こんばんは、ラピンです。

イミズムが読者の間で「脱線系」に分類されそうなので中和してという管理人さん

の求めに応じて、新コーナー作りました。その名も「ラピンのそんなバナナ★」!!

身近な人から聞いた、そんなバカな!?という話から人生の真実?に迫りたいと

思います。(やっぱり脱線系か…)

最近のラピンは、韓国帰りの友人から「アンニョンハセヨー」と挨拶されてビックリ

したり、横浜中華街帰りと思われる先輩から、パンダの扇子をお土産にもらって、

たまげたり、毎日何だかんだと驚いているのですが、

パンダの扇子

中でも紹介したいのが、友人の会社の「こわいトイレの話」です。

ラピンの友人(リサリサ=仮名=)は、小さな法律事務所に勤めています。

その事務所には、上司の男性1人。同僚の女性3人。そして、トイレ1コ。

トイレは上司の席の背面に位置し、壁一枚へだてた向こう側。水を流せば、

静かな事務所に、響き渡る。

ありえん、ありえん、ありえん! (だれかの真似)

これは音姫(擬似水流音装置)をつけるとかいうレベルの問題ではない。

この状況でトイレに行けるのは、相当勇気のある人か、鈍感力の高い人

だけでしょう。

というわけで、そのトイレは、ふだんは、「開かずのトイレ」と化している。

勤務時間中に絶対トイレにいかないため、リサリサはじめ一人一人が、

工夫と我慢をしています。当然、出勤してからモーニングコーヒーやお茶を

がばがば飲むことなんて、こわくてできません。

そんなリサリサたちにとって何より重要なのは、上司の動きなわけで(続く)。

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もん太@射水市民です。

うっかり、8月に入って最初の記事ですが、長かった梅雨も明けたようでございますね。

東海&近畿地方のことですけどね……。

もん太の生息する富山県は、日照時間の少なさでは定評がありますので、看板に偽りなしで未だ梅雨は明けていないっぽいよっ!!いやぁ~、日本列島って細長いけど、太平洋側と日本海側って、ここまで気候が変わってくるとはオドロキだよねっ!!いい加減、鬱陶しいのでさっさと梅雨は明けてもらいものでございます。

……とはいっても、そんな富山県も世間の風潮には敏感なようで、ご多分に漏れず青空が広がっていました……雲の間にですケド。まあ久々に、雨ナシの日でしたので、こういう日は皆さん、やること決まっているよねっ!?

そう、F館の偵察!

これはもう、今年の流行語大賞候補とか、「今年の漢字」候補かと思いきや、うっかり漢字ではなかったりして候補にはならないであろうF館をガン見しなければなるまいということで、ヘルメット被って長靴履いて、そりゃもう行きまくりましたよ!

……で、駐車場からF館の建設現場へ入っていく工事中の道路の入り口付近にパワーショベルがあったんですが、その付近にモサモサと生えていたものがございました。そう、アイツでございます。

同朋の里駐車場からF館建設現場への入り口にアイツはいた

同朋の里駐車場からF館建設現場への入り口にアイツはいた

一見、普通の雑草でございますが、よ~っく見ると、やっぱり雑草ですね。満場一致で雑草かと思いますが、なかなかに繊維っぽくて丈夫そうな「葦」でございますね。

そう、「葦」というと、上越の御旧跡巡りのブログ記事を書いているもん太としましては、上越地方に伝わる「親鸞聖人越後七不思議」の1番目である「片葉の葦」が思い出されるわけでございます。それに関しては、すでに記事を書いていますので、どんなもんか知りたい方はご覧いただければ幸甚です。

……で、葦ですので、

「もしかしたら、『片葉の葦』があるかもネ!」

……と思って、ガン見してみますと、

これは紛れもなく上越で見た「片葉の葦」!

これは紛れもなく上越で見た「片葉の葦」!

「片葉の葦」あるしっっ(笑)!!

そりゃもう、うっかり「片葉の葦」を見つけてしまいました。越後の片葉の葦に勝るとも劣らぬ美しい片葉っぷりで、あれは越後の七不思議なのに、射水市で見つけてしまうとは何とも気まずい空気が流れておりました。ゴメン、見なかったことにしておくよ……と思ったのですが、まあ、この辺は色々と考えてみたのでございますよ。

越後「流罪」が解除となった親鸞聖人は関東へと旅立たれたのですが、越後で聖人より教えを受けた人々からすれば、その別れは大変辛いものがあったんですね。その敬慕する思いが葦にまで通じ、葉が全て関東の方角へと向いたというものですが、さて、同朋の里はどうか?

面白いことに、片葉となっている葦の葉は、おしなべて駐車場からF館建設予定地に向かっていたわけです。

そこで、もん太は思った。

これは、きっとF館の完成を待望する平成の親鸞学徒の皆さんの思いが、葦にまで伝わってF館に向いたに違いない!うん、間違いない!はい、終わりっ!!

そういうわけで、みんなに代わって射水市民のもん太が、F館建築現場に行ってきたよっ!

