もん太@射水市民です。

昨日の射水市は見事に黄砂に霞む一日だったわけですが、この中国からの一方的な贈り物に少々ノドが痛い思いをしているもん太でございます。アッという間に黒い愛車が砂を被ったような感じになっちゃったりしてね、何ともやっかいなところが憎めないようで憎んだりしているわけです。

黄砂に霞む射水市(Photo by 親鸞会)

親鸞会の某ビルから見た黄砂に霞む射水市です。ノドが痛い

そんな黄砂に覆われた射水市でございますが、今、射水市でガンガン進んでいる工事が北陸新幹線の工事だったかと思います。「工場萌え」よりもむしろ「工事現場萌え」であるもん太としては、親鸞会の某ビルの屋上から傍観するのがもん太の日課だったりするわけですが、何と言いましょうか、現在ゴールデンウィークとやらで現場はお休みなわけですよ。まあ、ストライキじゃないことを願いたいものですが、現場をゆっくりガン見する格好のチャンスかと思いますので、またまた、偵察してきてしまいましたよ!

……で、射水市から富山市方面の現場をちょっとだけチェックしてみましょうかね。

富山市方面の北陸新幹線の工事現場(Photo by 親鸞会)

射水市から富山市方面へと延びる北陸新幹線の工事現場

どうです。田んぼと北陸新幹線以外には何もないと言っても過言でないようで明らかに過言な様子なのですが、足場に囲まれた橋脚があるかと思えば、未だ鉄筋がチョコチョコと地面から生えているような状況のものも見られます。進行状況にいろいろあるようですが、さて、このエリアの様子を現場目線で見ていきたいと思います。

北陸新幹線の橋脚の足場(Photo by 親鸞会)

手前の足場に囲まれた橋脚と、奥のまだ鉄筋だけの現場が何とも言えず

先の写真で、真ん中付近にあった孤独な足場付き橋脚に寄ってみると、こんな感じでした。現場がお休みなので、のびのびと見られて楽しいですね。この橋脚の土台が、柵の真下に見えるわけですが、

北陸新幹線の橋脚の土台(Photo by 親鸞会)

北陸新幹線の橋脚の土台にホレボレする。土で埋めるのが勿体ない

ドーンとね!もう、この逞しさにホレボレするよりありませんね。これを土で埋めてしまうのが勿体ないほどの逞しさです。是非とも、北陸新幹線を支えてもらえたらと思います。

そして、鉄筋だけがわずかに顔を出しているエリアですが、

北陸新幹線の橋脚の鉄筋(Photo by 親鸞会)

橋脚の鉄筋だけがツンツクと整列している様も美しい

この整列しているかのような感じがたまらなくグッと来ますね。ここから、どうなっていくのか今から楽しみでございます。

さて、射水市から高岡市方面はどうなっているのでしょうか?

高岡市側の北陸新幹線の工事現場(Photo by 親鸞会)

射水市から高岡市へと延びる北陸新幹線の工事現場です

いやいや、住宅地の中を通り抜けていくだけあって、ゴミゴミしていますね。特に手前のオレンジ色に輝く現場が気になってしまうのですが、そこを現場目線で見てみたいと思います。

露出した北陸新幹線の橋脚(Photo by 親鸞会)

もはや、地上の空母と行ってもいいほどのビジュアルに卒倒する

ドーン!どうです、この地上を進む空母のようなビジュアルはっ!?この手前の橋脚がグッと来るのですが、壁がない部分から見てみますと……、

北陸新幹線の橋脚(Photo by 親鸞会)

すでにコンクリートの打設が完了し、足場も撤去されている橋脚

うほほぉ〜い!いやん、これ橋脚じゃん!コンクリートじゃん!大きいじゃん!とテンションが上がってしまうのですが、ついにここまで来ましたか。ここまでできて誰もが認める橋脚ですね。ちなみに、この奥の部分を横から見ますと……、

北陸新幹線の工事現場(Photo by 親鸞会)

北陸新幹線の工事の巨大さを感じる。右奥に親鸞会の某ビルも見える

もう、北陸新幹線の射水駅でも作っているのではなかろうかと思わせるようなターミナルっぽさですね。奥に親鸞会の某ビルが見えたりするわけですが、あのターミナルっぽいものの上が気になりますね。

橋脚の上の型枠(Photo by 親鸞会)

橋脚の上に広い空間ができていた。ああ、あの上に上りたい

それがチラリと見えたわけですが、あのベールに隠れた部分にかなり広い空間が……。もう、あの上に上りたくて仕方ありませんね。あの上にコンクリートを打設して、その上を北陸新幹線が走るのだろう……と思うと嬉しくてたまらない。

外灯を避ける足場(Photo by 親鸞会)

既存の外灯を傷つけまいと避ける優しさに涙が出てくる

工事現場の近くには既存の建造物などがあるのですが、もともとあった外灯の周囲がこのようになっていました。外灯を撤去するのではなく、あくまで外灯を避けて足場を設置するあたりに優しさを感じて、ついウルッと来ませんか?来ませんね。

まあ、現場は大変優しいということを肝に銘じていただければ幸甚です。

そんな現場も着々と進んでおりまして、

少し見える橋脚の土台(Photo by 親鸞会)

少しだけ見える足場の土台もどっしりして頼もしさを感じる

こちらの橋脚の土台もコンクリートが打設されて、シッカリ構造になっておりました。

北陸新幹線のプロパガンダ(Photo by 親鸞会)

「うれしいな!僕らの北陸新幹線」のプロパガンダにグッときた

現場の壁には「うれしいな!僕らの北陸新幹線」というプロパガンダが掲示されていました。うっかり「僕らの」を「我らの」なんて言いかけてしまうのがもん太ですが、こんなプロパガンダに踊らされる人がいるのだろうか……と思われるかもしれません。しかし、確かにここにもん太という踊りまくらされている人がいますので、是非とも皆さんには暖かい眼差しで見つめていただければと思います。

これからも一緒に北陸新幹線の現場を愛でていきましょう。

ではでは。

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もん太@射水市民です。

先月末に親鸞会で行われたテレビ座談会では、高森顕徹先生に『なぜ生きる』のご著書についての質問にお答えいただきました。

その時の質問で親鸞聖人がご出家される時のことなどがございましたので、当ブログでも親鸞聖人が出家得度なされた地である青蓮院門跡の紹介などをしてみました。そして、2問目の質問では『なぜ生きる』のP127の最後にある、

