうのに名前がついておりましてね。えー、まあ「ユニバーサルグラマー」と、ちょっとカタカナの言葉でございますけれども、ユニバーサルグラマーっていうのは、どの人間の、どの人種のどこに生まれ育ったというのは関係なしに、人の頭は相手の言うことを染み込んで分かるという仕組みがあるということなんだそうですね。ユニバーサルグラマー。

もうちょっと難しいことを言う人は、Language Acquisition Device。LADと言うんだそうですけどね、そのLanguage Acquisition Deviceというものが、どの赤ちゃんにも、どの赤ちゃんにも生まれ備えておって、そこに言葉が沁み入っていって、いつの間にか周りの人と同じものが形成されていくと、こういうことを今、興味のあるなしとは別として、最先端の考え方として人はこうやってて言葉が身に付いていくのだ、と言われています。

ですから、耳で聞くことが大事なんだよーと言って、今、これもねテレビなんか見られますとね、興味がなかったら見落としますけどね、聞くだけの英会話とかね、聞いているうちにスーパーラーニングで分かるようになるとかですね、色んな有名な方がですね、出てこられて、宣伝しておられるのがあります。それは、ある意味正しいです。ずーっと聞いていれば耳に染み込んで、そして、ちゃんと話せるようになっていく。正しい考え方ですね。最新の理論に基づいていますから。でもね、みんな買った人がみんな上手くなるかと言えば、そうではないんですよ。なぜかと言うとですね。聞き方がもう変わっているんです。頭で聞くようになっているんです。今のは主語どれや?動詞どれや?目的語どれや?今のはどの単語やったん?もういっぺん調べてみてという、まあそれは、それで正しい勉強の仕方なんでしょうけど、これが頭を使って入ってくるのを邪魔している勉強の仕方なんです。こういうことをし始めるのは、人間10歳を超えると頭が良うなりましてね、自分で納得したり、自分で考えにゃ入らんようになっていくんだそうですよ。で、言葉の勉強をしている人に言わせますと、やっぱり10歳前後がギリギリだそうです。これを超えてしまうと、頭の中がちょっと、急に浄土真宗の言葉を使わせていただきますと、自力作善に変わってしまっておりますので、他力本願が沁み入ってくるのを、バチッと止めてしまってですね、もう無理だそうです。

で、さぁ、どういう意味なのかちゃんと説明してもらわにゃ分からん、というヤツですよ。ですから、モタモタ言わんと見て覚えろは、もう通用しないです。

で、もう1つですね、関係ない話かも知れませんが、関係あると思って話をしますが、頭の中に何でもかんでも入ってくると、危ないんですよ。どんどんどんどん侵入してくるからね。ですから、我が頭を守らんなんからね。人間はある時に、ブロックをかけて、聞こえんがにするがです。だって、日本語も分かるようになったら、ドイツ語も分かるようになったら、フランス語も分かるようになったら、英語も分かるようになったら、これ困るんですよ。考える道具がいっぱいありすぎてね。頭混乱して、私たちの1500ccぐらいの頭では、どっかで止めんなんがです。ですから、1つ道具立てがが沁み入ってきて出来上がったら、もう止めてしまうんですね。そしたらその部分はもういらなくなったからと言って、使わなくなるんです。使わなくなったらできなくなるでしょ?皆さんもちゃんと、私もそうですけど、歩いていますけど、30日以上入院しとってみてくださいよ。されたことない?ありますよね?ある人はね?そしたら立てんようになりません?筋肉落ちてしまってね。足使っていないから、リハビリということをしないと歩けんことが始まります。ですから、ある年から上のなかなかリハビリに時間がかかるお歳を超えた時に「転んじゃいけない」と言われるじゃないですか。ね?今度リハビリをすのに非常に苦労と時間とかかるので、どうかするとそれが原因になって、もう歩けなくなりましたとかね、そんなことが怖いですよね?ま、それと似ているんじゃないですかね?もう使わなくなったらね、いらなくなるんですよ。

ですから、頭の中をこう見ても分かりませんけど、学者さんの人に言わせると、言語が分かる部分は10歳ぐらいから急速に消えていくんだそうです。消えてしまったらね、聞いたら分かるかというと、もう無理なんですね。だけどこれは、個人差があるんですよ。個人差があるんです。20歳過ぎても、その部分がしっかり残っている人もいっぱいおられるそうです。いっぱいと言っても10万人に1人くらいはあるそうです。だから、高岡市で2人ほどおられますよ。富山県なら11人ほどおられるんですよ。そんなことなら全国にいっぱいおられるんです。私がこんな英語の商売をしておりますとね、今まで私の57年間で1人だけ会うたことがあります。日本人で日本でしか勉強していないのに、海外にしばらく渡って帰ってきたらですね、アメリカ人にも負けないような発音に変わっておられました。真似しているんじゃないんです。一生懸命勉強して身につけたんかなぁと思って、よ〜っくそのお嬢さんを観察したんですが、違いますね。完全にアメリカ人と同じ発音が、同じ言葉の並び方でバーッと出てくるんです。これ何百年練習したら、こんなんなるんかいというくらい上手なんですが、本人に聞いたところが驚きました。ある朝起きたらしゃべれるようになっとったようです。「な〜ん、私、勉強した覚えない」「なんか、どんどんどんどんしゃべれるがで、仕方ないやないけ」ちゅうがです。こういう方が10万人に1人の非常に希有な珍しい言語の部分が残った方だと学者さんは言われます。私もそうなんかなぁと思うしかありませんけど。

