<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>ビジュアルで親鸞会を発信 &#187; 報恩講</title>
	<atom:link href="http://www.keyrose.net/tag/%e5%a0%b1%e6%81%a9%e8%ac%9b/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://www.keyrose.net</link>
	<description>射水市在住の親鸞学徒がつづる無農薬な日記</description>
	<lastBuildDate>Tue, 07 Feb 2012 07:19:27 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.3.1</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.keyrose.net/tag/%e5%a0%b1%e6%81%a9%e8%ac%9b/feed/" />
		<item>
		<title>大谷光真門首の消息から親鸞会の使命の重さを感じる</title>
		<link>http://www.keyrose.net/2012/01/shousoku/</link>
		<comments>http://www.keyrose.net/2012/01/shousoku/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 18 Jan 2012 07:53:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>monta</dc:creator>
				<category><![CDATA[真宗十派]]></category>
		<category><![CDATA[勝興寺]]></category>
		<category><![CDATA[報恩講]]></category>
		<category><![CDATA[本願寺]]></category>
		<category><![CDATA[西本願寺]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞会]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞聖人７５０回忌]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.keyrose.net/?p=6450</guid>
		<description><![CDATA[もん太＠射水市民です。 親鸞会では毎年の報恩講は10月から11月にかけて勤修されますが、本願寺派は今月が御正忌報恩講の時期ということもあって、本願寺派の本山である西本願寺では親鸞聖人750回大遠忌法要の御正当が行われ、富山県高岡市伏木の勝興寺では御満座が行われました。 わずか１週間の間に、もん太はその両方に行ってきたのですが、そのレポートは色々と当ブログに書いてきました。 先日の16日は、西本願寺の御正当も勝興寺の御満座も最終日であり、特に西本願寺の御正当は、４月から行われてきた親鸞聖人750回大遠忌法要の最終日でもあるということで、門首の大谷光真氏が『親鸞聖人750回大遠忌法要御満座を機縁として「新たな始まり」を期する消息』が発布しておりました。 ただ、親鸞会の私たちにとって、「消息」と聞いても「消息不明」なんていう具合に使うくらいでピンと来ないと思うので本願寺新報に書かれていた解説を見てみますと、 「御消息」とはお手紙のこと。特に浄土真宗では、さまざまなご縁に際して、歴代の宗主が、そのおこころを広く伝えるために出される書簡を「御消息」と称している（『本願寺新報』1月16日号外より） と書かれておりました。つまり、大谷光真門首が親鸞聖人750回大遠忌法要の最終日というご縁に際して、その「おこころ」を広く伝えるために出した書簡ということですね。その消息が御正当最終日の1月16日付で本願寺新報の号外に掲載され、それが本願寺のサイトにアップされていましたので「おこころ」を読んでみました。 「そういや親鸞会の親鸞聖人750回忌法要の後にも号外が発行されたなぁ」と思いつつ見てみると、全部で５つの段落で成り立っておりますが、最後の段落の書き初めがこうでした。 本願念仏のご法義は、時代が変わり、社会が変わっても、変わることはありません（『本願寺新報』1月16日号外より） この日の地元紙である『京都新聞』でも、門首の消息について触れた記事がありましたが、見出しは、 「親鸞の教え、不変」　西本願寺で遠忌終わる でした。 親鸞聖人は釈迦が生涯教えていかれた阿弥陀仏の御本願を明らかにされました。阿弥陀仏の御本願とは、誓願とも言われますように阿弥陀仏が誓い約束なされたことですが、すべての人を絶対の幸福に救い摂ると誓われています。門首の消息にあるように、時代が変わり、社会が変わっても変わるものではありません。 しかし、現実を見てみると、釈尊の至上命令であり仏教の結論である「一向専念無量寿仏」は伝えられているでしょうか？戦時中には東西の門首や法主が明治神宮やら伊勢神宮、靖国神社に公式参拝しております。そして、多くの門徒を戦地に送り出しております。そんな浄土真宗の自殺行為をしながら、当時の西の門首は、 宗門は戦中戦後を通じて相当の期間、多くの困難や障害を経験したわけであります。（中略）このように、私は大きな変動の時代を体験したのでありますが、その体験を通して深く感じましたのは、政治の方向がどのように変ろうとも、社会の制度がどのように動こうとも、浄土真宗の御法義の根本には、いささかのゆるぎもないことで、時と所とにかかわらずその真価を発揮する浄土真宗は、まことに尊くありがたく、聖人が真実の教えとお喜びになったお気持も、さこそと味わわせていただくのであります と、よく言えたもんだと思うようなことを平然と言っております。 時代が変わり、社会が変わると、要の一向専念無量寿仏をネジ曲げておきながら、よくぞ言ったりという感じです。 そして、昨年の４月からの各地からの親鸞聖人750回大遠忌法要ツアーで団体参拝では、京都観光のコースの中に親鸞聖人の御旧跡を巡るものの、阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神に、平気で賽銭を投げ、頭を下げている門徒が多くあったことに唖然としました。 また、仏法を求める目的は、後生の一大事の解決以外にありませんが、もん太が西本願寺の総会所で聞いた中島昭念氏の説教で聞けたでしょうか？ 全く聞けませんでした。 勝興寺の御満座で１日目の説教を担当した林要昭氏から聞けたでしょうか？ 全く聞けませんでした。それどころか、お聖教のお言葉を示して、１つ１つ分かりやすく説明すると眠くなったり分かりにくいと言われるから自分はしない、といった親鸞学徒の本道を大きく外れる説教を平気でしておりました。 更に勝興寺の御満座の２日目の説教を担当した初瀬部有可さんから聞けたでしょうか？ それなりに頑張ってお聖教のお言葉などを板書しながら説教していましたが、これまた聞けませんでした。 仏法は後生の一大事に始まり、後生の一大事の解決に終わります。そして、その解決は一向専念無量寿仏しかありません。しかし、その教えが全く説かれず、十劫安心の異安心で終わっていくのです。 門首の消息の最後には、こう書かれていました。 新しい体制のもとで、一人ひとりが抱える課題を大切にし、お念仏を喜び心豊かに生きることのできる社会を目指しましょう。このたびの大遠忌法要が、新たな歩みを進める機縁となりますよう念願いたします（『本願寺新報』1月16日号外より） 教えそのものは不変ですが、教えを伝える組織などは社会の変化に応じて変えていく必要があると言った後の言葉です。 教えを伝える組織が変わっても、教えそのものは親鸞聖人の説かれたとおりに伝えていただきたいものでございます。曲がった教えから本当の親鸞聖人の教えに向けて新たな歩みを進めてもらいたいと念ぜずにおれません。 同時に、常に親鸞聖人や蓮如上人などのお言葉を示して伝えることを徹底されている私たち親鸞会の者は、本道を踏み誤ることなく有縁の方々に伝えていかなければならないと思うのでした。 ではでは。 大谷光真門首の消息から親鸞会の使命の重さを感じる is a post from: ビジュアルで親鸞会を発信<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/shousoku/">大谷光真門首の消息から親鸞会の使命の重さを感じる</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>もん太＠射水市民です。</p>
<p>親鸞会では毎年の報恩講は10月から11月にかけて勤修されますが、本願寺派は今月が御正忌報恩講の時期ということもあって、本願寺派の本山である西本願寺では親鸞聖人750回大遠忌法要の御正当が行われ、富山県高岡市伏木の勝興寺では御満座が行われました。</p>
<p>わずか１週間の間に、もん太はその両方に行ってきたのですが、そのレポートは色々と当ブログに書いてきました。</p>
<p>先日の16日は、西本願寺の御正当も勝興寺の御満座も最終日であり、特に西本願寺の御正当は、４月から行われてきた親鸞聖人750回大遠忌法要の最終日でもあるということで、門首の大谷光真氏が<span style="color: #ff0000;"><strong>『親鸞聖人750回大遠忌法要御満座を機縁として「新たな始まり」を期する消息』</strong></span>が発布しておりました。</p>
<div id="attachment_6451" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240118-1.jpg" alt="大谷光真（Photo by 親鸞会）" title="大谷光真（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6451" /><p class="wp-caption-text">本願寺の750回大遠忌法要最終日には大谷光真門首が「消息」を読んだ</p></div>
<p>ただ、親鸞会の私たちにとって、「消息」と聞いても「消息不明」なんていう具合に使うくらいでピンと来ないと思うので本願寺新報に書かれていた解説を見てみますと、</p>
<p style="text-align: left; padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">「御消息」とはお手紙のこと。特に浄土真宗では、さまざまなご縁に際して、歴代の宗主が、そのおこころを広く伝えるために出される書簡を「御消息」と称している<span style="font-size: x-small;">（『本願寺新報』1月16日号外より）</span></span></p>
<p>と書かれておりました。つまり、大谷光真門首が親鸞聖人750回大遠忌法要の最終日というご縁に際して、その「おこころ」を広く伝えるために出した書簡ということですね。その消息が御正当最終日の1月16日付で本願寺新報の号外に掲載され、それが<a href="http://www.hongwanji.or.jp/news/info/750-18.html" rel="nofollow" target="_blank">本願寺のサイト</a>にアップされていましたので「おこころ」を読んでみました。</p>
<div id="attachment_6452" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240118-2.jpg" alt="本願寺新報" title="本願寺新報" width="400" height="255" class="size-full wp-image-6452" /><p class="wp-caption-text">1月16日に発行された本願寺新報の号外に大谷光真門首の消息が掲載</p></div>
<p>「そういや親鸞会の親鸞聖人750回忌法要の後にも号外が発行されたなぁ」と思いつつ見てみると、全部で５つの段落で成り立っておりますが、最後の段落の書き初めがこうでした。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">本願念仏のご法義は、時代が変わり、社会が変わっても、変わることはありません<span style="font-size: x-small;">（『本願寺新報』1月16日号外より）</span></span></p>
<p>この日の地元紙である『京都新聞』でも、門首の消息について触れた記事がありましたが、見出しは、</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #ff0000;"><strong>「親鸞の教え、不変」　西本願寺で遠忌終わる</strong></span></p>
<p>でした。</p>
<p>親鸞聖人は釈迦が生涯教えていかれた阿弥陀仏の御本願を明らかにされました。阿弥陀仏の御本願とは、誓願とも言われますように阿弥陀仏が誓い約束なされたことですが、すべての人を絶対の幸福に救い摂ると誓われています。門首の消息にあるように、時代が変わり、社会が変わっても変わるものではありません。</p>
<p>しかし、現実を見てみると、釈尊の至上命令であり仏教の結論である「一向専念無量寿仏」は伝えられているでしょうか？戦時中には東西の門首や法主が明治神宮やら伊勢神宮、靖国神社に公式参拝しております。そして、多くの門徒を戦地に送り出しております。そんな浄土真宗の自殺行為をしながら、当時の西の門首は、</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">宗門は戦中戦後を通じて相当の期間、多くの困難や障害を経験したわけであります。<span style="font-size: x-small;">（中略）</span>このように、私は大きな変動の時代を体験したのでありますが、その体験を通して深く感じましたのは、政治の方向がどのように変ろうとも、社会の制度がどのように動こうとも、浄土真宗の御法義の根本には、いささかのゆるぎもないことで、時と所とにかかわらずその真価を発揮する浄土真宗は、まことに尊くありがたく、聖人が真実の教えとお喜びになったお気持も、さこそと味わわせていただくのであります</span></p>
<p>と、よく言えたもんだと思うようなことを平然と言っております。</p>
<p>時代が変わり、社会が変わると、要の一向専念無量寿仏をネジ曲げておきながら、よくぞ言ったりという感じです。</p>
<p>そして、昨年の４月からの各地からの親鸞聖人750回大遠忌法要ツアーで団体参拝では、京都観光のコースの中に親鸞聖人の御旧跡を巡るものの、阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神に、平気で賽銭を投げ、頭を下げている門徒が多くあったことに唖然としました。</p>
<p>また、仏法を求める目的は、後生の一大事の解決以外にありませんが、もん太が西本願寺の総会所で聞いた中島昭念氏の説教で聞けたでしょうか？</p>
<div id="attachment_6453" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240118-3.jpg" alt="中島昭念（Photo by 親鸞会）" title="中島昭念（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6453" /><p class="wp-caption-text">西本願寺の聞法会館で説教していた山口の中島昭念という布教使</p></div>
<p>全く聞けませんでした。</p>
<p>勝興寺の御満座で１日目の説教を担当した林要昭氏から聞けたでしょうか？</p>
<div id="attachment_6454" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240118-4.jpg" alt="林要昭（Photo by 親鸞会）" title="林要昭（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6454" /><p class="wp-caption-text">勝興寺の御満座の初日に説教する布教使の林要昭氏</p></div>
<p>全く聞けませんでした。それどころか、お聖教のお言葉を示して、１つ１つ分かりやすく説明すると眠くなったり分かりにくいと言われるから自分はしない、といった親鸞学徒の本道を大きく外れる説教を平気でしておりました。</p>
<p>更に勝興寺の御満座の２日目の説教を担当した初瀬部有可さんから聞けたでしょうか？</p>
<div id="attachment_6455" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240118-5.jpg" alt="初瀬部有可（Photo by 親鸞会）" title="初瀬部有可（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6455" /><p class="wp-caption-text">勝興寺の御満座の２日目に説教する小矢部の布教使である初瀬部有可さん</p></div>
<p>それなりに頑張ってお聖教のお言葉などを板書しながら説教していましたが、これまた聞けませんでした。</p>
<p>仏法は後生の一大事に始まり、後生の一大事の解決に終わります。そして、その解決は一向専念無量寿仏しかありません。しかし、その教えが全く説かれず、十劫安心の異安心で終わっていくのです。</p>
<p>門首の消息の最後には、こう書かれていました。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">新しい体制のもとで、一人ひとりが抱える課題を大切にし、お念仏を喜び心豊かに生きることのできる社会を目指しましょう。このたびの大遠忌法要が、新たな歩みを進める機縁となりますよう念願いたします<span style="font-size: x-small;">（『本願寺新報』1月16日号外より）</span></span></p>
<p>教えそのものは不変ですが、教えを伝える組織などは社会の変化に応じて変えていく必要があると言った後の言葉です。</p>
<p>教えを伝える組織が変わっても、教えそのものは親鸞聖人の説かれたとおりに伝えていただきたいものでございます。曲がった教えから本当の親鸞聖人の教えに向けて新たな歩みを進めてもらいたいと念ぜずにおれません。</p>
<p>同時に、常に親鸞聖人や蓮如上人などのお言葉を示して伝えることを徹底されている私たち親鸞会の者は、本道を踏み誤ることなく有縁の方々に伝えていかなければならないと思うのでした。</p>
<p>ではでは。</p>
<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/shousoku/">大谷光真門首の消息から親鸞会の使命の重さを感じる</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.keyrose.net/2012/01/shousoku/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.keyrose.net/2012/01/shousoku/" />
	</item>
		<item>
		<title>勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ（２）</title>
		<link>http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-3/</link>
		<comments>http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-3/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 16 Jan 2012 14:59:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>monta</dc:creator>
				<category><![CDATA[真宗十派]]></category>
		<category><![CDATA[報恩講]]></category>
		<category><![CDATA[本願寺]]></category>
		<category><![CDATA[西本願寺]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞会]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞聖人７５０回忌]]></category>
		<category><![CDATA[高森顕徹]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.keyrose.net/?p=6429</guid>
		<description><![CDATA[もん太＠射水市民です。 さて、昨日から富山県高岡市伏木にある真宗寺院・勝興寺で行われている御正忌報恩講「御満座」のレポートを行っております。 昨日の記事はコチラ→『勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ（１）』 改めまして、昨日の説教の内容を起こしたものを、そのままペーストしてしまったので、読みにくくなってしまったことをお詫び致します。いや、文字ばっかで読みにくいねぇ〜。 ……で、昨日は午後から開始でしたが、今日は日曜日であり中日ということもあって午前と午後の日程が組まれておりました。日曜日ということもあって、参詣者が増えることを期待してか出店の屋台は１店舗だけありました。たい焼きですね。昨年はたこ焼きもあったんですが、年々、この出店も減っているようです。 ただ、やはり日曜日の強みもあり、また、昨年からの親鸞聖人750回大遠忌法要が西本願寺で行われている最中ということもあってか、昨年の御満座よりは駐車場も埋まっていました。昔に比べて少なくなったとはいえ、それなりの参詣者だったように思います。 昨日同様にデカローソクに火が灯され、読経などが行われ、御伝鈔の拝読も行われました。 午後からは元高岡市長で、現在は自民党所属の衆議院議員の橘慶一郎氏も来ておりました。 ただ、御伝鈔の拝読や説教が行われる時にはいなかったので最初だけで帰ってしまったようです。 そして、説教が始まりましたが、親鸞会のご法話のように午前と午後に分けて行われました。 よ〜っく見ると、イス席の前に設けられたカーペット敷きの部分に数名が正座しておられますね。 中でも熱心な真宗門徒の方々と思いますが、さて、お説教はどんな布教使が立ったのでしょう？ 昨日は某高校の英語教師もしている明覚寺の林要昭という布教使でしたが、昨日の記事をご覧になられた方は実に酷い説教だったということがお分かりかと思います。 親鸞聖人の教えられたことを、そのまま伝えねばならないのが真宗の布教使でありながら、お聖教のお言葉を出して説明するということに対して「難しかった」「眠たくなった」と参詣者が言うからと、親鸞学徒の本道を真っ向から否定していた。 しかし、高森顕徹先生は「分かりやすい話ができない理由に３つある」と教えられる。その３つとは何だろうか？ 理解不足……話す者が充分に理解できていない。 気持不足……知ってもらいたい！！の気持ちが、希薄である。 術がない……言葉の使い方、文章の書き方の研究不足。 門徒が分からんと言っているのを門徒のせいにするのではなく、自分の反省としてもらいたいものである。 本日、午前から午後にかけて説教していたのは、小矢部市にある宝性寺の初瀬部有可（はせべ ありか）という女性の布教使でした。何と３１歳！！親鸞会には若い布教使が活躍していますが、ここまで若い人は初めて見ました。 まず、午前の讃題では、 本願力にあいぬれば　むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて　煩悩の濁水へだてなし のご和讃を読んでいました。ちなみに昨日の林要昭という布教使は、 人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く。この身今生において度せずんば、更に何れの生に向かってかこの身を度せん。大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。 無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭い遇うこと難し。我今見聞し受持することを得たり。願わくば如来の真実義を解したてまつらん のお言葉でした。ただ、説教の内容は、このお言葉に触れてもいませんでしたけどね。 しかし、今回の初瀬部という布教使は「先ほど頂きましたご讃題についてお話します」と、黒板に「本願力」と書いてから説教を始めました。黒板を使って話すのは本願寺では、あまり見かけないだけに、若い布教使がこうやって仏語を板書して説明する姿がやけに新鮮に見えました。まあ、親鸞会では普通ですけど……。 初々しい布教しながら、昨日の林要昭という二足のわらじを履いている布教使に比べれば、なんぼかマシな話をしていました。日曜日ということもあってか参詣者が多かったのですが、いつもは説教になると結構帰宅してしまう人があるんですが、この日は、説教を聞いている人が意外と多かったですね。しかも、居眠りしている人もわずか。 休憩中に３年ほど前から勝興寺の事務長をしているという人が挨拶をしていましたが「私が事務長になってから最も多いお参りかと思います」と言っていました。 初瀬部という布教使は、「むなしい」という所の話で、死んだ後がハッキリしないから今がむなしく不安であるようなことを言い、また、彼女が大学受験を控えた受験生だった頃、毎日が何となく不安だったという話をしておりました。しかし、大学に合格し４月から大学生になることが分かったら、その後の４月までは毎日同じようなことをしているのだけど心が全く違って不安がなくなる、という、そこそこまともな話をしていました。 一応、下の動画で一通り聞くことができます。 う〜ん、ただ残念なのが一念で頂く信心ということを説き切れなかったことですね。最終的に十劫安心の異安心の話になってしまったのが残念です。前日の布教使と異なって、お聖教のお言葉について一生懸命話そうとしているのが伝わってくるだけに、十劫安心の教えしか聞いて来れなかった彼女がかわいそうでなりませんでした。 小矢部の寺の娘さんだそうですので、一度、親鸞会の小矢部会館で聞法されることを念ぜずにおれませんでした。 あと、もん太が聞いている側に、実に久々に勝興寺の御満座に参詣したという高齢のお婆さんが座っていたのですが「あれ？今日はどうしたのかねぇ？御満座と言ったら本堂に入り切れないくらいの参詣者なんだけど……。前は、若い人も多くいて、本堂だけじゃなく、他の部屋も使ってね。いろんな所から参詣者があってね。分からんことを質問したりするご示談があったんだけど、変わってしまったねぇ……」とポツリと漏らしておられました。 かつて、高森顕徹先生が勝興寺に行かれた頃は、本当に熱気がありました。あのような布教使を呼んで御満座を開いているようでは、かつての活気は戻らないでしょう。 勝興寺のある伏木には親鸞会の伏木会館もあります。 本当の親鸞聖人の教えを聞きたい方は、伏木会館へどうぞ！ ではでは。 勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ（２） is a post from: ビジュアルで親鸞会を発信<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-3/">勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ（２）</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>もん太＠射水市民です。</p>
<p>さて、昨日から富山県高岡市伏木にある真宗寺院・勝興寺で行われている御正忌報恩講<span style="color: #ff0000;"><strong>「御満座」</strong></span>のレポートを行っております。</p>
<p>昨日の記事はコチラ→<strong>『<a href="http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-2/" rel="nofollow" target="_blank">勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ（１）</a>』</strong></p>
<p>改めまして、昨日の説教の内容を起こしたものを、そのままペーストしてしまったので、読みにくくなってしまったことをお詫び致します。いや、文字ばっかで読みにくいねぇ〜。</p>
<p>……で、昨日は午後から開始でしたが、今日は日曜日であり中日ということもあって午前と午後の日程が組まれておりました。日曜日ということもあって、参詣者が増えることを期待してか出店の屋台は１店舗だけありました。たい焼きですね。昨年はたこ焼きもあったんですが、年々、この出店も減っているようです。</p>
<div id="attachment_6430" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240116-1.jpg" alt="勝興寺の出店（Photo by 親鸞会）" title="勝興寺の出店（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6430" /><p class="wp-caption-text">前日にはなかった屋台も出ていた。白いテントはうどんなどの「おとき」</p></div>
<p>ただ、やはり日曜日の強みもあり、また、昨年からの親鸞聖人750回大遠忌法要が西本願寺で行われている最中ということもあってか、昨年の御満座よりは駐車場も埋まっていました。昔に比べて少なくなったとはいえ、それなりの参詣者だったように思います。</p>
<div id="attachment_6431" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240116-2.jpg" alt="勝興寺の駐車場（Photo by 親鸞会）" title="勝興寺の駐車場（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6431" /><p class="wp-caption-text">前日は余裕のあった駐車場も、それなりに埋まっていた</p></div>
<p>昨日同様にデカローソクに火が灯され、読経などが行われ、御伝鈔の拝読も行われました。</p>
<div id="attachment_6432" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240116-3.jpg" alt="土山照慎（Photo by 親鸞会）" title="土山照慎（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6432" /><p class="wp-caption-text">読経などは、実に荘厳な雰囲気で行われる。さすがだ</p></div>
<p>午後からは元高岡市長で、現在は自民党所属の衆議院議員の橘慶一郎氏も来ておりました。</p>
<div id="attachment_6433" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240116-4.jpg" alt="橘慶一郎（Photo by 親鸞会）" title="橘慶一郎（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6433" /><p class="wp-caption-text">元高岡市長で現在は自民党の国会議員の橘慶一郎氏も少し来ていた</p></div>
<p>ただ、御伝鈔の拝読や説教が行われる時にはいなかったので最初だけで帰ってしまったようです。</p>
<p>そして、説教が始まりましたが、親鸞会のご法話のように午前と午後に分けて行われました。</p>
<div id="attachment_6434" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240116-5.jpg" alt="お賽銭（Photo by 親鸞会）" title="お賽銭（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6434" /><p class="wp-caption-text">説教の合間にお賽銭を集める役員の皆さん</p></div>
<p>よ〜っく見ると、イス席の前に設けられたカーペット敷きの部分に数名が正座しておられますね。</p>
<div id="attachment_6435" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240116-6.jpg" alt="参詣者（Photo by 親鸞会）" title="参詣者（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6435" /><p class="wp-caption-text">中には、イス席より更に前で正座をする参詣者もおられた</p></div>
<p>中でも熱心な真宗門徒の方々と思いますが、さて、お説教はどんな布教使が立ったのでしょう？</p>
<p>昨日は某高校の英語教師もしている明覚寺の林要昭という布教使でしたが、昨日の記事をご覧になられた方は実に酷い説教だったということがお分かりかと思います。</p>
<div id="attachment_6448" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240116-11.jpg" alt="林要昭（Photo by 親鸞会）" title="林要昭（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6448" /><p class="wp-caption-text">昨日の説教をした英語教師でもある林要昭氏。本道から外れた説教だった</p></div>
