もん太@射水市民です。
今日は、親鸞会にてテレビ座談会が勤められ、高森顕徹先生より『なぜ生きる』についてお聞きしました。
そのお答えの中で、親鸞聖人がご出家なされた動機についてお話しくださいましたが、聖人が出家得度されたご旧跡といえば青蓮院ですね。実は先日、京都に行ったときに西本願寺や東本願寺も見てきましたが、青蓮院門跡にも行って参りましたので、聖人が出家得度をなされた所とは、どんな所なのか紹介したいと思います。
……で、その青蓮院門跡なんですが、京都市営地下鉄東西線の東山駅のすぐそばでして、この東山区付近は、親鸞聖人のご旧跡が密集している所でもあります。三条通りから円山公園への坂道をチョチョイと登っていけば、その道中にアッサリと見つかったりするのですが、あまりにも有名なビジュアルなだけにスルーはできないでしょう。

親鸞聖人が出家得度された青蓮院門跡にやってきました
そう、青蓮院門跡といえば、この大楠でしょうか?京都市の登録天然記念物に指定されているそうですが、まあ、なんせ「よく支えているな~」っていうくらいに、水平に枝が広がっています。この青蓮院門跡には、この巨大な楠が5本ありますが、これらで境内が覆い尽くされているのではなかろうかっていうくらいに大きいですね。
この青蓮院門跡で受け取った『青蓮院門跡の由緒』というプリントによれば、
青蓮院は天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都にある五つの門跡寺院を五ケ室と呼んでいるその一つである。日本天台宗の祖最澄(伝教大師)が比叡山を開くにあたっては、山上に僧侶の住坊を幾つも造ったが、その一つの青蓮坊が青蓮院の起源である
……とあるように、この青蓮院は天台宗の寺ですね。
親鸞聖人は、ご幼名を松若丸といわれ、4歳で父君の藤原有範卿、8歳で母君の吉光御前と死別なされ、9歳でご出家なされ天台宗の僧侶となられました。その出家得度をされた所が青蓮院なので、ここの入り口には、

天台宗の寺だが「親鸞聖人得度聖地」の石標
ご覧のとおり「親鸞聖人得度聖地」との大きな石標が立っているのです。うっかりすると、浄土真宗の寺のように思ってしまうので要注意です。
もん太が、この青蓮院門跡に訪れた時は、平日ながら大変多くの大型観光バスが限られた駐車スペースに並んでおり、そこから観光客がゾロゾロと降りてきました。