九歳で仏門に入って二十年、仏教の中心地・比叡山での日々は、まさに煩悩との格闘だった

という箇所について「煩悩との格闘」とはどういうことかといった質問が寄せられました。

煩悩とは文字どおり、私たちを煩わせ悩ませるものであり、除夜の鐘で108回突くように、その数は108と教えられます。その中でも大きなものを三毒の煩悩と言われ、

  • 貪欲(欲の心)
  • 瞋恚(怒りの心)
  • 愚痴(うらみ、ねたみ、そねみの心)

があります。罪を造るものであり、煩悩とは罪悪のことと言ってもいいでしょう。

因果の道理で、悪いこと(罪悪)をしていれば悪因悪果で、後生いい所へは行けない。だから、親鸞聖人は比叡山で悪いことをやらないように、思わないようにされたんですね。しかし、やらないように思わないようにしようとすればする程、それらの煩悩は吹き上がってきて、親鸞聖人は格闘されたわけです。

そうやって親鸞聖人が格闘された比叡山に登ってみました。まあ、麓から山頂付近まで「比叡山ドライブウェイ」という便利なものがありまして、もん太は、大津側の田の谷峠料金所から延暦寺東塔の駐車場までを往復しました。これで、通行料1620円徴収されます。

道中は、数箇所に展望のいい場所があり、そこでは車を駐車できて、琵琶湖を見下ろす展望を楽しむことができます。

比叡山から大津市街(Photo by 親鸞会)

比叡山から大津市街を眺める。琵琶湖の南端のチョロリとした部分だ

今、登ってきた大津市方面を見ることができます。琵琶湖の南端のチョロリとした部分ですね。それでも、大きく見えるので、琵琶湖の大きさが実感できます。

比叡山から堅田方面(Photo by 親鸞会)

比叡山から堅田方面を眺める。琵琶湖のくびれた辺りで琵琶湖大橋がかかる

そして、琵琶湖のくびれた部分ですね。堅田方面です。

琵琶湖大橋の向こうには広い琵琶湖が見えるのですが、親鸞聖人が煩悩と格闘されていた苦闘が『歎徳文』という古書に生々しく記されています。

定水を凝らすといえども、識浪しきりに動き、心月を観ずといえども、妄雲なお覆う。しかるに、一息つがざれば、千載に長うゆく。なんぞ、浮生の交衆をむさぼって、いたずらに仮名の修学に疲れん。すべからく勢利をなげうって、ただちに出離をねがうべし。

静寂な夜の山上で、修行に励まれる聖人が、ふと見おろす琵琶の湖水は、月光に映えて鏡のようだ。

「あの湖水のように、なぜ、心が静まらぬのか。思ってはならぬことが思えてくる。考えてはならぬことが浮かんでくる。恐ろしい心が吹き上がる。どうしてこんなに、欲や怒りが逆巻くのか。この心、なんとかせねば……」

平静な湖水にくらべて渦巻く煩悩に泣かれる聖人が、涙にくもる眼を天上にうつすと、月はこうこうと冴えている。

「あの月を見るように、なぜ、さとりの月が見れぬのか。みだらな雲がわき上がり、心の天をおおい隠す。こんな暗い心のままで、死んでいかねばならぬのか」

吸う息吐く息に、永遠の苦患に沈む自己を知られて、居ても立ってもおれぬ不安に襲われる。こんな一大事を持ちながら、どうして無駄な時を流せよう。はやく俗念を投げ捨てて、この大事を解決せねば。

一刻の猶予も、聖人にはありませんでした。この一大事、どこかに導きくださる大徳はないのか、高僧ましまさぬかと、思い出深き比叡をあとに、泣き泣き下山された聖人の、苦衷を書かれたものです。

これほど、後生の一大事の解決に真剣になられた親鸞聖人のことを思うと、もん太の求道姿勢は、まったく猛省すべきであります。欲の中には「色欲」といって男女の欲もありまして、それも断たねばならぬと比叡山はかつて「女人禁制」で女性は入ってはならない掟がありました。そんな掟があったことを知っているもん太は、ドライブウェイを走っていて思わず笑ってしまう看板を見つけてしまいました。

ロテル・ド・比叡の看板(Photo by 親鸞会)

ドライブウェイの途中にあったホテルの看板「結婚式を楽しもう」

「結婚式を楽しもう」

……比叡山内にあるホテルの看板ですが、色欲を断つどころか、エンジョイ色欲ですね。結婚式をただするのではなく、楽しんじゃうあたりが「女人禁制はどうなった?」とツッコミを入れたくなってしまう看板であります。

親鸞聖人はすべての人は煩悩具足の凡夫であり、その煩悩具足のままが至徳具足となる弥陀の本願を教えられました。すべての人が救われる仏教を示されるがために、親鸞聖人は当時としてはご法度であった、肉食妻帯を断行されたわけですね。そういうことを思うと、天台宗の総本山である比叡山も、それまでの煩悩を断つ教えから、煩悩があるままで救われる教えに変わってきたのでしょうか?

さて、比叡山に来たと言っても観光ではないので、親鸞聖人がご修行なされた大乗院に行ってみましょう。大乗院はマップにもあまり大きく出ていないのだが、無動寺谷という所にあるらしい。

親鸞会の法友から、大乗院は延暦寺のメインである根本中堂から相当歩かなければならないと聞いておりましたので覚悟していたのだが、比叡山ドライブウェイの東塔エリアの第3駐車場が一番近い。それでも、ここから往復1.4kmほどなので平地ならまだしも、かなりシビアだ。

駐車場から坂本ケーブルの駅を通り過ぎ、ひたすら下の写真のような道を下っていく。

大乗院への道(Photo by 親鸞会)

根本中堂から大乗院へ向かう山道。舗装されていても、かなりシビア

基本的に下り坂なのだが、行きの下り坂が長いということは、全く同じ道を戻るわけなので帰りは長〜い上り坂ということになる。行きはヨイヨイ帰りはコワイはまだいい方で、行きの下り坂もブレーキをかけながら歩かなければならないので本当に疲れる。出だしから、「僕には千日回峰行は無理だ」と実践をもって(?)知らされるのであった。

こんな山道を延々と歩きながら、まだ満開のスギの花が両側に立っているのを見ては「そういや、マスク着けてないや」と青ざめる。それにしても、歩いても歩いても「大乗院」の看板が出てこない。車社会で近所のスーパーにも車で行くという富山県民ですから「もう、歩くのイヤやねん!」とにわか関西人となって不平を言いつつ歩いていた時、窮すれば転ず、転ずれば通ずで(?)、いくつかの寺院が目の前に現れてきた。

大乗院の周辺(Photo by 親鸞会)

まだ到着しないのか……とヘトヘトになって、いくつかの寺院が見えてきた

それにしても、なんちゅうところに建っているのだろうか。家事になったら消防車も来れないじゃん。急患が出たら救急車も来れないよ。そうなったら、救急ヘリだね。あ、でもケータイが圏外だ。えへへ……。