説教中の本堂(Photo by 親鸞会)

説教中の本堂の様子。話の内容が内容なので参詣者もダラダラしている

さて、こんな話はこれくらいに致しまして、如来様が私どもに届けようとされる御本願も、耳からいつの間にやら侵入してきてですね、逃げても、隠れても、嫌がっても聞こえてくるじゃないですか。聞いてるうちに心のどこかの部分に住処を得てですね、そこでシッカリと根を下ろしてくださるんですよ。ですから、私のようであり、私ではないんですね。もう、この中に入り込んで、沁み入って、住みついて、もう絶対にお前を取り逃したりしないぞという、これが御本願、如来様のお願いなんです。しかも、私が作ったお願いでは絶対にありませんからね。これは非常に強力な力なわけですね。強力かどうかは、私の頭で考えて、頭で判断すると、また分からなくなりますが、だけど、ありとあらゆるこの仏教界の仏さま方がね、第17願ってお聞きになったことがあるでしょ?諸仏称名の願と申しましてね。お念仏こそが最高のものの伝え方であると、お念仏を通して必ずこの私たちをですね、素直さがないような、逃げて隠れて嫌がるしか能のない私たちが、よーくよく考えてみると仏さまになりたいなどという心も一切ない私たちが、いつの間にかここに取り込まれて、気がついたらこの口から「われ称えわれ聞くなれど南無阿弥陀仏、われを救うの弥陀の呼び声」と聞こえてくる。私が言うたがだけども、私の口から聞こえてきたという、この独特な宗教的なものの見方、考え方が染み付くわけなんです。

ねぇ。あまりにもちょっと突拍子もない例かもしれませんけど、自転車に乗るとか、泳げるとかいうのはですね。習ったもんじゃないんですよ。体が覚えていることなんです。ですから、まだ最後の第4章と第5章を読んどらんからプール落としてくだされると溺れてしまうがですよ、という、そんな人はおらんですよ。泳げる人はボチョンと落とされても、どうもない。だって、生まれてほんの1年も経たん赤ちゃんでも、目を開けてね、水吸わんと喜んで笑いながら泳ぐんだそうですよ。だから、何か話が違うかも知れませんけれが、私たちには頭でない部分とというのはですね、随分考えなんならん時代に、今、なってきているんじゃないでしょうか?人類の文化とか、知恵とか知識とかですね。この壮大な文明というのは、まあ考えてみると、みんな私たちの頭がですね作り出してくれた世界でしょうね?ですから、その根本的な所にですね、光に当たって反省できるかできないかなんていうのは、よく哲学の方がね、考えることですけども、そういう中にあってからこそ750年のですね、節目を迎えた浄土真宗、親鸞聖人の大遠忌法要の時にですね、親鸞聖人のお感じくださった、法然上人んからどうして、私共に是非伝えようとされた世界が、メッセージが、ますます光を増すんだろうと思うわけですね。

あんまり難しいことを私、分かりもせんのに言うとね、混乱してしまいますけれども、特に西洋の方は文化とか文明とか哲学とか知識というのは、どうも頭で考えられる傾向が非常に強いわけですね。ですから世界には素晴らしい善がある、人間が触らなくても自立的な善があるのではないか。すべて私たちの欲とか目的とか何かしたいとか、目の前のものから離れることのある、その心の自由が得られたら人間もともと持っていた自立的な自由、神が与えたもうた自由に到達できるのではないかとエマニエル・カントという人がですね、純粋に理性というものがあるんではないかと仰ったようです。違うかも知れませんよ、私の読み方がね。だけど、イヤイヤそうではない、人間の力で、最大の善、最高の徳をみんなで作っていける、文明は作っていける力があるのだと大昔のアリストテレスという方は仰ったんだと思いますね。また、いやいやそうではない、人間は最大の数の幸福の実現をして今一番何が必要か、一番みんなが喜ぶことに焦点を合わせて社会を動かしていけば大丈夫なんだ、などといったですねジェレミ・ベンサムなんていう方もおられるようですね。

また、時代が過ぎまして近年になりますと、実存主義とかですね、懐疑主義というか、皆さん、お読みになったことがあるかどうかですね、カミュという人のね『異邦人』という小説なんかではですね、今朝ママが死んだとかワケの分からんことが書いてあったりね、太陽がまぶしかったから隣の婆さん殺したとかですね、何をこの人たちは言いたいのかというと、人間なんて自分が考えたような規律とか規範とか善とか道徳とか、そんなものありゃせんのだと、そんなもん全て勘違いで思い上がりで、思い違いで、ないものなんだと。もともと。何を言っているのだ、世の中全て不条理で出来上がっているのだと、本当に何があるのか考えていこうと、実存主義はね今は非常に影響力があって、西洋哲学の人はある意味、出口がなくなっちゃっているんですね。人とは一体何かのかという、これは毛頭答えが出ないんですけども、ここでですね、

親鸞聖人は我々を、親鸞聖人が仰ったんじゃない。如来様の光が当たると我々は罪悪深重の凡夫であるという、この結論があるわけなんです。これは西洋の方々は悪というのは、皆、悪魔がいてですね、神に逆らって人間を引っ張り込もうとしている力と説明されることが多いんですけども、元々身に付いた八十億劫よりも積み重ねた罪咎という発想は、どうも他の外国にはないようなんですね。私たちの深い人間観というのは、親鸞聖人はですね言葉で言うと、私たちのことをこういう風に仰るんですね。「信心喜ぶその人を 如来と等しと説きたもう 大信心は仏性なり 仏性すなわち如来なり」と、私たちが如来様の御本願を心の底に住まわせていただいて、そこから見えてきたもので比較した場合に、あなたも私も仏さまであり、御本願そのものであり、大信心そのものであると、お互いを条件なしで尊敬しあえる考え方が、ここに出てきていると言われる方が多いです。