観光バスからゾロゾロと…。見れば本願寺750回大遠忌の参拝者ばかり
どこかで見かけた名札に、どこかで見かけた旗がはためいています。よ~っく見てみると西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌にやってきた山口県の門徒とのことでした。ここにバスを停めて、しばらくの間、この近くを散策するというものらしく、青蓮院はじめ、円山公園やら知恩院などを時間内に自由に見て回るというものでした。聞法ツアーならいいのですが、どうも京都観光ツアーという感じです。京都観光のコースの中に青蓮院や円山公園、比叡山と並んで西本願寺参拝といった具合です。実際に大遠忌に行っても、以前の記事でも書きましたように「記念布教」と題された説教は10分ほどで終わって、あとは訳の分からない宗祖讃仰作法というものを延々と続けるばかり。
教えの抜けた西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌なので、京都観光ツアーに組み込むより他に参拝者を確保できないのも分かる気がします。
釈迦の一切経の結論は「一向専念無量寿仏」です。「無量寿仏」は「阿弥陀仏」の別名ですが、阿弥陀仏だけを専ら信じなさいということです。他の諸仏や菩薩、諸神に一切礼拝してはなりませんよと教えられたので、浄土真宗は「一向宗」と言われるくらいに徹底して弥陀一仏に向かいなさいと教えられます。そのことは、蓮如上人の御文章1帖目第15通『宗名・当流世間』に、このようにご教導くださっています。
問うていわく、「当流をみな世間に流布して、一向宗と名け候は、いかようなる子細にて候やらん。不審に覚え候」。
○答えていわく、「強ちに我が流を一向宗となのることは、別して祖師も定められず。おおよそ阿弥陀仏を一向にたのむによりて、皆人の申しなす故なり。
しかりと雖も、経文に『一向専念無量寿仏』と説きたまう故に、一向に無量寿仏を念ぜよといえる意なるときは、一向宗と申したるも子細なし。さりながら、開山はこの宗をば浄土真宗とこそ定めたまえり。されば一向宗という名言は、更に本宗より申なぬなりと知るべし。
されば、自余の浄土宗はもろもろの雑行を許す。わが聖人は雑行をえらびたまう。この故に真実報土の往生を遂ぐるなり。この謂あるが故に、別して真の字を入れたまうなり」。
○またのたまわく、「当宗をすでに浄土真宗と名けられ候ことは分明に聞えぬ。
しかるにこの宗体にて、在家の罪ふかき悪逆の機なりというとも、弥陀の願力にすがりて容易く極楽に往生すべきよう、詳しく承りはんべらんと思うなり」。
○答えていわく、「当流の趣は、信心決定しぬれば必ず真実報土の往生を遂ぐべきなり。さればその信心というは、いかようなる事ぞといえば、何の煩もなく弥陀如来を一心にたのみたてまつりて、その余の仏・菩薩等にも心を懸けずして、一向に二心なく弥陀を信ずるばかりなり。これをもって信心決定とは申すものなり。(後略)」
あまりに浄土真宗が一向専念無量寿仏を徹底しているので、当時の人は「一向宗」と呼んだくらいです。日本史を選択していなかったもん太でも「一向一揆」という言葉は聞いた事がありますが、本当の浄土真宗は、阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神には向いてはならないということが、よく分かると思います。そして、それは、その後にも書かれていますように、弥陀一仏に向かなければ、私たちの人生の目的である「信心決定」できないからなんですね。
この信心決定ということが如何に大事なことであるかは、蓮如上人のご遺言からもお分かりかと思います。蓮如上人が最後に書かれた御文章である4帖目第15通には、
あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと、朝夕思いはんべり。まことに宿善まかせとはいいながら、述懐のこころ暫くも止むことなし。
又はこの在所に三年の居住を経る、その甲斐とも思うべし。相構えて相かまえて、この一七箇日報恩講のうちに於て、信心決定ありて、我人一同に往生極楽の本意を遂げたまうべきものなり。 あなかしこ あなかしこ。
と仰っています。
遺言には、どうでもいいことは書きません。その人が、もっとも大切に思っていることを書き遺すものですが、蓮如上人は全ての人に生きる目的である信心決定をしてもらいたいと願っておられることがお分かりかと思います。だから、浄土真宗の最大行事である報恩講に参詣されたならば、信心決定してくれよと仰っているわけですね。これは、報恩講に限らず750回忌にも、「この親鸞聖人750回忌のうちに於て、信心決定ありて、我人一同に往生極楽の本意を遂げたまうべきものなり」と言えるのではないでしょうか。
そういうことを思いますと、この西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌は、その願いにかなったものになっているだろうかと疑問に思わずにおれません。
さて、青蓮院門跡の長屋門の隣には「植髪堂」という建物があります。

青蓮院門跡の駐車場奥には「植髪堂」という建物があった
この植髪堂の説明には、このように書かれてありました。
境内北側一段低い所にある植髪堂(うえがみどう)は、親鸞得度の時に剃り落とした髪を、親鸞童形の像に植えたものを祀って居る。猶その髪の一部は植髪堂横の遺髪塔に納められている。現在この植髪堂の地階には立派な納骨御仏壇を設置し広く御希望の方の納骨をお受けして居るので、ご興味のある方はお問合せ下さい。
ここの僧の話によれば、植髪堂は、かなり前からあるものではないらしく、親鸞聖人が有名になられてからできたもので、ある時、蔵の中を整理していたところ、親鸞聖人のお名前をしるした髪が発見されたために建立されたものらしいですね。そういうこともあって、ここの主役は親鸞聖人のようです。確かに、堂の内部には、

植髪堂の中には、親鸞聖人のご一生が額入りの絵で展示されている
ご覧のとおり、親鸞聖人のご一代の絵が展示されているのでした。
ここに展示されている聖人のご一生は一体何の為のご苦労であったのか、知るご縁ともなればありがたいのですが、この植髪堂の説明を見る限り、そういう縁にもならないようです。
あまり、ここに長居するのもアレですから、青蓮院の中に入っていきたいと思います。
青蓮院門跡で、一番大きく目立つのが「宸殿」という建物です。ここの庭園からの様子は有名ですね。