ヘトヘトになりながら、目前の大乗院に到着〜。

大乗院(Photo by 親鸞会)

無動寺谷のいくつかの寺院の中の1つが大乗院だ

山道の脇にちょっと広い場所があり、そこに「親鸞聖人御修行旧跡」という石標が建っているので、ここが親鸞聖人のご旧跡ということが分かるが、周囲には全く人がいない。聞こえるのは風の音と鳥のさえずりだ。

大乗院と庭園(Photo by 親鸞会)

大乗院の前の庭は、整備されていたが、人気が全くない

以前にも大乗院の写真は見たことがあったが、どうもここの玄関の引き戸はいつも開いているらしい。中に入ってみよう。

大乗院の玄関(Photo by 親鸞会)

大乗院の玄関です。引き戸が開いていたけど、誰かいる気配がない

ごめんください、と言っても返事がない。やはり、無住なのだろうか。

参詣者用の下足棚があったので、そこに靴を置いて中に入ってみる。

大乗院の内部(Photo by 親鸞会)

大乗院の内部はどこかの集会所といった感じ。虫の死骸が沢山落ちていた

すると、どこかの集会所のような内装だ。天井からつり下げられた一般家庭用の蛍光灯が生活感が溢れている。この奥に仏壇がなければ、本当にどこかの公民館か集会所といった感じ。ちょっと驚いたのが、虫の死骸がいっぱい落ちていることだ。キョロキョロしながら歩いていたら、足の裏に何やら異物感が……。イヤな予感がしたが、下を見てみると、大きなクマバチの死骸だった。ただ、死後かなり経過しているのかカリカリで、ハラワタがグニュリと出てくることはなかった。それほど、掃除もされていないようで、放置されたのが大乗院という印象だった。

ただ、意外だったのが仏壇の仏花が新鮮なことですね。

大乗院の仏壇(Photo by 親鸞会)

大乗院の仏壇の本尊は親鸞聖人の「そば喰いの木像」と言われるものだった

これだけは毎日手入れをしているのか、枯れ木にはなっていなかった。

ちょっとビックリしたのが、ここの本尊が「そば喰いの木像」と呼ばれる親鸞聖人の坐像だということだ。かつて、親鸞会の先輩が大乗院を訪れた時に、ここの住職でちょうど千日回峰行を実践中だったKT氏に本尊のことで聞いたことがあったそうだ。

先輩「大乗院の本尊は、親鸞聖人ですか」

KT氏「いいえ。本当は薬師如来ですが、真宗の方のお参りが多いので、親鸞聖人を中心にしました」

という会話がなされたそうだ。親鸞聖人を敬慕してではなく、観光客へのサービスで本尊を変えるとは言葉も出ない。さて、その「そば喰いの木像」とは、どういうものか。ご丁寧に仏壇脇に説明書きがあった。

【そば喰い木像】

聖人が慈円の下で修行していた頃、薬師如来の霊告により京都の六角堂へ百夜の参詣をつづけたことがあった。これがいつとなく山僧の間にしれわたり、よからぬ噂がたちはじめた。ある夜範宴(聖人の修行時代の名)が京へ下ったあとで、俄に蕎麦の振舞いをするとお師匠様から達しがあって沢山の若僧が集まってきた。彼らは例によって範宴のいないことを悪しざまに罵しろうとしたとき、お師匠様は大声で範宴の名をよんだ。ところが居ない筈の範宴が師の呼び声に応じてあらわれ蕎麦の振舞をうけた。以来、誰いうとはなく、身代りの木像、或は、そば喰いの木像とあがめるようになった。

……ということらしい。

ちなみに、供物としてのし付きの酒が供えられてあった(もしかして、ミネラルウォーター?)。

今の大乗院は、こんな感じであったが、後生の一大事を何とか解決しようと命がけでご修行された聖人を想いつつ大乗院を後にした。

帰りに、無動寺谷で修行をしていると思しき白装束を着た若い修行僧が2人こちらを見ているのに気づいた。人が珍しいのか、微動だにせず見ている。おじぎをすると、丁寧に一礼してくれた。試しに「皆さんが修行される時に通られる修行道は、この道ですか?」と駐車場から歩いてきた道を指差すと「いいえ、こちらの道です」と脇から山奥へと上っていく獣道のような細い道を教えてくれた。

試しに、そこを進んでみた。

比叡山の修行道(Photo by 親鸞会)

大乗院近くの修行僧らしき人が「修行道」と教えてくれた道

もう、延々とこんな道が続いているのでした。舗装されていた先ほどの道は、あくまで参道ということか。こんな道を毎日何十キロも歩くとは、親鸞聖人のなされた千日回峰行よりも厳しいと言われる大曼の難行とは、どんなものだったのか。たかだか、駐車場から大乗院までの往復でヒィヒィ言っているもん太は問題にもならない。

やっとの思いで、第3駐車場へと戻る。そこから、ドライブウェイの田の谷峠料金所へ直接戻ることはできず、一旦トンネルをくぐって第1駐車場へ行かなければUターンはできないらしい。そこで、第1駐車場へ行ってみると売店や根本中堂への入場料受付が立ち並んでいた。広い駐車場には10台近くの大型観光バスが並んでいた。これ以外にバスはないといっていい。

比叡山東塔の駐車場(Photo by 親鸞会)

東塔の駐車場にズラリと並ぶ観光バスは750回大遠忌の参拝団だった

一体、どこの団体様で……?と見てみると、西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌に参拝したグループだった。駐車場の隅には、プレハブハウスで750回忌の事務所が用意されていた。本願寺は、こんなところまで入り込んで750回忌をやっているのか……と絶句した。それにしても、親鸞聖人のご旧跡を巡るとしてもご修行をなされた大乗院でこのグループを見ることがなかった。恐らく根本中堂へ行っていたのだろうが、そこで何をしていたのか大体察しがつくのが怖い。

はるばる、京都の本山までやってきて親鸞聖人750回大遠忌に参拝していながら、全く教えが聞けない上に目的もハッキリしていないから、雑行はやりたい放題である。改めて本当の750回忌を勤修できるのは親鸞会のみと知らされるのでした。

親鸞聖人は、ここでご修行されて、法華経の教えでは救われないと泣き泣き下山されたのでした。

琵琶湖から比叡山(Photo by 親鸞会)

