もん太@射水市民です。
今日は、新年度に入って最初の二千畳でのご縁でした。
そう、親鸞会の二千畳座談会ですね!
高森顕徹先生より、親鸞聖人のお書きになられた「一念多念証文」の、
凡そ八万四千の法門はみなこれ浄土の方便の善なり、これを「要門」という、これを「仮門」と名けたり。
この要門・仮門というは、即ち『無量寿仏観経』一部に説きたまえる定善・散善是れなり。定善は十三観なり、散善は三福・九品の諸善なり。
これみな浄土方便の要門なり、これを仮門ともいう。
この要門・仮門よりもろもろの衆生を勧めこしらえて、本願一乗・円融無礙・真実功徳大宝海に教えすすめ入れたもうが故に、よろずの自力の善業をば「方便の門」と申すなり。
から、最初の「凡そ八万四千の法門はみなこれ浄土の方便の善なり」について、お聞きしたいという質問にお答えいただきました。
「浄土の方便」とは「弥陀の方便」ということですが、方便とは真実に対して方便と言うのでありますから、真実がなければ方便ということはないわけですね。どちらか一方だけということは絶対にないわけです。ですから、「弥陀の方便」があるということは「弥陀の真実」があるということですね。
では、「弥陀の真実」とは何かというと一念多念証文の親鸞聖人のお言葉でいうと「本願一乗・円融無礙・真実功徳大宝海」であり、有名な歎異抄第7章でいえば「無碍の一道」となります。
阿弥陀仏は、すべての人を真実へ入れたいと思われて、方便を作られたわけで「八万四千の法門はみなこれ浄土の方便の善なり」ということは、釈迦一代の教えはすべて弥陀の方便の善であったということになります。地球上で最高の偉人といわれる釈迦も阿弥陀仏のお弟子ですから、釈迦は弥陀のご指示どおりに弥陀の方便を一生涯、説き続けられたわけですね。親鸞聖人もまた、釈迦の教え以外には教えられませんでしたから、弥陀の方便を説かれたということになります。
釈迦の一切経に教えられていることは因果の道理ですね。因果の道理が分かれば廃悪修善が出てきます。つまり、釈迦は善を教えられたことになります。それは、弥陀が十方衆生相手に誓われた19願に修諸功徳をせよと、諸善を勧めておられるからですね。すべての人は、曽無一善の極悪人とご存知なのに、なぜ諸善を勧められたか……。そこがまさしく、腐った脳みその私にはとても窺い知ることの出来ない弥陀のお計らいであって、諸仏にもなしえなかった五劫の思惟だったのだと改めて知らされるのでした。
釈迦が、善を教えられたということは、知ってさえいればいいというものではなく、実行させるために教えられたということは言うまでもありません。
私たちに善ができるかできないかなど観念の遊戯で分かる問題ではありません。弥陀のお計らいが納得できないからと従わないドエライ方がいらっしゃるようですが、釈迦や親鸞聖人が弥陀のロボットのようになって、弥陀の方便を計らいを入れることなく教えられたように、私たち親鸞学徒も実践せねばならないと知らされました。
以上、もん太の感想でした……。
さて、今回の二千畳座談会では、神戸でマンガ家をされている親鸞会の法友ヒロさんより、このようなものを頂きました!
神戸と播磨地方の名産である「いかなごのくぎ煮」というものだそうです。
瀬戸内海で春を呼ぶ魚が「いかなご」だそうですが、そのいかなごの幼魚をくぎ煮(佃煮)にしたものが「いかなごのくぎ煮」だそうで、各家庭で作られるんだそうです。
垂水で手に入れられたいかなごを使って、ヒロさんが料理されたんだそうで、まだお若いのにすげぇなぁ~と感心しておりました。
……で、肝心のお味ですが、甘辛くて柔らかくてご飯に載せて食べてベリーグッドでした!ご飯がススムくんです。アッという間になくなりそうです(汗)。
ちなみに「いかなごのくぎ煮」のレシピは、
に掲載されていましたよ!チャレンジしてみられてはいかが?
そんなわけで、ヒロさん、ご馳走さまでした~♪
ではでは。
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