宸殿の前に広がる庭園に「右近の橘」と「左近の桜」がある
宸殿については、説明のプリントに、このように解説されていました。
門跡寺院特有のもの。主要な法要を行う。有縁の天皇及び歴代門主の御尊牌を祀る。浄土真宗宗祖の親鸞聖人が当時の門主慈圓により得度をした縁で「お得度の間」ともいう。徳川家康の孫である東福門院(後水尾天皇女御)の御所を移築。明治に消失後復元。重要文化財 濱松図 その他狩野派障壁画(消失前のもの)あり。
この宸殿の中央の部屋が、親鸞聖人が出家得度をされた部屋といわれています。ただ、その部屋の中には「撮影禁止」と書かれていたので、様子を紹介できないのは残念ですが、歴代の天皇のものと思われる位牌がズラリと並ぶ部屋でして、親鸞学徒の私たちからすれば目を背けたくなるような部屋でした。その部屋の両側にある部屋のうち、片方には聖人が出家得度をされた時の師匠であった慈圓(慈鎮和尚)の像などが祀られていたりしたのですが、先ほどの山口からの750回大遠忌参拝グループの皆さんがゾロゾロ入ってこられるやいなや、その像に深々と合掌礼拝し、得度の間の前に置かれていた賽銭箱に賽銭を投げているのには驚きました。
先述のとおり、浄土真宗は阿弥陀仏以外の仏に対してさえも礼拝はしてはならないと厳しく教えられています。親鸞聖人が捨てよと仰った雑行で「五雑行」と言われるものがあります。阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神に仕える行為なのですが、平気で礼拝雑行をしていて、その後ろにいる真宗僧侶も何も言わないのは、まさに教えがない証拠と言っていいでしょう。信心決定という目的を失ったならば、雑行を捨てる意味も分かりませんからね。雑行を平気でやって帰る750回大遠忌ツアーがここにあったわけです。
こんなことを言っていると意が痛くなりますので、宸殿からの風景を楽しみましょう。入り口で入場料500円を徴収されて建物や庭に入ることができます。

宸殿の中から庭園を眺めてみた。左近の桜が美しい
宸殿の前には「右近の橘」「左近の桜」というものが植えられているのですが、上の写真では、左近の桜が見事に咲いているのがお分かりでしょうか?富山から京都に行く前に、青蓮院門跡に電話をかけて「京都の桜を撮りたいんですけど、青蓮院さんの桜の開花状況はどうでしょう?」と尋ねると、女性の係の方が「はて、どうでしょう?宸殿の前に1本、庭に1本あるけど、見てないわね」と言われるくらいに桜は目玉ではないらしいですね。京都の桜の名所なら、隣の円山公園だったりするわけですが、桜目当てに青蓮院に来る人はいないようです。
それにしても、宸殿からの桜は見事で、ここで写真を撮っている山口県の門徒グループがありました。
また、宸殿の隣にある「小御所」からは「相阿弥の庭」といわれる庭園が見えるのですが、やはり庭園に力を入れているだけあって、見事ですね。

小御所から龍心池と相阿弥の庭を眺める。山腹に桜が見える
庭を歩くと、小高い山に登ることができるのですが、

庭の小高い山から青蓮院門跡と京都市街を眺める
青蓮院門跡の向こうに京都市外を望むことができました。
さて、一通り庭も見た後に帰ろうとすると、有料コースの出口付近であり、宸殿の隣に親鸞聖人の像がありました。

宸殿の横に親鸞聖人の出家得度の像が雨ざらしになっていた
ズバリ、親鸞聖人の出家得度のご様子を像にしたものですが、雨ざらしになっているのが申し訳ない。この像についてもプリントに説明が出ていました。
車寄の前に親鸞童形像が立っているのは大阪の信徒某氏の願によって昭和の始め頃造立されたものである。親鸞得度の時、馬をつないだと伝えられる古松がこのあたりにあったので、像はその前に建てられたのである。
……とのことです。
そして、その脇には、親鸞聖人がご出家をされる時に詠まれたお歌が、石碑となっていました。