琵琶湖から比叡山に沈む夕日を眺めた

その後で、吉水の法然上人に巡り会われるのですが、今の真宗の道俗に親鸞聖人がどのような思いでご修行なされ、下山されたのか知る人がいないことを嘆かずにおれません。

ではでは。

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もん太@射水市民です。

世の中には日なたもあれば日かげもあるわけで、最近の親鸞会の顕正新聞では「同朋の里 遊歩道わくわくMAP」なんていう、新参者の遊歩道にスポットを当てた企画で遊歩道は信心の沙汰の合間に散策をするベストエリアになっていたりするわけです。しかし、同朋の里は遊歩道だけではないわけで、古より存在するC館の周辺にも素敵な植物がいっぱいなわけですが、今回はその日の目を見ないC館周辺のステキな草花をフィーチャーしてみたいと思います。

……で親鸞会のC館にやってくるわけですが、C館周辺の自然といえば、玄関に向かって右側の竹やぶではないでしょうか。そりゃもう、ワサワサ~って生い茂っているわけですが、ここの竹の子は親鸞会の敷地にある竹やぶで採れる竹の子の中でも、柔らかくて絶品らしいですよ。

ただ、今回その激萌えなC館ブランドの竹の子を紹介したいと思ったのですが、ここは同時に親鸞会の中でも竹の子が採れる時期が最も遅い方らしいので、竹林を徘徊してみたのですが、1本も竹の子は見つかりませんでした。……で、その竹の子を探すつもりで、うっかり副産物的に見つけてしまった草花を紹介する所存でございます。

まあ、日の目を見ないC館脇の竹やぶでございますが、その竹やぶの周辺には、おしなべて日が当たるものでございます。その日の当たる場所に群生していたのが、

タンポポ(Photo by 親鸞会)

親鸞会のC館横の竹やぶ脇にタンポポがた~くさん咲いていました

タンポポですね。

漢字で書くと「蒲公英」なんて書いちゃったりしてね。「公英」なんて入っているから、ロイヤルウエディングとやらで盛り上がっているイギリスと関係ありそうで、全くといっていいほど関係がないネーミングなのですが、まあイギリスにも生えているであろうということで関係者ヅラしていただこうかと思います。

それにしても、鮮やかな緑に燃えるような黄色!いかにも春的なビジュアルなわけですが、こんなタンポポも頑張っているので、遊歩道もいいですが、彼らにも目をかけてやっていただければ幸甚です。

次は、

ハナミズキ(Photo by 親鸞会)

そして、親鸞会の法友が植樹されたハナミズキも満開でした♪

ハナミズキですね。

酷かった今年のスギ花粉症も終息しつつあるのですが、アレルギー性鼻炎で苦しめられた鼻水と関係ありそうで、全く関係ないネーミングでございますね。こちら、親鸞会のA館とC館の間にある銀杏並木の下に記念植樹されたアレでございます。これを植樹された親鸞会の法友におかれましては、数ある木々の中でハナミズキを選んでいただきまして、もん太としても感謝の言葉も見当たらないわけですが、彼らもシッカリと花をつけておりましたので、ご安心いただければ、もん太としても嬉しい限りでございます。

次は、

たらの芽(Photo by 親鸞会)

お隣の食事処サンキューさんの駐車場で見つけたたらの芽です

たらの芽ですね。

今日は、日本全国おしなべて日曜日だったかと思いますが、そんな日曜日に日本人が溺愛する家族は「サザエさん」一家より他にありません。天皇家も真っ青なほどの、国民の象徴的なジャパニーズファミリーでございます。

あの一家の3兄弟といえば「サザエ、カツオ、ワカメ」でフネさんの子供だったりするわけですが、この事実に反して「カツオ、ワカメ、タラオ」の3人が兄弟で、サザエさんの子供だと認識している人はもん太だけではないように思われます。まあ、そんな3兄弟の1人と認識されてしまいがちなタラオこと「タラちゃん」ですが、そのタラちゃんを連想してしまいそうで散策中は全く連想しないのが、この「たらの芽」ですね。

親鸞会の同朋の里の隣にある食事処サンキューさんは、親鸞会に参詣された方々が立ち寄られるショッピングモールかと思いますが、そこの駐車場の脇に生えていました。このたらの芽は天ぷらにしておいしいということで、遊歩道のところで紹介しましたが、ここにも生えていますので、ぜひチェックしていただきたいと思います。

そして、竹やぶに入っていきますと、ショウジョウバカマと一緒に紫色の花を咲かせているコレを見つけました!

カタクリ・カタカゴ(Photo by 親鸞会)

親鸞会のC館と食事処サンキューさんの間の竹林にカタクリの花を発見!

カタクリですね。

以前にも当ブログで紹介した花ですが、親鸞会の法輪閣と同朋の里の間に広がる浄土寺集落の里山に群生している花でございます。春になると浄土寺の知人に呼ばれて、その人のお宅の裏山のカタクリを撮影しにいくものですが、実は親鸞会の中でも見つけられたんですね。

カタクリは「カタカゴ」とも言いまして、お隣の高岡市の花にも指定されているようです。高岡市の芳野には親鸞会の高岡会館がありますので、他人事ではありません。是非とも知っておいていただければと思いますが、高岡市は奈良時代に大伴家持が越中国守として赴任しており、多くの和歌を詠んだ土地だったりするわけですね。その中に、

「もののふの 八十娘子らが 汲みまがふ 寺井の上の かたかごの花」

なんて、詠んじゃったりしてね。この「かたかごの花」っていうのが「カタクリの花」ではないかと言われて、高岡市では「カタクリ」ではなく、かたくなに「カタカゴ」と呼んでいるらしいですよ。

まあ、かつてはこの植物から「片栗粉(カタクリ粉)」を取っていたそうですが、今ではジャガイモから抽出したものを使うことが多いようですね。乱獲で、近年は減っているらしいので貴重な植物ということで、よろしくお願いいたします。

そんなカタクリをガン見していますと……、

ヤブツバキ(Photo by 親鸞会)

同じ竹林の中に、かなりヤブツバキ(?)が咲き誇っていました

ヤブツバキ発見ですね。

これまた遊歩道の中にもあるんですが、ここの竹やぶの方が、個体数は多そうです。更に、開花時期が遊歩道より遅い感じですので、今が見ごろかと思います。この濃い緑と鮮やかな赤と黄色が、和テイストですね。

そして、特に解説できないけど、ついでに見つけた彼らも紹介しておきましょう。

イカリソウ(Photo by 親鸞会)

如何にも腹を立てやすそうな名前のイカリソウです

イカリソウ(碇草)です。

この辺は、親鸞会の森林インストラクターであるウェストテールさんのアドバイスを受けていませんので、ウロウロでございます(後ほど、確認しましてビンゴでございました!)。

如何にも「怒りそう」なネーミングですが、船の碇の方からネーミングされたものらしいので、心配はいらないようですよ。花の形が船の碇に似ているから、こうなったっぽいです。

ナガバモミジイチゴ(Photo by 親鸞会)

ナガバモミジイチゴというモミジかイチゴか迷いそうな花も咲いていました

こちらは、ナガバモミジイチゴです。

名前に負けないほどイチゴらしいですが、キイチゴの一種ですかね?トゲもありますし、この後にはイチゴができるものかと思います。先のイカリソウと並べて白い可憐な花が何ともいじらしいですね。

そんなこんなで、親鸞会のC館周辺にも自然が豊かなんですが、なにぶん、ここの竹林は急傾斜な上に、地面が滑りやすいので見物される方は、くれぐれもお気をつけくださいね!