<p>親鸞聖人の教えられたことを、そのまま伝えねばならないのが真宗の布教使でありながら、お聖教のお言葉を出して説明するということに対して「難しかった」「眠たくなった」と参詣者が言うからと、親鸞学徒の本道を真っ向から否定していた。</p>
<p>しかし、高森顕徹先生は<span style="color: #ff0000;"><strong>「分かりやすい話ができない理由に３つある」</strong></span>と教えられる。その３つとは何だろうか？</p>
<ul>
<li><span style="font-size: medium;"><span style="color: #0000ff;"><strong>理解不足</strong></span>……話す者が充分に理解できていない。</span></li>
<li><span style="font-size: medium;"><span style="color: #0000ff;"><strong>気持不足</strong></span>……知ってもらいたい！！の気持ちが、希薄である。</span></li>
<li><span style="font-size: medium;"><span style="color: #0000ff;"><strong>術がない</strong></span>……言葉の使い方、文章の書き方の研究不足。</span></li>
</ul>
<p>門徒が分からんと言っているのを門徒のせいにするのではなく、自分の反省としてもらいたいものである。</p>
<p>本日、午前から午後にかけて説教していたのは、小矢部市にある宝性寺の<strong>初瀬部有可</strong><span style="font-size: x-small;">（はせべ ありか）</span>という女性の布教使でした。何と<span style="color: #ff0000;"><strong>３１歳</strong></span>！！親鸞会には若い布教使が活躍していますが、ここまで若い人は初めて見ました。</p>
<div id="attachment_6437" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240116-71.jpg" alt="初瀬部有可（Photo by 親鸞会）" title="初瀬部有可（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6437" /><p class="wp-caption-text">この日の説教は小矢部市の布教使である初瀬部有可さん。何と31歳！</p></div>
<p>まず、午前の讃題では、</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #800000;"><strong><span style="font-size: medium;">本願力にあいぬれば　むなしくすぐるひとぞなき</span></strong></span><br />
<span style="color: #800000;"><strong><span style="font-size: medium;"> 功徳の宝海みちみちて　煩悩の濁水へだてなし</span></strong></span></p>
<p>のご和讃を読んでいました。ちなみに昨日の林要昭という布教使は、</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="font-size: medium; color: #800000;"><strong>人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く。この身今生において度せずんば、更に何れの生に向かってかこの身を度せん。大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。</strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="font-size: medium; color: #800000;"><strong>無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭い遇うこと難し。我今見聞し受持することを得たり。願わくば如来の真実義を解したてまつらん</strong></span></p>
<p>のお言葉でした。ただ、説教の内容は、このお言葉に触れてもいませんでしたけどね。</p>
<p>しかし、今回の初瀬部という布教使は「先ほど頂きましたご讃題についてお話します」と、黒板に「本願力」と書いてから説教を始めました。黒板を使って話すのは本願寺では、あまり見かけないだけに、若い布教使がこうやって仏語を板書して説明する姿がやけに新鮮に見えました。まあ、親鸞会では普通ですけど……。</p>
<div id="attachment_6438" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240116-8.jpg" alt="初瀬部有可さん（Photo by 親鸞会）" title="初瀬部有可さん（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6438" /><p class="wp-caption-text">親鸞会の法話のように黒板を使って話す場面が多く見られた</p></div>
<p>初々しい布教しながら、昨日の林要昭という二足のわらじを履いている布教使に比べれば、なんぼかマシな話をしていました。日曜日ということもあってか参詣者が多かったのですが、いつもは説教になると結構帰宅してしまう人があるんですが、この日は、説教を聞いている人が意外と多かったですね。しかも、居眠りしている人もわずか。</p>
<div id="attachment_6439" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240116-9.jpg" alt="説教（Photo by 親鸞会）" title="説教（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6439" /><p class="wp-caption-text">説教中の本堂は、最近では見られないくらいの参詣者だった</p></div>
<p>休憩中に３年ほど前から勝興寺の事務長をしているという人が挨拶をしていましたが「私が事務長になってから最も多いお参りかと思います」と言っていました。</p>
<p>初瀬部という布教使は、「むなしい」という所の話で、死んだ後がハッキリしないから今がむなしく不安であるようなことを言い、また、彼女が大学受験を控えた受験生だった頃、毎日が何となく不安だったという話をしておりました。しかし、大学に合格し４月から大学生になることが分かったら、その後の４月までは毎日同じようなことをしているのだけど心が全く違って不安がなくなる、という、そこそこまともな話をしていました。</p>
<p>一応、下の動画で一通り聞くことができます。</p>
<p style="text-align: center;"><iframe src="http://www.youtube.com/embed/31FxFsDlk7Q" frameborder="0" width="560" height="315"></iframe></p>
<p>う〜ん、ただ残念なのが一念で頂く信心ということを説き切れなかったことですね。最終的に十劫安心の異安心の話になってしまったのが残念です。前日の布教使と異なって、お聖教のお言葉について一生懸命話そうとしているのが伝わってくるだけに、十劫安心の教えしか聞いて来れなかった彼女がかわいそうでなりませんでした。</p>
<p>小矢部の寺の娘さんだそうですので、一度、親鸞会の小矢部会館で聞法されることを念ぜずにおれませんでした。</p>
<p>あと、もん太が聞いている側に、実に久々に勝興寺の御満座に参詣したという高齢のお婆さんが座っていたのですが<span style="color: #ff0000;"><strong>「あれ？今日はどうしたのかねぇ？御満座と言ったら本堂に入り切れないくらいの参詣者なんだけど……。前は、若い人も多くいて、本堂だけじゃなく、他の部屋も使ってね。いろんな所から参詣者があってね。分からんことを質問したりするご示談があったんだけど、変わってしまったねぇ……」</strong></span>とポツリと漏らしておられました。</p>
<p>かつて、高森顕徹先生が勝興寺に行かれた頃は、本当に熱気がありました。あのような布教使を呼んで御満座を開いているようでは、かつての活気は戻らないでしょう。</p>
<p>勝興寺のある伏木には親鸞会の<span style="color: #ff0000;"><strong>伏木会館</strong></span>もあります。</p>
<div id="attachment_6440" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240116-10.jpg" alt="伏木会館（Photo by 親鸞会）" title="伏木会館（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6440" /><p class="wp-caption-text">正しい教えを聞きたい方は勝興寺の近くにある親鸞会の伏木会館で！</p></div>
<p>本当の親鸞聖人の教えを聞きたい方は、伏木会館へどうぞ！</p>
<p>ではでは。</p>
<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-3/">勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ（２）</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-3/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-3/" />
	</item>
		<item>
		<title>勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ（１）</title>
		<link>http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-2/</link>
		<comments>http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-2/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 15 Jan 2012 14:59:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>monta</dc:creator>
				<category><![CDATA[真宗十派]]></category>
		<category><![CDATA[勝興寺]]></category>
		<category><![CDATA[報恩講]]></category>
		<category><![CDATA[本願寺]]></category>
		<category><![CDATA[西本願寺]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞会]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.keyrose.net/?p=6409</guid>
		<description><![CDATA[もん太＠射水市民です。 現在、京都の西本願寺では親鸞聖人750回大遠忌法要の御正当が行われており、もん太も全日程というわけではありませんが、行ってまいりました。その辺のことは『西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（１）』からレポートというかレビューを４回シリーズで当ブログで紹介してきました。 京都の西本願寺に行きますと、あの大伽藍に驚く人が多いようですが、富山県高岡市伏木には勝興寺という真宗寺院があり、その規模は、勝興寺を見たら本山（西本願寺）に行っても驚かないと言われるくらいのものです。そんな勝興寺では、１月の今ぐらいの時期に御正忌報恩講が行われるのですが「御満座（ごまんざ）」という名前で知られております。かつては、１週間ほど連続で行われ、富山県外からも参詣者があり、大変な賑わいだったそうです。熱心な門徒が集って、夜通しでご示談といって信心の沙汰がなされたとも聞いております。 かつて、親鸞会の高森顕徹先生が学生服姿で行かれて真仮の水際をスパッと説き切られた寺としても知られていると思います。 昨年、平成23年1月15日にも、もん太は勝興寺の御満座に行きましたが、その時の様子は『勝興寺の御満座に見た本願寺衰退の原因』に書いてありますので、ご覧ください。 今年も1月14日〜16日の３日間、行われると聞きましたので14日と15日に様子を見に行ってきました。 昨年は大雪の中での勝興寺の御満座でしたが、今回は寒いものの天気が良かったです。射水市から車を走らせて勝興寺への道の入口にある伏木駅に辿り着きますと、 人気が感じられないくらいに静かでした。かつては、御満座に参詣する為の人で賑やかだったであろうに……。昨年は、この辺に勝興寺の交通整理の人でも立っているかと思って来てみたところ、誰もおらず心配したくらいでしたが、今年も誰も立ってないようでした。もん太だけが、空しくカメラを構えておりました。 そして、道路から伏木駅のロータリーへ入る部分には、 御正忌報恩講 御満座法要厳修 と書かれ、日程が記された看板が立っておりました。３日間あるうちで２日間が土日ですから、多くの方がご縁を結ばれそうです。 ……と思って勝興寺の門前に到着してみたところ、 あれ？誰もいない。門の中に数台の車が見えるけど……。もう、皆さん、寺に入られたのでしょうか？昨年と同様に勝興寺内の駐車場に車を停めて、カメラを持って本堂へ向かってみた。 すると、既に数名の門徒さんがおられて始まるのを待っていました。そういえばアレはどうなった？ そう、勝興寺の公式HPでは、なぜか14日しか案内されていないんですが、勝興寺と言えばデカローソク！法話よりも「デカローソクを見にお参り下さい」と太字で熱烈にPRされている。法話を聞きにお参り下さい、ではないのがミソだ。そのデカローソクなんですが、 もん太が入った時に、係の人が脚立を使って点灯されていました。さて、このデカローソクはこの御満座で何を照らすのでしょうか？ ちなみにもん太が到着して、読経などが行われている間の参詣者はこんな感じ。 親鸞会では、足の都合の悪い人を除けば正座での聞法が勧められています。その方が、真剣に聞けますからね！しかし、勝興寺では、西本願寺の大遠忌同様に基本はイス席という状態です。イスに座れなくなったら仕方なく畳に正座という感じです。それにしても、土曜日だというのにまばらですね。 そうしている間に長い読経などが終わり、説教の時間になりました。昨年、もん太が来た時には実にやる気のない布教使が立ってガッカリしましたが、今年は本山で親鸞聖人750回大遠忌法要の御正当が勤められている中の御満座ですからね。どんな説教が聞けるのか、大いに期待したいものです。 ……で、この日に説教した布教使さんは明覚寺の住職をされている林要昭という方。どっちが副業か知りませんが、高校の英語教師でもあるようです。 前半50分で休憩を10分入れて、後半が25分という感じでしたので、だいぶ話されましたね。可能なら全部、書き出してアップしたいところですが、なんせ長いので部分的にアップしてみたいと思います。恐らく他力の念仏ということを話したいんだと思いますが、今の本願寺布教使が、どんな説教をするか興味のある人は、読んでみてください。非常に長いので忙しい人は、テキトーに読み飛ばしてして、次のところに行ってくださいね。 「もろもろの聖教を読み、ものを知りたりというとも、一念の信心のいわれを知らざる者はいたずらごとなり」という500年前の蓮如上人のお言葉と何か似たようなことをやっているんですよ。 えー、非常に時間をかけて何かした割には、外国の高校生にも負けるわけですよ。勝つ部分もあるかも知れません。知ってる単語、どっちがでかいあるといえば、きっと私の方が知っていると思います。16〜7の高校生にはきっと負けない自身があります。知っている単語だけならね。だけれども、それをきっちりと人に意志を伝える為に使い切っているかと言うと、これは無理です。無理ですね？ あのぉー、そういうことの似たようなことを言うと、皆さんだって日本語どこで習われました？えー、学校でという人はおられないですよね？えー、お顔を見ただけでは分かりませんけども本当は国籍はブラジルでーす、とか、韓国でーす、とか、中国でーすという方はおられますかねぇ？そういう方が日本語を学ぶのは大変だそうですよ。途中からしても、ところが、私たちは小さい頃にですよ、お母さんから「はい、今日は形容詞の日だよ」「今日は形容動詞の日だよ」「今日はラ行変格活用の日だよ」「五段活用は今度やるから、まず下二段活用から、下一段活用から」……そんな何かワケの分からんことを言うてね、お母さんが「まあ、そこに座られ」と言って「今日は日本語のレッスン」と言って、そんな家はないはずですよ。いつの間にか覚えましたね？いつの間にか覚えている。 どうして？耳から入って、日本語という言葉の仕組みがいつの間にか皆さんの心の中をガッチリとらえて、皆さんの心の中に住みついてしまって、そして気がついたら、もうそこから口をついて出てるんですよ。ねぇ？そうですよね？３歳にもなると、もう、かなり憎たらしいことを言うじゃないですか？どこで覚えてきたのかねぇ？そんなもん教えている学校、まだないはずなのにねぇ？「母ちゃんのバカ！」って言ったりするでしょう？それがどこでどうして考えたのか、本当に不思議なことなんですよ。私たちが言うのも変ですけども、そういう言葉は、人間は言葉をどのように覚えるのかなどと言うのも、面白い研究らしくてですね、多くの学者さんが取り組んでおられますよ。まあ、今一番ね、何といいますか、皆さんが納得していらっしゃる説はですね、こうなんですって。 私たちの頭は非常に柔軟でしてね、最初に飛び込んだ言葉や、相手が何かを言おうとしている、その気持ちがですね、頭の中に自動的にしみ込んで来て、頭で勉強して作ったんじゃ部分に染み付くんだそうです。えー、勉強と関係ない所に染み付いていくので、そのまま何かこう印刷したような、コピーしたような形になっていって、心配しなくても、難しいことを習っていないはずなのに、かなり難しいことをちゃんと正確にね、人はしゃべれるようになるという、こういうふうなことなので、今一番の最新の学説なんだそうです。 興味のない話をしましたかも知れませんけど、こういうのに名前がついておりましてね。えー、まあ「ユニバーサルグラマー」と、ちょっとカタカナの言葉でございますけれども、ユニバーサルグラマーっていうのは、どの人間の、どの人種のどこに生まれ育ったというのは関係なしに、人の頭は相手の言うことを染み込んで分かるという仕組みがあるということなんだそうですね。ユニバーサルグラマー。 もうちょっと難しいことを言う人は、Language Acquisition Device。LADと言うんだそうですけどね、そのLanguage Acquisition Deviceというものが、どの赤ちゃんにも、どの赤ちゃんにも生まれ備えておって、そこに言葉が沁み入っていって、いつの間にか周りの人と同じものが形成されていくと、こういうことを今、興味のあるなしとは別として、最先端の考え方として人はこうやってて言葉が身に付いていくのだ、と言われています。 ですから、耳で聞くことが大事なんだよーと言って、今、これもねテレビなんか見られますとね、興味がなかったら見落としますけどね、聞くだけの英会話とかね、聞いているうちにスーパーラーニングで分かるようになるとかですね、色んな有名な方がですね、出てこられて、宣伝しておられるのがあります。それは、ある意味正しいです。ずーっと聞いていれば耳に染み込んで、そして、ちゃんと話せるようになっていく。正しい考え方ですね。最新の理論に基づいていますから。でもね、みんな買った人がみんな上手くなるかと言えば、そうではないんですよ。なぜかと言うとですね。聞き方がもう変わっているんです。頭で聞くようになっているんです。今のは主語どれや？動詞どれや？目的語どれや？今のはどの単語やったん？もういっぺん調べてみてという、まあそれは、それで正しい勉強の仕方なんでしょうけど、これが頭を使って入ってくるのを邪魔している勉強の仕方なんです。こういうことをし始めるのは、人間10歳を超えると頭が良うなりましてね、自分で納得したり、自分で考えにゃ入らんようになっていくんだそうですよ。で、言葉の勉強をしている人に言わせますと、やっぱり10歳前後がギリギリだそうです。これを超えてしまうと、頭の中がちょっと、急に浄土真宗の言葉を使わせていただきますと、自力作善に変わってしまっておりますので、他力本願が沁み入ってくるのを、バチッと止めてしまってですね、もう無理だそうです。 で、さぁ、どういう意味なのかちゃんと説明してもらわにゃ分からん、というヤツですよ。ですから、モタモタ言わんと見て覚えろは、もう通用しないです。 で、もう１つですね、関係ない話かも知れませんが、関係あると思って話をしますが、頭の中に何でもかんでも入ってくると、危ないんですよ。どんどんどんどん侵入してくるからね。ですから、我が頭を守らんなんからね。人間はある時に、ブロックをかけて、聞こえんがにするがです。だって、日本語も分かるようになったら、ドイツ語も分かるようになったら、フランス語も分かるようになったら、英語も分かるようになったら、これ困るんですよ。考える道具がいっぱいありすぎてね。頭混乱して、私たちの1500ccぐらいの頭では、どっかで止めんなんがです。ですから、１つ道具立てがが沁み入ってきて出来上がったら、もう止めてしまうんですね。そしたらその部分はもういらなくなったからと言って、使わなくなるんです。使わなくなったらできなくなるでしょ？皆さんもちゃんと、私もそうですけど、歩いていますけど、30日以上入院しとってみてくださいよ。されたことない？ありますよね？ある人はね？そしたら立てんようになりません？筋肉落ちてしまってね。足使っていないから、リハビリということをしないと歩けんことが始まります。ですから、ある年から上のなかなかリハビリに時間がかかるお歳を超えた時に「転んじゃいけない」と言われるじゃないですか。ね？今度リハビリをすのに非常に苦労と時間とかかるので、どうかするとそれが原因になって、もう歩けなくなりましたとかね、そんなことが怖いですよね？ま、それと似ているんじゃないですかね？もう使わなくなったらね、いらなくなるんですよ。 ですから、頭の中をこう見ても分かりませんけど、学者さんの人に言わせると、言語が分かる部分は10歳ぐらいから急速に消えていくんだそうです。消えてしまったらね、聞いたら分かるかというと、もう無理なんですね。だけどこれは、個人差があるんですよ。個人差があるんです。20歳過ぎても、その部分がしっかり残っている人もいっぱいおられるそうです。いっぱいと言っても10万人に１人くらいはあるそうです。だから、高岡市で２人ほどおられますよ。富山県なら11人ほどおられるんですよ。そんなことなら全国にいっぱいおられるんです。私がこんな英語の商売をしておりますとね、今まで私の57年間で１人だけ会うたことがあります。日本人で日本でしか勉強していないのに、海外にしばらく渡って帰ってきたらですね、アメリカ人にも負けないような発音に変わっておられました。真似しているんじゃないんです。一生懸命勉強して身につけたんかなぁと思って、よ〜っくそのお嬢さんを観察したんですが、違いますね。完全にアメリカ人と同じ発音が、同じ言葉の並び方でバーッと出てくるんです。これ何百年練習したら、こんなんなるんかいというくらい上手なんですが、本人に聞いたところが驚きました。ある朝起きたらしゃべれるようになっとったようです。「な〜ん、私、勉強した覚えない」「なんか、どんどんどんどんしゃべれるがで、仕方ないやないけ」ちゅうがです。こういう方が10万人に１人の非常に希有な珍しい言語の部分が残った方だと学者さんは言われます。私もそうなんかなぁと思うしかありませんけど。 さて、こんな話はこれくらいに致しまして、如来様が私どもに届けようとされる御本願も、耳からいつの間にやら侵入してきてですね、逃げても、隠れても、嫌がっても聞こえてくるじゃないですか。聞いてるうちに心のどこかの部分に住処を得てですね、そこでシッカリと根を下ろしてくださるんですよ。ですから、私のようであり、私ではないんですね。もう、この中に入り込んで、沁み入って、住みついて、もう絶対にお前を取り逃したりしないぞという、これが御本願、如来様のお願いなんです。しかも、私が作ったお願いでは絶対にありませんからね。これは非常に強力な力なわけですね。強力かどうかは、私の頭で考えて、頭で判断すると、また分からなくなりますが、だけど、ありとあらゆるこの仏教界の仏さま方がね、第17願ってお聞きになったことがあるでしょ？諸仏称名の願と申しましてね。お念仏こそが最高のものの伝え方であると、お念仏を通して必ずこの私たちをですね、素直さがないような、逃げて隠れて嫌がるしか能のない私たちが、よーくよく考えてみると仏さまになりたいなどという心も一切ない私たちが、いつの間にかここに取り込まれて、気がついたらこの口から「われ称えわれ聞くなれど南無阿弥陀仏、われを救うの弥陀の呼び声」と聞こえてくる。私が言うたがだけども、私の口から聞こえてきたという、この独特な宗教的なものの見方、考え方が染み付くわけなんです。 ねぇ。あまりにもちょっと突拍子もない例かもしれませんけど、自転車に乗るとか、泳げるとかいうのはですね。習ったもんじゃないんですよ。体が覚えていることなんです。ですから、まだ最後の第４章と第５章を読んどらんからプール落としてくだされると溺れてしまうがですよ、という、そんな人はおらんですよ。泳げる人はボチョンと落とされても、どうもない。だって、生まれてほんの１年も経たん赤ちゃんでも、目を開けてね、水吸わんと喜んで笑いながら泳ぐんだそうですよ。だから、何か話が違うかも知れませんけれが、私たちには頭でない部分とというのはですね、随分考えなんならん時代に、今、なってきているんじゃないでしょうか？人類の文化とか、知恵とか知識とかですね。この壮大な文明というのは、まあ考えてみると、みんな私たちの頭がですね作り出してくれた世界でしょうね？ですから、その根本的な所にですね、光に当たって反省できるかできないかなんていうのは、よく哲学の方がね、考えることですけども、そういう中にあってからこそ750年のですね、節目を迎えた浄土真宗、親鸞聖人の大遠忌法要の時にですね、親鸞聖人のお感じくださった、法然上人んからどうして、私共に是非伝えようとされた世界が、メッセージが、ますます光を増すんだろうと思うわけですね。 あんまり難しいことを私、分かりもせんのに言うとね、混乱してしまいますけれども、特に西洋の方は文化とか文明とか哲学とか知識というのは、どうも頭で考えられる傾向が非常に強いわけですね。ですから世界には素晴らしい善がある、人間が触らなくても自立的な善があるのではないか。すべて私たちの欲とか目的とか何かしたいとか、目の前のものから離れることのある、その心の自由が得られたら人間もともと持っていた自立的な自由、神が与えたもうた自由に到達できるのではないかとエマニエル・カントという人がですね、純粋に理性というものがあるんではないかと仰ったようです。違うかも知れませんよ、私の読み方がね。だけど、イヤイヤそうではない、人間の力で、最大の善、最高の徳をみんなで作っていける、文明は作っていける力があるのだと大昔のアリストテレスという方は仰ったんだと思いますね。また、いやいやそうではない、人間は最大の数の幸福の実現をして今一番何が必要か、一番みんなが喜ぶことに焦点を合わせて社会を動かしていけば大丈夫なんだ、などといったですねジェレミ・ベンサムなんていう方もおられるようですね。 また、時代が過ぎまして近年になりますと、実存主義とかですね、懐疑主義というか、皆さん、お読みになったことがあるかどうかですね、カミュという人のね『異邦人』という小説なんかではですね、今朝ママが死んだとかワケの分からんことが書いてあったりね、太陽がまぶしかったから隣の婆さん殺したとかですね、何をこの人たちは言いたいのかというと、人間なんて自分が考えたような規律とか規範とか善とか道徳とか、そんなものありゃせんのだと、そんなもん全て勘違いで思い上がりで、思い違いで、ないものなんだと。もともと。何を言っているのだ、世の中全て不条理で出来上がっているのだと、本当に何があるのか考えていこうと、実存主義はね今は非常に影響力があって、西洋哲学の人はある意味、出口がなくなっちゃっているんですね。人とは一体何かのかという、これは毛頭答えが出ないんですけども、ここでですね、 親鸞聖人は我々を、親鸞聖人が仰ったんじゃない。如来様の光が当たると我々は罪悪深重の凡夫であるという、この結論があるわけなんです。これは西洋の方々は悪というのは、皆、悪魔がいてですね、神に逆らって人間を引っ張り込もうとしている力と説明されることが多いんですけども、元々身に付いた八十億劫よりも積み重ねた罪咎という発想は、どうも他の外国にはないようなんですね。私たちの深い人間観というのは、親鸞聖人はですね言葉で言うと、私たちのことをこういう風に仰るんですね。「信心喜ぶその人を　如来と等しと説きたもう　大信心は仏性なり　仏性すなわち如来なり」と、私たちが如来様の御本願を心の底に住まわせていただいて、そこから見えてきたもので比較した場合に、あなたも私も仏さまであり、御本願そのものであり、大信心そのものであると、お互いを条件なしで尊敬しあえる考え方が、ここに出てきていると言われる方が多いです。 えー、私がこの間聞いた五木寛之さんという作家のお話でも、親鸞聖人の世界に貢献できるのはここであると仰っておられましたね。ここ、ちゃどこかと言うと一切の衆生は世々生々の父母兄妹なりと、関係ない人などと言うのはですよ、あり得ないという発想です。あなたと私は絶対に違うという発想ではないんですよ。 ……という感じですね。 一番最初のところで「一念の信心のいわれを知らざる者は、いたずらごとなり」と言っておりながら、その一念の信心については触れておらず「もろもろの聖教をよみ、ものを知りたりというとも……いたずらごとなり」しか話をしていない。一念の信心どころか「耳からいつの間にやら」とか「聞いているうちに」……と、阿弥陀仏の一念の救いを、いつとはなしの救いに変えてしまっているんですね。何とも酷い。 そして、先ほどの説教の最後にこんなことを言っていた。 私たちは、頭で聞いて勉強しても少しは分かるようになりますが、それが進みすぎると、今度はこれが邪魔するわけですよ。ですから、布教使さんの色んな話を聞いてもですね、勉強として聞いたり、情報として聞いたりしますと、それなりに分かる部分もありますけど結局分からなくなってしまう。「何、言うとった？あの人？」ってね？「何やら、家族のことやら、違うたことやら」私たち布教使は得意ですからね。家族関係だとか実際の世の中で起こっていることに照らし合わせたようなつもりで、お話するのは結構慣れています。 だけど、それをお聞きになった人は「な〜ん、御本典の話でなかった」「な〜ん、和讃も出てこんだったし、教行信証の言葉も出てこんだったし。１つも有り難なかった」と言われることがあるんですよ。「もうちょっこぉ、気の利いた本の中の話を言われま！」「言葉説明しられま！」。なら、そんならということで、それをやりますと「な〜ん、分からんだ」「眠たぁ〜なった」と言われるし、どうせいちゅうがやちゅうことになってくるんですね。ここでも人の気持ちに合わせて、人の喜ぶものに第１の価値観を置くとね、フラフラフラフラ引っ張られて、あっち行きこっち行きで、な〜ん結局何も伝わらないことが起こりうるんですよ。 この部分を話している動画が、コチラ。 ……何といいましょうか。 親鸞会は親鸞学徒の集まりですから、自分の考えは一切入れずにお経や親鸞聖人や蓮如上人のお言葉を示して１つ１つ分かりやすくお伝えするのが本道と教えていただきます。それを真っ向から否定しているとは何とも情けないではありませんか。 浄土真宗で、聴聞する目的が明らかになっていないからではないでしょうか？聞いていて聞法の目的である後生の一大事の解決が全く教えられず、信心正因 称名報恩の教えがネジ曲げられている実態でした。眠たくなるからと言ってお聖教のお言葉を示さずに話をしてる布教使ですが、 ご覧のとおり、門徒さんは「そんな話を聞きに来たんじゃない」と言わんばかりに居眠りが酷いです。 [...]<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-2/">勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ（１）</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>もん太＠射水市民です。</p>
<p>現在、京都の西本願寺では<span style="color: #ff0000;"><strong>親鸞聖人750回大遠忌法要</strong></span>の<strong><span style="color: #ff0000;">御正当</span></strong>が行われており、もん太も全日程というわけではありませんが、行ってまいりました。その辺のことは<strong>『<a href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-1/" rel="nofollow" target="_blank">西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（１）</a>』</strong>からレポートというかレビューを４回シリーズで当ブログで紹介してきました。</p>
<p>京都の西本願寺に行きますと、あの大伽藍に驚く人が多いようですが、富山県高岡市伏木には<span style="color: #993300;"><strong>勝興寺</strong></span>という真宗寺院があり、その規模は、勝興寺を見たら本山（西本願寺）に行っても驚かないと言われるくらいのものです。そんな勝興寺では、１月の今ぐらいの時期に御正忌報恩講が行われるのですが<span style="color: #993300;"><strong>「御満座<span style="font-size: x-small;">（ごまんざ）</span>」</strong></span>という名前で知られております。かつては、１週間ほど連続で行われ、富山県外からも参詣者があり、大変な賑わいだったそうです。熱心な門徒が集って、夜通しでご示談といって信心の沙汰がなされたとも聞いております。</p>