えー、私がこの間聞いた五木寛之さんという作家のお話でも、親鸞聖人の世界に貢献できるのはここであると仰っておられましたね。ここ、ちゃどこかと言うと一切の衆生は世々生々の父母兄妹なりと、関係ない人などと言うのはですよ、あり得ないという発想です。あなたと私は絶対に違うという発想ではないんですよ。

……という感じですね。

一番最初のところで「一念の信心のいわれを知らざる者は、いたずらごとなり」と言っておりながら、その一念の信心については触れておらず「もろもろの聖教をよみ、ものを知りたりというとも……いたずらごとなり」しか話をしていない。一念の信心どころか「耳からいつの間にやら」とか「聞いているうちに」……と、阿弥陀仏の一念の救いを、いつとはなしの救いに変えてしまっているんですね。何とも酷い。

そして、先ほどの説教の最後にこんなことを言っていた。

私たちは、頭で聞いて勉強しても少しは分かるようになりますが、それが進みすぎると、今度はこれが邪魔するわけですよ。ですから、布教使さんの色んな話を聞いてもですね、勉強として聞いたり、情報として聞いたりしますと、それなりに分かる部分もありますけど結局分からなくなってしまう。「何、言うとった?あの人?」ってね?「何やら、家族のことやら、違うたことやら」私たち布教使は得意ですからね。家族関係だとか実際の世の中で起こっていることに照らし合わせたようなつもりで、お話するのは結構慣れています。

だけど、それをお聞きになった人は「な〜ん、御本典の話でなかった」「な〜ん、和讃も出てこんだったし、教行信証の言葉も出てこんだったし。1つも有り難なかった」と言われることがあるんですよ。「もうちょっこぉ、気の利いた本の中の話を言われま!」「言葉説明しられま!」。なら、そんならということで、それをやりますと「な〜ん、分からんだ」「眠たぁ〜なった」と言われるし、どうせいちゅうがやちゅうことになってくるんですね。ここでも人の気持ちに合わせて、人の喜ぶものに第1の価値観を置くとね、フラフラフラフラ引っ張られて、あっち行きこっち行きで、な〜ん結局何も伝わらないことが起こりうるんですよ。

この部分を話している動画が、コチラ。

……何といいましょうか。

親鸞会は親鸞学徒の集まりですから、自分の考えは一切入れずにお経や親鸞聖人や蓮如上人のお言葉を示して1つ1つ分かりやすくお伝えするのが本道と教えていただきます。それを真っ向から否定しているとは何とも情けないではありませんか。

浄土真宗で、聴聞する目的が明らかになっていないからではないでしょうか?聞いていて聞法の目的である後生の一大事の解決が全く教えられず、信心正因 称名報恩の教えがネジ曲げられている実態でした。眠たくなるからと言ってお聖教のお言葉を示さずに話をしてる布教使ですが、

居眠り(Photo by 親鸞会)

布教使が好き放題言いたいことを言っているから居眠りがひどい

ご覧のとおり、門徒さんは「そんな話を聞きに来たんじゃない」と言わんばかりに居眠りが酷いです。

折角、寒い中、長時間に渡って親鸞聖人の教えを聞きに来られた門徒さんがかわいそうです。親鸞聖人のお言葉についてお聞きしたいと来ても「そんな話したら分からんかったと言われるから」と拒まれては、門徒の皆さんはどこで聖人の教えを聞けばいいのでしょう?話をして分からんかったと言われるのは、話している者の理解不足であり、話し方が悪いだけ。

親鸞会では、お聖教のお言葉を出して1つ1つ聖人の教えをお伝えしているのですが、多くの方が真剣に聴聞されます。さて、本当の浄土真宗の話というのはどういうものでしょうか?

まさに、これが浄土真宗の本道ですね。

勝興寺で親鸞聖人の教えが聞けないとお嘆きの方は、親鸞会に一度来てみてください。仏法を求める目的からハッキリしますし、正信偈のお言葉から丁寧に詳しく聴聞できます。

かつては、ご示談といって夜通し、信心の沙汰が活発になされていた勝興寺の御満座ですが、それもなくなったので、門徒の皆さんがせめて本堂で正信偈の勤行をさせてもらいたいと説教の後に勤行をされていました。

正信偈の勤行(Photo by 親鸞会)

ご示談もなくなったので門徒だけで正信偈の勤行をするようにしたらしい

教えを聞きたくても教えが聞けない真宗難民がここにも多くいらっしゃいました。

一応、今回の御満座での林要昭氏の説教は下の動画で一通り聞けます。

いかがでしょうか?本当の親鸞聖人の教えが親鸞会でしか聞けないことが分かられることと思います。

続きの15日の様子はこちら→勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ(2)

ではでは。

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もん太@射水市民です。

さて、西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌法要の締めくくりである御正当(ごしょうとう)レポートも最終回を迎えました。通常は報恩講を御正忌と言うのですが、50年毎の大遠忌では御正当と呼ぶようですね。そんな御正当に行き、御影堂での法要のみならず、聞法会館の総会所での説教も聞きまして、もん太なりに感想をレポートしてきました。