ではでは。

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もん太@射水市民です。

親鸞会の同朋の里は日々、変化を遂げておりまして、うかうかしているとアッという間に浦島太郎状態になってしまうのですが、ほぼ毎日のように同朋の里に入り浸っているような生活を送っているもん太であっても、ボーッとしていると数々の変化を見落としてしまいがちなのでございます。

そのいい例が、ここのところ紹介している遊歩道の草木なんですが、あれなんか、落ちている小銭を探すような気持ちで歩き回らないと見落としてしまうものかと思います。ただ、あれほど小さくなくても、あまりにも風景に溶け込みすぎて気づかない……というものもあるわけですが、先日、同朋の里を入って一気に周回道路を通り過ぎてF館まで行ってしまおうと思ったところ、A館を過ぎたあたりで何か違うことに気づいた。

同朋の里(Photo by 親鸞会)

親鸞会の同朋の里へ入るとF館から出てくる道の脇に見慣れない看板が……

上の写真が、A館を過ぎてF館からの周回道路とぶつかる部分なんですが、左に何やら見慣れないものがあるよね?ちょっとアップしてみると、

新しい案内板(Photo by 親鸞会)

親鸞会の同朋の里内を巡る周回道路が一方通行である案内板

何と同朋の里の地図!しかも、チョー大雑把なものでございますね。これを見て遊歩道の散策は難しそうなのですが、大雑把な建物の配置と「P」と書かれたスペースが何箇所かございます。それと、黄色の矢印ですね。

どうも、これは同朋の里へ入ってきた車に対するメッセージのようでございまして、車の中からでもパッと分かるように作られています。果たして、この看板が皆さんに伝えたい熱いメッセージとは何かっ!?

左折禁止 直進→

……とのことですね。

なるほど、親鸞学徒は左折なんかしている場合じゃないぞ、光に向かっての一本道を直進あるのみ!という非常に大切なことを伝えんが為の看板かと思ってしまうものですが、どうやら、これは同朋の里の周回道路は反時計回りに一方通行だぞというメッセージのようでございます。もん太もよくmixiなんかで「myリスト以上、マイミク未満」という、付かず離れずで一方通行の人間関係を築き上げているものですが、皆さんも一方通行の想いをしていらっしゃるかと思いますので、世のニーズに適った案内板のように思います。

そんなわけで、同朋の里の中を車で走行する際には、一方通行を遵守していただけたら幸甚です。皆さんには大変お疲れのところ申し訳ありませんが、何卒よろしくお願いいたします。

それで、親鸞会のF館横には小高い山がありまして、

里山(Photo by 親鸞会)

親鸞会のF館横の小高い山は、芽吹きで銀色に輝いている

5階くらいまで上り詰めてみますと、このような光景が広がっているものかと思います。

冬の山のように落葉して枝しかない木々の林のようでもなく、真夏の山のように葉が生い茂っている木々の林のようでもありません。淡い緑というよりも、銀色に輝く里山といいましょうか、春の新しい生命の息吹を感じる光景でございます。早朝に朝日がさしたところを見れば、幻想的かもしれませんが、そんな時間はよい子はまだ寝ているかと思いますので、今回も捉えることができませんでした。

ちなみに、これらの木々の下を見ますと……、

どんぐりの芽(Photo by 親鸞会)

地面に落ちたどんぐりが次々と発芽していました

昨年の秋に落ちまくったどんぐりが発芽して、小さなコナラの林が完成しているようでございます。落ちているどんぐりがキッチリと芽を出していたんですね。これから、人間社会のように厳しい競争をして、勝ち残っていくのでしょう。ちなみに、これらの葉をマクロで見てみますと、

輝く芽(Photo by 親鸞会)

どんぐりの芽は、細かい毛で覆われて白く輝いている

こんなに細かい産毛のようなもので覆われています。先ほどの、銀色に輝く林の正体も、こんな感じの芽が作り出していたんですね。なんせ初々しくていいものですね。F館の横で足元に注目してみますと、こんなかわいらしい森の赤ちゃんが見られるのでございます。

そんな感じで、里山に思いを馳せていらっしゃる方は、なにぶん山を溺愛していらっしゃるかと思いますので、昼夜問わず山を歩き回りたいものかと思います。もん太も、カメラ片手に春の山をパパラッチするために、徘徊する事もあるのですが、気が付くと暗くなってしまうものです。そんな一昨日の夜、親鸞会のF館へ行ってみますと、

F館前の山(Photo by 親鸞会)

親鸞会のF館前の山を見ると、所々が青白い光を放っていた

前の山の数箇所が青白く光っているのでした。これはもしや……と行ってみますと、以前から工事していた遊歩道の外灯が点灯していたのでございます。

まずは、ゾウさんトイレから山の遊歩道に登っていく道中にある外灯をチェック!

ゾウさんトイレの近くの外灯(Photo by 親鸞会)

ゾウさんトイレから竹林ゾーンへと向かう道が外灯で照らされていた

そして、恋人が愛をささやいたりささやかなかったりする、竹林ゾーンのベンチも、

竹林ゾーンの夜景(Photo by 親鸞会)

竹林ゾーンのベンチ付近にも外灯が設置されていました

ご覧のとおりに明るくなっているのでした。これで、夜通し愛を語り合ったりできるものかと思いますが、親鸞学徒なら信心の沙汰をするのがベストチョイスでございますね。ただ、何も夜通しアウトドアで過ごすのもアレですので、そんな方はぜひF館内でお願いしたいと思います。大変お忙しいところ申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

そして、竹林ゾーンを過ぎると山頂へと登る階段があるのですが、その手前にも、

竹林ゾーンから頂上への夜景(Photo by 親鸞会)

竹林ゾーンから頂上へ登る階段の上と下にも外灯が設置されていました

外灯がありますね。階段の上と下に外灯があるので、写真では暗く見えますが、階段は非常に明るくなっていました。そんなわけで、皆さんには、昼夜問わず階段を昇ったり降りたりしていただければと思います。ちなみに、この外灯を別アングルで見ますと……、