親鸞聖人が出家得度の時に詠まれたお歌が像の横にあった
明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは
今回の親鸞会でのテレビ座談会でも、このお歌の意味もお聞かせいただきました。
このお歌は、4歳に父君を、8歳で母君を亡くされ、養和元年、激しい無常を感じられた9歳の聖人は、叔父であった藤原範綱卿と共に、青蓮院の門をくぐられました。当時の門主は慈鎮和尚で、天台宗比叡山の座主を務める高僧でした。親鸞聖人は、
「次は、私が死んで行かなければならないと思うと不安なのです。何としても、ここ一つ、明らかになりたいのです」
と出家を願われました。慈鎮和尚は、
「わずか九歳で出家を志すとは尊いことだ。そなたならきっと立派な僧侶となられるだろう。だが仏門の修行は厳しいぞ」
と驚き感心しながらも、
「今日は、忙しいので、明日、得度の式をあげよう」
と答え、付き添いの範綱卿に異存はなく「では、明日ということで……」と、立とうとすると聖人は紙と筆を持たれて書かれたのが、先のお歌です。
受け取った慈鎮和尚は「おお……」と驚き、背を寒くしたように、その歌に打たれました。更に聖人は、
「今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で、散ってしまいます。人の命は、桜の花よりもはかなきものと聞いております。明日と言わず、どうか今日、得度していただけないでしょうか」
と頼まれます。慈鎮和尚は、
「そこまでそなたは無常を感じておられるのか……。分かった。じゃあ早速得度の式をあげよう。すぐに用意を頼むぞ」
とその晩のうちに、出家得度の式を終えたのでした。
この様子は、分かりやすいアニメにもなっているようですので、そちらをご覧ください。
私たちは、何かを信じなければ生きていけません。「信心」と聞くと、仏や神など特定の宗教を信ずることだけのように感じている人が多いかと思いますが、何かを信じていれば、それはその人の信心です。子は親を信じていますし、親は子を信じています。また、金を信じている金信心もあります。
そして、私たちが生きている目的は「幸福」になることです。不幸になりたくて生きている人は1人もありません。自殺する人でさえ、生きているよりは死んだほうが幸福と思うからこそ自殺をするわけで、死んだほうが苦しいと思えば自殺はしません。
私たちが苦しむのは信じていたものに裏切られたときです。病気で苦しんでいる人は「健康」という信心が裏切られた人であり、失恋で苦しんでいる人は「恋人」という信心に裏切られた人です。ですから、私たちが何かを信じる時は、果たしてそれは信じて大丈夫かということを確かめ吟味しなければ、後から苦しむことになるのですね。他人にお金を貸すことでも、その人が返済できる人でなければ誰も貸しません。後から、自分が苦しむことになるからです。それを見極められなかった人は、夜逃げされて裏切られ、返済されずに苦しむということは、よくお分かりかと思います。
さて、親鸞聖人がこのお歌で仰っているのは、どういうことでしょうか?
「明日ある」というという信心を全ての人が持っています。その大前提があってこそ、生きていられるわけで、今回の大震災でも「前に向かって進もう!」と言っているのも、明日に向かって頑張って進もうと言っているようなものです。果たして、この「明日ある」という信心は、裏切らない信心でしょうか。「私に明日がある」は、100%裏切られる信心です。
「いや、いつか自分は死ななければならないことは分かっているよ」と言っていますが、「明日生きていられる」という信心は、明日になればまた「明日生きていられる」となり、結局は永遠に生きていられるという信心です。後ろから当てられた光で自分の前に出た自分の影を踏もうと走っているようなものです。どれだけ高速で走ったところで、いつまで経っても影は踏めないようなものです。しかし、「明日ある」は全人類が持っている信心ですが、そんな全人類の信心を「あだ桜だぞ!」「大間違いなのだよ!」と9歳の親鸞聖人はブチ壊されているのです。
証明できないことは信じられないという人がありますが、そんな人でも証明できない「明日ある」ということを信じて、計画を立てて生きているわけです。全人類が持っている大きな迷信と言えるでしょう。
「明日生きていける」と思わなければ生きていけないじゃないか、と反論する人もありますが、生きていける、生きていけないということと真実には何の関係もないのです。私たちの都合には全くおかまいなしなのが無常という真実です。東日本大震災を襲った、地震や津波が私たちの都合をどれだけ配慮してくれたでしょうか?全くお構いなしで直前まで「明日ある」と信じていた人たちを裏切って後生へと送り込んでいったわけです。これは、被災されて亡くなられた方々のことだけではありません。
果たして、今晩無常の風が来たならば後生ですが、明日から後生となれば、その先はどうなっているのでしょうか?死んだらどうなるか分からない「後生暗い心」の解決を急げと、親鸞聖人は教えていかれたわけです。
その無常は老少不定といいまして、歳をとった人から順番にやってくるものではありません。
生後8ヶ月の息子にも同じことが言えるのですが……、

生後8カ月の息子は、花より生八ツ橋なのでまだまだです
花より生八ツ橋で京都みやげに持って帰ったイチゴ味の「粋都(すいーつ)」に夢中のようですね。9歳でこのようなお歌を詠まれた聖人の凄さを改めて知らされますね。
ではでは。