前回の記事は西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ(3)でございますが、最終回ということで、ちょっと変わった話をアップしておこうと思います。

西本願寺には、国宝やら重要文化財などがワンサカあるわけですが、国宝の1つが西本願寺の南にある唐門というものです。

西本願寺の唐門(Photo by 親鸞会)

西本願寺の国宝「唐門」のすぐ側に龍谷大学の大宮キャンパスがある

この唐門を出てすぐにあるのが、龍谷大学です。

龍谷大学の大宮キャンパス(Photo by 親鸞会)

龍谷大学の大宮キャンパス。門を入れば正面に重要文化財の本館が見える

龍谷大学とは、1639年に西本願寺に設けられた学寮に始まるということで、西本願寺系の大学でございます。そういうこともあって、西本願寺の寺の子供さんが進学していたりするようです。

龍谷大学(Photo by 親鸞会)

龍谷大学のキャンパス内は実にゆっくりとした時間が流れていた

龍谷大学には、色々とキャンパスがありますが、西本願寺に隣接しているのは大宮キャンパスと言いまして、建物のいくつかが重要文化財に指定されていたりする歴史のある大学ですね。毎月の親鸞聖人のご命日には説教も行われているようです。

その龍谷大学の大宮キャンパスの図書館が、西本願寺境内に食い込むように建っています。非常に大きな建物で、蔵書の数も凄そうです。職員さんに聞いたところ見学ができるそうですので、入ってみました。

龍谷大学の図書館(Photo by 親鸞会)

西本願寺の境内に食い込むように龍谷大学の図書館が建っていた

図書館の入口には、駅の自動改札のようなものがあり、龍谷大学の学生さんならカードで自由に入れるようですが、もん太は龍谷大学の学生ではありません(お世話になったのは、富山県立大学だしね!)ので、受付で見学者のネームプレートを借りて見学してきました。中では、多くの大学生や大学院生が色々と調べたり、論文やレポートを書いているようでした。ちょっとチャラチャラしたような若者が、親鸞聖人や蓮如上人関連の書棚から分厚い本を持ち出して一生懸命読んでいます。そういうのを見ると「あぁ、親鸞会の他にも一生懸命に真宗学を学ぼうとしている大学生がいるんだなぁ」と感動するのですが、昨日の記事でも書きましたように、お念仏を称えて救われるような説教をしている者が総長になっているような教団の大学ですから、「信心正因 称名報恩」の聖人の正しい教えが学べるはずもありません……と思ったのですが、ちょっと親鸞聖人関連の本が並んでいる書棚に目をやると、

なぜ生きる(Photo by 親鸞会)

龍谷大学の図書館で親鸞聖人関連の書棚に『なぜ生きる』を発見!

親鸞会でいつもご説法くださる高森顕徹先生が監修された『なぜ生きる(発行・1万年堂出版)を発見!

見慣れたカバーは外されているので、すぐには分かりませんでしたが、ちゃんと蔵書として置かれているんですね。

それならば、今や歎異抄解説の決定版となったアノ本はあるのかな?

歎異抄をひらく(Photo by 親鸞会)

同じく龍谷大学の図書館で歎異抄関連の書棚に『歎異抄をひらく』を発見!

ありました!これまた高森顕徹先生が書かれた『歎異抄をひらく(発行・1万年堂出版)

この本が出版されてから、新たな歎異抄解説本が出版されなくなったという衝撃の1冊ですね。真っ赤なカバーから真宗の業界では「赤い歎異抄」という異名があるそうですが、この龍谷大学の図書館では、そのカバーが外されていますので「ピンクの歎異抄」という感じです。ちょっと目立たないですねぇ〜(泣)。

他にも朗読CD付の歎異抄をひらくもあるようですが、龍谷大学の学生さんも教行信証などの親鸞聖人のお言葉を通して歎異抄を解説された『歎異抄をひらく』を読まれれば、本当の親鸞聖人の教えが学べるでしょう。ぜひとも頑張ってもらいたいものです。

ついでに、東本願寺の正面から少し通りに入ったところにあるのが仏教書を出版・販売している法蔵館がございます。

法蔵館(Photo by 親鸞会)

東本願寺の正面からちょっと入った所に法蔵館と法蔵館書店がある

親鸞会でも法蔵館で発行された『真宗聖典』を使って教学を学んでおりますが、その発行元でございます。

ここには、法蔵館書店が併設されておりまして、店頭にての書籍の販売がなされていますので、入ってみました。

真宗大谷派との繋がりが強い法蔵館でございますが、浄土真宗関連の棚の1番上に『歎異抄をひらく』と『親鸞聖人の花びら』がございました。『なぜ生きる』は見当たりませんでしたが、ちゃんと置かれていましたね。

多くの方に、これらのご著書で本当の親鸞聖人の教えを知っていただき、いずれは親鸞会の二千畳で共に聞法できることを念ぜずにおれません。

最後に、親鸞会での高森顕徹先生の座談会の様子をご覧いただきましょう。

ではでは。

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もん太@射水市民です。

さて、昨年の4月から行われている西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌法要でございますが、この1月は締めくくりとして御正当(ごしょうとう)が行われております。もん太も親鸞会の法友と共に行ってまいりましたので、当ブログで数回に分けてレポートしております。

前回の記事は西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ(2)でございますが、昨年11月までの大遠忌は団体参拝が基本だったためか、それなりに賑わっておりましたが、この御正当はそれがなく自由参拝。その為、来たい人だけ来ているという感じで、少々寂しい感じでした。ただ、蓮如上人の御一代記聞書に、