竹林ゾーンのT字路(Photo by 親鸞会)

竹林ゾーンのT字路の外灯。階段も明るく歩きやすかった

こんな感じですね。階段のシルエットもなかなかロマンチックじゃないですか?小さい頃、こんな山道を登ってはカブトムシやらクワガタなどを捕獲していたような気がいたします。この森にはそういった昆虫も多く生息しているので、夏は出会いを求めてクワガタを探しに来ていただければと思います。

そして、山頂は……、

頂上の外灯(Photo by 親鸞会)

頂上にも外灯が設置され、親鸞会のF館へと下りて行く道も見やすくなった

ご覧のとおり、明々と照らされておりますよ。これで、F館へと下りて行く道もバッチリで下山で遭難する危険性も激減するものかと思います。

F館から頂上への外灯(Photo by 親鸞会)

親鸞会のF館側から頂上へ登るY字路も外灯で照らされ分かりやすい

そんなこんなで、親鸞会の遊歩道は夜も歩きやすくなりましたので、親鸞会でのご法話や二千畳座談会に参詣される前日などは、夜の遊歩道もいいものですね。夏なんかは夕涼みもできるかもしれませんが、下駄などで歩くと足元がアレですので、十分気をつけていただければ幸甚です。

ではでは。

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もん太@射水市民です。

今日は、親鸞会にてテレビ座談会が勤められ、高森顕徹先生より『なぜ生きる』についてお聞きしました。

そのお答えの中で、親鸞聖人がご出家なされた動機についてお話しくださいましたが、聖人が出家得度されたご旧跡といえば青蓮院ですね。実は先日、京都に行ったときに西本願寺や東本願寺も見てきましたが、青蓮院門跡にも行って参りましたので、聖人が出家得度をなされた所とは、どんな所なのか紹介したいと思います。

……で、その青蓮院門跡なんですが、京都市営地下鉄東西線の東山駅のすぐそばでして、この東山区付近は、親鸞聖人のご旧跡が密集している所でもあります。三条通りから円山公園への坂道をチョチョイと登っていけば、その道中にアッサリと見つかったりするのですが、あまりにも有名なビジュアルなだけにスルーはできないでしょう。

青蓮院門跡の大楠(Photo by 親鸞会)

親鸞聖人が出家得度された青蓮院門跡にやってきました

そう、青蓮院門跡といえば、この大楠でしょうか?京都市の登録天然記念物に指定されているそうですが、まあ、なんせ「よく支えているな~」っていうくらいに、水平に枝が広がっています。この青蓮院門跡には、この巨大な楠が5本ありますが、これらで境内が覆い尽くされているのではなかろうかっていうくらいに大きいですね。

この青蓮院門跡で受け取った『青蓮院門跡の由緒』というプリントによれば、

青蓮院は天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都にある五つの門跡寺院を五ケ室と呼んでいるその一つである。日本天台宗の祖最澄(伝教大師)が比叡山を開くにあたっては、山上に僧侶の住坊を幾つも造ったが、その一つの青蓮坊が青蓮院の起源である

……とあるように、この青蓮院は天台宗の寺ですね。

親鸞聖人は、ご幼名を松若丸といわれ、4歳で父君の藤原有範卿、8歳で母君の吉光御前と死別なされ、9歳でご出家なされ天台宗の僧侶となられました。その出家得度をされた所が青蓮院なので、ここの入り口には、

青蓮院門跡の石標(Photo by 親鸞会)

天台宗の寺だが「親鸞聖人得度聖地」の石標

ご覧のとおり「親鸞聖人得度聖地」との大きな石標が立っているのです。うっかりすると、浄土真宗の寺のように思ってしまうので要注意です。

もん太が、この青蓮院門跡に訪れた時は、平日ながら大変多くの大型観光バスが限られた駐車スペースに並んでおり、そこから観光客がゾロゾロと降りてきました。

青蓮院門跡の長屋門(Photo by 親鸞会)

観光バスからゾロゾロと…。見れば本願寺750回大遠忌の参拝者ばかり

どこかで見かけた名札に、どこかで見かけた旗がはためいています。よ~っく見てみると西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌にやってきた山口県の門徒とのことでした。ここにバスを停めて、しばらくの間、この近くを散策するというものらしく、青蓮院はじめ、円山公園やら知恩院などを時間内に自由に見て回るというものでした。聞法ツアーならいいのですが、どうも京都観光ツアーという感じです。京都観光のコースの中に青蓮院や円山公園、比叡山と並んで西本願寺参拝といった具合です。実際に大遠忌に行っても、以前の記事でも書きましたように「記念布教」と題された説教は10分ほどで終わって、あとは訳の分からない宗祖讃仰作法というものを延々と続けるばかり。

教えの抜けた西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌なので、京都観光ツアーに組み込むより他に参拝者を確保できないのも分かる気がします。

釈迦の一切経の結論は「一向専念無量寿仏」です。「無量寿仏」は「阿弥陀仏」の別名ですが、阿弥陀仏だけを専ら信じなさいということです。他の諸仏や菩薩、諸神に一切礼拝してはなりませんよと教えられたので、浄土真宗は「一向宗」と言われるくらいに徹底して弥陀一仏に向かいなさいと教えられます。そのことは、蓮如上人の御文章1帖目第15通『宗名・当流世間』に、このようにご教導くださっています。

問うていわく、「当流をみな世間に流布して、一向宗と名け候は、いかようなる子細にて候やらん。不審に覚え候」。

○答えていわく、「強ちに我が流を一向宗となのることは、別して祖師も定められず。おおよそ阿弥陀仏を一向にたのむによりて、皆人の申しなす故なり。

しかりと雖も、経文に『一向専念無量寿仏』と説きたまう故に、一向に無量寿仏を念ぜよといえる意なるときは、一向宗と申したるも子細なし。さりながら、開山はこの宗をば浄土真宗とこそ定めたまえり。されば一向宗という名言は、更に本宗より申なぬなりと知るべし。

されば、自余の浄土宗はもろもろの雑行を許す。わが聖人は雑行をえらびたまう。この故に真実報土の往生を遂ぐるなり。この謂あるが故に、別して真の字を入れたまうなり」。

○またのたまわく、「当宗をすでに浄土真宗と名けられ候ことは分明に聞えぬ。

しかるにこの宗体にて、在家の罪ふかき悪逆の機なりというとも、弥陀の願力にすがりて容易く極楽に往生すべきよう、詳しく承りはんべらんと思うなり」。

○答えていわく、「当流の趣は、信心決定しぬれば必ず真実報土の往生を遂ぐべきなり。さればその信心というは、いかようなる事ぞといえば、何の煩もなく弥陀如来を一心にたのみたてまつりて、その余の仏・菩薩等にも心を懸けずして、一向に二心なく弥陀を信ずるばかりなり。これをもって信心決定とは申すものなり。(後略)」