……というワケで、今や展望台と化した、七宝の池から行ける高台に上ってみました。

F館建設現場は足場がグルリと取り囲んでいました

F館建設現場は足場がグルリと取り囲んでいました

おー!つい先日まで基礎工事していたっていうのに、もはや、周囲を足場がグルリと囲んでいますね。左側に見える足場は、鉄筋を組むためだけの足場。ここで柱となる鉄筋を組んで、組みあがった鉄筋をクローラークレーンで運ぶのだそうです。

では、手前の足場によじ登ってみるとしましょう。

1階部分の柱となる鉄筋が林立していました

1階部分の柱となる鉄筋が林立していました

おーっ!人柱……じゃなくって鉄筋の柱がニョキニョキと立っています。この縦方向に伸びている垂直の主筋は太さが35mmだそうです。かなり太いですね。その 主筋をとりまくようにあるのが帯筋だそうです。これはそこまで太くないんですが、それにしても、スゴイです。

ちなみに、現在の足場の一番高いところが、だいたいF館の2階に該当するらしく、そこから七宝の池越しにD館を眺めてみると……、

F館2階とほぼ同じ高さの足場からD館を眺めるとステキ♪

F館2階とほぼ同じ高さの足場からD館を眺めるとステキ♪

Wow!!今まで見たことのないアングルのD館ですね。七宝の池のほとりから眺めるとD館の屋根の上には空しかありませんでしたが、ここから見るとD館の屋根の向こうに木が見えます。これは新鮮!5階から眺めると、D館の屋根だけが見えるんでしょうね。この写真の右の木立越しに百味館とか徳水館が見えますが、駐車場も含めてよく見えるようになるんでしょうね。

さて、展望台とは反対側の足場に上ってみましょう。

それにしてもF館の1階部分だけを見ても広いです

それにしてもF館の1階部分だけを見ても広いです

こちらはこちらで新鮮ですねぇ。この位置からD館を眺めることができるのは、恐らく今のうちでしょう。それにしても、柱の大きさと、そこで作業している工事関係者を眺めていると、本当に大きいんだなぁと思います。

私たちの後生の一大事のためのF館。頑張って建てさせていただきたいものです。

ではでは。

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もん太@射水市民です。

最近どうも、前口上が長ったらしいので、読まれる方の身にもなって考えてみたところ、とっとと本題に入った方が良さそうでございますので、とっとと本題に入っていきたいと思います。

親鸞聖人が、上越に遠流になられて居多ケ浜より御上陸なされた後、最初に住まわれたのが前回紹介させていただいた五智国分寺境内にある竹之内草庵ですね。その1年後に南へ約500m離れた小丸山にある「竹ケ前草庵(たけのさきそうあん)」に移住されました。つまり、流罪人は1年間だけ食糧が与えられ、それ以後は、自活しなければならなかったからではないか、と言われています。自ら、田畑を耕さねば生きていけなかったということなんですね。

流罪人という、権力者に束縛され自由のきかない立場でありながらも、ただじっと解放の日を待たれる聖人ではなく、越後への護送の道中さえ命がけで仏法を伝えられ、越後でもまた七不思議の伝説にあるようにご布教に飛び回られた聖人は、そのご布教の合間に、田畑を耕されたとは、ご苦労を偲ばずにおれません。

さて、この草庵跡は、昭和5年に本願寺国府別院と改称したらしい。別院とはいえ、もん太が知っている他の別院に比べると、やや小規模か。

竹ケ前草庵跡は現在、本願寺国府別院となっている

竹ケ前草庵跡は現在、本願寺国府別院となっている

御坊を囲むように比較的高めの木々が立っている。

敷地の中心付近に「袈裟掛けの松」があった

敷地の中心付近に「袈裟掛けの松」があった

その中に、上の写真なら右下の階段脇に、こんな看板があった。

「袈裟掛けの松」は平成3年に虫害で伐採されたそうな

「袈裟掛けの松」は平成3年に虫害で伐採されたそうな

本願寺 国府別院

承元元年(1207)、親鸞聖人は専修念仏停止の法難により、越後国府に御流になられた。聖人は居多ケ浜にご上陸になり、配所竹之内草庵で約1年間住まわれ、後に竹之前草庵のあったこの地に移られました。ここで恵信尼公との結婚生活を営み、在家の凡夫がそのまま救われる道を顕わされ、建保2年(1214)関東へ旅立たれるまで、この地でお念仏の教えを弘められました。ここは浄土真宗発祥の聖地というべき所です。

江戸時代に入るとこの配所跡に参拝の方が多くなり、文化2年(1805)当地の念仏者の熱意によって袈裟掛の松の聖地跡に現本堂が建立されました。

明治9年(1872)に小丸山別院と公称し、昭和5年(1930)に本願寺国府別院と改称しています。
(なお、袈裟掛の末は平成3年に虫害のため伐採)