一宗の繁昌と申すは、人の多く集り威の大なる事にてはなく候、一人なりとも人の信を取るが、一宗の繁昌に候。然れば「専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず」と遊ばされおかれ候

とありますように、人が多く参詣していればいいというものではありません。たとえ大遠忌に大勢の人が参拝していても、京都観光の一部のように来ている人ばかりであるならば、真宗の繁昌とは言えません。問題は、正しい親鸞聖人の教えが説かれ、真実信心を獲得しているか否かですので、この御正当に参拝している人が少ないからと言って、それだけでは判断できません。

そんなわけで、「最近は、寺で教えが説かれなくなった」と嘆く門徒の声を聞きますが、本山である西本願寺には、ズバリ聞法会館という建物があり、その総会所(そうがいしょ)では年末年始以外なら毎日説教がなされているとのことですので行ってみることにしました。何でも真宗教会という浄土真宗の教えを学ぶサークルまで結成して活動しているそうです。サークルを作って活動しているとは、さすがは本山。ヤル気が感じられます。大いに期待してみたいと思います。

……で、こちらが聞法会館です。

聞法会館(Photo by 親鸞会)

西本願寺の横にある聞法会館。宿泊施設であるが1階の総会所で説教がある

どこか、親鸞会の同朋の里F館に似ている佇まいですね。ここは公式サイトに「京都・西本願寺の宿」と書かれているように、西本願寺に参拝した人の為の宿泊施設のようです。

聞法会館のホール(Photo by 親鸞会)

聞法会館に入ると、こんなホールがある

親鸞会のF館は玄関を入ってすぐに靴を脱いで上がるのですが、ここは土足のまま歩くようです。宿泊施設としては、和室から洋室まで揃っております。他にもレストランや喫茶があったり、仏式結婚式ができる場所もあるようです。地下の1階にはレストランに併設して売店があり、

書店(Photo by 親鸞会)

地下1階にはレストランのほか売店があり、本願寺の本も購入できる

このような本願寺の本を購入できる小さな書店もございます。まあ、一般の書店では見られないような本もあったりします。壁には大谷光真門首の写真入りポスターも張られています。どうも『世の中安穏なれ』が絶賛発売中のようでございますよ。

さて、大切な聴聞ができるという総会所に行ってみたいと思います。聞法会館の1階にあるということですが……、

総会所(Photo by 親鸞会)

1階には総会所があり、年末年始以外は布教使が説教をするらしい

最初に行ってみた時には、丁度、説教がない時間帯のようで、次の説教に向けての準備がなされていました。ホームページでは、総会所の中は椅子がズラリと並べられていましたが、今回は大遠忌ということもあってか椅子は脇の廊下に並べられ、中は畳敷きにして本来の聞法道場のようになっておりました。

お仏壇の上の書は「値弘誓」の3文字。総会所の左前方には移動可能な黒板が1枚設置され、その左には様々なお聖教のお言葉が書かれた紙が置かれていました。

さて、昼の11時くらいには御影堂での法要が終わり、その後に総会所で説教が行われます。もん太が行った日には、午前中に御影堂で10分ほどの記念布教をした山口教区の中島昭念氏という布教使でした。演題は「智慧の念仏うることは」だそうです。

常例布教(Photo by 親鸞会)

総会所では毎日、昼と夜に常例布教というものがなされる

総会所には、昨年までの団体参拝ではなく、それなりに気持ちのある個人参拝がメインらしいことから、思っていたより多くの人が聞きに来ていたように思います。布教使の真正面に席を取って正座して真剣に聞いている人もあれば、総会所の後ろの壁に、カマボコが板に張り付くようにして聞いている人から、色んな人がいました。大学を卒業したばかりの人のような若い人も数名いらっしゃいました。やはり、親鸞聖人のお言葉に何かを感じ、その教えを聞きたいと期待して総会所まで来られるのでしょう。

先ほどの大学を卒業したばかりのような熱心な青年に聞いてみると、某寺の住職の息子さんとのこと。正座をし、背筋を伸ばし、手にはビッシリとメモが書かれた大学ノートがありました。説教中もずっとメモを取り、真剣そのものでした。住職の息子で跡取りだからイヤイヤ……というのでは、正座して聞こうとはしないと思います。やはり、それなりに使命感を持って頑張っておられるのだと思いました。

中島昭念(Photo by 親鸞会)

この時は、山口教区の中島昭念氏という布教使が説教していた

そして、中島昭念氏の説教ですが、内容は有用性と真実性といった話でした。

今の人は有用性で物事を判断しており、老人よりは若い人が有用性があるから好まれ、病気になるよりは健康な方が有用性があるから……といった話でした。それならば、病人や老人といった人は有用性がないから生きる意味がないのか。それに対し、親鸞聖人は、有用とか無用という観点ではなく真実性で語られたという話ですね。

話の中で、この中島昭念氏の寺の話になりました。どうも最近、本堂を建て直したそうで、その建て直しに献金したらしい門徒より「この寺の本堂は不要ではないかと思う。私は100万円出したが、1年で使うことがない」と言われたそうです。その時に中島氏は、それなら使ったらいいと言い返したそうですが、正しい教えが説かれなければ不要と言っていいでしょう。逆に寺は聞法道場ですから、正しい教えが説かれてこそ存在意義があり、この門徒のように100万円を献金して本堂を建て直すことは無駄にならないでしょう。ただ、本当の親鸞聖人の教えが説かれているか……と疑問に思わずにおれませんでした。