あまりに浄土真宗が一向専念無量寿仏を徹底しているので、当時の人は「一向宗」と呼んだくらいです。日本史を選択していなかったもん太でも「一向一揆」という言葉は聞いた事がありますが、本当の浄土真宗は、阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神には向いてはならないということが、よく分かると思います。そして、それは、その後にも書かれていますように、弥陀一仏に向かなければ、私たちの人生の目的である「信心決定」できないからなんですね。

この信心決定ということが如何に大事なことであるかは、蓮如上人のご遺言からもお分かりかと思います。蓮如上人が最後に書かれた御文章である4帖目第15通には、

あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと、朝夕思いはんべり。まことに宿善まかせとはいいながら、述懐のこころ暫くも止むことなし。

又はこの在所に三年の居住を経る、その甲斐とも思うべし。相構えて相かまえて、この一七箇日報恩講のうちに於て、信心決定ありて、我人一同に往生極楽の本意を遂げたまうべきものなり。 あなかしこ あなかしこ。

と仰っています。

遺言には、どうでもいいことは書きません。その人が、もっとも大切に思っていることを書き遺すものですが、蓮如上人は全ての人に生きる目的である信心決定をしてもらいたいと願っておられることがお分かりかと思います。だから、浄土真宗の最大行事である報恩講に参詣されたならば、信心決定してくれよと仰っているわけですね。これは、報恩講に限らず750回忌にも、「この親鸞聖人750回忌のうちに於て、信心決定ありて、我人一同に往生極楽の本意を遂げたまうべきものなり」と言えるのではないでしょうか。

そういうことを思いますと、この西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌は、その願いにかなったものになっているだろうかと疑問に思わずにおれません。

さて、青蓮院門跡の長屋門の隣には「植髪堂」という建物があります。

青蓮院門跡の植髪堂(Photo by 親鸞会)

青蓮院門跡の駐車場奥には「植髪堂」という建物があった

この植髪堂の説明には、このように書かれてありました。

境内北側一段低い所にある植髪堂(うえがみどう)は、親鸞得度の時に剃り落とした髪を、親鸞童形の像に植えたものを祀って居る。猶その髪の一部は植髪堂横の遺髪塔に納められている。現在この植髪堂の地階には立派な納骨御仏壇を設置し広く御希望の方の納骨をお受けして居るので、ご興味のある方はお問合せ下さい。

ここの僧の話によれば、植髪堂は、かなり前からあるものではないらしく、親鸞聖人が有名になられてからできたもので、ある時、蔵の中を整理していたところ、親鸞聖人のお名前をしるした髪が発見されたために建立されたものらしいですね。そういうこともあって、ここの主役は親鸞聖人のようです。確かに、堂の内部には、

青蓮院門跡の植髪堂内部(Photo by 親鸞会)

植髪堂の中には、親鸞聖人のご一生が額入りの絵で展示されている

ご覧のとおり、親鸞聖人のご一代の絵が展示されているのでした。

ここに展示されている聖人のご一生は一体何の為のご苦労であったのか、知るご縁ともなればありがたいのですが、この植髪堂の説明を見る限り、そういう縁にもならないようです。

あまり、ここに長居するのもアレですから、青蓮院の中に入っていきたいと思います。

青蓮院門跡で、一番大きく目立つのが「宸殿」という建物です。ここの庭園からの様子は有名ですね。

青蓮院門跡の宸殿(Photo by 親鸞会)

宸殿の前に広がる庭園に「右近の橘」と「左近の桜」がある

宸殿については、説明のプリントに、このように解説されていました。

門跡寺院特有のもの。主要な法要を行う。有縁の天皇及び歴代門主の御尊牌を祀る。浄土真宗宗祖の親鸞聖人が当時の門主慈圓により得度をした縁で「お得度の間」ともいう。徳川家康の孫である東福門院(後水尾天皇女御)の御所を移築。明治に消失後復元。重要文化財 濱松図 その他狩野派障壁画(消失前のもの)あり。

この宸殿の中央の部屋が、親鸞聖人が出家得度をされた部屋といわれています。ただ、その部屋の中には「撮影禁止」と書かれていたので、様子を紹介できないのは残念ですが、歴代の天皇のものと思われる位牌がズラリと並ぶ部屋でして、親鸞学徒の私たちからすれば目を背けたくなるような部屋でした。その部屋の両側にある部屋のうち、片方には聖人が出家得度をされた時の師匠であった慈圓(慈鎮和尚)の像などが祀られていたりしたのですが、先ほどの山口からの750回大遠忌参拝グループの皆さんがゾロゾロ入ってこられるやいなや、その像に深々と合掌礼拝し、得度の間の前に置かれていた賽銭箱に賽銭を投げているのには驚きました。

先述のとおり、浄土真宗は阿弥陀仏以外の仏に対してさえも礼拝はしてはならないと厳しく教えられています。親鸞聖人が捨てよと仰った雑行で「五雑行」と言われるものがあります。阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神に仕える行為なのですが、平気で礼拝雑行をしていて、その後ろにいる真宗僧侶も何も言わないのは、まさに教えがない証拠と言っていいでしょう。信心決定という目的を失ったならば、雑行を捨てる意味も分かりませんからね。雑行を平気でやって帰る750回大遠忌ツアーがここにあったわけです。

こんなことを言っていると意が痛くなりますので、宸殿からの風景を楽しみましょう。入り口で入場料500円を徴収されて建物や庭に入ることができます。

宸殿の内部(Photo by 親鸞会)

宸殿の中から庭園を眺めてみた。左近の桜が美しい

宸殿の前には「右近の橘」「左近の桜」というものが植えられているのですが、上の写真では、左近の桜が見事に咲いているのがお分かりでしょうか?富山から京都に行く前に、青蓮院門跡に電話をかけて「京都の桜を撮りたいんですけど、青蓮院さんの桜の開花状況はどうでしょう?」と尋ねると、女性の係の方が「はて、どうでしょう?宸殿の前に1本、庭に1本あるけど、見てないわね」と言われるくらいに桜は目玉ではないらしいですね。京都の桜の名所なら、隣の円山公園だったりするわけですが、桜目当てに青蓮院に来る人はいないようです。