<p>かつて、親鸞会の高森顕徹先生が学生服姿で行かれて真仮の水際をスパッと説き切られた寺としても知られていると思います。</p>
<p>昨年、平成23年1月15日にも、もん太は勝興寺の御満座に行きましたが、その時の様子は<strong>『<a href="http://www.keyrose.net/2011/01/gomanza/" rel="nofollow" target="_blank">勝興寺の御満座に見た本願寺衰退の原因</a>』</strong>に書いてありますので、ご覧ください。</p>
<p>今年も1月14日〜16日の３日間、行われると聞きましたので14日と15日に様子を見に行ってきました。</p>
<p>昨年は大雪の中での勝興寺の御満座でしたが、今回は寒いものの天気が良かったです。射水市から車を走らせて勝興寺への道の入口にある伏木駅に辿り着きますと、</p>
<div id="attachment_6412" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240115-1.jpg" alt="伏木駅（Photo by 親鸞会）" title="伏木駅（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6412" /><p class="wp-caption-text">勝興寺での御満座が始まる前の伏木駅。天気も良く、実に静かである</p></div>
<p>人気が感じられないくらいに静かでした。かつては、御満座に参詣する為の人で賑やかだったであろうに……。昨年は、この辺に勝興寺の交通整理の人でも立っているかと思って来てみたところ、誰もおらず心配したくらいでしたが、今年も誰も立ってないようでした。もん太だけが、空しくカメラを構えておりました。</p>
<p>そして、道路から伏木駅のロータリーへ入る部分には、</p>
<div id="attachment_6413" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240115-2.jpg" alt="御満座の看板（Photo by 親鸞会）" title="御満座の看板（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6413" /><p class="wp-caption-text">伏木駅前には「御満座法要厳修」と書かれた看板が設置されていた</p></div>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: medium;">御正忌報恩講 <span style="font-size: large;">御満座法要厳修</span></span></strong></span></p>
<p>と書かれ、日程が記された看板が立っておりました。３日間あるうちで２日間が土日ですから、多くの方がご縁を結ばれそうです。</p>
<p>……と思って勝興寺の門前に到着してみたところ、</p>
<div id="attachment_6414" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240115-3.jpg" alt="勝興寺の門前（Photo by 親鸞会）" title="勝興寺の門前（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6414" /><p class="wp-caption-text">勝興寺の門前。以前は、ここに多くの屋台などの出店が並んだらしい</p></div>
<p>あれ？誰もいない。門の中に数台の車が見えるけど……。もう、皆さん、寺に入られたのでしょうか？昨年と同様に勝興寺内の駐車場に車を停めて、カメラを持って本堂へ向かってみた。</p>
<p>すると、既に数名の門徒さんがおられて始まるのを待っていました。そういえばアレはどうなった？</p>
<div id="attachment_6422" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240115-10.gif" alt="御満座の案内" title="御満座の案内" width="450" height="80" class="size-full wp-image-6422" /><p class="wp-caption-text">勝興寺の公式HPでは「デカローソクを見にお参り下さい」と太字でPR♪</p></div>
<p>そう、勝興寺の公式HPでは、なぜか14日しか案内されていないんですが、勝興寺と言えばデカローソク！法話よりも<span style="color: #ff0000;"><strong>「デカローソクを見にお参り下さい」</strong></span>と太字で熱烈にPRされている。法話を聞きにお参り下さい、ではないのがミソだ。そのデカローソクなんですが、</p>
<div id="attachment_6415" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240115-4.jpg" alt="デカローソクの点灯（Photo by 親鸞会）" title="デカローソクの点灯（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6415" /><p class="wp-caption-text">午前の部が始まる前に名物のデカローソクに火が灯される</p></div>
<p>もん太が入った時に、係の人が脚立を使って点灯されていました。さて、このデカローソクはこの御満座で何を照らすのでしょうか？</p>
<p>ちなみにもん太が到着して、読経などが行われている間の参詣者はこんな感じ。</p>
<div id="attachment_6416" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240115-5.jpg" alt="本堂（Photo by 親鸞会）" title="本堂（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6416" /><p class="wp-caption-text">勤行中の本堂の様子。イス席が基本らしい。参詣者もまばらだった</p></div>
<p>親鸞会では、足の都合の悪い人を除けば正座での聞法が勧められています。その方が、真剣に聞けますからね！しかし、勝興寺では、西本願寺の大遠忌同様に基本はイス席という状態です。イスに座れなくなったら仕方なく畳に正座という感じです。それにしても、土曜日だというのにまばらですね。</p>
<p>そうしている間に長い読経などが終わり、説教の時間になりました。昨年、もん太が来た時には実にやる気のない布教使が立ってガッカリしましたが、今年は本山で親鸞聖人750回大遠忌法要の御正当が勤められている中の御満座ですからね。どんな説教が聞けるのか、大いに期待したいものです。</p>
<p>……で、この日に説教した布教使さんは明覚寺の住職をされている林要昭という方。どっちが副業か知りませんが、高校の英語教師でもあるようです。</p>
<div id="attachment_6417" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240115-6.jpg" alt="林要昭（Photo by 親鸞会）" title="林要昭（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6417" /><p class="wp-caption-text">初日の説教を担当した高岡市の明覚寺の住職・林要昭氏</p></div>
<p>前半50分で休憩を10分入れて、後半が25分という感じでしたので、だいぶ話されましたね。可能なら全部、書き出してアップしたいところですが、なんせ長いので部分的にアップしてみたいと思います。恐らく他力の念仏ということを話したいんだと思いますが、今の本願寺布教使が、どんな説教をするか興味のある人は、読んでみてください。非常に長いので忙しい人は、テキトーに読み飛ばしてして、次のところに行ってくださいね。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #800000;"><strong>「もろもろの聖教を読み、ものを知りたりというとも、一念の信心のいわれを知らざる者はいたずらごとなり」</strong></span>という500年前の蓮如上人のお言葉と何か似たようなことをやっているんですよ。</p>
<p style="padding-left: 30px;">えー、非常に時間をかけて何かした割には、外国の高校生にも負けるわけですよ。勝つ部分もあるかも知れません。知ってる単語、どっちがでかいあるといえば、きっと私の方が知っていると思います。16〜7の高校生にはきっと負けない自身があります。知っている単語だけならね。だけれども、それをきっちりと人に意志を伝える為に使い切っているかと言うと、これは無理です。無理ですね？</p>
<p style="padding-left: 30px;">あのぉー、そういうことの似たようなことを言うと、皆さんだって日本語どこで習われました？えー、学校でという人はおられないですよね？えー、お顔を見ただけでは分かりませんけども本当は国籍はブラジルでーす、とか、韓国でーす、とか、中国でーすという方はおられますかねぇ？そういう方が日本語を学ぶのは大変だそうですよ。途中からしても、ところが、私たちは小さい頃にですよ、お母さんから「はい、今日は形容詞の日だよ」「今日は形容動詞の日だよ」「今日はラ行変格活用の日だよ」「五段活用は今度やるから、まず下二段活用から、下一段活用から」……そんな何かワケの分からんことを言うてね、お母さんが「まあ、そこに座られ」と言って「今日は日本語のレッスン」と言って、そんな家はないはずですよ。いつの間にか覚えましたね？いつの間にか覚えている。</p>
<p style="padding-left: 30px;">どうして？耳から入って、日本語という言葉の仕組みがいつの間にか皆さんの心の中をガッチリとらえて、皆さんの心の中に住みついてしまって、そして気がついたら、もうそこから口をついて出てるんですよ。ねぇ？そうですよね？３歳にもなると、もう、かなり憎たらしいことを言うじゃないですか？どこで覚えてきたのかねぇ？そんなもん教えている学校、まだないはずなのにねぇ？「母ちゃんのバカ！」って言ったりするでしょう？それがどこでどうして考えたのか、本当に不思議なことなんですよ。私たちが言うのも変ですけども、そういう言葉は、人間は言葉をどのように覚えるのかなどと言うのも、面白い研究らしくてですね、多くの学者さんが取り組んでおられますよ。まあ、今一番ね、何といいますか、皆さんが納得していらっしゃる説はですね、こうなんですって。</p>
<p style="padding-left: 30px;">私たちの頭は非常に柔軟でしてね、最初に飛び込んだ言葉や、相手が何かを言おうとしている、その気持ちがですね、頭の中に自動的にしみ込んで来て、頭で勉強して作ったんじゃ部分に染み付くんだそうです。えー、勉強と関係ない所に染み付いていくので、そのまま何かこう印刷したような、コピーしたような形になっていって、心配しなくても、難しいことを習っていないはずなのに、かなり難しいことをちゃんと正確にね、人はしゃべれるようになるという、こういうふうなことなので、今一番の最新の学説なんだそうです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">興味のない話をしましたかも知れませんけど、こういうのに名前がついておりましてね。えー、まあ「ユニバーサルグラマー」と、ちょっとカタカナの言葉でございますけれども、ユニバーサルグラマーっていうのは、どの人間の、どの人種のどこに生まれ育ったというのは関係なしに、人の頭は相手の言うことを染み込んで分かるという仕組みがあるということなんだそうですね。ユニバーサルグラマー。</p>
<p style="padding-left: 30px;">もうちょっと難しいことを言う人は、Language Acquisition Device。LADと言うんだそうですけどね、そのLanguage Acquisition Deviceというものが、どの赤ちゃんにも、どの赤ちゃんにも生まれ備えておって、そこに言葉が沁み入っていって、いつの間にか周りの人と同じものが形成されていくと、こういうことを今、興味のあるなしとは別として、最先端の考え方として人はこうやってて言葉が身に付いていくのだ、と言われています。</p>
<p style="padding-left: 30px;">ですから、耳で聞くことが大事なんだよーと言って、今、これもねテレビなんか見られますとね、興味がなかったら見落としますけどね、聞くだけの英会話とかね、聞いているうちにスーパーラーニングで分かるようになるとかですね、色んな有名な方がですね、出てこられて、宣伝しておられるのがあります。それは、ある意味正しいです。ずーっと聞いていれば耳に染み込んで、そして、ちゃんと話せるようになっていく。正しい考え方ですね。最新の理論に基づいていますから。でもね、みんな買った人がみんな上手くなるかと言えば、そうではないんですよ。なぜかと言うとですね。聞き方がもう変わっているんです。頭で聞くようになっているんです。今のは主語どれや？動詞どれや？目的語どれや？今のはどの単語やったん？もういっぺん調べてみてという、まあそれは、それで正しい勉強の仕方なんでしょうけど、これが頭を使って入ってくるのを邪魔している勉強の仕方なんです。こういうことをし始めるのは、人間10歳を超えると頭が良うなりましてね、自分で納得したり、自分で考えにゃ入らんようになっていくんだそうですよ。で、言葉の勉強をしている人に言わせますと、やっぱり10歳前後がギリギリだそうです。これを超えてしまうと、頭の中がちょっと、急に浄土真宗の言葉を使わせていただきますと、<span style="color: #ff0000;"><strong>自力作善</strong></span>に変わってしまっておりますので、<span style="color: #ff0000;"><strong>他力本願</strong></span>が沁み入ってくるのを、バチッと止めてしまってですね、もう無理だそうです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">で、さぁ、どういう意味なのかちゃんと説明してもらわにゃ分からん、というヤツですよ。ですから、モタモタ言わんと見て覚えろは、もう通用しないです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">で、もう１つですね、関係ない話かも知れませんが、関係あると思って話をしますが、頭の中に何でもかんでも入ってくると、危ないんですよ。どんどんどんどん侵入してくるからね。ですから、我が頭を守らんなんからね。人間はある時に、ブロックをかけて、聞こえんがにするがです。だって、日本語も分かるようになったら、ドイツ語も分かるようになったら、フランス語も分かるようになったら、英語も分かるようになったら、これ困るんですよ。考える道具がいっぱいありすぎてね。頭混乱して、私たちの1500ccぐらいの頭では、どっかで止めんなんがです。ですから、１つ道具立てがが沁み入ってきて出来上がったら、もう止めてしまうんですね。そしたらその部分はもういらなくなったからと言って、使わなくなるんです。使わなくなったらできなくなるでしょ？皆さんもちゃんと、私もそうですけど、歩いていますけど、30日以上入院しとってみてくださいよ。されたことない？ありますよね？ある人はね？そしたら立てんようになりません？筋肉落ちてしまってね。足使っていないから、リハビリということをしないと歩けんことが始まります。ですから、ある年から上のなかなかリハビリに時間がかかるお歳を超えた時に「転んじゃいけない」と言われるじゃないですか。ね？今度リハビリをすのに非常に苦労と時間とかかるので、どうかするとそれが原因になって、もう歩けなくなりましたとかね、そんなことが怖いですよね？ま、それと似ているんじゃないですかね？もう使わなくなったらね、いらなくなるんですよ。</p>
<p style="padding-left: 30px;">ですから、頭の中をこう見ても分かりませんけど、学者さんの人に言わせると、言語が分かる部分は10歳ぐらいから急速に消えていくんだそうです。消えてしまったらね、聞いたら分かるかというと、もう無理なんですね。だけどこれは、個人差があるんですよ。個人差があるんです。20歳過ぎても、その部分がしっかり残っている人もいっぱいおられるそうです。いっぱいと言っても10万人に１人くらいはあるそうです。だから、高岡市で２人ほどおられますよ。富山県なら11人ほどおられるんですよ。そんなことなら全国にいっぱいおられるんです。私がこんな英語の商売をしておりますとね、今まで私の57年間で１人だけ会うたことがあります。日本人で日本でしか勉強していないのに、海外にしばらく渡って帰ってきたらですね、アメリカ人にも負けないような発音に変わっておられました。真似しているんじゃないんです。一生懸命勉強して身につけたんかなぁと思って、よ〜っくそのお嬢さんを観察したんですが、違いますね。完全にアメリカ人と同じ発音が、同じ言葉の並び方でバーッと出てくるんです。これ何百年練習したら、こんなんなるんかいというくらい上手なんですが、本人に聞いたところが驚きました。ある朝起きたらしゃべれるようになっとったようです。「な〜ん、私、勉強した覚えない」「なんか、どんどんどんどんしゃべれるがで、仕方ないやないけ」ちゅうがです。こういう方が10万人に１人の非常に希有な珍しい言語の部分が残った方だと学者さんは言われます。私もそうなんかなぁと思うしかありませんけど。</p>
<div id="attachment_6418" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240115-7.jpg" alt="説教中の本堂（Photo by 親鸞会）" title="説教中の本堂（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6418" /><p class="wp-caption-text">説教中の本堂の様子。話の内容が内容なので参詣者もダラダラしている</p></div>
<p style="padding-left: 30px;">さて、こんな話はこれくらいに致しまして、<span style="color: #0000ff;"><strong>如来様が私どもに届けようとされる御本願も、耳からいつの間にやら侵入してきて</strong></span>ですね、逃げても、隠れても、嫌がっても聞こえてくるじゃないですか。<span style="color: #0000ff;"><strong>聞いてるうちに心のどこかの部分に住処を得てですね、そこでシッカリと根を下ろしてくださる</strong></span>んですよ。ですから、私のようであり、私ではないんですね。もう、この中に入り込んで、沁み入って、住みついて、もう絶対にお前を取り逃したりしないぞという、これが御本願、如来様のお願いなんです。しかも、私が作ったお願いでは絶対にありませんからね。これは非常に強力な力なわけですね。強力かどうかは、私の頭で考えて、頭で判断すると、また分からなくなりますが、だけど、ありとあらゆるこの仏教界の仏さま方がね、第17願ってお聞きになったことがあるでしょ？諸仏称名の願と申しましてね。お念仏こそが最高のものの伝え方であると、お念仏を通して必ずこの私たちをですね、素直さがないような、逃げて隠れて嫌がるしか能のない私たちが、よーくよく考えてみると仏さまになりたいなどという心も一切ない私たちが、いつの間にかここに取り込まれて、気がついたらこの口から<span style="color: #0000ff;"><strong>「われ称えわれ聞くなれど南無阿弥陀仏、われを救うの弥陀の呼び声」</strong></span>と聞こえてくる。私が言うたがだけども、私の口から聞こえてきたという、この独特な宗教的なものの見方、考え方が染み付くわけなんです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">ねぇ。あまりにもちょっと突拍子もない例かもしれませんけど、自転車に乗るとか、泳げるとかいうのはですね。習ったもんじゃないんですよ。体が覚えていることなんです。ですから、まだ最後の第４章と第５章を読んどらんからプール落としてくだされると溺れてしまうがですよ、という、そんな人はおらんですよ。泳げる人はボチョンと落とされても、どうもない。だって、生まれてほんの１年も経たん赤ちゃんでも、目を開けてね、水吸わんと喜んで笑いながら泳ぐんだそうですよ。だから、何か話が違うかも知れませんけれが、私たちには頭でない部分とというのはですね、随分考えなんならん時代に、今、なってきているんじゃないでしょうか？人類の文化とか、知恵とか知識とかですね。この壮大な文明というのは、まあ考えてみると、みんな私たちの頭がですね作り出してくれた世界でしょうね？ですから、その根本的な所にですね、光に当たって反省できるかできないかなんていうのは、よく哲学の方がね、考えることですけども、そういう中にあってからこそ750年のですね、節目を迎えた浄土真宗、親鸞聖人の大遠忌法要の時にですね、親鸞聖人のお感じくださった、法然上人んからどうして、私共に是非伝えようとされた世界が、メッセージが、ますます光を増すんだろうと思うわけですね。</p>
<p style="padding-left: 30px;">あんまり難しいことを私、分かりもせんのに言うとね、混乱してしまいますけれども、特に西洋の方は文化とか文明とか哲学とか知識というのは、どうも頭で考えられる傾向が非常に強いわけですね。ですから世界には素晴らしい善がある、人間が触らなくても自立的な善があるのではないか。すべて私たちの欲とか目的とか何かしたいとか、目の前のものから離れることのある、その心の自由が得られたら人間もともと持っていた自立的な自由、神が与えたもうた自由に到達できるのではないかとエマニエル・カントという人がですね、純粋に理性というものがあるんではないかと仰ったようです。違うかも知れませんよ、私の読み方がね。だけど、イヤイヤそうではない、人間の力で、最大の善、最高の徳をみんなで作っていける、文明は作っていける力があるのだと大昔のアリストテレスという方は仰ったんだと思いますね。また、いやいやそうではない、人間は最大の数の幸福の実現をして今一番何が必要か、一番みんなが喜ぶことに焦点を合わせて社会を動かしていけば大丈夫なんだ、などといったですねジェレミ・ベンサムなんていう方もおられるようですね。</p>
<p style="padding-left: 30px;">また、時代が過ぎまして近年になりますと、実存主義とかですね、懐疑主義というか、皆さん、お読みになったことがあるかどうかですね、カミュという人のね『異邦人』という小説なんかではですね、今朝ママが死んだとかワケの分からんことが書いてあったりね、太陽がまぶしかったから隣の婆さん殺したとかですね、何をこの人たちは言いたいのかというと、人間なんて自分が考えたような規律とか規範とか善とか道徳とか、そんなものありゃせんのだと、そんなもん全て勘違いで思い上がりで、思い違いで、ないものなんだと。もともと。何を言っているのだ、世の中全て不条理で出来上がっているのだと、本当に何があるのか考えていこうと、実存主義はね今は非常に影響力があって、西洋哲学の人はある意味、出口がなくなっちゃっているんですね。人とは一体何かのかという、これは毛頭答えが出ないんですけども、ここでですね、</p>
<p style="padding-left: 30px;">親鸞聖人は我々を、親鸞聖人が仰ったんじゃない。如来様の光が当たると我々は罪悪深重の凡夫であるという、この結論があるわけなんです。これは西洋の方々は悪というのは、皆、悪魔がいてですね、神に逆らって人間を引っ張り込もうとしている力と説明されることが多いんですけども、元々身に付いた八十億劫よりも積み重ねた罪咎という発想は、どうも他の外国にはないようなんですね。私たちの深い人間観というのは、親鸞聖人はですね言葉で言うと、私たちのことをこういう風に仰るんですね。「信心喜ぶその人を　如来と等しと説きたもう　大信心は仏性なり　仏性すなわち如来なり」と、私たちが如来様の御本願を心の底に住まわせていただいて、そこから見えてきたもので比較した場合に、あなたも私も仏さまであり、御本願そのものであり、大信心そのものであると、お互いを条件なしで尊敬しあえる考え方が、ここに出てきていると言われる方が多いです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">えー、私がこの間聞いた五木寛之さんという作家のお話でも、親鸞聖人の世界に貢献できるのはここであると仰っておられましたね。ここ、ちゃどこかと言うと一切の衆生は世々生々の父母兄妹なりと、関係ない人などと言うのはですよ、あり得ないという発想です。あなたと私は絶対に違うという発想ではないんですよ。</p>
<p>……という感じですね。</p>
<p>一番最初のところで<span style="color: #800000;"><strong>「一念の信心のいわれを知らざる者は、いたずらごとなり」</strong></span>と言っておりながら、その一念の信心については触れておらず<span style="color: #800000;"><strong>「もろもろの聖教をよみ、ものを知りたりというとも……いたずらごとなり」</strong></span>しか話をしていない。一念の信心どころか「耳からいつの間にやら」とか「聞いているうちに」……と、阿弥陀仏の一念の救いを、いつとはなしの救いに変えてしまっているんですね。何とも酷い。</p>
<p>そして、先ほどの説教の最後にこんなことを言っていた。</p>
<p style="padding-left: 30px;">私たちは、頭で聞いて勉強しても少しは分かるようになりますが、それが進みすぎると、今度はこれが邪魔するわけですよ。ですから、布教使さんの色んな話を聞いてもですね、勉強として聞いたり、情報として聞いたりしますと、それなりに分かる部分もありますけど結局分からなくなってしまう。<span style="color: #0000ff;"><strong>「何、言うとった？あの人？」</strong></span>ってね？<span style="color: #0000ff;"><strong>「何やら、家族のことやら、違うたことやら」</strong></span>私たち布教使は得意ですからね。家族関係だとか実際の世の中で起こっていることに照らし合わせたようなつもりで、お話するのは結構慣れています。</p>
<p style="padding-left: 30px;">だけど、それをお聞きになった人は<span style="color: #0000ff;"><strong>「な〜ん、御本典の話でなかった」「な〜ん、和讃も出てこんだったし、教行信証の言葉も出てこんだったし。１つも有り難なかった」</strong></span>と言われることがあるんですよ。<span style="color: #0000ff;"><strong>「もうちょっこぉ、気の利いた本の中の話を言われま！」「言葉説明しられま！」</strong></span>。なら、そんならということで、それをやりますと<span style="color: #0000ff;"><strong>「な〜ん、分からんだ」「眠たぁ〜なった」</strong></span>と言われるし、どうせいちゅうがやちゅうことになってくるんですね。ここでも人の気持ちに合わせて、人の喜ぶものに第１の価値観を置くとね、フラフラフラフラ引っ張られて、あっち行きこっち行きで、な〜ん結局何も伝わらないことが起こりうるんですよ。</p>
<p>この部分を話している動画が、コチラ。</p>
<p style="text-align: center;"><iframe src="http://www.youtube.com/embed/5mEU-_ueo2E" frameborder="0" width="560" height="315"></iframe></p>
<p>……何といいましょうか。</p>
<p>親鸞会は親鸞学徒の集まりですから、自分の考えは一切入れずにお経や親鸞聖人や蓮如上人のお言葉を示して１つ１つ分かりやすくお伝えするのが本道と教えていただきます。それを真っ向から否定しているとは何とも情けないではありませんか。</p>
<p>浄土真宗で、聴聞する目的が明らかになっていないからではないでしょうか？聞いていて聞法の目的である後生の一大事の解決が全く教えられず、信心正因 称名報恩の教えがネジ曲げられている実態でした。眠たくなるからと言ってお聖教のお言葉を示さずに話をしてる布教使ですが、</p>
<div id="attachment_6419" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240115-8.jpg" alt="居眠り（Photo by 親鸞会）" title="居眠り（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6419" /><p class="wp-caption-text">布教使が好き放題言いたいことを言っているから居眠りがひどい</p></div>
<p>ご覧のとおり、門徒さんは<span style="color: #ff0000;"><strong>「そんな話を聞きに来たんじゃない」</strong></span>と言わんばかりに居眠りが酷いです。</p>
<p>折角、寒い中、長時間に渡って親鸞聖人の教えを聞きに来られた門徒さんがかわいそうです。親鸞聖人のお言葉についてお聞きしたいと来ても「そんな話したら分からんかったと言われるから」と拒まれては、門徒の皆さんはどこで聖人の教えを聞けばいいのでしょう？話をして分からんかったと言われるのは、話している者の理解不足であり、話し方が悪いだけ。</p>
<p>親鸞会では、お聖教のお言葉を出して１つ１つ聖人の教えをお伝えしているのですが、多くの方が真剣に聴聞されます。さて、本当の浄土真宗の話というのはどういうものでしょうか？</p>
<p style="text-align: center;"><iframe src="http://www.youtube.com/embed/5qjtBsPi7Sc" frameborder="0" width="480" height="360"></iframe></p>
<p>まさに、これが浄土真宗の本道ですね。</p>
<p>勝興寺で親鸞聖人の教えが聞けないとお嘆きの方は、親鸞会に一度来てみてください。仏法を求める目的からハッキリしますし、正信偈のお言葉から丁寧に詳しく聴聞できます。</p>
<p>かつては、ご示談といって夜通し、信心の沙汰が活発になされていた勝興寺の御満座ですが、それもなくなったので、門徒の皆さんがせめて本堂で正信偈の勤行をさせてもらいたいと説教の後に勤行をされていました。</p>
<div id="attachment_6420" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240115-9.jpg" alt="正信偈の勤行（Photo by 親鸞会）" title="正信偈の勤行（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6420" /><p class="wp-caption-text">ご示談もなくなったので門徒だけで正信偈の勤行をするようにしたらしい</p></div>
<p>教えを聞きたくても教えが聞けない真宗難民がここにも多くいらっしゃいました。</p>
<p>一応、今回の御満座での林要昭氏の説教は下の動画で一通り聞けます。</p>
<p style="text-align: center;"><iframe src="http://www.youtube.com/embed/x6_Ca1jqWEo" frameborder="0" width="560" height="315"></iframe></p>
<p>いかがでしょうか？本当の親鸞聖人の教えが親鸞会でしか聞けないことが分かられることと思います。</p>
<p>続きの15日の様子はこちら→<strong>「<a href="http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-3/" rel="nofollow" target="_blank">勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ（２）</a>」</strong></p>
<p>ではでは。</p>
<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-2/">勝興寺の御正忌報恩講 御満座レポ（１）</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-2/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.keyrose.net/2012/01/gomanza-2/" />
	</item>
		<item>
		<title>西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（３）</title>
		<link>http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-3/</link>
		<comments>http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-3/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 13 Jan 2012 07:10:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>monta</dc:creator>
				<category><![CDATA[真宗十派]]></category>
		<category><![CDATA[報恩講]]></category>
		<category><![CDATA[西本願寺]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞会]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞聖人７５０回忌]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.keyrose.net/?p=6365</guid>