この中島氏の説教を聞いていると、ただ漠然と「お念仏を称えていれば死んだら極楽」というような単純な話でないことが分かります。一応、阿弥陀仏のご本願を信じ、お念仏を申しましょう……と言われます。ちょっと聞くと「信心正因 称名報恩」の教えのように聞こえますが、どういうわけか阿弥陀仏のご本願を信ずるとはどういうことか、その一番聞きたい信心とは、どんな信心なのかが語られません。

話の中で「ある茶髪の若者から『もろもろの雑行・雑修・自力の心をふりすてて……とはどんなことですか』と聞かれましてね」と言い出したので、おおっと身を乗り出して聞いてみるんですが、その雑行や雑修や自力の心についての話がなされません。聖人一流の章や領解文を声高々と読み上げるのですが「聖人一流の御勧化の趣は信心をもって本とせられ候」と言っていても信心について全く語られません。やはり、その辺がボヤけているのでしょうか。

この翌日には、宗務総長の橘正信氏の説教でありました。もん太は、WEBで聞いておりました。

橘正信(Photo by 親鸞会)

本願寺の総長である橘正信氏も総会所の説教に立ちました

教団の宗務総長といえば、国の内閣でいえば総理にあたる重職です。

その重責にある人が、親鸞聖人750回大遠忌法要という50年に1度の浄土真宗で最も大事な行事の中で説教する。しかも、それが本願寺の公式サイトでも生中継され、更に録画が再放送され、世界や全国の人が視聴できるとなれば、大変なプレッシャーであることは想像に難くありません。そんな重圧を担ってもいないもん太ですが、そんな者が上から目線で総長の話をあれやこれやと言うのは、一般的に失礼であり顰蹙を買うかもしれませんが、聞いていて、どうしても言いたいことがあります。

まず、教えを説く姿勢です。総長の説教の初めはこうでした。

ようこそお参りくださいました。

総長がお説教するということは、あんまりよろしくないと私は思うんでありますけれども、どうも、あなたがやってくださいということで、まあ、イヤとは言えませんもんで、お引き受けしましたけれども、日頃、大遠忌のご挨拶をしておりますから、まあ、あのようなことがですね、私の思いであります

から始まります。

真実を説く立場の者が「ようこそお参りくださいました」とは何事か。また、説教を依頼されて、どこかイヤイヤ説教に立っているという感じです。聞きたい人があれば、喜んで法を説きに行くべきではないでしょうか。最初からやる気のない話を聞かされては、折角、総会所に集った門徒の方々がかわいそうです。

更に、讃題として「噫、弘誓の強縁は……」のお言葉が拝読されましたが、暗唱ではなく拝読という形なのに、何度もつっかえつっかえで、所々、お聖教を「え〜っと」と覗き込むようにして拝読しています。途中で「生死の苦海ほとりなし……」のご和讃を拝読していましたが、これまた同様でした。

更に、説教中に日蓮の話にもなったのですが、「日蓮上人」「立正安国論をお書きになりまして」と念仏誹謗の親玉に対して敬語を使っています。こんな有り様だから、本願寺門徒の多くが創価学会に迷っていったのだということが納得できました。

そして、言いたいことのメインは教えの内容です。

親鸞聖人の教えは信心正因の教えです。これは阿弥陀仏の救いは信心一つということであり、この信心一つを祖師聖人は伝えてくださったのだから、それを明らかにするのが親鸞聖人750回大遠忌法要を勤めるということでしょう。

それにも関わらず、宗務総長の話を聞いておりますと、最後まで「信心」は聞かれず「お念仏」のオンパレードでした。勿論、お念仏が尊いのは言うまでもないことですが「誰でも彼でも、お念仏を称えることによって、本当の幸福を得て、お浄土に参らせていただく」との総長の言は、信心正因ならぬ称名正因です。これで親鸞聖人の教えを伝えていることになるのでしょうか?

また、宗務総長というお立場から多くの雑誌からインタビューを受けたことにも触れ、それらの記者とのやり取りを、

記者「お念仏とはどういうことですか?」

総長「お念仏を頂いたことによって、生きるエネルギーです。(中略)この世で頂いた命を完全燃焼して生きる」

記者「それはどういうことなのですか?」

総長「目の前のことを一生懸命やることだ」

このように言っていましたが、これでは、親鸞聖人の教えとは、結局、目の前のことを一生懸命やることなのか?という疑問を持つでしょう。本願寺僧侶の皆が皆、このような話をするわけではないでしょう。多少、心得のある人なら、稀ではありますが信心正因ということは言います。念仏を称えたら極楽へ往けるような説教は「間違い」と教える僧侶もあります。なのになぜ、この大遠忌の御正当という大事な場面で、宗務総長という大事な立場の人から、こんな話が出てくるのでしょうか?また、それが平然とまかり通っていくのでしょうか?