それにしても、宸殿からの桜は見事で、ここで写真を撮っている山口県の門徒グループがありました。

また、宸殿の隣にある「小御所」からは「相阿弥の庭」といわれる庭園が見えるのですが、やはり庭園に力を入れているだけあって、見事ですね。

龍心池と相阿弥の庭(Photo by 親鸞会)

小御所から龍心池と相阿弥の庭を眺める。山腹に桜が見える

庭を歩くと、小高い山に登ることができるのですが、

青蓮院門跡と京都市街(Photo by 親鸞会)

庭の小高い山から青蓮院門跡と京都市街を眺める

青蓮院門跡の向こうに京都市外を望むことができました。

さて、一通り庭も見た後に帰ろうとすると、有料コースの出口付近であり、宸殿の隣に親鸞聖人の像がありました。

親鸞聖人像(Photo by 親鸞会)

宸殿の横に親鸞聖人の出家得度の像が雨ざらしになっていた

ズバリ、親鸞聖人の出家得度のご様子を像にしたものですが、雨ざらしになっているのが申し訳ない。この像についてもプリントに説明が出ていました。

車寄の前に親鸞童形像が立っているのは大阪の信徒某氏の願によって昭和の始め頃造立されたものである。親鸞得度の時、馬をつないだと伝えられる古松がこのあたりにあったので、像はその前に建てられたのである。

……とのことです。

そして、その脇には、親鸞聖人がご出家をされる時に詠まれたお歌が、石碑となっていました。

親鸞聖人のお歌(Photo by 親鸞会)

親鸞聖人が出家得度の時に詠まれたお歌が像の横にあった

明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは

今回の親鸞会でのテレビ座談会でも、このお歌の意味もお聞かせいただきました。

このお歌は、4歳に父君を、8歳で母君を亡くされ、養和元年、激しい無常を感じられた9歳の聖人は、叔父であった藤原範綱卿と共に、青蓮院の門をくぐられました。当時の門主は慈鎮和尚で、天台宗比叡山の座主を務める高僧でした。親鸞聖人は、

「次は、私が死んで行かなければならないと思うと不安なのです。何としても、ここ一つ、明らかになりたいのです」

と出家を願われました。慈鎮和尚は、

「わずか九歳で出家を志すとは尊いことだ。そなたならきっと立派な僧侶となられるだろう。だが仏門の修行は厳しいぞ」

と驚き感心しながらも、

「今日は、忙しいので、明日、得度の式をあげよう」

と答え、付き添いの範綱卿に異存はなく「では、明日ということで……」と、立とうとすると聖人は紙と筆を持たれて書かれたのが、先のお歌です。

受け取った慈鎮和尚は「おお……」と驚き、背を寒くしたように、その歌に打たれました。更に聖人は、

「今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で、散ってしまいます。人の命は、桜の花よりもはかなきものと聞いております。明日と言わず、どうか今日、得度していただけないでしょうか」

と頼まれます。慈鎮和尚は、

「そこまでそなたは無常を感じておられるのか……。分かった。じゃあ早速得度の式をあげよう。すぐに用意を頼むぞ」

とその晩のうちに、出家得度の式を終えたのでした。

この様子は、分かりやすいアニメにもなっているようですので、そちらをご覧ください。

私たちは、何かを信じなければ生きていけません。「信心」と聞くと、仏や神など特定の宗教を信ずることだけのように感じている人が多いかと思いますが、何かを信じていれば、それはその人の信心です。子は親を信じていますし、親は子を信じています。また、金を信じている金信心もあります。

そして、私たちが生きている目的は「幸福」になることです。不幸になりたくて生きている人は1人もありません。自殺する人でさえ、生きているよりは死んだほうが幸福と思うからこそ自殺をするわけで、死んだほうが苦しいと思えば自殺はしません。

私たちが苦しむのは信じていたものに裏切られたときです。病気で苦しんでいる人は「健康」という信心が裏切られた人であり、失恋で苦しんでいる人は「恋人」という信心に裏切られた人です。ですから、私たちが何かを信じる時は、果たしてそれは信じて大丈夫かということを確かめ吟味しなければ、後から苦しむことになるのですね。他人にお金を貸すことでも、その人が返済できる人でなければ誰も貸しません。後から、自分が苦しむことになるからです。それを見極められなかった人は、夜逃げされて裏切られ、返済されずに苦しむということは、よくお分かりかと思います。

さて、親鸞聖人がこのお歌で仰っているのは、どういうことでしょうか?

明日ある」というという信心を全ての人が持っています。その大前提があってこそ、生きていられるわけで、今回の大震災でも「前に向かって進もう!」と言っているのも、明日に向かって頑張って進もうと言っているようなものです。果たして、この「明日ある」という信心は、裏切らない信心でしょうか。「私に明日がある」は、100%裏切られる信心です。

「いや、いつか自分は死ななければならないことは分かっているよ」と言っていますが、「明日生きていられる」という信心は、明日になればまた「明日生きていられる」となり、結局は永遠に生きていられるという信心です。後ろから当てられた光で自分の前に出た自分の影を踏もうと走っているようなものです。どれだけ高速で走ったところで、いつまで経っても影は踏めないようなものです。しかし、「明日ある」は全人類が持っている信心ですが、そんな全人類の信心を「あだ桜だぞ!」「大間違いなのだよ!」と9歳の親鸞聖人はブチ壊されているのです。

証明できないことは信じられないという人がありますが、そんな人でも証明できない「明日ある」ということを信じて、計画を立てて生きているわけです。全人類が持っている大きな迷信と言えるでしょう。

「明日生きていける」と思わなければ生きていけないじゃないか、と反論する人もありますが、生きていける、生きていけないということと真実には何の関係もないのです。私たちの都合には全くおかまいなしなのが無常という真実です。東日本大震災を襲った、地震や津波が私たちの都合をどれだけ配慮してくれたでしょうか?全くお構いなしで直前まで「明日ある」と信じていた人たちを裏切って後生へと送り込んでいったわけです。これは、被災されて亡くなられた方々のことだけではありません。

果たして、今晩無常の風が来たならば後生ですが、明日から後生となれば、その先はどうなっているのでしょうか?死んだらどうなるか分からない「後生暗い心」の解決を急げと、親鸞聖人は教えていかれたわけです。

その無常は老少不定といいまして、歳をとった人から順番にやってくるものではありません。

生後8ヶ月の息子にも同じことが言えるのですが……、

花より団子(Photo by 親鸞会)

生後8カ月の息子は、花より生八ツ橋なのでまだまだです

花より生八ツ橋で京都みやげに持って帰ったイチゴ味の「粋都(すいーつ)」に夢中のようですね。9歳でこのようなお歌を詠まれた聖人の凄さを改めて知らされますね。

ではでは。

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