		<description><![CDATA[もん太＠射水市民です。 さて、昨年の４月から行われている西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌法要でございますが、この１月は締めくくりとして御正当（ごしょうとう）が行われております。もん太も親鸞会の法友と共に行ってまいりましたので、当ブログで数回に分けてレポートしております。 前回の記事は「西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（２）」でございますが、昨年11月までの大遠忌は団体参拝が基本だったためか、それなりに賑わっておりましたが、この御正当はそれがなく自由参拝。その為、来たい人だけ来ているという感じで、少々寂しい感じでした。ただ、蓮如上人の御一代記聞書に、 一宗の繁昌と申すは、人の多く集り威の大なる事にてはなく候、一人なりとも人の信を取るが、一宗の繁昌に候。然れば「専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず」と遊ばされおかれ候 とありますように、人が多く参詣していればいいというものではありません。たとえ大遠忌に大勢の人が参拝していても、京都観光の一部のように来ている人ばかりであるならば、真宗の繁昌とは言えません。問題は、正しい親鸞聖人の教えが説かれ、真実信心を獲得しているか否かですので、この御正当に参拝している人が少ないからと言って、それだけでは判断できません。 そんなわけで、「最近は、寺で教えが説かれなくなった」と嘆く門徒の声を聞きますが、本山である西本願寺には、ズバリ聞法会館という建物があり、その総会所（そうがいしょ）では年末年始以外なら毎日説教がなされているとのことですので行ってみることにしました。何でも真宗教会という浄土真宗の教えを学ぶサークルまで結成して活動しているそうです。サークルを作って活動しているとは、さすがは本山。ヤル気が感じられます。大いに期待してみたいと思います。 ……で、こちらが聞法会館です。 どこか、親鸞会の同朋の里F館に似ている佇まいですね。ここは公式サイトに「京都・西本願寺の宿」と書かれているように、西本願寺に参拝した人の為の宿泊施設のようです。 親鸞会のF館は玄関を入ってすぐに靴を脱いで上がるのですが、ここは土足のまま歩くようです。宿泊施設としては、和室から洋室まで揃っております。他にもレストランや喫茶があったり、仏式結婚式ができる場所もあるようです。地下の１階にはレストランに併設して売店があり、 このような本願寺の本を購入できる小さな書店もございます。まあ、一般の書店では見られないような本もあったりします。壁には大谷光真門首の写真入りポスターも張られています。どうも『世の中安穏なれ』が絶賛発売中のようでございますよ。 さて、大切な聴聞ができるという総会所に行ってみたいと思います。聞法会館の１階にあるということですが……、 最初に行ってみた時には、丁度、説教がない時間帯のようで、次の説教に向けての準備がなされていました。ホームページでは、総会所の中は椅子がズラリと並べられていましたが、今回は大遠忌ということもあってか椅子は脇の廊下に並べられ、中は畳敷きにして本来の聞法道場のようになっておりました。 お仏壇の上の書は「値弘誓」の３文字。総会所の左前方には移動可能な黒板が１枚設置され、その左には様々なお聖教のお言葉が書かれた紙が置かれていました。 さて、昼の１１時くらいには御影堂での法要が終わり、その後に総会所で説教が行われます。もん太が行った日には、午前中に御影堂で10分ほどの記念布教をした山口教区の中島昭念氏という布教使でした。演題は「智慧の念仏うることは」だそうです。 総会所には、昨年までの団体参拝ではなく、それなりに気持ちのある個人参拝がメインらしいことから、思っていたより多くの人が聞きに来ていたように思います。布教使の真正面に席を取って正座して真剣に聞いている人もあれば、総会所の後ろの壁に、カマボコが板に張り付くようにして聞いている人から、色んな人がいました。大学を卒業したばかりの人のような若い人も数名いらっしゃいました。やはり、親鸞聖人のお言葉に何かを感じ、その教えを聞きたいと期待して総会所まで来られるのでしょう。 先ほどの大学を卒業したばかりのような熱心な青年に聞いてみると、某寺の住職の息子さんとのこと。正座をし、背筋を伸ばし、手にはビッシリとメモが書かれた大学ノートがありました。説教中もずっとメモを取り、真剣そのものでした。住職の息子で跡取りだからイヤイヤ……というのでは、正座して聞こうとはしないと思います。やはり、それなりに使命感を持って頑張っておられるのだと思いました。 そして、中島昭念氏の説教ですが、内容は有用性と真実性といった話でした。 今の人は有用性で物事を判断しており、老人よりは若い人が有用性があるから好まれ、病気になるよりは健康な方が有用性があるから……といった話でした。それならば、病人や老人といった人は有用性がないから生きる意味がないのか。それに対し、親鸞聖人は、有用とか無用という観点ではなく真実性で語られたという話ですね。 話の中で、この中島昭念氏の寺の話になりました。どうも最近、本堂を建て直したそうで、その建て直しに献金したらしい門徒より「この寺の本堂は不要ではないかと思う。私は１００万円出したが、１年で使うことがない」と言われたそうです。その時に中島氏は、それなら使ったらいいと言い返したそうですが、正しい教えが説かれなければ不要と言っていいでしょう。逆に寺は聞法道場ですから、正しい教えが説かれてこそ存在意義があり、この門徒のように１００万円を献金して本堂を建て直すことは無駄にならないでしょう。ただ、本当の親鸞聖人の教えが説かれているか……と疑問に思わずにおれませんでした。 この中島氏の説教を聞いていると、ただ漠然と「お念仏を称えていれば死んだら極楽」というような単純な話でないことが分かります。一応、阿弥陀仏のご本願を信じ、お念仏を申しましょう……と言われます。ちょっと聞くと「信心正因　称名報恩」の教えのように聞こえますが、どういうわけか阿弥陀仏のご本願を信ずるとはどういうことか、その一番聞きたい信心とは、どんな信心なのかが語られません。 話の中で「ある茶髪の若者から『もろもろの雑行・雑修・自力の心をふりすてて……とはどんなことですか』と聞かれましてね」と言い出したので、おおっと身を乗り出して聞いてみるんですが、その雑行や雑修や自力の心についての話がなされません。聖人一流の章や領解文を声高々と読み上げるのですが「聖人一流の御勧化の趣は信心をもって本とせられ候」と言っていても信心について全く語られません。やはり、その辺がボヤけているのでしょうか。 この翌日には、宗務総長の橘正信氏の説教でありました。もん太は、WEBで聞いておりました。 教団の宗務総長といえば、国の内閣でいえば総理にあたる重職です。 その重責にある人が、親鸞聖人750回大遠忌法要という50年に１度の浄土真宗で最も大事な行事の中で説教する。しかも、それが本願寺の公式サイトでも生中継され、更に録画が再放送され、世界や全国の人が視聴できるとなれば、大変なプレッシャーであることは想像に難くありません。そんな重圧を担ってもいないもん太ですが、そんな者が上から目線で総長の話をあれやこれやと言うのは、一般的に失礼であり顰蹙を買うかもしれませんが、聞いていて、どうしても言いたいことがあります。 まず、教えを説く姿勢です。総長の説教の初めはこうでした。 ようこそお参りくださいました。 総長がお説教するということは、あんまりよろしくないと私は思うんでありますけれども、どうも、あなたがやってくださいということで、まあ、イヤとは言えませんもんで、お引き受けしましたけれども、日頃、大遠忌のご挨拶をしておりますから、まあ、あのようなことがですね、私の思いであります から始まります。 真実を説く立場の者が「ようこそお参りくださいました」とは何事か。また、説教を依頼されて、どこかイヤイヤ説教に立っているという感じです。聞きたい人があれば、喜んで法を説きに行くべきではないでしょうか。最初からやる気のない話を聞かされては、折角、総会所に集った門徒の方々がかわいそうです。 更に、讃題として「噫、弘誓の強縁は……」のお言葉が拝読されましたが、暗唱ではなく拝読という形なのに、何度もつっかえつっかえで、所々、お聖教を「え〜っと」と覗き込むようにして拝読しています。途中で「生死の苦海ほとりなし……」のご和讃を拝読していましたが、これまた同様でした。 更に、説教中に日蓮の話にもなったのですが、「日蓮上人」「立正安国論をお書きになりまして」と念仏誹謗の親玉に対して敬語を使っています。こんな有り様だから、本願寺門徒の多くが創価学会に迷っていったのだということが納得できました。 そして、言いたいことのメインは教えの内容です。 親鸞聖人の教えは信心正因の教えです。これは阿弥陀仏の救いは信心一つということであり、この信心一つを祖師聖人は伝えてくださったのだから、それを明らかにするのが親鸞聖人750回大遠忌法要を勤めるということでしょう。 それにも関わらず、宗務総長の話を聞いておりますと、最後まで「信心」は聞かれず「お念仏」のオンパレードでした。勿論、お念仏が尊いのは言うまでもないことですが「誰でも彼でも、お念仏を称えることによって、本当の幸福を得て、お浄土に参らせていただく」との総長の言は、信心正因ならぬ称名正因です。これで親鸞聖人の教えを伝えていることになるのでしょうか？ また、宗務総長というお立場から多くの雑誌からインタビューを受けたことにも触れ、それらの記者とのやり取りを、 記者「お念仏とはどういうことですか？」 総長「お念仏を頂いたことによって、生きるエネルギーです。（中略）この世で頂いた命を完全燃焼して生きる」 記者「それはどういうことなのですか？」 総長「目の前のことを一生懸命やることだ」 このように言っていましたが、これでは、親鸞聖人の教えとは、結局、目の前のことを一生懸命やることなのか？という疑問を持つでしょう。本願寺僧侶の皆が皆、このような話をするわけではないでしょう。多少、心得のある人なら、稀ではありますが信心正因ということは言います。念仏を称えたら極楽へ往けるような説教は「間違い」と教える僧侶もあります。なのになぜ、この大遠忌の御正当という大事な場面で、宗務総長という大事な立場の人から、こんな話が出てくるのでしょうか？また、それが平然とまかり通っていくのでしょうか？ 本願寺の中枢部が、いくら信心正因と言おうが全体の理解はバラバラ。信心がいかなるものかサッパリ分からず、また、どうしても獲得しなければならない信心であるということが本願寺自身が思っていないから、こんな大事な場面で、重要な立場の人が異端を唱えていても許し合って共存できるのでしょう。 親鸞会においては、最近、親鸞学徒になった法友でさえ、こんな教えに反したことは言いませんし、ましてや立場のある人が、こんな不浄説法をしたら大問題になるでしょう。 教えの正邪の見分けがつかず、またそれを正そうとする機能すら、今の本願寺には失われてしまっているとしか言いようがありません。念仏称えたら死んだら誰でも極楽だから、称えましょう、喜びましょう、です。これが末寺ならともかく、本山の中核でこうなのですから、末寺に至っては推して知るべしです。 西本願寺で受け取ってきた『シリーズ大遠忌III　本山参り』というパンフレットがあります。 この最後には、このように書かれています（親鸞会でも聞いたことがあるような……）。 大遠忌はゴールではなく、新たな出発点です 親鸞聖人と異なる教えを伝えて、どこへ出発するつもりなんでしょう？暗澹たる思いになると同時に、親鸞学徒が今からやらねばならないことの重大さ、困難さに身の引き締まる思いがしました。 説教終了後に聞法会館のホールを歩いていると、恩徳讃の演奏がなされていました。 如来大悲の恩徳、師主知識の恩徳とは、どんな恩徳なのか……。この聞法会館で正しく伝えていただきたいと願うのでした。 ではでは。 西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（３） is a [...]<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-3/">西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（３）</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>もん太＠射水市民です。</p>
<p>さて、昨年の４月から行われている西本願寺の<span style="color: #ff0000;"><strong>親鸞聖人750回大遠忌法要</strong></span>でございますが、この１月は締めくくりとして<span style="color: #ff0000;"><strong>御正当</strong></span><span style="font-size: x-small;">（ごしょうとう）</span>が行われております。もん太も親鸞会の法友と共に行ってまいりましたので、当ブログで数回に分けてレポートしております。</p>
<p>前回の記事は<strong>「<a href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-2/" rel="nofollow" target="_blank">西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（２）</a>」</strong>でございますが、昨年11月までの大遠忌は団体参拝が基本だったためか、それなりに賑わっておりましたが、この御正当はそれがなく自由参拝。その為、来たい人だけ来ているという感じで、少々寂しい感じでした。ただ、蓮如上人の御一代記聞書に、</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #800000;"><strong>一宗の繁昌と申すは、人の多く集り威の大なる事にてはなく候、一人なりとも人の信を取るが、一宗の繁昌に候。然れば「専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず」と遊ばされおかれ候</strong></span></p>
<p>とありますように、人が多く参詣していればいいというものではありません。たとえ大遠忌に大勢の人が参拝していても、京都観光の一部のように来ている人ばかりであるならば、真宗の繁昌とは言えません。問題は、正しい親鸞聖人の教えが説かれ、真実信心を獲得しているか否かですので、この御正当に参拝している人が少ないからと言って、それだけでは判断できません。</p>
<p>そんなわけで、「最近は、寺で教えが説かれなくなった」と嘆く門徒の声を聞きますが、本山である西本願寺には、ズバリ聞法会館という建物があり、その総会所<span style="font-size: x-small;">（そうがいしょ）</span>では年末年始以外なら毎日説教がなされているとのことですので行ってみることにしました。何でも真宗教会という浄土真宗の教えを学ぶサークルまで結成して活動しているそうです。サークルを作って活動しているとは、さすがは本山。ヤル気が感じられます。大いに期待してみたいと思います。</p>
<p>……で、こちらが聞法会館です。</p>
<div id="attachment_6366" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240113-1.jpg" alt="聞法会館（Photo by 親鸞会）" title="聞法会館（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6366" /><p class="wp-caption-text">西本願寺の横にある聞法会館。宿泊施設であるが１階の総会所で説教がある</p></div>
<p>どこか、親鸞会の<a href="http://www.shinrankai.or.jp/s/shisetsu/doubounosato.htm" rel="nofollow" target="_blank">同朋の里F館</a>に似ている佇まいですね。ここは公式サイトに<span style="color: #333399;"><strong>「京都・西本願寺の宿」</strong></span>と書かれているように、西本願寺に参拝した人の為の宿泊施設のようです。</p>
<div id="attachment_6367" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240113-2.jpg" alt="聞法会館のホール（Photo by 親鸞会）" title="聞法会館のホール（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6367" /><p class="wp-caption-text">聞法会館に入ると、こんなホールがある</p></div>
<p>親鸞会のF館は玄関を入ってすぐに靴を脱いで上がるのですが、ここは土足のまま歩くようです。宿泊施設としては、和室から洋室まで揃っております。他にもレストランや喫茶があったり、仏式結婚式ができる場所もあるようです。地下の１階にはレストランに併設して売店があり、</p>
<div id="attachment_6368" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240113-3.jpg" alt="書店（Photo by 親鸞会）" title="書店（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6368" /><p class="wp-caption-text">地下１階にはレストランのほか売店があり、本願寺の本も購入できる</p></div>
<p>このような本願寺の本を購入できる小さな書店もございます。まあ、一般の書店では見られないような本もあったりします。壁には大谷光真門首の写真入りポスターも張られています。どうも『世の中安穏なれ』が絶賛発売中のようでございますよ。</p>
<p>さて、大切な聴聞ができるという総会所に行ってみたいと思います。聞法会館の１階にあるということですが……、</p>
<div id="attachment_6369" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240113-4.jpg" alt="総会所（Photo by 親鸞会）" title="総会所（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6369" /><p class="wp-caption-text">１階には総会所があり、年末年始以外は布教使が説教をするらしい</p></div>
<p>最初に行ってみた時には、丁度、説教がない時間帯のようで、次の説教に向けての準備がなされていました。ホームページでは、総会所の中は椅子がズラリと並べられていましたが、今回は大遠忌ということもあってか椅子は脇の廊下に並べられ、中は畳敷きにして本来の聞法道場のようになっておりました。</p>
<p>お仏壇の上の書は「値弘誓」の３文字。総会所の左前方には移動可能な黒板が１枚設置され、その左には様々なお聖教のお言葉が書かれた紙が置かれていました。</p>
<p>さて、昼の１１時くらいには御影堂での法要が終わり、その後に総会所で説教が行われます。もん太が行った日には、午前中に御影堂で10分ほどの記念布教をした山口教区の中島昭念氏という布教使でした。演題は<strong>「智慧の念仏うることは」</strong>だそうです。</p>
<div id="attachment_6370" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240113-5.jpg" alt="常例布教（Photo by 親鸞会）" title="常例布教（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6370" /><p class="wp-caption-text">総会所では毎日、昼と夜に常例布教というものがなされる</p></div>
<p>総会所には、昨年までの団体参拝ではなく、それなりに気持ちのある個人参拝がメインらしいことから、思っていたより多くの人が聞きに来ていたように思います。布教使の真正面に席を取って正座して真剣に聞いている人もあれば、総会所の後ろの壁に、カマボコが板に張り付くようにして聞いている人から、色んな人がいました。大学を卒業したばかりの人のような若い人も数名いらっしゃいました。やはり、親鸞聖人のお言葉に何かを感じ、その教えを聞きたいと期待して総会所まで来られるのでしょう。</p>
<p>先ほどの大学を卒業したばかりのような熱心な青年に聞いてみると、某寺の住職の息子さんとのこと。正座をし、背筋を伸ばし、手にはビッシリとメモが書かれた大学ノートがありました。説教中もずっとメモを取り、真剣そのものでした。住職の息子で跡取りだからイヤイヤ……というのでは、正座して聞こうとはしないと思います。やはり、それなりに使命感を持って頑張っておられるのだと思いました。</p>
<div id="attachment_6371" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240113-6.jpg" alt="中島昭念（Photo by 親鸞会）" title="中島昭念（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6371" /><p class="wp-caption-text">この時は、山口教区の中島昭念氏という布教使が説教していた</p></div>
<p>そして、中島昭念氏の説教ですが、内容は有用性と真実性といった話でした。</p>
<p>今の人は有用性で物事を判断しており、老人よりは若い人が有用性があるから好まれ、病気になるよりは健康な方が有用性があるから……といった話でした。それならば、病人や老人といった人は有用性がないから生きる意味がないのか。それに対し、親鸞聖人は、有用とか無用という観点ではなく真実性で語られたという話ですね。</p>
<p>話の中で、この中島昭念氏の寺の話になりました。どうも最近、本堂を建て直したそうで、その建て直しに献金したらしい門徒より「この寺の本堂は不要ではないかと思う。私は１００万円出したが、１年で使うことがない」と言われたそうです。その時に中島氏は、それなら使ったらいいと言い返したそうですが、正しい教えが説かれなければ不要と言っていいでしょう。逆に寺は聞法道場ですから、正しい教えが説かれてこそ存在意義があり、この門徒のように１００万円を献金して本堂を建て直すことは無駄にならないでしょう。ただ、本当の親鸞聖人の教えが説かれているか……と疑問に思わずにおれませんでした。</p>
<p>この中島氏の説教を聞いていると、ただ漠然と「お念仏を称えていれば死んだら極楽」というような単純な話でないことが分かります。一応、阿弥陀仏のご本願を信じ、お念仏を申しましょう……と言われます。ちょっと聞くと「信心正因　称名報恩」の教えのように聞こえますが、どういうわけか阿弥陀仏のご本願を信ずるとはどういうことか、その一番聞きたい信心とは、どんな信心なのかが語られません。</p>
<p>話の中で「ある茶髪の若者から『もろもろの雑行・雑修・自力の心をふりすてて……とはどんなことですか』と聞かれましてね」と言い出したので、おおっと身を乗り出して聞いてみるんですが、その雑行や雑修や自力の心についての話がなされません。聖人一流の章や領解文を声高々と読み上げるのですが「聖人一流の御勧化の趣は信心をもって本とせられ候」と言っていても信心について全く語られません。やはり、その辺がボヤけているのでしょうか。</p>
<p>この翌日には、宗務総長の橘正信氏の説教でありました。もん太は、WEBで聞いておりました。</p>
<div id="attachment_6372" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240113-7.jpg" alt="橘正信（Photo by 親鸞会）" title="橘正信（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6372" /><p class="wp-caption-text">本願寺の総長である橘正信氏も総会所の説教に立ちました</p></div>
<p>教団の宗務総長といえば、国の内閣でいえば総理にあたる重職です。</p>
<p>その重責にある人が、親鸞聖人750回大遠忌法要という50年に１度の浄土真宗で最も大事な行事の中で説教する。しかも、それが本願寺の公式サイトでも生中継され、更に録画が再放送され、世界や全国の人が視聴できるとなれば、大変なプレッシャーであることは想像に難くありません。そんな重圧を担ってもいないもん太ですが、そんな者が上から目線で総長の話をあれやこれやと言うのは、一般的に失礼であり顰蹙を買うかもしれませんが、聞いていて、どうしても言いたいことがあります。</p>
<p>まず、教えを説く姿勢です。総長の説教の初めはこうでした。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;"><strong>ようこそお参りくださいました。</strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;"><strong>総長がお説教するということは、あんまりよろしくないと私は思うんでありますけれども、どうも、あなたがやってくださいということで、まあ、イヤとは言えませんもんで、お引き受けしましたけれども、日頃、大遠忌のご挨拶をしておりますから、まあ、あのようなことがですね、私の思いであります</strong></span></p>
<p>から始まります。</p>
<p>真実を説く立場の者が「ようこそお参りくださいました」とは何事か。また、説教を依頼されて、どこかイヤイヤ説教に立っているという感じです。聞きたい人があれば、喜んで法を説きに行くべきではないでしょうか。最初からやる気のない話を聞かされては、折角、総会所に集った門徒の方々がかわいそうです。</p>
<p>更に、讃題として「噫、弘誓の強縁は……」のお言葉が拝読されましたが、暗唱ではなく拝読という形なのに、何度もつっかえつっかえで、所々、お聖教を「え〜っと」と覗き込むようにして拝読しています。途中で「生死の苦海ほとりなし……」のご和讃を拝読していましたが、これまた同様でした。</p>
<p>更に、説教中に日蓮の話にもなったのですが、「日蓮上人」「立正安国論をお書きになりまして」と念仏誹謗の親玉に対して敬語を使っています。こんな有り様だから、本願寺門徒の多くが創価学会に迷っていったのだということが納得できました。</p>
<p>そして、言いたいことのメインは教えの内容です。</p>
<p>親鸞聖人の教えは<span style="color: #ff0000;"><strong>信心正因</strong></span>の教えです。これは阿弥陀仏の救いは信心一つということであり、この信心一つを祖師聖人は伝えてくださったのだから、それを明らかにするのが親鸞聖人750回大遠忌法要を勤めるということでしょう。</p>
<p>それにも関わらず、宗務総長の話を聞いておりますと、最後まで「信心」は聞かれず「お念仏」のオンパレードでした。勿論、お念仏が尊いのは言うまでもないことですが<span style="color: #993300;"><strong>「誰でも彼でも、お念仏を称えることによって、本当の幸福を得て、お浄土に参らせていただく」</strong></span>との総長の言は、信心正因ならぬ<span style="color: #993300;"><strong>称名正因</strong></span>です。これで親鸞聖人の教えを伝えていることになるのでしょうか？</p>
<p>また、宗務総長というお立場から多くの雑誌からインタビューを受けたことにも触れ、それらの記者とのやり取りを、</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;"><strong>記者「お念仏とはどういうことですか？」</strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;"><strong>総長「お念仏を頂いたことによって、生きるエネルギーです。<span style="font-size: x-small;">（中略）</span>この世で頂いた命を完全燃焼して生きる」</strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;"><strong>記者「それはどういうことなのですか？」</strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;"><strong>総長「目の前のことを一生懸命やることだ」</strong></span></p>
<p>このように言っていましたが、これでは、親鸞聖人の教えとは、結局、目の前のことを一生懸命やることなのか？という疑問を持つでしょう。本願寺僧侶の皆が皆、このような話をするわけではないでしょう。多少、心得のある人なら、稀ではありますが信心正因ということは言います。念仏を称えたら極楽へ往けるような説教は「間違い」と教える僧侶もあります。なのになぜ、この大遠忌の御正当という大事な場面で、宗務総長という大事な立場の人から、こんな話が出てくるのでしょうか？また、それが平然とまかり通っていくのでしょうか？</p>
<p>本願寺の中枢部が、いくら信心正因と言おうが全体の理解はバラバラ。信心がいかなるものかサッパリ分からず、また、どうしても獲得しなければならない信心であるということが本願寺自身が思っていないから、こんな大事な場面で、重要な立場の人が異端を唱えていても許し合って共存できるのでしょう。</p>
<p>親鸞会においては、最近、親鸞学徒になった法友でさえ、こんな教えに反したことは言いませんし、ましてや立場のある人が、こんな不浄説法をしたら大問題になるでしょう。</p>
<p>教えの正邪の見分けがつかず、またそれを正そうとする機能すら、今の本願寺には失われてしまっているとしか言いようがありません。念仏称えたら死んだら誰でも極楽だから、称えましょう、喜びましょう、です。これが末寺ならともかく、本山の中核でこうなのですから、末寺に至っては推して知るべしです。</p>
<p>西本願寺で受け取ってきた<span style="color: #0000ff;"><strong>『シリーズ大遠忌III　本山参り』</strong></span>というパンフレットがあります。</p>
<div id="attachment_6373" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240113-8.jpg" alt="本山参り（Photo by 親鸞会）" title="本山参り（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6373" /><p class="wp-caption-text">伝道院で頂いた『シリーズ大遠忌III　本山参り』のパンフレット</p></div>
<p>この最後には、このように書かれています<span style="font-size: x-small;">（親鸞会でも聞いたことがあるような……）</span>。</p>
<div id="attachment_6374" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240113-9.jpg" alt="大遠忌はゴールではなく、新たな出発点です（Photo by 親鸞会）" title="大遠忌はゴールではなく、新たな出発点です（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6374" /><p class="wp-caption-text">パンフでは「大遠忌はゴールではなく、新たな出発点です」と締めくくる</p></div>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: large;">大遠忌はゴールではなく、新たな出発点です</span></strong></span></p>
<p>親鸞聖人と異なる教えを伝えて、どこへ出発するつもりなんでしょう？暗澹たる思いになると同時に、親鸞学徒が今からやらねばならないことの重大さ、困難さに身の引き締まる思いがしました。</p>
<div id="attachment_6375" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240113-10.jpg" alt="恩徳讃の演奏（Photo by 親鸞会）" title="恩徳讃の演奏（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6375" /><p class="wp-caption-text">総会所を出るとホールで恩徳讃の演奏がなされていた</p></div>
<p>説教終了後に聞法会館のホールを歩いていると、恩徳讃の演奏がなされていました。</p>
<p>如来大悲の恩徳、師主知識の恩徳とは、どんな恩徳なのか……。この聞法会館で正しく伝えていただきたいと願うのでした。</p>
<p>ではでは。</p>
<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-3/">西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（３）</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-3/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-3/" />
	</item>
		<item>
		<title>西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（２）</title>
		<link>http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-2/</link>