本願寺の中枢部が、いくら信心正因と言おうが全体の理解はバラバラ。信心がいかなるものかサッパリ分からず、また、どうしても獲得しなければならない信心であるということが本願寺自身が思っていないから、こんな大事な場面で、重要な立場の人が異端を唱えていても許し合って共存できるのでしょう。

親鸞会においては、最近、親鸞学徒になった法友でさえ、こんな教えに反したことは言いませんし、ましてや立場のある人が、こんな不浄説法をしたら大問題になるでしょう。

教えの正邪の見分けがつかず、またそれを正そうとする機能すら、今の本願寺には失われてしまっているとしか言いようがありません。念仏称えたら死んだら誰でも極楽だから、称えましょう、喜びましょう、です。これが末寺ならともかく、本山の中核でこうなのですから、末寺に至っては推して知るべしです。

西本願寺で受け取ってきた『シリーズ大遠忌III 本山参り』というパンフレットがあります。

本山参り(Photo by 親鸞会)

伝道院で頂いた『シリーズ大遠忌III 本山参り』のパンフレット

この最後には、このように書かれています(親鸞会でも聞いたことがあるような……)

大遠忌はゴールではなく、新たな出発点です(Photo by 親鸞会)

パンフでは「大遠忌はゴールではなく、新たな出発点です」と締めくくる

大遠忌はゴールではなく、新たな出発点です

親鸞聖人と異なる教えを伝えて、どこへ出発するつもりなんでしょう?暗澹たる思いになると同時に、親鸞学徒が今からやらねばならないことの重大さ、困難さに身の引き締まる思いがしました。

恩徳讃の演奏(Photo by 親鸞会)

総会所を出るとホールで恩徳讃の演奏がなされていた

説教終了後に聞法会館のホールを歩いていると、恩徳讃の演奏がなされていました。

如来大悲の恩徳、師主知識の恩徳とは、どんな恩徳なのか……。この聞法会館で正しく伝えていただきたいと願うのでした。

ではでは。

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もん太@射水市民です。

昨年の10月8日〜10日の3日間は親鸞会の親鸞聖人750回忌法要が勤修されましたが、西本願寺での親鸞聖人750回大遠忌法要は昨年4月に始まり、ほぼ毎月9日〜16日にかけて行われ、今月は締めくくりとして御正当(ごしょうとう)と呼ばれるものが行われております。

当ブログでも、その様子をレポートしておりますが、前回はこちら→西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ(1)

親鸞会で発行されている機関紙は『顕正新聞』ですが、本願寺の発行している機関紙は『本願寺新報』というものです。その新年号の1面に大きく「親鸞聖人750回大遠忌法要 御正当をお迎えします」と見出しを付けて案内がなされていました。さて、本願寺では、この御正当をどのような位置づけで行うのでしょうか?本願寺新報の1面から抜粋です。

いよいよ、1月9日から16日まで、本山で親鸞聖人750回大遠忌法要御正当が勤修されます。聖人のご命日にちなんだ仏事として、50年に一度勤修される大遠忌法要。今回お迎えする御正当は、昨年4月から団体参拝を中心に勤修されてきた大遠忌法要の締めくくりとなるもので、すべての方々が共に大遠忌の仏縁にお遇いいただく場として、個人・団体を問わず、どなたでもご自由にご参拝いただけます。生きることがますます困難になっていく昨今。「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」と願われた聖人のおこころをいただき、多くのいのちがつながりあった社会に、お念仏のみ教えが広がっていく尊い仏縁としていただきたいと思います。(『本願寺新報』平成24年1月1日号より)

……ということで、昨年までは各教区や組単位でバスをチャーターして参拝するのがメインでしたが、今月の御正当だけは、特に団体参拝が呼びかけられることもなく、個人で来ている人が多かったように思います。確かに、4月に来た時には、朝の法要が始まる前に西本願寺前の国道1号線沿いに観光バスが横付けされ、バスガイドさんが持った○○教区といった旗を先頭に参拝団が行列で境内に入って行く姿が見られました。また、西本願寺横の聞法会館駐車場はバスターミナルとなって各地からやってきた観光バスがズラリと並んでいたものです。4月の様子は、下の動画をご覧いただければと思います。

それなりに賑わっていますが、今回は、駐車場もスカスカで境内も静かでした。

西本願寺のスタッフの方に聞いてみると、今回は団体参拝がないので参拝者が少なめ。そして、もん太が行った10日も平日なので更に少なめとのことでした。ちなみに、前日の9日は全国的に成人式だったのですが、本願寺も成人式を行っており、それなりの参拝者だったそうです。それにしても、4月は3日間来ましたが、平日でも、それなりに賑わっていました。個人レベルの参拝となるとこういうものだということが分かりました。

西本願寺には大きく2つの堂があり、1つは阿弥陀仏がご安置されている阿弥陀堂、もう1つが親鸞聖人の御真影がご安置されている御影堂です。法要は、御影堂で行われますが、全席イス席で番号がふられています。4月からの団体参拝が受付されていた時には、参拝者は親鸞会のように名札をつけており、それぞれの名札に座る椅子の番号が記入されておりました。つまり、全席指定席ということです。しかし、今回はそれもないので全席自由席でございます。本願寺新報には、

御正当期間中の参拝は個人、団体とも自由。御影堂は、11月までの大遠忌法要の形を残すことから、参拝者は全席いす席となり、入堂順の着席となる。(『本願寺新報』平成24年1月1日号より)

……とあります。

そんなわけで、もん太も前から詰めて座ったところ、何と御影堂内部の真ん中に席を取ることができました!そして、法要が始まるのを待っていると、本願寺の男性スタッフの方が笑顔で近寄ってこられ「今回は参拝者は少なめなので、前に座れますよ。写真も撮りやすいですから、どうぞ撮っていってください」と、もん太が聞こうと思っていたことをスタッフさん側から言ってくれました。4月には2日目に来て撮影していると女性スタッフがやってきて「法要中は撮影ご遠慮ください」と言われたので「いや、4月に来た時には、法要中は撮影しないように言われましたが……」と言うと「ああ、ストロボ使って撮ったり、縁儀の列や後ろの人の邪魔になるように撮らなければ問題ないですよ」と、法要中の撮影は絶賛オススメ中と言わんばかりに勧められたので、それじゃあ……と重いカメラを持ち上げて撮影に入りました。確かに、末寺の僧侶らしき人もキヤノンの白い高級レンズをつけたカメラでバシバシ撮影していましたね。