……とのこと。

「袈裟掛けの松」というのが気になりますが、平成3年に伐採されるまでは、樹齢800年の大きな松があったらしい。親鸞聖人が、その松に袈裟をかけられて、御説法をされたことから「袈裟掛けの松」と呼ばれていたらしい。だが、「平成3年に虫害のため伐採」とあるから、松喰い虫か何かに枯らされてしまったんでしょう。

もん太が、行った時には「2代目」とされる新しい松が植えられていました。

日本の仏教寺院の多くは決まって、重要文化財とか国宝、世界文化遺産などに登録されているものが多く、国や地方自治体などの多額の予算をかけて維持管理され、また、その建造物などは自治体などが誇るシンボルとなるわけです。しかし、どれだけ大事にしても、五智国分寺本堂のように焼失するものもあれば、袈裟掛けの松のように虫害で伐採されるものもあります。

仏教寺院と言えば、聞法道場であり法城でありますから、大切に維持していくのは勿論大事です。しかし、寺院の最も護らねばならないのは一体何か?それは、真実の仏法以外にありません。つまり、「教え」であります。親鸞会館落慶の記念講演にて、高森顕徹先生はこのように仰いました。

「後生の一大事と比較するなら、こんな会館の百や二百、ものの数ではありません。マッチ一本で燃えてしまう。後生の一大事は、こんな会館の一万や二万ではない、大変なことなのです」

後生の一大事のあることと、その解決の道を教えられた真実の仏教を聴聞させていただくための聞法道場です。教えが説かれなければ、いかに大きく立派な寺院や会館があっても意味がないのです。文化財を守る以上の覚悟で親鸞聖人の正しい教えを護っていただきたいものです。

さて、その国府別院の本堂横には、ご多分に漏れず親鸞聖人の銅像が。

ここでも親鸞聖人の銅像が雨ざらしに……

ここでも親鸞聖人の銅像が雨ざらしに……

せめて、屋根を設けるなどして雨風を防いでいただきたいものです。ちょっと、御尊顔が影になって拝見できませんので、日中シンクロで撮影してみたのがコレ。
風雪に耐え抜かれた厳しい御表情

風雪に耐え抜かれた厳しい御表情

越後の風雪に耐え抜かれた厳しい御表情の聖人のお顔でした。
また、他の御旧跡にはないもので、近くにこのようなものもありました。
居多ケ浜のご上陸場面も模型のような銅像になっていた

居多ケ浜のご上陸場面も模型のような銅像になっていた

親鸞聖人がお弟子と居多ケ浜に御上陸なされた様子の立体群像です。「御流」という絵を元に制作されたものらしい。
折角なので、臨場感溢れるように、望遠レンズで圧縮効果を狙いつつアップで撮ってみたのがコレ。
臨場感を出そうと望遠でアップしてみました

臨場感を出そうと望遠でアップしてみました

背景がどことなく雑木林なので、居多ケ浜っぽくありませんね。どちらかといえば、山越えと言った方が正解かもしれません。そこで背景を変えてチャレンジしてみました。
お弟子目線で親鸞聖人を拝してみました

う~ん、グッと臨場感が出たような気がします?

まあ、当時の御上陸の様子を再現してみようと思ったのですが、なかなか難しいようです。

では、今回はこれまでに……。

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情熱大陸という番組があります。

そこで吉岡秀人さんというお医者さんが取り上げられていました。

その中の言葉が「生まれてきてよかったと思える医療がしたい」というものでした。

人間に生まれてきたのは何のためか、何のために生きているのか、どんなに苦しくても

生きなければならないのはなぜか、なぜ生きるということですが、

大変すばらしい医療でも、いつか死んでしまいます。

吉岡さんも言っていますが、(自分の命に)価値があると思える医療と言っています。

お釈迦様は生きる目的、なぜ生きる1つを教えていかれました

吉岡さんにもそれを聞いてもらいたいと思う、今日この頃です。

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28 7月 2009

トマトのアイコちゃん

Author: taka | Filed under: 親鸞会写真ギャラリー

manytomato

こんにちは☆たかプーです。

今日は、トマトを紹介します^^

その名も「アイコ」。

アイコちゃんと呼んでやってください。

フルーツトマトの一種類で、糖度10にもなります。(普通大玉トマトは4~6度)

しかーし、

主任いわく、今年は長雨のせいで、通常より糖度が低く、本来の甘さがでていない、そうです。。。。

水分を多く含むので、どうしてもうすーい味になっちゃうそうです。

(それでも私は、十分美味しいとおもうんですが。。。)

このトマトを食べて下さった人からも、

「トマト、美味しかった!」

「このトマト、甘い!!」

といってくださる度に、うれしくなります。

しかし、来年こそは、めざせ糖度10!!!

野菜の強いみかた、ビニールハウスが完成したので、甘いトマトができること、間違いなしです。

こんなトマトありました↓

hutagotomato

双子のトマトです◎

トマトが赤くなれば医者が青くなる

トマトを常食すれば5年長生きする

とも言われます。

トマトを食べれば、夏ばても解消されます!(体験済み)

トマトを食べて、この夏を乗り切りましょう(^^)/

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