		<comments>http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-2/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 12 Jan 2012 01:27:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>monta</dc:creator>
				<category><![CDATA[真宗十派]]></category>
		<category><![CDATA[報恩講]]></category>
		<category><![CDATA[西本願寺]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞会]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞聖人７５０回忌]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.keyrose.net/?p=6343</guid>
		<description><![CDATA[もん太＠射水市民です。 昨年の10月8日〜10日の３日間は親鸞会の親鸞聖人750回忌法要が勤修されましたが、西本願寺での親鸞聖人750回大遠忌法要は昨年4月に始まり、ほぼ毎月9日〜16日にかけて行われ、今月は締めくくりとして御正当（ごしょうとう）と呼ばれるものが行われております。 当ブログでも、その様子をレポートしておりますが、前回はこちら→「西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（１）」。 親鸞会で発行されている機関紙は『顕正新聞』ですが、本願寺の発行している機関紙は『本願寺新報』というものです。その新年号の１面に大きく「親鸞聖人750回大遠忌法要 御正当をお迎えします」と見出しを付けて案内がなされていました。さて、本願寺では、この御正当をどのような位置づけで行うのでしょうか？本願寺新報の１面から抜粋です。 いよいよ、１月９日から１６日まで、本山で親鸞聖人750回大遠忌法要御正当が勤修されます。聖人のご命日にちなんだ仏事として、50年に一度勤修される大遠忌法要。今回お迎えする御正当は、昨年４月から団体参拝を中心に勤修されてきた大遠忌法要の締めくくりとなるもので、すべての方々が共に大遠忌の仏縁にお遇いいただく場として、個人・団体を問わず、どなたでもご自由にご参拝いただけます。生きることがますます困難になっていく昨今。「世のなか安穏なれ　仏法ひろまれ」と願われた聖人のおこころをいただき、多くのいのちがつながりあった社会に、お念仏のみ教えが広がっていく尊い仏縁としていただきたいと思います。（『本願寺新報』平成24年1月1日号より） ……ということで、昨年までは各教区や組単位でバスをチャーターして参拝するのがメインでしたが、今月の御正当だけは、特に団体参拝が呼びかけられることもなく、個人で来ている人が多かったように思います。確かに、４月に来た時には、朝の法要が始まる前に西本願寺前の国道１号線沿いに観光バスが横付けされ、バスガイドさんが持った○○教区といった旗を先頭に参拝団が行列で境内に入って行く姿が見られました。また、西本願寺横の聞法会館駐車場はバスターミナルとなって各地からやってきた観光バスがズラリと並んでいたものです。４月の様子は、下の動画をご覧いただければと思います。 それなりに賑わっていますが、今回は、駐車場もスカスカで境内も静かでした。 西本願寺のスタッフの方に聞いてみると、今回は団体参拝がないので参拝者が少なめ。そして、もん太が行った10日も平日なので更に少なめとのことでした。ちなみに、前日の9日は全国的に成人式だったのですが、本願寺も成人式を行っており、それなりの参拝者だったそうです。それにしても、４月は３日間来ましたが、平日でも、それなりに賑わっていました。個人レベルの参拝となるとこういうものだということが分かりました。 西本願寺には大きく２つの堂があり、１つは阿弥陀仏がご安置されている阿弥陀堂、もう１つが親鸞聖人の御真影がご安置されている御影堂です。法要は、御影堂で行われますが、全席イス席で番号がふられています。４月からの団体参拝が受付されていた時には、参拝者は親鸞会のように名札をつけており、それぞれの名札に座る椅子の番号が記入されておりました。つまり、全席指定席ということです。しかし、今回はそれもないので全席自由席でございます。本願寺新報には、 御正当期間中の参拝は個人、団体とも自由。御影堂は、１１月までの大遠忌法要の形を残すことから、参拝者は全席いす席となり、入堂順の着席となる。（『本願寺新報』平成24年1月1日号より） ……とあります。 そんなわけで、もん太も前から詰めて座ったところ、何と御影堂内部の真ん中に席を取ることができました！そして、法要が始まるのを待っていると、本願寺の男性スタッフの方が笑顔で近寄ってこられ「今回は参拝者は少なめなので、前に座れますよ。写真も撮りやすいですから、どうぞ撮っていってください」と、もん太が聞こうと思っていたことをスタッフさん側から言ってくれました。４月には２日目に来て撮影していると女性スタッフがやってきて「法要中は撮影ご遠慮ください」と言われたので「いや、４月に来た時には、法要中は撮影しないように言われましたが……」と言うと「ああ、ストロボ使って撮ったり、縁儀の列や後ろの人の邪魔になるように撮らなければ問題ないですよ」と、法要中の撮影は絶賛オススメ中と言わんばかりに勧められたので、それじゃあ……と重いカメラを持ち上げて撮影に入りました。確かに、末寺の僧侶らしき人もキヤノンの白い高級レンズをつけたカメラでバシバシ撮影していましたね。 ……で、法要が始まりました。 最初に、宗務総長の挨拶や記念布教という10分ほどの説教があり、宗祖讃仰作法というものが始まりました。まあ、はやい話、大遠忌法要に向けて作られた勤行と思われたらいいかもしれませんが、かなり雅楽のような音楽が入って、親鸞会で行われている正信偈の勤行とは比較にならないほど長いという印象です。 法要が始まると縁儀と言って、阿弥陀堂側から僧侶やら門徒の代表、楽員らが行列を作ってゆっくりと進み、御影堂の後方から中央を通って内陣へと入っていきます。これがまた長いんですが、 ご覧のとおり、僧侶の衣は鮮やかなもんです。そして、楽員。 こちらは、真っ黒ですね。太鼓が鳴り響く中、雅楽で使われる楽器を演奏しつつ進んでいきます。意外と若い人が多い。 そして、縁儀の行列の最後には、内閣で言ったら総理に街頭する宗務総長の橘正信という人が進んでいきます。 まあ、何ともありがたい雰囲気になるんですが、御影堂の中はこんな感じです。 太鼓の音に合わせて、３歩ほど進んでは止まって、また、３歩ほど進んでは止まって……を繰り返しているので、縁儀の行列はいつまでも続いている印象ですね。ちなみに、縁儀が終わりかけ、いよいよ宗祖讃仰作法が始まるという時なんですが、御影堂の内部はこんな感じ。 親鸞会では、正座での聴聞が普通ですが、 全席イス席です。しかも、かなり空席ですね。まあ、この後にもちょこちょこと入ってくる人があって法要が終わる頃には、手前の席もある程度埋まるんですが、御影堂の周囲には、大遠忌期間中だけ設置されている拡張部分があります。そこにも多くのパイプ椅子が置かれているんですが、 こんな感じですね。ここは法要が終わる頃にも殆ど人がいませんでした。左に見える黒いジャンパーの女性は「特別警戒中」と書かれた腕章を着け、背中には「Security（セキュリティー）」と書かれていることからも、警備担当のようですが、実に退屈そうでした。ちょっと話しかけてみましたが、やはり、団体参拝がないということと、平日ということもあって御正当とは言っても空席が目立ってしまうんだそうです。４月は、団体参拝の人たちで、それなりに埋まっていたんですが……。 そして、宗祖讃仰作法が始まり、雅楽と共に親鸞聖人のご和讃を声を合わせて唱和していきます。途中、内陣に座っている門主の大谷光真氏や新門の大谷光淳氏や僧侶らが立って、１列になって御真影の周りをゆっくり回りながら勤行しております。どうも、行道と言うようです。 その行道をしない人たちも、立って勤行をしておりました。 印象的だったのが、４月の団体参拝が多かった時には、参拝者があまり声を出していないようでしたが、 今回は、参拝者そのものは少ないけどパンフレットに書かれたものを声を合わせて唱和しているようでした。団体で呼びかけられなくても参拝しようという気持ちがある人だけに、こういうことは真面目に取り組むのでしょうか？ この宗祖讃仰作法が終わると恩徳讃を終わって、東日本大震災の義援金を集めて終わり。 昨年の大遠忌法要では、門首や新門の「おことば」と呼ばれるものが、それぞれ５分ほどあったんですが、御正当では、それもなかったですね。本当に法要と言っても宗祖讃仰作法といった儀式的なものが大半で、能や狂言のような伝統芸能を見ているだけという感じでした。 親鸞会の親鸞聖人750回忌法要では、正信偈の勤行の後、高森顕徹先生が親鸞聖人のご遺言である「御臨末の御書」についてご説法がなされ、参詣される皆さんも「聞法」の為に来られていました。宗祖讃仰作法の前に10分ほどの記念布教がありましたが、やはり、「教え」を聴聞させていただくための法要であってもらいたいと思うのでした。 ただ、聴聞は前回の記事のように聞法会館内の総会所がメインのようですので、その辺は次回にレポートしたいと思います。 続きはこちら→「西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（３）」 ではでは。 西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（２） is a post from: ビジュアルで親鸞会を発信<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-2/">西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（２）</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>もん太＠射水市民です。</p>
<p>昨年の10月8日〜10日の３日間は親鸞会の親鸞聖人750回忌法要が勤修されましたが、西本願寺での<span style="color: #ff0000;"><strong>親鸞聖人750回大遠忌法要</strong></span>は昨年4月に始まり、ほぼ毎月9日〜16日にかけて行われ、今月は締めくくりとして御正当（ごしょうとう）と呼ばれるものが行われております。</p>
<p>当ブログでも、その様子をレポートしておりますが、前回はこちら→<strong>「<a href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-1/" rel="nofollow" target="_blank">西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（１）</a>」</strong>。</p>
<p>親鸞会で発行されている機関紙は『顕正新聞』ですが、本願寺の発行している機関紙は『本願寺新報』というものです。その新年号の１面に大きく<span style="color: #ff6600;"><strong>「親鸞聖人750回大遠忌法要 御正当をお迎えします」</strong></span>と見出しを付けて案内がなされていました。さて、本願寺では、この御正当をどのような位置づけで行うのでしょうか？本願寺新報の１面から抜粋です。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">いよいよ、１月９日から１６日まで、本山で親鸞聖人750回大遠忌法要御正当が勤修されます。聖人のご命日にちなんだ仏事として、50年に一度勤修される大遠忌法要。今回お迎えする御正当は、昨年４月から団体参拝を中心に勤修されてきた大遠忌法要の締めくくりとなるもので、すべての方々が共に大遠忌の仏縁にお遇いいただく場として、個人・団体を問わず、どなたでもご自由にご参拝いただけます。生きることがますます困難になっていく昨今。「世のなか安穏なれ　仏法ひろまれ」と願われた聖人のおこころをいただき、多くのいのちがつながりあった社会に、お念仏のみ教えが広がっていく尊い仏縁としていただきたいと思います。<span style="font-size: x-small;">（『本願寺新報』平成24年1月1日号より）</span></span></p>
<p>……ということで、昨年までは各教区や組単位でバスをチャーターして参拝するのがメインでしたが、今月の御正当だけは、特に団体参拝が呼びかけられることもなく、個人で来ている人が多かったように思います。確かに、４月に来た時には、朝の法要が始まる前に西本願寺前の国道１号線沿いに観光バスが横付けされ、バスガイドさんが持った○○教区といった旗を先頭に参拝団が行列で境内に入って行く姿が見られました。また、西本願寺横の聞法会館駐車場はバスターミナルとなって各地からやってきた観光バスがズラリと並んでいたものです。４月の様子は、下の動画をご覧いただければと思います。</p>
<p style="text-align: center;"><iframe src="http://www.youtube.com/embed/Ma2yYjGJlBQ" frameborder="0" width="560" height="315"></iframe></p>
<p>それなりに賑わっていますが、今回は、駐車場もスカスカで境内も静かでした。</p>
<p>西本願寺のスタッフの方に聞いてみると、今回は団体参拝がないので参拝者が少なめ。そして、もん太が行った10日も平日なので更に少なめとのことでした。ちなみに、前日の9日は全国的に成人式だったのですが、本願寺も成人式を行っており、それなりの参拝者だったそうです。それにしても、４月は３日間来ましたが、平日でも、それなりに賑わっていました。個人レベルの参拝となるとこういうものだということが分かりました。</p>
<p>西本願寺には大きく２つの堂があり、１つは阿弥陀仏がご安置されている阿弥陀堂、もう１つが親鸞聖人の御真影がご安置されている御影堂です。法要は、御影堂で行われますが、全席イス席で番号がふられています。４月からの団体参拝が受付されていた時には、参拝者は親鸞会のように名札をつけており、それぞれの名札に座る椅子の番号が記入されておりました。つまり、全席指定席ということです。しかし、今回はそれもないので全席自由席でございます。本願寺新報には、</p>
<p style="padding-left: 30px; text-align: left;"><span style="color: #993300;">御正当期間中の参拝は個人、団体とも自由。御影堂は、１１月までの大遠忌法要の形を残すことから、参拝者は全席いす席となり、入堂順の着席となる。<span style="font-size: x-small;">（『本願寺新報』平成24年1月1日号より）</span></span></p>
<p>……とあります。</p>
<p>そんなわけで、もん太も前から詰めて座ったところ、何と御影堂内部の真ん中に席を取ることができました！そして、法要が始まるのを待っていると、本願寺の男性スタッフの方が笑顔で近寄ってこられ<span style="color: #008000;"><strong>「今回は参拝者は少なめなので、前に座れますよ。写真も撮りやすいですから、どうぞ撮っていってください」</strong></span>と、もん太が聞こうと思っていたことをスタッフさん側から言ってくれました。４月には２日目に来て撮影していると女性スタッフがやってきて「法要中は撮影ご遠慮ください」と言われたので「いや、４月に来た時には、法要中は撮影しないように言われましたが……」と言うと<span style="color: #008000;"><strong>「ああ、ストロボ使って撮ったり、縁儀の列や後ろの人の邪魔になるように撮らなければ問題ないですよ」</strong></span>と、法要中の撮影は絶賛オススメ中と言わんばかりに勧められたので、それじゃあ……と重いカメラを持ち上げて撮影に入りました。確かに、末寺の僧侶らしき人もキヤノンの白い高級レンズをつけたカメラでバシバシ撮影していましたね。</p>
<p>……で、法要が始まりました。</p>
<p>最初に、宗務総長の挨拶や記念布教という10分ほどの説教があり、<span style="color: #ff0000;"><strong>宗祖讃仰作法</strong></span>というものが始まりました。まあ、はやい話、大遠忌法要に向けて作られた勤行と思われたらいいかもしれませんが、かなり雅楽のような音楽が入って、親鸞会で行われている正信偈の勤行とは比較にならないほど長いという印象です。</p>
<p>法要が始まると縁儀と言って、阿弥陀堂側から僧侶やら門徒の代表、楽員らが行列を作ってゆっくりと進み、御影堂の後方から中央を通って内陣へと入っていきます。これがまた長いんですが、</p>
<div id="attachment_6345" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240112-1.jpg" alt="僧侶（Photo by 親鸞会）" title="僧侶（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6345" /><p class="wp-caption-text">阿弥陀堂と御影堂の間の廊下を通って縁儀の列が進んでいく</p></div>
<p>ご覧のとおり、僧侶の衣は鮮やかなもんです。そして、楽員。</p>
<div id="attachment_6346" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240112-2.jpg" alt="式務部（Photo by 親鸞会）" title="式務部（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6346" /><p class="wp-caption-text">法要中の宗祖讃仰作法などで演奏を担当する楽員もゾロゾロと……</p></div>
<p>こちらは、真っ黒ですね。太鼓が鳴り響く中、雅楽で使われる楽器を演奏しつつ進んでいきます。意外と若い人が多い。</p>
<p>そして、縁儀の行列の最後には、内閣で言ったら総理に街頭する宗務総長の橘正信という人が進んでいきます。</p>
<div id="attachment_6347" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240112-3.jpg" alt="橘正信（Photo by 親鸞会）" title="橘正信（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6347" /><p class="wp-caption-text">最後に宗務総長の橘正信氏が進んで行きました</p></div>
<p>まあ、何ともありがたい雰囲気になるんですが、御影堂の中はこんな感じです。</p>
<div id="attachment_6348" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240112-4.jpg" alt="行列（Photo by 親鸞会）" title="行列（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6348" /><p class="wp-caption-text">御影堂の中を内陣に向かって、ゆっくりと列が進んで行きます</p></div>
<p>太鼓の音に合わせて、３歩ほど進んでは止まって、また、３歩ほど進んでは止まって……を繰り返しているので、縁儀の行列はいつまでも続いている印象ですね。ちなみに、縁儀が終わりかけ、いよいよ宗祖讃仰作法が始まるという時なんですが、御影堂の内部はこんな感じ。</p>
<p>親鸞会では、正座での聴聞が普通ですが、</p>
<div id="attachment_6349" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240112-5.jpg" alt="御影堂内（Photo by 親鸞会）" title="御影堂内（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6349" /><p class="wp-caption-text">法要が始まって入場中、御影堂の参拝者はまばらである</p></div>
<p>全席イス席です。しかも、かなり空席ですね。まあ、この後にもちょこちょこと入ってくる人があって法要が終わる頃には、手前の席もある程度埋まるんですが、御影堂の周囲には、大遠忌期間中だけ設置されている拡張部分があります。そこにも多くのパイプ椅子が置かれているんですが、</p>
<div id="attachment_6350" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240112-6.jpg" alt="テント内（Photo by 親鸞会）" title="テント内（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6350" /><p class="wp-caption-text">御影堂に増設されたテントの中もご覧のとおり</p></div>
<p>こんな感じですね。ここは法要が終わる頃にも殆ど人がいませんでした。左に見える黒いジャンパーの女性は「特別警戒中」と書かれた腕章を着け、背中には「Security<span style="font-size: x-small;">（セキュリティー）</span>」と書かれていることからも、警備担当のようですが、実に退屈そうでした。ちょっと話しかけてみましたが、やはり、団体参拝がないということと、平日ということもあって御正当とは言っても空席が目立ってしまうんだそうです。４月は、団体参拝の人たちで、それなりに埋まっていたんですが……。</p>
<p>そして、宗祖讃仰作法が始まり、雅楽と共に親鸞聖人のご和讃を声を合わせて唱和していきます。途中、内陣に座っている門主の大谷光真氏や新門の大谷光淳氏や僧侶らが立って、１列になって御真影の周りをゆっくり回りながら勤行しております。どうも、行道と言うようです。</p>
<div id="attachment_6351" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240112-7.jpg" alt="大谷光真と大谷光淳（Photo by 親鸞会）" title="大谷光真と大谷光淳（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6351" /><p class="wp-caption-text">行道する新門の大谷光淳氏（先頭）、その後が門首の大谷光真氏</p></div>
<p>その行道をしない人たちも、立って勤行をしておりました。</p>
<div id="attachment_6352" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240112-8.jpg" alt="内陣（Photo by 親鸞会）" title="内陣（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6352" /><p class="wp-caption-text">内陣では各地から出勤した僧侶が色とりどりの衣を着て勤行</p></div>
<p>印象的だったのが、４月の団体参拝が多かった時には、参拝者があまり声を出していないようでしたが、</p>
<div id="attachment_6353" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240112-9.jpg" alt="参拝者（Photo by 親鸞会）" title="参拝者（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6353" /><p class="wp-caption-text">パンフレットに書かれたご和讃などを声を合わせて唱和する参拝者</p></div>
<p>今回は、参拝者そのものは少ないけどパンフレットに書かれたものを声を合わせて唱和しているようでした。団体で呼びかけられなくても参拝しようという気持ちがある人だけに、こういうことは真面目に取り組むのでしょうか？</p>
<p>この宗祖讃仰作法が終わると恩徳讃を終わって、東日本大震災の義援金を集めて終わり。</p>
<p>昨年の大遠忌法要では、門首や新門の「おことば」と呼ばれるものが、それぞれ５分ほどあったんですが、御正当では、それもなかったですね。本当に法要と言っても宗祖讃仰作法といった儀式的なものが大半で、能や狂言のような伝統芸能を見ているだけという感じでした。</p>
<p>親鸞会の親鸞聖人750回忌法要では、正信偈の勤行の後、高森顕徹先生が親鸞聖人のご遺言である「御臨末の御書」についてご説法がなされ、参詣される皆さんも「聞法」の為に来られていました。宗祖讃仰作法の前に10分ほどの記念布教がありましたが、やはり、「教え」を聴聞させていただくための法要であってもらいたいと思うのでした。</p>
<p>ただ、聴聞は前回の記事のように聞法会館内の総会所がメインのようですので、その辺は次回にレポートしたいと思います。</p>
<p>続きはこちら→<strong>「<a href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-3/" rel="nofollow" target="_blank">西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（３）</a>」</strong></p>
<p>ではでは。</p>
<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-2/">西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（２）</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-2/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-2/" />
	</item>
		<item>
		<title>西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（１）</title>
		<link>http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-1/</link>
		<comments>http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-1/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 10 Jan 2012 14:59:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>monta</dc:creator>
				<category><![CDATA[真宗十派]]></category>
		<category><![CDATA[報恩講]]></category>
		<category><![CDATA[西本願寺]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞会]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞聖人７５０回忌]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.keyrose.net/?p=6320</guid>
		<description><![CDATA[もん太＠射水市民です。 昨日は滋賀県にある親鸞会の木之本会館を起点に滋賀会館や、かつての高森顕徹先生のご法話会場を巡っていたもん太でございますが、滋賀県とは京都府のお隣。京都府では、西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌法要が行われていたはず、ということで勢い余って行ってみることにしました。親鸞会では10月に親鸞聖人750回忌法要が勤修されましたが、西本願寺では４月から数回に分けて行われ、今月１月で終わります。 もん太は、西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌法要には、始まったばかりの４月に３日間行ってきて、その様子は当ブログの「西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌に行ってみた」に書いておきましたが、今回は締めくくりの１月です。やはり、当ブログでレポートしておきたいと思います。今回は1月10日の１日のみ！ ……ということで、午前の法要が始まる前に西本願寺に到着。４月には目の前の国道１号線沿いが多くの参拝者で賑わっておりましたが、門前町の真正面の御影堂門の様子は、 こんな感じでした。４月は、この横断歩道を渡る人が多かったんですけど、どうしてなんだろう？ そして、御影堂門の前には、 御正当の看板が出ておりました。親鸞会では聞き慣れない行事名かと思います。４月から行われている西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌法要ですが、今月は御正当（ごしょうとう）と呼ばれております。通常の報恩講は「ご正忌」と呼ばれますが、この大遠忌は特別に「御正当」と言うようです。つまり、御正当とは大遠忌で行われる報恩講と思われたらいいかもしれませんね。 では、門に入ってみましょう。 あれっ？４月には午前の法要が始まる前には、この広場のあちこちに日本各地から団参した人たちが固まっていたんですが、今回はその様子は見られません。記念写真というか集合写真のひな壇も２カ所ほどに置かれていましたが、団体での参拝がないためか誰も撮っていないようでした。見かけるのは個人で来ている人という感じです。 天気は良いものの結構寒い境内を歩いていると、ペコちゃん的な２人組を発見！ 親鸞会のご法話に参詣される時につける名札に負けないくらいの大きな文字の名札がついていたのですが、上の写真なら右がプトラで、左がプトリのようです。黒い髪をしているようですが、この外国人のようなネーミングからして帰国子女なんでしょうか？見ず知らずの参拝者に愛想良く手を振って、気軽に記念写真に応じている辺りのフレンドリーさは日本人らしからぬ性格ですね。どうやら、西本願寺の少年連盟のマスコットのようです。４月に門前町で見かけた「おりんちゃん」とは別の扱いのようですね。 さて、親鸞聖人750回大遠忌ともなると、西本願寺も気前が良いようで、日ごろは公開していないものも大公開でございます。 例えば、経蔵。釈迦の一切経などが収まっている建物のようですが、書棚が回転することから輪転蔵とも呼ばれるようです。中の写真は撮ってはいけないということなので撮れませんでしたが、いつもは閉まっている扉を開放して、誰でも中を見られるようになっております。他にも国宝になっている飛雲閣も無料公開されていました。元々は豊臣秀吉の聚楽第の一部だったようですね。上の経蔵は外観は撮れましたが、飛雲閣は撮影不可能の為に、ここでは紹介できません。 法要の様子は、次回にするとして法要が終わった後の境内はといいますと……、 やはり、こんな感じですね。４月から１１月にかけては、境内の白州に「○○教区」とか「○○組」と書かれた旗を持った団参軍団がゾロゾロとバス駐車場に向かったり、記念写真を撮ったり、門前町に繰り出してお土産を買いに……と思い思いに動いていたんですが、今回はこんな感じです。 ちなみに昨年はホコ天のように賑わっていた門前町ですが、 こんな感じです。あのおりんちゃんもいたんですが、少々寂しそうでした。 この門前町の中に伝道院の建物があり、さまざまな展示がなされていましたので、入ってみました。 色んなリラクゼーションの展示があり、そちらは撮影不可能でしたが、小さな部屋で大遠忌の歴史展示がなされていましたので、そちらを紹介です。今回は親鸞聖人750回大遠忌法要ですが、50年前の700回大遠忌法要と100年前の650回大遠忌法要は写真が残っており、様子がパネル展示されておりました。当時は公称で延べ100万人の参拝者だったと伝えられ、大勢の参拝者の為に臨時の鉄道の駅まで設けられたらしい。 さて、親鸞聖人650回大遠忌法要の様子はどうだったのだろうか？まずは、御影堂門付近の様子。 どっちが境内で、どっちが道路なのかわからないくらいで、人で埋め尽くされています。 そして、次は阿弥陀堂門と境内の白州を埋め尽くす人たち。 まだ、親鸞会が発足する50年ほど前の写真ですが、当時の浄土真宗の活気が伝わってきます。４月から１１月も賑わっていましたが、さすがにこの様子ではなかったですね。隣で展示を見ていたご夫婦が「昔は大勢の人が参拝していたんだねぇ。今は、減ってしまった……」と寂しそうにポツリと仰っていたのが忘れられません。西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌法要の昨年の参拝者は延べ40万人ほどとのことですが、半分以下に減ってしまっています。この原因はなぜでしょうか？ 教えが説かれていないからの一言に尽きると思います。特に末寺では、なかなか教えを聞くことができません。ただ、西本願寺の本山には聞法会館という親鸞会のF館に似た建物があり、１階には総会所があり、年末年始以外なら毎日のように説教がなされているようです。一応、本願寺なりの教えは説かれているようです。実際に本願寺境内の宗務総合庁舎前にある掲示板には、 １月の常例布教の日程が張り出されていました。 やはり、西本願寺の本山では、聞法会館で説教はなされているようですね。では、どんな教えが説かれているのか？気になるところです。 今回は、もん太も総会所の説教を聞いてみたので、その辺も含めて続けてレポートしていきたいと思います。 続きはこちら→「西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（２）」 ではでは。 西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（１） is a post from: ビジュアルで親鸞会を発信<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-1/">西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（１）</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>もん太＠射水市民です。</p>