……で、法要が始まりました。

最初に、宗務総長の挨拶や記念布教という10分ほどの説教があり、宗祖讃仰作法というものが始まりました。まあ、はやい話、大遠忌法要に向けて作られた勤行と思われたらいいかもしれませんが、かなり雅楽のような音楽が入って、親鸞会で行われている正信偈の勤行とは比較にならないほど長いという印象です。

法要が始まると縁儀と言って、阿弥陀堂側から僧侶やら門徒の代表、楽員らが行列を作ってゆっくりと進み、御影堂の後方から中央を通って内陣へと入っていきます。これがまた長いんですが、

僧侶(Photo by 親鸞会)

阿弥陀堂と御影堂の間の廊下を通って縁儀の列が進んでいく

ご覧のとおり、僧侶の衣は鮮やかなもんです。そして、楽員。

式務部(Photo by 親鸞会)

法要中の宗祖讃仰作法などで演奏を担当する楽員もゾロゾロと……

こちらは、真っ黒ですね。太鼓が鳴り響く中、雅楽で使われる楽器を演奏しつつ進んでいきます。意外と若い人が多い。

そして、縁儀の行列の最後には、内閣で言ったら総理に街頭する宗務総長の橘正信という人が進んでいきます。

橘正信(Photo by 親鸞会)

最後に宗務総長の橘正信氏が進んで行きました

まあ、何ともありがたい雰囲気になるんですが、御影堂の中はこんな感じです。

行列(Photo by 親鸞会)

御影堂の中を内陣に向かって、ゆっくりと列が進んで行きます

太鼓の音に合わせて、3歩ほど進んでは止まって、また、3歩ほど進んでは止まって……を繰り返しているので、縁儀の行列はいつまでも続いている印象ですね。ちなみに、縁儀が終わりかけ、いよいよ宗祖讃仰作法が始まるという時なんですが、御影堂の内部はこんな感じ。

親鸞会では、正座での聴聞が普通ですが、

御影堂内(Photo by 親鸞会)

法要が始まって入場中、御影堂の参拝者はまばらである

全席イス席です。しかも、かなり空席ですね。まあ、この後にもちょこちょこと入ってくる人があって法要が終わる頃には、手前の席もある程度埋まるんですが、御影堂の周囲には、大遠忌期間中だけ設置されている拡張部分があります。そこにも多くのパイプ椅子が置かれているんですが、

テント内(Photo by 親鸞会)

御影堂に増設されたテントの中もご覧のとおり

こんな感じですね。ここは法要が終わる頃にも殆ど人がいませんでした。左に見える黒いジャンパーの女性は「特別警戒中」と書かれた腕章を着け、背中には「Security(セキュリティー)」と書かれていることからも、警備担当のようですが、実に退屈そうでした。ちょっと話しかけてみましたが、やはり、団体参拝がないということと、平日ということもあって御正当とは言っても空席が目立ってしまうんだそうです。4月は、団体参拝の人たちで、それなりに埋まっていたんですが……。

そして、宗祖讃仰作法が始まり、雅楽と共に親鸞聖人のご和讃を声を合わせて唱和していきます。途中、内陣に座っている門主の大谷光真氏や新門の大谷光淳氏や僧侶らが立って、1列になって御真影の周りをゆっくり回りながら勤行しております。どうも、行道と言うようです。

大谷光真と大谷光淳(Photo by 親鸞会)

行道する新門の大谷光淳氏(先頭)、その後が門首の大谷光真氏

その行道をしない人たちも、立って勤行をしておりました。

内陣(Photo by 親鸞会)

内陣では各地から出勤した僧侶が色とりどりの衣を着て勤行

印象的だったのが、4月の団体参拝が多かった時には、参拝者があまり声を出していないようでしたが、

参拝者(Photo by 親鸞会)

パンフレットに書かれたご和讃などを声を合わせて唱和する参拝者

今回は、参拝者そのものは少ないけどパンフレットに書かれたものを声を合わせて唱和しているようでした。団体で呼びかけられなくても参拝しようという気持ちがある人だけに、こういうことは真面目に取り組むのでしょうか?

この宗祖讃仰作法が終わると恩徳讃を終わって、東日本大震災の義援金を集めて終わり。

昨年の大遠忌法要では、門首や新門の「おことば」と呼ばれるものが、それぞれ5分ほどあったんですが、御正当では、それもなかったですね。本当に法要と言っても宗祖讃仰作法といった儀式的なものが大半で、能や狂言のような伝統芸能を見ているだけという感じでした。

親鸞会の親鸞聖人750回忌法要では、正信偈の勤行の後、高森顕徹先生が親鸞聖人のご遺言である「御臨末の御書」についてご説法がなされ、参詣される皆さんも「聞法」の為に来られていました。宗祖讃仰作法の前に10分ほどの記念布教がありましたが、やはり、「教え」を聴聞させていただくための法要であってもらいたいと思うのでした。

ただ、聴聞は前回の記事のように聞法会館内の総会所がメインのようですので、その辺は次回にレポートしたいと思います。

続きはこちら→西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ(3)

ではでは。

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