<p>昨日は滋賀県にある親鸞会の木之本会館を起点に滋賀会館や、かつての高森顕徹先生のご法話会場を巡っていたもん太でございますが、滋賀県とは京都府のお隣。京都府では、西本願寺の<span style="color: #ff0000;"><strong>親鸞聖人750回大遠忌法要</strong></span>が行われていたはず、ということで勢い余って行ってみることにしました。親鸞会では10月に親鸞聖人750回忌法要が勤修されましたが、西本願寺では４月から数回に分けて行われ、今月１月で終わります。</p>
<p>もん太は、西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌法要には、始まったばかりの４月に３日間行ってきて、その様子は当ブログの「<a href="http://www.keyrose.net/2011/04/nishi_hongwanji/" rel="nofollow" target="_blank">西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌に行ってみた</a>」に書いておきましたが、今回は締めくくりの１月です。やはり、当ブログでレポートしておきたいと思います。今回は1月10日の１日のみ！</p>
<p>……ということで、午前の法要が始まる前に西本願寺に到着。４月には目の前の国道１号線沿いが多くの参拝者で賑わっておりましたが、門前町の真正面の御影堂門の様子は、</p>
<div id="attachment_6322" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240110-1.jpg" alt="御影堂門（Photo by 親鸞会）" title="御影堂門（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6322" /><p class="wp-caption-text">西本願寺の御影堂門の様子。４月に比べると閑散としている</p></div>
<p>こんな感じでした。４月は、この横断歩道を渡る人が多かったんですけど、どうしてなんだろう？</p>
<p>そして、御影堂門の前には、</p>
<div id="attachment_6323" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240110-2.jpg" alt="御正当（Photo by 親鸞会）" title="御正当（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6323" /><p class="wp-caption-text">1月9日〜16日は親鸞聖人750回大遠忌法要の御正当が行われています</p></div>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: large;">御正当</span></strong></span>の看板が出ておりました。親鸞会では聞き慣れない行事名かと思います。４月から行われている西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌法要ですが、今月は御正当（ごしょうとう）と呼ばれております。通常の報恩講は「ご正忌」と呼ばれますが、この大遠忌は特別に「御正当」と言うようです。つまり、御正当とは大遠忌で行われる報恩講と思われたらいいかもしれませんね。</p>
<p>では、門に入ってみましょう。</p>
<div id="attachment_6324" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240110-3.jpg" alt="西本願寺の境内（Photo by 親鸞会）" title="西本願寺の境内（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6324" /><p class="wp-caption-text">午前の法要前の西本願寺の境内。４月とは様子がかなり異なる</p></div>
<p>あれっ？４月には午前の法要が始まる前には、この広場のあちこちに日本各地から団参した人たちが固まっていたんですが、今回はその様子は見られません。記念写真というか集合写真のひな壇も２カ所ほどに置かれていましたが、団体での参拝がないためか誰も撮っていないようでした。見かけるのは個人で来ている人という感じです。</p>
<p>天気は良いものの結構寒い境内を歩いていると、ペコちゃん的な２人組を発見！</p>
<div id="attachment_6325" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240110-4.jpg" alt="プトラとプトリ（Photo by 親鸞会）" title="プトラとプトリ（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6325" /><p class="wp-caption-text">少年連盟のマスコットであるプトラとプトリが迎えてくれました</p></div>
<p>親鸞会のご法話に参詣される時につける名札に負けないくらいの大きな文字の名札がついていたのですが、上の写真なら右がプトラで、左がプトリのようです。黒い髪をしているようですが、この外国人のようなネーミングからして帰国子女なんでしょうか？見ず知らずの参拝者に愛想良く手を振って、気軽に記念写真に応じている辺りのフレンドリーさは日本人らしからぬ性格ですね。どうやら、西本願寺の少年連盟のマスコットのようです。４月に門前町で見かけた「おりんちゃん」とは別の扱いのようですね。</p>
<p>さて、親鸞聖人750回大遠忌ともなると、西本願寺も気前が良いようで、日ごろは公開していないものも大公開でございます。</p>
<div id="attachment_6326" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240110-5.jpg" alt="経蔵（Photo by 親鸞会）" title="経蔵（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6326" /><p class="wp-caption-text">一切経が収まっている経蔵（輪転蔵）が特別公開されていた</p></div>
<p>例えば、<span style="font-size: large; color: #800000;"><strong>経蔵</strong></span>。釈迦の一切経などが収まっている建物のようですが、書棚が回転することから輪転蔵とも呼ばれるようです。中の写真は撮ってはいけないということなので撮れませんでしたが、いつもは閉まっている扉を開放して、誰でも中を見られるようになっております。他にも国宝になっている飛雲閣も無料公開されていました。元々は豊臣秀吉の聚楽第の一部だったようですね。上の経蔵は外観は撮れましたが、飛雲閣は撮影不可能の為に、ここでは紹介できません。</p>
<p>法要の様子は、次回にするとして法要が終わった後の境内はといいますと……、</p>
<div id="attachment_6327" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240110-6.jpg" alt="法要後の境内（Photo by 親鸞会）" title="法要後の境内（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6327" /><p class="wp-caption-text">法要終了後の境内の様子。団参がないからか閑散としている</p></div>
<p>やはり、こんな感じですね。４月から１１月にかけては、境内の白州に「○○教区」とか「○○組」と書かれた旗を持った団参軍団がゾロゾロとバス駐車場に向かったり、記念写真を撮ったり、門前町に繰り出してお土産を買いに……と思い思いに動いていたんですが、今回はこんな感じです。</p>
<p>ちなみに昨年はホコ天のように賑わっていた門前町ですが、</p>
<div id="attachment_6328" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240110-7.jpg" alt="門前町（Photo by 親鸞会）" title="門前町（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6328" /><p class="wp-caption-text">４月には750回忌大遠忌に参拝した人で賑わっていた門前町だが……</p></div>
<p>こんな感じです。あのおりんちゃんもいたんですが、少々寂しそうでした。</p>
<p>この門前町の中に伝道院の建物があり、さまざまな展示がなされていましたので、入ってみました。</p>
<div id="attachment_6329" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240110-8.jpg" alt="伝道院（Photo by 親鸞会）" title="伝道院（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6329" /><p class="wp-caption-text">門前町の中にある伝道院。さまざまな展示が行われていた</p></div>
<p>色んなリラクゼーションの展示があり、そちらは撮影不可能でしたが、小さな部屋で大遠忌の歴史展示がなされていましたので、そちらを紹介です。今回は親鸞聖人750回大遠忌法要ですが、50年前の700回大遠忌法要と100年前の650回大遠忌法要は写真が残っており、様子がパネル展示されておりました。当時は公称で延べ100万人の参拝者だったと伝えられ、大勢の参拝者の為に臨時の鉄道の駅まで設けられたらしい。</p>
<p>さて、親鸞聖人650回大遠忌法要の様子はどうだったのだろうか？まずは、御影堂門付近の様子。</p>
<div id="attachment_6330" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240110-9.jpg" alt="親鸞聖人650回大遠忌（Photo by 親鸞会）" title="親鸞聖人650回大遠忌（Photo by 親鸞会）" width="400" height="283" class="size-full wp-image-6330" /><p class="wp-caption-text">100年前の親鸞聖人650回大遠忌の御影堂門付近の賑わいの様子</p></div>
<p>どっちが境内で、どっちが道路なのかわからないくらいで、人で埋め尽くされています。</p>
<p>そして、次は阿弥陀堂門と境内の白州を埋め尽くす人たち。</p>
<div id="attachment_6331" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240110-10.jpg" alt="親鸞聖人650回忌（Photo by 親鸞会）" title="親鸞聖人650回忌（Photo by 親鸞会）" width="400" height="283" class="size-full wp-image-6331" /><p class="wp-caption-text">100年前の親鸞聖人650回大遠忌の阿弥陀堂門と境内の賑わい</p></div>
<p>まだ、親鸞会が発足する50年ほど前の写真ですが、当時の浄土真宗の活気が伝わってきます。４月から１１月も賑わっていましたが、さすがにこの様子ではなかったですね。隣で展示を見ていたご夫婦が「昔は大勢の人が参拝していたんだねぇ。今は、減ってしまった……」と寂しそうにポツリと仰っていたのが忘れられません。西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌法要の昨年の参拝者は延べ40万人ほどとのことですが、半分以下に減ってしまっています。この原因はなぜでしょうか？</p>
<p>教えが説かれていないからの一言に尽きると思います。特に末寺では、なかなか教えを聞くことができません。ただ、西本願寺の本山には聞法会館という親鸞会のF館に似た建物があり、１階には総会所があり、年末年始以外なら毎日のように説教がなされているようです。一応、本願寺なりの教えは説かれているようです。実際に本願寺境内の宗務総合庁舎前にある掲示板には、</p>
<div id="attachment_6332" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240110-11.jpg" alt="常例布教（Photo by 親鸞会）" title="常例布教（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6332" /><p class="wp-caption-text">宗務総合庁舎前の掲示板には総会所での常例布教の日程が案内されていた</p></div>
<p>１月の常例布教の日程が張り出されていました。</p>
<p>やはり、西本願寺の本山では、聞法会館で説教はなされているようですね。では、どんな教えが説かれているのか？気になるところです。</p>
<p>今回は、もん太も総会所の説教を聞いてみたので、その辺も含めて続けてレポートしていきたいと思います。</p>
<p>続きはこちら→<strong>「<a href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-2/" rel="nofollow" target="_blank">西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（２）</a>」</strong></p>
<p>ではでは。</p>
<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-1/">西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌 御正当レポ（１）</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-1/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-1/" />
	</item>
		<item>
		<title>木之本会館、そして、滋賀のかつてのご法話会場巡り</title>
		<link>http://www.keyrose.net/2012/01/kinomoto-4/</link>
		<comments>http://www.keyrose.net/2012/01/kinomoto-4/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 09 Jan 2012 14:59:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>monta</dc:creator>
				<category><![CDATA[親鸞会館]]></category>
		<category><![CDATA[ビデオ御法話]]></category>
		<category><![CDATA[報恩講]]></category>
		<category><![CDATA[木之本会館]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞会]]></category>
		<category><![CDATA[高森顕徹]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.keyrose.net/?p=6300</guid>
		<description><![CDATA[もん太＠射水市民です。 今日は全国的に成人の日でございましたので、十ウン年前にとっくに成人してしまった私もドサクサに紛れて祝日しておりました。 そんな成人の日でございますが、昨年末に滋賀県長浜市に落慶した親鸞会の会館「木之本会館」で高森顕徹先生のビデオご法話が勤められるという情報がリークされてきましたので、行ってきましたよ！ ただ、木之本というのは西日本方面から北陸自動車道で親鸞会に参詣される方なら「雪が降ったら、敦賀ICと並んで、一旦降ろされるのが木之本IC」というイメージで認識されている方が多いのではないでしょうか？少なくとももん太はそういう認識で、親鸞会に木之本会館が落慶するぞと聞いた時に「雪深い所に会館が建つのだな」と思った記憶があります。雪の降る富山に住んでいながら、何を言っているんだ……という感じですが。 そんな歪んだ先入観で木之本会館に向かったんですが、実際に大変そうだったのは、敦賀ICから木之本ICの間にある山岳地帯で、そこには雪が降っていました。しかし、木之本ICを降りる頃には、雪は雨になっておりまして、木之本会館に到着したところ、 雪、全然ないしっっ！ という感じで、木之本会館の館長さんが年末年始に除雪されたということもあるでしょうけど、実際に一般道路にも雪はなく、あっても路肩でしたね。意外とフツーじゃん、と思いましたが、現地在住の親鸞会の法友は「いやいや、これから沢山降るよ」と仰っていました。まあ、外に居ると寒いので中に入れていただきましょう。続々と到着される法友が講堂でビデオご法話が始まるのを待っておられました。 落慶の懇談会で来て以来でしたが、色々と改善されたりして、近隣の法友の皆さんに親しまれている会館だと実感しました。 そして、木之本会館を後にしてやってきたのが、今度、富山市に建立される富山会館の為のお仏壇探しです。浄土真宗のお仏壇と言っても各地で色々な種類がございますが、滋賀県に住んでいる親鸞会の法友でお仏壇の製造と販売をされている方がおられるので、そこに行って展示されているものを見てきました。この辺のお仏壇は「浜仏壇」と言って、宮殿の中央が広く正御本尊を拝見しやすい造りですね。 会館にふさわしく大きめのものを見ましたが、いやはや、お仏壇とは中々に値の張るものでございますね。展示されているお仏壇を見ていると「あぁ、これもいいな」と目移りするのですが、いい物は、それなりに値の張るものでございます。でも、無上仏をご安置するお仏壇ですから、何かと悩むところでございます。富山の法友の中には、高岡仏壇のような富山ならではのお仏壇がいいと仰る方もおられるので、最終的にはどうなるか分かりませんが、皆さんと色々と検討して富山会館にふさわしいお仏壇を選んでいきたいと思います。 さて、お仏壇を見せていただいた後は、近くにある滋賀会館へも寄ってみました。木之本会館では、長浜市周辺の法友がビデオご法話をされていましたが、滋賀会館は米原市や彦根市近辺の法友が集まってビデオご法話されていました。まあ、もん太が滋賀会館に到着した頃は、ビデオご法話も終わって大半が帰宅された後でございましたが……。久々に中を拝観しましたが、今の滋賀会館が落慶した時に拝観して以来で、ある意味、新鮮でした。 ちなみに滋賀会館は親鸞会が結成されてから２つ目の会館です。 高岡会館と瓜二つなんですけどね。ただ、部分的に３階があったりと、滋賀会館ならではの特徴も見られる会館でございます。 さて、米原の滋賀会館まで来たならば、あそこにも行っておきたいですね。 今では、高森顕徹先生のご法話は富山県の親鸞会館のみで行われていますが、ちょっと前までは、日本全国、そして、年２回は海外での布教がなされていたわけです。中でも滋賀県は親鸞会が結成される以前から高森顕徹先生が布教に歩かれていた所ということもあって、滋賀でのご法話は多かったですね。そんな滋賀県で親鸞会のご法話があった会場といえば、 米原市にある滋賀県立文化産業交流会館！ 非常に長いネーミングですよね。最近の一般会場はカタカナの会場が多いんですけど、ここは頑なに漢字でございます。 決して広い会場ではなかったんですが、ご法話会場となった展示ホールの周囲には２階まである観覧席があり、そこが荷物置き場として利用されたり、舞台の前には１段高い席が用意されていたなど、ちょっと特徴のある会場でした。玄関は開いていて入れましたので、中に入ってみました。 懐かしい〜っっ！！ これは、展示ホールから出て玄関方面を見たところですね。右のテーブルが幾つか置かれている所は「緑のロビー」と呼ばれていますが、ご法話があった時は、休憩時間などにここで休まれる方が多かったですね。昼食を摂られる方もおられました。左の廊下部分はごった返していましたしね。そして、 こちらの廊下からは中庭が見えて、受付などが設置されていた記憶があります。いやはや、懐かしい。 ただ、残念なことに展示ホールは鍵がかかっていたので、かつて参詣者でいっぱいだったあのホールは見ることができませんでした。う〜ん、残念！ それから、滋賀県の会場として忘れられないのが、長浜市のアレですね。 かつては、富山の親鸞会館以外に各地の会場でも、２日間の降誕会や報恩講が勤められ、高森顕徹先生がご説法されたんですが、平成7年12月9・10日に滋賀県で報恩講が勤められた時に会場となったのが、 長浜ドーム！ もはや、知る人ぞ知る伝説のご法話会場ですね。個人的には外観からモスラと呼んでいたんですが、やたら巨大な会場でした。そう、SHARPの初代ZAURUSが流行った時代でしたね。当時は富山県立大学の学生であり、滋賀のご法話会場と言えば文化産業交流会館しか知らなかったもん太は、ここに来た時「へー、滋賀にも、こんな大きな会場があったんだー」と驚いた記憶があります。中はさぞかし巨大な体育館であろうと思って一歩踏み込んだ当時のもん太は絶句した。 グラウンドじゃん！ 下がフローリングじゃないし、土だしっ！！屋根、メチャメチャ高いしっ！！寒いしっ！！ ここにシートを敷いて、絨毯を敷いて、お仏壇を設置して報恩講が勤められたのです。ご説法以外にも弁論大会も行われたんですが、色んな意味で生涯忘れられない報恩講でした。 ……とまあ、木之本会館とお仏壇探しに来たつもりが、脱線してしまいました。それにしても、富山県立大学に在学しながら聞法していたあの頃を思い出して、懐かしい思いに浸る一時でございました。 ではでは。 木之本会館、そして、滋賀のかつてのご法話会場巡り is a post from: ビジュアルで親鸞会を発信<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/kinomoto-4/">木之本会館、そして、滋賀のかつてのご法話会場巡り</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>もん太＠射水市民です。</p>
<p>今日は全国的に成人の日でございましたので、十ウン年前にとっくに成人してしまった私もドサクサに紛れて祝日しておりました。</p>
<p>そんな成人の日でございますが、昨年末に滋賀県長浜市に落慶した親鸞会の会館<span style="color: #008000;"><strong>「木之本会館」</strong></span>で高森顕徹先生のビデオご法話が勤められるという情報がリークされてきましたので、行ってきましたよ！</p>
<p>ただ、木之本というのは西日本方面から北陸自動車道で親鸞会に参詣される方なら<span style="color: #3366ff;"><strong>「雪が降ったら、敦賀ICと並んで、一旦降ろされるのが木之本IC」</strong></span>というイメージで認識されている方が多いのではないでしょうか？少なくとももん太はそういう認識で、親鸞会に木之本会館が落慶するぞと聞いた時に「雪深い所に会館が建つのだな」と思った記憶があります。雪の降る富山に住んでいながら、何を言っているんだ……という感じですが。</p>
<p>そんな歪んだ先入観で木之本会館に向かったんですが、実際に大変そうだったのは、敦賀ICから木之本ICの間にある山岳地帯で、そこには雪が降っていました。しかし、木之本ICを降りる頃には、雪は雨になっておりまして、木之本会館に到着したところ、</p>
<div id="attachment_6301" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240108-1.jpg" alt="木之本会館（Photo by 親鸞会）" title="木之本会館（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6301" /><p class="wp-caption-text">木之本会館なら大雪だろうと思ったら、駐車場の脇にしか雪がなかった</p></div>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: large;">雪、全然ないしっっ！</span></strong></span></p>
<p>という感じで、木之本会館の館長さんが年末年始に除雪されたということもあるでしょうけど、実際に一般道路にも雪はなく、あっても路肩でしたね。意外とフツーじゃん、と思いましたが、現地在住の親鸞会の法友は「いやいや、これから沢山降るよ」と仰っていました。まあ、外に居ると寒いので中に入れていただきましょう。続々と到着される法友が講堂でビデオご法話が始まるのを待っておられました。</p>
<div id="attachment_6302" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240108-2.jpg" alt="ビデオご法話（Photo by 親鸞会）" title="ビデオご法話（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6302" /><p class="wp-caption-text">この日は午後から高森顕徹先生のビデオご法話でした</p></div>
<p>落慶の懇談会で来て以来でしたが、色々と改善されたりして、近隣の法友の皆さんに親しまれている会館だと実感しました。</p>
<p>そして、木之本会館を後にしてやってきたのが、今度、富山市に建立される富山会館の為のお仏壇探しです。浄土真宗のお仏壇と言っても各地で色々な種類がございますが、滋賀県に住んでいる親鸞会の法友でお仏壇の製造と販売をされている方がおられるので、そこに行って展示されているものを見てきました。この辺のお仏壇は「浜仏壇」と言って、宮殿の中央が広く正御本尊を拝見しやすい造りですね。</p>
<div id="attachment_6303" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240108-3.jpg" alt="浜仏壇（Photo by 親鸞会）" title="浜仏壇（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6303" /><p class="wp-caption-text">富山会館用のお仏壇候補として浜仏壇もチェックしてきました</p></div>
<p>会館にふさわしく大きめのものを見ましたが、いやはや、お仏壇とは中々に値の張るものでございますね。展示されているお仏壇を見ていると「あぁ、これもいいな」と目移りするのですが、いい物は、それなりに値の張るものでございます。でも、無上仏をご安置するお仏壇ですから、何かと悩むところでございます。富山の法友の中には、高岡仏壇のような富山ならではのお仏壇がいいと仰る方もおられるので、最終的にはどうなるか分かりませんが、皆さんと色々と検討して富山会館にふさわしいお仏壇を選んでいきたいと思います。</p>
<p>さて、お仏壇を見せていただいた後は、近くにある滋賀会館へも寄ってみました。木之本会館では、長浜市周辺の法友がビデオご法話をされていましたが、滋賀会館は米原市や彦根市近辺の法友が集まってビデオご法話されていました。まあ、もん太が滋賀会館に到着した頃は、ビデオご法話も終わって大半が帰宅された後でございましたが……。久々に中を拝観しましたが、今の滋賀会館が落慶した時に拝観して以来で、ある意味、新鮮でした。</p>
<p>ちなみに滋賀会館は親鸞会が結成されてから２つ目の会館です。</p>
<div id="attachment_6304" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240108-4.jpg" alt="滋賀会館（Photo by 親鸞会）" title="滋賀会館（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6304" /><p class="wp-caption-text">滋賀に最初に落慶した親鸞会の会館「滋賀会館」は米原市にあります</p></div>
<p>高岡会館と瓜二つなんですけどね。ただ、部分的に３階があったりと、滋賀会館ならではの特徴も見られる会館でございます。</p>
<p>さて、米原の滋賀会館まで来たならば、あそこにも行っておきたいですね。</p>
<p>今では、高森顕徹先生のご法話は富山県の親鸞会館のみで行われていますが、ちょっと前までは、日本全国、そして、年２回は海外での布教がなされていたわけです。中でも滋賀県は親鸞会が結成される以前から高森顕徹先生が布教に歩かれていた所ということもあって、滋賀でのご法話は多かったですね。そんな滋賀県で親鸞会のご法話があった会場といえば、</p>
<div id="attachment_6305" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240108-5.jpg" alt="滋賀県立文化産業交流会館（Photo by 親鸞会）" title="滋賀県立文化産業交流会館（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6305" /><p class="wp-caption-text">滋賀で高森顕徹先生の法話会場といえば文化産業交流会館でしたね！</p></div>
<p>米原市にある<span style="color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: large;">滋賀県立文化産業交流会館</span></strong></span>！</p>
<p>非常に長いネーミングですよね。最近の一般会場はカタカナの会場が多いんですけど、ここは頑なに漢字でございます。</p>
<p>決して広い会場ではなかったんですが、ご法話会場となった展示ホールの周囲には２階まである観覧席があり、そこが荷物置き場として利用されたり、舞台の前には１段高い席が用意されていたなど、ちょっと特徴のある会場でした。玄関は開いていて入れましたので、中に入ってみました。</p>
<div id="attachment_6306" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240108-6.jpg" alt="緑のロビー（Photo by 親鸞会）" title="緑のロビー（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6306 " /><p class="wp-caption-text">休憩時間には、この右の緑のロビーで食事をする人が多かったなぁ〜</p></div>
<p><span style="color: #ff00ff;"><strong><span style="font-size: large;">懐かしい〜っっ！！</span></strong></span></p>
<p>これは、展示ホールから出て玄関方面を見たところですね。右のテーブルが幾つか置かれている所は「緑のロビー」と呼ばれていますが、ご法話があった時は、休憩時間などにここで休まれる方が多かったですね。昼食を摂られる方もおられました。左の廊下部分はごった返していましたしね。そして、</p>
<div id="attachment_6307" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240108-7.jpg" alt="廊下（Photo by 親鸞会）" title="廊下（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6307" /><p class="wp-caption-text">この中庭の見える左の廊下沿いに受付があったような覚えが……</p></div>
<p>こちらの廊下からは中庭が見えて、受付などが設置されていた記憶があります。いやはや、懐かしい。</p>
<p>ただ、残念なことに展示ホールは鍵がかかっていたので、かつて参詣者でいっぱいだったあのホールは見ることができませんでした。う〜ん、残念！</p>
<p>それから、滋賀県の会場として忘れられないのが、長浜市のアレですね。</p>
<p>かつては、富山の親鸞会館以外に各地の会場でも、２日間の降誕会や報恩講が勤められ、高森顕徹先生がご説法されたんですが、平成7年12月9・10日に滋賀県で報恩講が勤められた時に会場となったのが、</p>
<div id="attachment_6308" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240108-8.jpg" alt="長浜ドーム（Photo by 親鸞会）" title="長浜ドーム（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6308" /><p class="wp-caption-text">滋賀で親鸞会の報恩講会場として１回だけ使われた長浜ドーム</p></div>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: large;">長浜ドーム！</span></strong></span></p>
<p>もはや、知る人ぞ知る伝説のご法話会場ですね。個人的には外観からモスラと呼んでいたんですが、やたら巨大な会場でした。そう、SHARPの初代ZAURUSが流行った時代でしたね。当時は富山県立大学の学生であり、滋賀のご法話会場と言えば文化産業交流会館しか知らなかったもん太は、ここに来た時「へー、滋賀にも、こんな大きな会場があったんだー」と驚いた記憶があります。中はさぞかし巨大な体育館であろうと思って一歩踏み込んだ当時のもん太は絶句した。</p>
<div id="attachment_6309" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2012/01/240108-9.jpg" alt="屋内グラウンド（Photo by 親鸞会）" title="屋内グラウンド（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6309" /><p class="wp-caption-text">長浜ドーム内部はグラウンド。ここで親鸞会の報恩講があったんだよね</p></div>
<p><span style="color: #993300;"><strong><span style="font-size: large;">グラウンドじゃん！</span></strong></span></p>
<p>下がフローリングじゃないし、土だしっ！！屋根、メチャメチャ高いしっ！！寒いしっ！！</p>
<p>ここにシートを敷いて、絨毯を敷いて、お仏壇を設置して報恩講が勤められたのです。ご説法以外にも弁論大会も行われたんですが、色んな意味で生涯忘れられない報恩講でした。</p>
<p>……とまあ、木之本会館とお仏壇探しに来たつもりが、脱線してしまいました。それにしても、富山県立大学に在学しながら聞法していたあの頃を思い出して、懐かしい思いに浸る一時でございました。</p>
<p>ではでは。</p>
<p><a href="http://www.keyrose.net/2012/01/kinomoto-4/">木之本会館、そして、滋賀のかつてのご法話会場巡り</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.keyrose.net/2012/01/kinomoto-4/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.keyrose.net/2012/01/kinomoto-4/" />
	</item>
		<item>
		<title>親鸞会の小矢部会館でアレが輝いていたよ！</title>
		<link>http://www.keyrose.net/2011/12/oyabe-9/</link>
		<comments>http://www.keyrose.net/2011/12/oyabe-9/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 15 Dec 2011 07:50:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>monta</dc:creator>
				<category><![CDATA[親鸞会館]]></category>
		<category><![CDATA[報恩講]]></category>
		<category><![CDATA[小矢部会館]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞会]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.keyrose.net/?p=6174</guid>
		<description><![CDATA[もん太＠射水市民です。 昨日の富山県は、おしなべて快晴だったかと思いますが、そんな日は、あちこちウロウロとしたくなるものでございますね。ただ、放射冷却で朝晩は冷え込みますので、路面の凍結にはお気をつけくださいませ……。 さて、先週の土曜日から勤められていた親鸞会の小矢部会館での報恩講は、昨日が最終日でして午後から浄西秀行先生により「因果の道理」について法話がありました。ちょっとお話には間に合わなかったのですが、到着した時には、ちょうど法友の皆さんが、ぜんざい作りにいそしんでいらっしゃいました。 以前にも当ブログで触れたかもしれませんが、小矢部会館の台所は充実しておりまして、ただ食事を作る場所なのかと思いきや、ご婦人方の憩いの場になっているんですよね。昔なら井戸端会議と言いましょうか……。ご法話を聴聞されて休憩時間になると、主婦軍団が台所にわらわらと集まって来られまして、お茶の準備をしながらワイワイと仏法讃嘆。ロビーなど広い場所があるのに、やはり主婦方は台所が落ち着くのか、そのまま台所で楽しげに語っておられます。 失礼ですが、結構ご年輩じゃないの？と思うような方も、台所に入られるとシャキシャキと動かれ、手際良くお茶やおときの準備をされます。小矢部会館は色々と特徴がありますが、この充実した台所もまた皆さんに親しまれる要因のように感じました。そんな台所で、報恩講のぜんざい作りが進んでおりました。見ていて、ここは親鸞会の顕真学院かと思うような手際の良さに感服しました。 隣のロビーでは、 皆さん、まったりとぜんざいを頂きながら、報恩講で聴聞されたことなどを語り合っておられました。おときやお茶をいただきながら、リラックスしての仏法讃嘆は良いですね。やはり、会食は良いものです。 そんな親鸞会の報恩講真っ直中の小矢部会館でございますが、外ではあることが進行中でございました。 道路から小矢部会館の敷地に入る部分に、少し前に行事案内の掲示板が設置され、そのことは当ブログの「親鸞会の小矢部会館にアレができたよ」で紹介いたしました（それにしても「アレ」ばっかだな……）。その小矢部会館の顔ともいえる場所に、この度、門柱が設置されました！ この門柱が設置されたことで、小矢部会館の「顔」がハッキリしました。掲示板とセットで素晴らしい！ 落慶後も少しずつカスタマイズされつつある小矢部会館ですが、実は門柱だけではないんです。それは、日没後に……。 富山といえば散居村だったかと思いますが、そんな散居村の中に建つ小矢部会館ですので、周囲は都会に比べるとかなり暗いのです。そりゃもう、「はぁっ？ネオン？何それ？」っていうくらいに真っ暗になりますからね。星もよく見えちゃったりするもんですよ。ですから、小矢部会館で行事がある時は、 周囲が真っ暗な中で、こんな感じに会館が明るく輝き、仕事帰りの参詣者を暖かい光が「ウエルカム！」と迎えてくれます。特に会館の上部に取り付けられている３つの強烈な光を放つ照明は水銀灯ですので、会館の周辺は実に明るいのです。足元もハッキリ！！ そして、これに加えて、小矢部会館の看板も明るく照らされることになりました！やはり、親鸞会の看板ですからっ！！ ピッカーッ！ この看板は、東京スカイツリーも真っ青なほど高い青いのですが、落慶から今まで夜になると「なーん、見えんちゃ」だったんですが、この度、照明が取り付けられ、暗くなると、このように明るく照らされ「親鸞会の小矢部会館ここにあり！」とPRしてくれるのです。 散居村の中に建つ小矢部会館ですが、前の道路は通行料がかなりありまして、落慶の頃から会館の前を通る車は急にスピードを落として中を覗くようにして過ぎ去っていく光景が見られますが、これで夜も「ここで親鸞聖人の教えが聞けます」ということが分かって良いですね。親鸞聖人の教えを聞きたいのに、うっかり本願寺の寺に入ってしまうというケアレスミスは防げるかと思います。今や、本当の親鸞聖人の教えを聞けるのは親鸞会だけですからね！ ほら、道路沿いにあるから、通行中の車からもよく見えますね。親鸞会では、仕事を持つ若い人も多くいらっしゃいますから、夜の法話会も多く勤められています。そんな皆さんもご縁を持ちやすいんですね。 さらに、少し離れた小矢部川の堤防から見てみますと、 こんな感じ。周囲は田んぼなんで、闇の中に明るく浮かぶ法城という感じです。遠くからもよく分かるので、夜の参詣者も迷わずに済みますね。 ここで、阿弥陀仏の本願を聴聞させていただき、無明の闇が破られ無碍の一道に出させていただくまで聞法精進したいものです。 ではでは。 親鸞会の小矢部会館でアレが輝いていたよ！ is a post from: ビジュアルで親鸞会を発信<p><a href="http://www.keyrose.net/2011/12/oyabe-9/">親鸞会の小矢部会館でアレが輝いていたよ！</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>もん太＠射水市民です。</p>
<p>昨日の富山県は、おしなべて快晴だったかと思いますが、そんな日は、あちこちウロウロとしたくなるものでございますね。ただ、放射冷却で朝晩は冷え込みますので、路面の凍結にはお気をつけくださいませ……。</p>
<p>さて、先週の土曜日から勤められていた親鸞会の小矢部会館での報恩講は、昨日が最終日でして午後から浄西秀行先生により「因果の道理」について法話がありました。ちょっとお話には間に合わなかったのですが、到着した時には、ちょうど法友の皆さんが、ぜんざい作りにいそしんでいらっしゃいました。</p>
<div id="attachment_6175" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/12/231215-1.jpg" alt="台所（Photo by 親鸞会）" title="台所（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6175" /><p class="wp-caption-text">休憩時間になると主婦が所狭しと集まる台所で「ぜんざい」作り！</p></div>
<p>以前にも当ブログで触れたかもしれませんが、小矢部会館の台所は充実しておりまして、ただ食事を作る場所なのかと思いきや、ご婦人方の憩いの場になっているんですよね。昔なら井戸端会議と言いましょうか……。ご法話を聴聞されて休憩時間になると、主婦軍団が台所にわらわらと集まって来られまして、お茶の準備をしながらワイワイと仏法讃嘆。ロビーなど広い場所があるのに、やはり主婦方は台所が落ち着くのか、そのまま台所で楽しげに語っておられます。</p>
<p>失礼ですが、結構ご年輩じゃないの？と思うような方も、台所に入られるとシャキシャキと動かれ、手際良くお茶やおときの準備をされます。小矢部会館は色々と特徴がありますが、この充実した台所もまた皆さんに親しまれる要因のように感じました。そんな台所で、報恩講のぜんざい作りが進んでおりました。見ていて、ここは親鸞会の顕真学院かと思うような手際の良さに感服しました。</p>
<p>隣のロビーでは、</p>
<div id="attachment_6176" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/12/231215-2.jpg" alt="ロビー（Photo by 親鸞会）" title="ロビー（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6176" /><p class="wp-caption-text">親鸞会のF館ではありませんよ！小矢部会館のロビーです</p></div>
<p>皆さん、まったりとぜんざいを頂きながら、報恩講で聴聞されたことなどを語り合っておられました。おときやお茶をいただきながら、リラックスしての仏法讃嘆は良いですね。やはり、会食は良いものです。</p>
<p>そんな親鸞会の報恩講真っ直中の小矢部会館でございますが、外ではあることが進行中でございました。</p>
<p>道路から小矢部会館の敷地に入る部分に、少し前に行事案内の掲示板が設置され、そのことは当ブログの<strong>「<a href="http://www.keyrose.net/2011/12/oyabe-8/" rel="nofollow" target="_blank">親鸞会の小矢部会館にアレができたよ</a>」</strong>で紹介いたしました<span style="font-size: x-small;">（それにしても「アレ」ばっかだな……）</span>。その小矢部会館の顔ともいえる場所に、この度、門柱が設置されました！</p>
<div id="attachment_6177" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/12/231215-3.jpg" alt="門柱（Photo by 親鸞会）" title="門柱（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6177" /><p class="wp-caption-text">小矢部会館の入口に門柱が設置され「顔」がしっかりしました！</p></div>
<p>この門柱が設置されたことで、小矢部会館の「顔」がハッキリしました。掲示板とセットで素晴らしい！</p>
<p>落慶後も少しずつカスタマイズされつつある小矢部会館ですが、実は門柱だけではないんです。それは、日没後に……。</p>
<div id="attachment_6178" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/12/231215-4.jpg" alt="西の空（Photo by 親鸞会）" title="西の空（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6178" /><p class="wp-caption-text">日が沈んで西の空を残して、だんだんと暗くなってきました</p></div>
<p>富山といえば散居村だったかと思いますが、そんな散居村の中に建つ小矢部会館ですので、周囲は都会に比べるとかなり暗いのです。そりゃもう、「はぁっ？ネオン？何それ？」っていうくらいに真っ暗になりますからね。星もよく見えちゃったりするもんですよ。ですから、小矢部会館で行事がある時は、</p>
<div id="attachment_6179" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/12/231215-5.jpg" alt="小矢部会館（Photo by 親鸞会）" title="小矢部会館（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6179" /><p class="wp-caption-text">報恩講の夜の部に向け、ライトアップされた小矢部会館です</p></div>
<p>周囲が真っ暗な中で、こんな感じに会館が明るく輝き、仕事帰りの参詣者を暖かい光が「ウエルカム！」と迎えてくれます。特に会館の上部に取り付けられている３つの強烈な光を放つ照明は水銀灯ですので、会館の周辺は実に明るいのです。足元もハッキリ！！</p>
<div id="attachment_6180" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/12/231215-6.jpg" alt="小矢部会館のライトアップ（Photo by 親鸞会）" title="小矢部会館のライトアップ（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6180" /><p class="wp-caption-text">正面付近も明るく照らされ夜の参詣者も安心です</p></div>
<p>そして、これに加えて、小矢部会館の看板も明るく照らされることになりました！やはり、親鸞会の看板ですからっ！！</p>
<div id="attachment_6181" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/12/231215-7.jpg" alt="看板（Photo by 親鸞会）" title="看板（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6181" /><p class="wp-caption-text">看板も照明で明るくなり親鸞会の会館をPRしています</p></div>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: x-large;">ピッカーッ！</span></strong></span></p>
<p>この看板は、東京スカイツリーも真っ青なほど<del>高い</del>青いのですが、落慶から今まで夜になると「なーん、見えんちゃ」だったんですが、この度、照明が取り付けられ、暗くなると、このように明るく照らされ<span style="color: #0000ff;"><strong>「親鸞会の小矢部会館ここにあり！」</strong></span>とPRしてくれるのです。</p>
<p>散居村の中に建つ小矢部会館ですが、前の道路は通行料がかなりありまして、落慶の頃から会館の前を通る車は急にスピードを落として中を覗くようにして過ぎ去っていく光景が見られますが、これで夜も<span style="color: #ff0000;"><strong>「ここで親鸞聖人の教えが聞けます」</strong></span>ということが分かって良いですね。親鸞聖人の教えを聞きたいのに、うっかり本願寺の寺に入ってしまうというケアレスミスは防げるかと思います。今や、本当の親鸞聖人の教えを聞けるのは親鸞会だけですからね！</p>
<div id="attachment_6182" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/12/231215-8.jpg" alt="小矢部会館と看板（Photo by 親鸞会）" title="小矢部会館と看板（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6182" /><p class="wp-caption-text">前の道路を通行する人々からも、よく分かるようになりました</p></div>
<p>ほら、道路沿いにあるから、通行中の車からもよく見えますね。親鸞会では、仕事を持つ若い人も多くいらっしゃいますから、夜の法話会も多く勤められています。そんな皆さんもご縁を持ちやすいんですね。</p>
<p>さらに、少し離れた小矢部川の堤防から見てみますと、</p>
<div id="attachment_6183" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/12/231215-9.jpg" alt="小矢部川の土手から（Photo by 親鸞会）" title="小矢部川の土手から（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-6183" /><p class="wp-caption-text">小矢部川の土手から望遠で撮影。闇の中に浮かぶ小矢部会館です！</p></div>
<p>こんな感じ。周囲は田んぼなんで、闇の中に明るく浮かぶ法城という感じです。遠くからもよく分かるので、夜の参詣者も迷わずに済みますね。</p>
<p>ここで、阿弥陀仏の本願を聴聞させていただき、無明の闇が破られ無碍の一道に出させていただくまで聞法精進したいものです。</p>
<p>ではでは。</p>
<p><a href="http://www.keyrose.net/2011/12/oyabe-9/">親鸞会の小矢部会館でアレが輝いていたよ！</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.keyrose.net/2011/12/oyabe-9/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.keyrose.net/2011/12/oyabe-9/" />
	</item>
		<item>
		<title>「教え」説かねば「仏教」ではない</title>
		<link>http://www.keyrose.net/2011/03/oshie/</link>
		<comments>http://www.keyrose.net/2011/03/oshie/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 05 Mar 2011 02:25:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>monta</dc:creator>
				<category><![CDATA[親鸞会もん太のどこまで脱線するの？]]></category>
		<category><![CDATA[なぜ生きる]]></category>
		<category><![CDATA[報恩講]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞会]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞会館]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞聖人７５０回忌]]></category>
		<category><![CDATA[高森顕徹]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.keyrose.net/?p=3076</guid>
		<description><![CDATA[もん太＠射水市民です。 今年は親鸞聖人750回忌の年ということで、世間中が親鸞聖人に関心を持っています。本願寺などでも親鸞聖人750回大遠忌として、門徒の減少に歯止めをかける最後のチャンスとばかりに、あの手この手で人を集めようと躍起になっています。 最近、NHKのクローズアップ現代で『岐路に立つお寺〜問われる宗教の役割〜』という特集がなされました。 「葬式仏教」と批判されて久しい寺が窮地に立たされている現状をまとめたものでした。それまで寺の専売特許だったような葬儀が、民間の企業に持っていかれ、安定収入と思われた「墓」までもが民間の企業が経営するところへ「引っ越し」してしまっているということです。それまで、葬式があるから、墓があの寺にあるから……ということで、教えを説かずとも存続できた寺が、まさしく最後の頼みの綱を切られつつあるというのです。 その葬式ということについても、日本経済新聞に「イオン参入で議論に　ゆれる葬祭」と特集されていました。 民間企業によって「葬儀ビジネス」や「墓ビジネス」を持っていかれ、「廃業」していく寺が続出している現状から考えて、これらの特集で登場する寺関係者の声は、まさに断末魔とも言えるでしょう。 それにしても、これらの番組や新聞記事を見て、現状を伝えるにはいいんだけど、何かが足りない……と感じているのは、もん太だけではないのではないでしょうか？ そう、「教え」です。 番組中で、どこぞの大学の教授などのコメンテーターが、色々と意見を言っていますが、どうして「教えを説いていないからです」と言えないのでしょうか？ 「仏教」とは「仏の説かれた教え」ということです。 魚屋に行っても魚という商品がなければ魚屋は廃業ですし、本屋に行って本という商品を売っていなければ誰も寄って来ません。 仏教を商売に例えるのは不適当ですが、あえて言うならば、仏教という店に行って「教え」という商品がなければ、仏教にならないわけです。そして、葬式や墓を本業のように思っているのだから、根本的に狂っているとしか言いようがありません。 その番組の中で、実際に「仏教」「寺」「僧侶」について、良いイメージを持っている人がどれくらいいるかアンケート結果が紹介されました。結果は、 仏教　９０％（１０人に９人） 寺　　２５％（４人に１人） 僧侶　１０％（１０人に１人） ということでした。 仏教に対するイメージとは、まさしく教えに対するイメージであって、それは良いと思われているのであれば、それこそ本道である「仏教を説く」ことをすればいいのに、それをせずに本業ではない葬式や墓番ばかりしている僧侶に対するイメージが悪いのでしょう。 富山県伏木の勝興寺での御満座で「法話」と呼ばれることがなされていましたが、 その有り様は、かつて当ブログで書いた「勝興寺の御満座に見た本願寺衰退の原因」の通りです。法話がなされると聞いて参詣された門徒の皆さんに対して、自分がどうして布教使になったのかということを、やる気なさを暴露して話すのですから、門徒の方は……、 舟を漕ぐのも当然です。 魚屋なら「今日は魚があるよー！」と言っているから買い物かご持って行ってみたら魚が一匹も売っていなかったようなものです。そりゃ、ガッカリしますよね。いや、怒るでしょう。 では、勝興寺の報恩講である御満座はこんな感じでしたが、親鸞会の報恩講も見てみましょう。 こんな感じです。 老若男女が肩を並べて勤行をし、高森顕徹先生より親鸞聖人の教えを聴聞しています。 この現状を見ますと、何か親鸞会は変わったことをしているのではないか？特別なことをして人集めをしているのではないか？といぶかるのは無理からぬことです。 その親鸞会に、どうしてこんなに参詣者が集まるのか……というコツ（？）が、親鸞会の機関誌である『顕正新聞』の平成23年3月1日号に掲載されていましたので抜粋いたします。 ●教えを説いているだけ 親鸞聖人の教えを説いているだけで、あんなに繁栄するはずがないと思うのが当然。 親鸞聖人の教えを伝えているだけで、あんなに群参するはずがないと思うのも当然。 親鸞聖人の教えを話しているだけで、あんなに金品が集まるはずがないと思うのも当然。 何かあると訝るのは、税務署だけでないのも当然なのだ。だが、知る人ぞ知る親鸞会は、更に親鸞聖人の教え以外説いたことがないのが事実である。 まさしく、これ以外にありません。 教えを説いているつもりなのに、どうして寺離れに歯止めがかからないのでしょう。 それは、本当の仏教を説いていないからにほかなりません。 先日のクローズアップ現代で、足りなかったのは、この一言です。 この番組で、何とかしなければならないと「頑張っている」僧侶として、何人かが紹介されていましたが、いずれも悩み相談を受けて処世術を話しているだけのようです。仕事に困っている人がいれば、ハローワークとの橋渡しになったり……と全く仏教と関係がありません。 歎異抄の第４章に、このような文章があります。 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。 聖道の慈悲というは、ものを憐れみ愛しみ育むなり。しかれども、思うがごとく助け遂ぐること、極めてありがたし。 浄土の慈悲というは、念仏して急ぎ仏になりて、大慈大悲心をもって思うがごとく衆生を利益するというべきなり。 今生に、いかにいとおし不便と思うとも、存知のごとく助け難ければ、この慈悲始終なし。しかれば念仏申すのみぞ、末徹りたる大慈悲心にて候べき、と云々。 この世で、かわいそう、なんとかしてやりたいと、どんなに哀れんでも、心底から満足できるように助けることはできないから、聖道の慈悲は、いつも不満足のままで終わってしまう。されば、弥陀の本願に救われ念仏する身になることのみが、徹底した大慈悲心なのである、と結論づけておられます。 勿論、仕事に就けずに悩んでいる人の相談に乗ってあげることが悪いのでもなければ、今ならニュージーランドの地震で被災されたご家族の為に義援金を送ることが悪いのでもありません。ただ、それが仏法の目的ではないのです。親鸞聖人の時代にも、飢饉に苦しみ亡くなっていかれる方が多くありました。そんな人々を哀れみ、何とかしてあげたいと親鸞聖人も立ち上がられました。その時のことを当ブログの『タイガーマスク運動と布施』にも書きましたが、最後に聖人は、阿弥陀仏の本願の徹底以外に御恩報謝もなければ、真実の救いはないと布教に立たれました。 仏教は生きた人間にお釈迦さまが人生の目的を説かれたものです。決して、死んだ人に説かれたものではありません。生きている私たちが最も知らねばならない「なぜ生きる」の解答こそが本当の仏教ですから、それを説けば浄土真宗は大隆盛するのは間違いないのです。 先日の勝興寺の御満座を報道した各メディアは、 やはり、教えを説いていないので、報道できるのは名物のデカローソクだけでした。 本当の仏教を教えることこそが、寺の急務ではないでしょうか？ ではでは。 「教え」説かねば「仏教」ではない is a post from: ビジュアルで親鸞会を発信<p><a href="http://www.keyrose.net/2011/03/oshie/">「教え」説かねば「仏教」ではない</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>もん太＠射水市民です。</p>
<p>今年は親鸞聖人750回忌の年ということで、世間中が親鸞聖人に関心を持っています。本願寺などでも親鸞聖人750回大遠忌として、門徒の減少に歯止めをかける最後のチャンスとばかりに、あの手この手で人を集めようと躍起になっています。</p>
<p>最近、NHKの<a href="http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/index.cgi" target="_blank">クローズアップ現代</a>で<strong>『<a href="http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3010" target="_blank">岐路に立つお寺〜問われる宗教の役割〜</a>』</strong>という特集がなされました。</p>
<p>「葬式仏教」と批判されて久しい寺が窮地に立たされている現状をまとめたものでした。それまで寺の専売特許だったような葬儀が、民間の企業に持っていかれ、安定収入と思われた「墓」までもが民間の企業が経営するところへ「引っ越し」してしまっているということです。それまで、葬式があるから、墓があの寺にあるから……ということで、教えを説かずとも存続できた寺が、まさしく<span style="color: #993300;"><strong>最後の頼みの綱</strong></span>を切られつつあるというのです。</p>
<p>その葬式ということについても、日本経済新聞に<strong>「<a href="http://www.nikkei.com/life/culture/article/g=96958A90889DE0E0E5EAE2E4E4E2E2E1E2E0E0E2E3E39091EAE2E2E2;p=9694E3EBE2E6E0E2E3E2EBE7E3E6" target="_blank">イオン参入で議論に　ゆれる葬祭</a>」</strong>と特集されていました。</p>
<p>民間企業によって「葬儀ビジネス」や「墓ビジネス」を持っていかれ、「廃業」していく寺が続出している現状から考えて、これらの特集で登場する寺関係者の声は、まさに断末魔とも言えるでしょう。</p>
<p>それにしても、これらの番組や新聞記事を見て、現状を伝えるにはいいんだけど、何かが足りない……と感じているのは、もん太だけではないのではないでしょうか？</p>
<p>そう、<span style="color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: large;">「教え」</span></strong></span>です。</p>
<p>番組中で、どこぞの大学の教授などのコメンテーターが、色々と意見を言っていますが、どうして<span style="color: #3366ff;"><strong>「教えを説いていないからです」</strong></span>と言えないのでしょうか？</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: medium;">「仏教」</span></strong></span>とは<span style="font-size: medium; color: #ff0000;"><strong>「<span style="text-decoration: underline;">仏</span>の説かれた<span style="text-decoration: underline;">教</span>え」</strong></span>ということです。</p>
<p>魚屋に行っても魚という商品がなければ魚屋は廃業ですし、本屋に行って本という商品を売っていなければ誰も寄って来ません。</p>
<p>仏教を商売に例えるのは不適当ですが、あえて言うならば、仏教という店に行って「教え」という商品がなければ、仏教にならないわけです。そして、葬式や墓を本業のように思っているのだから、根本的に狂っているとしか言いようがありません。</p>
<p>その番組の中で、実際に<span style="font-size: medium; color: #333399;"><strong>「仏教」「寺」「僧侶」</strong></span>について、良いイメージを持っている人がどれくらいいるかアンケート結果が紹介されました。結果は、</p>
<ul>
<li><span style="color: #333399;"><strong><span style="font-size: medium;">仏教　９０％</span></strong></span>（１０人に９人）</li>
<li><span style="font-size: medium; color: #333399;"><strong>寺　　２５％</strong></span>（４人に１人）</li>
<li><span style="color: #333399;"><strong><span style="font-size: medium;">僧侶　１０％</span></strong></span>（１０人に１人）</li>
</ul>
<p>ということでした。</p>
<p>仏教に対するイメージとは、まさしく教えに対するイメージであって、それは良いと思われているのであれば、それこそ本道である「仏教を説く」ことをすればいいのに、それをせずに本業ではない葬式や墓番ばかりしている僧侶に対するイメージが悪いのでしょう。</p>
<p>富山県伏木の勝興寺での御満座で<span style="color: #993300;"><strong>「法話」</strong></span>と呼ばれることがなされていましたが、</p>
<div id="attachment_3077" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><a href="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/03/230305-1.jpg"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/03/230305-1.jpg" alt="勝興寺の御満座（Photo by 親鸞会）" title="勝興寺の御満座（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-3077" /></a><p class="wp-caption-text">「説教」と言っても世間話や布教使の考えばかりだからガラガラ</p></div>
<p>その有り様は、かつて当ブログで書いた<strong>「<a href="http://www.keyrose.net/2011/01/gomanza/" target="_blank">勝興寺の御満座に見た本願寺衰退の原因</a>」</strong>の通りです。法話がなされると聞いて参詣された門徒の皆さんに対して、自分がどうして布教使になったのかということを、やる気なさを暴露して話すのですから、門徒の方は……、</p>
<div id="attachment_3078" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><a href="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/03/230305-2.jpg"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/03/230305-2.jpg" alt="居眠りの参詣者（Photo by 親鸞会）" title="居眠りの参詣者（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-3078" /></a><p class="wp-caption-text">「仏教」を聞きたいのに説かれないから舟をこぐ</p></div>
<p>舟を漕ぐのも当然です。</p>
<p>魚屋なら「今日は魚があるよー！」と言っているから買い物かご持って行ってみたら魚が一匹も売っていなかったようなものです。そりゃ、ガッカリしますよね。いや、怒るでしょう。</p>
<p>では、勝興寺の報恩講である御満座はこんな感じでしたが、<strong><a href="http://www.shinrankai.or.jp/" target="_blank">親鸞会</a></strong>の報恩講も見てみましょう。</p>
<div id="attachment_3083" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><a href="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/03/230305-4.jpg"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/03/230305-4.jpg" alt="親鸞会の報恩講（Photo by 親鸞会）" title="親鸞会の報恩講（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-3083" /></a><p class="wp-caption-text">親鸞会の報恩講では二千畳が参詣者でいっぱいになります</p></div>
<p>こんな感じです。</p>
<p>老若男女が肩を並べて勤行をし、<strong><a href="http://www.takamori.info/" target="_blank">高森顕徹</a></strong>先生より親鸞聖人の教えを聴聞しています。</p>
<p>この現状を見ますと、何か<strong><a href="http://www.geocities.jp/ongwanji/" target="_blank">親鸞会</a></strong>は変わったことをしているのではないか？特別なことをして人集めをしているのではないか？といぶかるのは無理からぬことです。</p>
<p>その<strong><a href="http://親鸞会.com/" target="_blank" class="broken_link">親鸞会</a></strong>に、どうしてこんなに参詣者が集まるのか……というコツ（？）が、<strong><a href="http://www.shinrankai.net/" target="_blank">親鸞会</a></strong>の機関誌である<strong>『顕正新聞』</strong>の平成23年3月1日号に掲載されていましたので抜粋いたします。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #800000;"><strong><span style="font-size: medium;">●教えを説いているだけ</span></strong></span></p>
<p style="padding-left: 60px;"><span style="color: #800000;"><strong>親鸞聖人の教えを説いているだけで、あんなに繁栄するはずがないと思うのが当然。</strong></span></p>
<p style="padding-left: 60px;"><span style="color: #800000;"><strong>親鸞聖人の教えを伝えているだけで、あんなに群参するはずがないと思うのも当然。</strong></span></p>
<p style="padding-left: 60px;"><span style="color: #800000;"><strong>親鸞聖人の教えを話しているだけで、あんなに金品が集まるはずがないと思うのも当然。</strong></span></p>
<p style="padding-left: 60px;"><span style="color: #800000;"><strong>何かあると訝るのは、税務署だけでないのも当然なのだ。だが、知る人ぞ知る親鸞会は、更に親鸞聖人の教え以外説いたことがないのが事実である。</strong></span></p>
<p>まさしく、これ以外にありません。</p>
<p>教えを説いているつもりなのに、どうして寺離れに歯止めがかからないのでしょう。</p>
<p>それは、本当の仏教を説いていないからにほかなりません。</p>
<p>先日のクローズアップ現代で、足りなかったのは、この一言です。</p>
<p>この番組で、何とかしなければならないと「頑張っている」僧侶として、何人かが紹介されていましたが、いずれも悩み相談を受けて処世術を話しているだけのようです。仕事に困っている人がいれば、ハローワークとの橋渡しになったり……と全く仏教と関係がありません。</p>
<p><strong><a href="http://www.10000nen.com/book/tanni/tanni.htm" target="_blank">歎異抄</a></strong>の第４章に、このような文章があります。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #800000; font-size: medium;"><strong>慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。</strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #800000; font-size: medium;"><strong>聖道の慈悲というは、ものを憐れみ愛しみ育むなり。しかれども、思うがごとく助け遂ぐること、極めてありがたし。</strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #800000; font-size: medium;"><strong>浄土の慈悲というは、念仏して急ぎ仏になりて、大慈大悲心をもって思うがごとく衆生を利益するというべきなり。</strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #800000; font-size: medium;"><strong>今生に、いかにいとおし不便と思うとも、存知のごとく助け難ければ、この慈悲始終なし。しかれば念仏申すのみぞ、末徹りたる大慈悲心にて候べき、と云々。</strong></span></p>
<p>この世で、かわいそう、なんとかしてやりたいと、どんなに哀れんでも、心底から満足できるように助けることはできないから、聖道の慈悲は、いつも不満足のままで終わってしまう。されば、弥陀の本願に救われ念仏する身になることのみが、徹底した大慈悲心なのである、と結論づけておられます。</p>
<p>勿論、仕事に就けずに悩んでいる人の相談に乗ってあげることが悪いのでもなければ、今ならニュージーランドの地震で被災されたご家族の為に義援金を送ることが悪いのでもありません。ただ、それが仏法の目的ではないのです。親鸞聖人の時代にも、飢饉に苦しみ亡くなっていかれる方が多くありました。そんな人々を哀れみ、何とかしてあげたいと親鸞聖人も立ち上がられました。その時のことを当ブログの<strong>『<a href="http://www.keyrose.net/2011/01/tiger_mask/" target="_blank">タイガーマスク運動と布施</a>』</strong>にも書きましたが、最後に聖人は、阿弥陀仏の本願の徹底以外に御恩報謝もなければ、真実の救いはないと布教に立たれました。</p>
<p>仏教は生きた人間にお釈迦さまが人生の目的を説かれたものです。決して、死んだ人に説かれたものではありません。生きている私たちが最も知らねばならない「なぜ生きる」の解答こそが本当の仏教ですから、それを説けば浄土真宗は大隆盛するのは間違いないのです。</p>
<p>先日の勝興寺の御満座を報道した各メディアは、</p>
<div id="attachment_3079" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><a href="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/03/230305-3.jpg"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/03/230305-3.jpg" alt="御満座のデカローソク（Photo by 親鸞会）" title="御満座のデカローソク（Photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-3079" /></a><p class="wp-caption-text">夜通しの仏法讃嘆を照らすデカローソクが空しい</p></div>
<p>やはり、教えを説いていないので、報道できるのは名物のデカローソクだけでした。</p>
<p>本当の仏教を教えることこそが、寺の急務ではないでしょうか？</p>
<p>ではでは。</p>
<p><a href="http://www.keyrose.net/2011/03/oshie/">「教え」説かねば「仏教」ではない</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.keyrose.net/2011/03/oshie/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.keyrose.net/2011/03/oshie/" />
	</item>
		<item>
		<title>勝興寺の御満座に見た本願寺衰退の原因</title>
		<link>http://www.keyrose.net/2011/01/gomanza/</link>
		<comments>http://www.keyrose.net/2011/01/gomanza/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 15 Jan 2011 10:15:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>monta</dc:creator>
				<category><![CDATA[真宗十派]]></category>
		<category><![CDATA[勝興寺]]></category>
		<category><![CDATA[報恩講]]></category>
		<category><![CDATA[本願寺]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞会]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.keyrose.net/?p=2692</guid>
		<description><![CDATA[もん太＠射水市民です。 この週末は日本全国おしなべて天候が荒れ模様のようで、大学入試センター試験を受験される皆さんには特に雪によるトラブルの注意が呼びかけられていますが、そんな荒れ模様の中、富山県高岡市にある本願寺派の勝興寺で「御満座（報恩講）」が勤められました。 勝興寺といえば、浄土真宗の中興上人といわれる蓮如上人が越中布教の拠点として設けられた寺院で、富山県では非常に有名です。かつては富山県内はもちろん日本全国から参詣者が群参し、大変な賑わいであったと聞いています。親鸞会の黎明期に高森顕徹先生が御満座のご示談の場に乗り込まれて、本当の親鸞聖人の教えをスパッと説かれたこともある所です。 最近の浄土真宗は衰退の一途を辿っていると聞きますが、いくら何でも天下の勝興寺ですから、そんなことはなかろうと足を運んでみました。 事前に、親鸞会の法友に「勝興寺に行ったら車はどうしたらいいんでしょう？」と尋ねたところ、「大きな行事だし、人が集まるから伏木駅前の駐車場に停めた方がいいんじゃない？」とアドバイスを頂いた。親鸞会の報恩講では、全国のみならず世界中から参詣者が押し寄せるので、交通整理の係が周囲に立ちます。特に小杉インターから親鸞会館までの道は大混雑するので、その道中は係がたくさん立つのですが、その感覚で行ってみました……が、伏木駅前に行っても、道路は通常と変わらず。 この調子なら、もしかしたら境内の駐車場に停められるかも……と行ってみた（とどのつまり、雪が降っているし、あまり歩きたくないのネ）。 勝興寺の門前には、たい焼きやたこ焼きの出店が３軒ほど並び、その横には休憩所のテントが用意されていた。しかし、そこに賑わいはなく、屋台の皆さんが寒そうにしておられるのが印象的でした。この出店も、かつてはもっと多く並んでいたそうですが、この現状に寂しさすら感じました（まあ、出店で寂しいというのもなんですが）。 上の写真は、この日の午後の勤行の前に撮ったものですが、あまりに参詣者の姿が見えないので、逆に今日は中止になったのだろうかと不安になってしました。 ちなみに、親鸞会の昨年の報恩講の様子は、こちらでリポートしましたので、ご覧ください。 ……で、境内の駐車場ですが、 境内内部の、かなり本堂に近い駐車場で、この状態でした。確かに、伏木駅まで電車で来られたり、地元の方が徒歩で来られて自家用車で参詣されない方もいらっしゃるでしょうが、車社会の富山において、いくらなんでもガラガラすぎないかと思いました。 とは言っても、そんな駐車場の込み具合でグタグタ言っている場合ではありません。肝心なのは教えですから、早速、本堂へと足を運んでみましょう。 本堂に入ると、親鸞会の会館に比べ、かなり寒く、参詣者の皆さんはジャンパーなどを着てストーブの近くに陣取っていました。 無断で撮影するわけにもいかないので、係の方に「撮影してもよろしいでしょうか？」と聞くと、笑顔で「どうぞ、どうぞ」と承諾してくれました。近くにどこかのテレビ局のものと思われるビデオカメラも立っていましたし、観光客らしき人がパシャパシャと撮っていたり、参詣者も携帯のカメラで「チャラ～ン♪」とか音を立てて撮影していたくらいなので問題はないのだろう。 ……で、本堂の様子はこんな感じでした。 これって勝興寺の御満座だよね？ いくらなんでも参詣者が少なすぎないだろうか。報恩講（御正忌）は、浄土真宗で最も大切な行事です。これに馳せ参じないものは親鸞学徒ではないとも言われます。 たとえ、雪が降っていようと「雨、風、雪はもののかずかは」と蓮如上人が仰るように、ご縁を求めねばならないのではないでしょうか？ 時間の午後２時になると、門徒総代の方が前に出てきて挨拶をしました。「昨日は山口県の宇部市からいらっしゃる方もありました」と誇らしげに言われていましたが、親鸞会では、富山県だけでなく、遠く北海道や沖縄県、そして、海外はアメリカやブラジルなどの法友も参詣されるんですけどなあ……と思うのでした。なぜ、海外からも参詣されるのか？それは、本当の親鸞聖人の教えを説いているからに他なりません。 ただ、このことは勝興寺は本山ではないからということもあるでしょうけど、親鸞会の富山県呉西方面を中心とした行事だけでも、もっと参詣されるんです。どうしてかつて、あれほどの参詣者で溢れた勝興寺がこうなってしまったのか……理由を追求せねばなりません。 そうやって考えているうちに、御満座名物の２本の「デカローソク」が灯る中で「読経」が始まりました。 勝興寺の住職が赤い衣を着て「読経」を開始。 この住職の前には、勝興寺の本尊が安置されているのですが、阿弥陀如来の木像でした。さて、浄土真宗の本尊は木像でいいのでしょうか？浄土真宗の正しい本尊は「南無阿弥陀仏」の御名号だけです。その理由は「親鸞聖人が、御名号を本尊となされた根拠はあるのか」や「止まらない御名号本尊への流れ」や「“名号本尊”は親鸞聖人のお勧め」などを読んでいただければと思います。改めて、最も大切な本尊から間違っているのですから、教えも間違ってくるのだと知らされるのでした。 さて、「読経」の後に親鸞聖人の御一代が記された御伝鈔の拝読などが一通りなされたんですが、節を付けて有り難そうに拝読するだけで、御伝鈔の解説は全くなく、参詣者はひたすらうつむいて聞いているだけでした。これでは、親鸞聖人がどのようなご苦労をなされたのかが分かりません。 それでは最後の法話に期待してみよう……と思ったら、御伝鈔の拝読が終わったあたりで、参詣者がゾロゾロと帰り始めました。 そして、親鸞会では想像もできないほど、空席が目立ち始めました。 今回は近くの寺のY師と呼ばれる布教使が担当。どんな話が聞けるのだろうかと聞き始めると、どうして自分が布教使になったのかという話を延々と始めました。 それでも、親鸞聖人の教えのどこに感動して、この教えを弘めたいと思って布教使になったという話かなと思って聞いてみたところ、こんな調子の「法話」でした。 私にとっては仏教はあまり馴染みがなかった。ご縁がなかった生活をしていたので、学校（研修施設のこと）はやっぱり厳しかったですね。知らないことばかりですし。まして、周りの方々は若い人だらけで、私みたいな年いった人は、まあ、私は４０なんですね。なかなか同い年の人は少なくて、数名しかおりませんでした。まあ、その数名同士がどうしても固まるんですね。皆さん、大体、普通の高校や大学を卒業されて、すぐに来られる。お寺のご子息ばかりなんですね。中身にもついていけません。若い人達との一緒の生活にもなかなか馴染めない。まあ、オジサンばかりが固まって、何とか１年間頑張ってきたということでございます。 想像以上に厳しかったですね、生活が。逆に言うと一番初め思ったのは、サラリーマン終わってからお寺のことやればいいやなんて言っていた自分が恥ずかしくなったりしてですね。これサラリーマン終わってからしていたら、もっと辛かったんだろうなぁと思ったり。それはやっぱり今までとは丸っきり違う生活ですし、違う勉強でしたし、非常に厳しかったことが今でも思い出してしまいます。そんな辛かったですから、１年で何とか住職になるための資格は頂いたわけですから、すぐに帰ってこれば良かったわけですけれども、何を思ったか「もうちょっと勉強してみようかな」なんて思いまして、もう半年勉強させて頂いてきました。そこで私が、実際は３ヶ月くらいなんですけども勉強してきたことというのが、こうやって皆様の前でお話をするための勉強をしてきたわけですね。それが、皆さんがよく聞かれる布教使という資格なわけですね。 まあ、今はコレを取って良かったのか、良くなかったのか。まあ、「資格」と言われるものですからね。やっぱり、持っていた方がいいんでしょうけれども、決して私はこうして皆様の前で積極的にお話をしに出かけたいという思いではなかったわけですね、正直。ましてや、他のお寺のご子息のようにですね「ちょっと京都で勉強してきました。その結果として布教使という免許を頂いて帰ってきました」だったらいいんですけれども、私の場合は、その免許が欲しいが為に京都にいるのを延長して勉強してきたわけですね。 なぜ欲しかったのか？まあ、カッコつけたかったんでしょうね。ましてや、連れ合いであります私の妻の方が、私よりももっと先にですね、何年も前ですが得度させて頂きまして、布教使も取って、布教使という免許も持っていたんですね。旦那さんとしてはですね、やっぱり悔しいですね。なかなか頭が上がらないというかですね。僧侶としては後輩な上にですね、更には家に帰ってきても、今で言う上からモノを言われるんですかね。こう言われるんですね。「アンタ、後輩な上に布教使の資格を持っていないじゃないの」ってね。そういうのをチラチラと感じるたりするんですね。それが悔しくてですね「じゃあオレも免許を取りに行ってやる！」と、その思いだけで免許を取りに行ったというのが正直な話です。それで頂いてきてしまった布教使という肩書きなので、正直、今はその重さに潰されそうになっております。 こちらの勝興寺、１度だけ来た事があるんですね。普通にお参りするだけでした。それだけでもスゴイなあって思ったのに、今ではこの場で私がお話させて頂くなんていうのは、本当にこの１ヶ月間、胃が痛い思いでした。私、初めはお断りするつもりだったんですよ。「何で私なの？」なんていう思いもありましたし「いや、僕なんかじゃ、まだまだ、衣を着ているだけの僧侶ですし」ということで、お断りをするつもりだったんですが、それを考えている間に連れ合いの方が返事をしてしまいまして……、で、連れの方が返事した訳ですから連れがやるんだろう、お話をするんだろうと思っていたら「アタシ、この日は他の所で用事があるから、アンタが一つやって」「うん」というようなことがあったんですね。 ですから、難しいご法義とかですね、内容のあるお話というのは、明日の私の連れ合いが話をさせて頂きますので、私は今日、そんなに中身のあるスゴイ話とかイイ話とかいうのは、本当にそういうのはチョット無理です。まだ。４０歳にしてこれはどうかなと思うんですけど、それでも無理なものは、無理しすぎることは良くない。私なりにですね、浄土真宗の教えって有り難いなあと感じているところを少し皆さんにお話できればなと思います。 で、この布教使の資格というのは、勉強するのは結構大変で、一般の方々は２通りあります。地元でも取ることもできます。別に本山の近くに行って勉強しなくても布教使という資格は頂けます。まあ、２通りありまして、地元で勉強して試験を受けるか、ご本山の近くで３ヶ月間ですね、毎日合宿生活ですね。それをして、やっと頂けるか、どちらかを選べるわけですね。私はたまたまその時、時間があったので、ご本山の近くで勉強させていただくということになったのですけれども、まず、得度する時もそうだったのですけど、まず正座ということをする機会のない生活をしておりましたので、その辺で足の痛い思いもしました。 更に先生たちはベテランの布教使で、現役の方がやっていらっしゃいます。非常に厳しいです。今でも思い出すのが、そこで先生が言ってたお言葉なんですが、「布教使として人の前で話をする肩書きをもらえたとしても、その中で１０年後、同じように門徒さんの前でお話をしている人は、大体１０人に１人だろうと、そうやって自然に話のできない、苦手な人は淘汰されていってしまうよ。だから、死に物狂いで頑張りなさい」というようなことを仰られていた先生がいらっしゃいます。今それをヒシヒシと感じております。 布教使という免許を頂いてから、私まだそんなに経っておりませんが、恐らく５年後、１０年後にこうやって皆さんの前でお話するということは、多分もうないと思います。布教使としては、そんなに優秀な方ではないと思いますので、だから、皆さん、もう私の話を聞くのは最後かもしれませんので、私も最後のつもりで頑張って話をしたいと思います。 ……という調子です。 親鸞会の講師（布教使）は、生涯を親鸞聖人の教え徹底にかけたいと命をかけてなられる方ばかりです。教えを聞きたいという方があれば、「断る」なんてとんでもない。どこでも飛んで行かれますし、三界の大導師の自覚を持って説法されます。招待されて断るのは、先に法話の予定が入っている場合以外はありません。そして、親鸞聖人の教えをそのまま説くのですから「中身のない話」とか「スゴくない話」にはなりません。まして、５年後に布教使を辞めているかもしれないなんていう自覚でやっている方もおられません。これが、親鸞聖人の教えを布教する立場の覚悟です。 今日の「法話」をした人は、その覚悟が全く感じられず、こんな「おことわり」をしてからの話ですから、ここから、そんな「法話」を聞かされる、雪の中を参詣された門徒の方々がかわいそうでなりませんでした。 布教使の資格を取るときに試験をするのですが、その試験のときに説法の実演をするそうです。この時に、この布教使が話したのが、その実演で話をしたことを話すというのです。ということは、本山が良しとした話であるので大いに期待しました。ただ、そんな「内容のない話」で本山が布教使の資格を与えるというのですから、本願寺の程度というものが知らされました。 さて、その「法話」というものは、どういうものであったのか。 冒頭に、親鸞聖人のご和讃の、 「生死の苦海ほとりなし　ひさしく沈めるわれらをば 弥陀弘誓の船のみぞ　乗せて必ず渡しける」 を出してきたので、「おっ、親鸞聖人のお言葉を出して話をしようとしているな」と感心しかけたのですが、そのお言葉の話をするのではなく、布教使になる前に僧侶として葬式に行ったときの話しでした。 その葬儀というのが、流産した女性の依頼で、この世に生を受けることができなかったわが子の葬儀をめぐってのやりとりの話でした。その女性が、この世に生を受けることができなかったわが子と浄土で会うことができるんですね……というやり取りなのですが、ここに全く聖人の教えはなく、自分が感じたことなどを並べるだけでした。折角、ご和讃まで示しておきながら何をしているのか……。 そして、和讃を出して、「われらを弥陀弘誓の船に乗せて渡してくださる」と言われているのだから、自分だけでなく全ての人が船に乗せていただいているのだと「味わいました」と、まさしく十劫安心そのものを言ってのけました。 親鸞聖人のお言葉を出して……と言っても、自分の体験談に合わせて「味わい」を語り、かつては念仏のオンパレードだった本願寺の説教でしたが、その念仏も言わなくなっていました。既に、どっかの講演会で語られているような体験談だけで、こんな話を「法話」として聞かされている門徒の方々がかわいそうでなりませんでした。果たして、参詣者はこんな話を聞きに来られたのでしょうか？ 親鸞学徒の本道とは、親鸞聖人のお言葉を示して、わかりやすく話をして徹底すること以外にありません。自分の味わいや体験などを聞きに来ているわけではないのです。 この布教使は、この話が自分では今まで作った法話の中で一番いい話と言っていましたが、勝興寺は報恩講でこんな話を依頼し、また本山も、こんな話で布教使の資格を与えているのかと思うと情けない限りです。 本願寺衰退の原因をここに見た気がします。 本願寺は伝統仏教、親鸞会は新興宗教と言う人がありますが、果たしてどうでしょうか？ 建造物や教団が昔からあるものなら伝統仏教なのでしょうか？宗教で最も大切なのは「教え」です。その教えをネジ曲げている者こそ新興宗教といえるでしょう。親鸞会は、常に親鸞聖人や蓮如上人などのお聖教のお言葉を出して、そのことについて１つ１つ、自分の考えを一切入れずに伝えています。これこそ本道であり、真の意味での伝統と言えるのではないでしょうか？ こんな勝興寺が約３８億５千万円もの税金を使って、本堂以外の建造物の修復作業をしているそうです（参照：修復の概要）。 [...]<p><a href="http://www.keyrose.net/2011/01/gomanza/">勝興寺の御満座に見た本願寺衰退の原因</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>もん太＠射水市民です。</p>
<p>この週末は日本全国おしなべて天候が荒れ模様のようで、大学入試センター試験を受験される皆さんには特に雪によるトラブルの注意が呼びかけられていますが、そんな荒れ模様の中、富山県高岡市にある本願寺派の<strong><a href="http://www.shoukouji.jp/" target="_blank">勝興寺</a></strong>で<strong><span style="color: #993300;">「御満座（報恩講）」</span></strong>が勤められました。</p>
<p>勝興寺といえば、浄土真宗の中興上人といわれる<strong><a href="http://www.rennyo.net/" target="_blank">蓮如上人</a></strong>が越中布教の拠点として設けられた寺院で、富山県では非常に有名です。かつては富山県内はもちろん日本全国から参詣者が群参し、大変な賑わいであったと聞いています。<strong><a href="http://reimei.jpn.org/" target="_blank">親鸞会の黎明期</a></strong>に<strong><a href="http://www.takamori.info/" target="_blank">高森顕徹</a>先生</strong>が御満座のご示談の場に乗り込まれて、本当の親鸞聖人の教えをスパッと説かれたこともある所です。</p>
<p>最近の浄土真宗は衰退の一途を辿っていると聞きますが、いくら何でも天下の勝興寺ですから、そんなことはなかろうと足を運んでみました。</p>
<div id="attachment_2693" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><a href="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-1.jpg"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-1.jpg" alt="雲龍山 勝興寺の提灯（photo by 親鸞会）" title="雲龍山 勝興寺の提灯（photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-2693 " /></a><p class="wp-caption-text">昨日から始まった勝興寺の御満座（報恩講）に行ってみました</p></div>
<p>事前に、親鸞会の法友に「勝興寺に行ったら車はどうしたらいいんでしょう？」と尋ねたところ、「大きな行事だし、人が集まるから伏木駅前の駐車場に停めた方がいいんじゃない？」とアドバイスを頂いた。<strong><a href="http://shinrankai.zouri.jp/" target="_blank">親鸞会の報恩講</a></strong>では、全国のみならず世界中から参詣者が押し寄せるので、交通整理の係が周囲に立ちます。特に小杉インターから<strong><a href="http://maps.nifty.com/cs/catalog/map_spot/catalog_080104843537_1.htm" target="_blank">親鸞会館</a></strong>までの道は大混雑するので、その道中は係がたくさん立つのですが、その感覚で行ってみました……が、伏木駅前に行っても、道路は通常と変わらず。</p>
<p>この調子なら、もしかしたら境内の駐車場に停められるかも……と行ってみた<span style="font-size: x-small;">（とどのつまり、雪が降っているし、あまり歩きたくないのネ）</span>。</p>
<div id="attachment_2694" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><a href="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-2.jpg"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-2.jpg" alt="勝興寺の門前に並ぶ出店（photo by 親鸞会）" title="勝興寺の門前に並ぶ出店（photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-2694 " /></a><p class="wp-caption-text">門前に３軒ほど出店が並んでいたが、かつてはもっと多かったそうだ</p></div>
<p>勝興寺の門前には、たい焼きやたこ焼きの出店が３軒ほど並び、その横には休憩所のテントが用意されていた。しかし、そこに賑わいはなく、屋台の皆さんが寒そうにしておられるのが印象的でした。この出店も、かつてはもっと多く並んでいたそうですが、この現状に寂しさすら感じました<span style="font-size: x-small;">（まあ、出店で寂しいというのもなんですが）</span>。</p>
<p>上の写真は、この日の午後の勤行の前に撮ったものですが、あまりに参詣者の姿が見えないので、逆に今日は中止になったのだろうかと不安になってしました。</p>
<p>ちなみに、<strong><a href="http://親鸞会.com/" target="_blank" class="broken_link">親鸞会</a></strong>の昨年の報恩講の様子は、<strong><a href="http://www.keyrose.net/2010/11/houonko/" target="_blank">こちら</a></strong>でリポートしましたので、ご覧ください。</p>
<p>……で、境内の駐車場ですが、</p>
<div id="attachment_2695" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><a href="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-3.jpg"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-3.jpg" alt="勝興寺の駐車場（photo by 親鸞会）" title="勝興寺の駐車場（photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-2695  " /></a><p class="wp-caption-text">勝興寺の境内の駐車場もガラガラで拍子抜けした</p></div>
<p>境内内部の、かなり本堂に近い駐車場で、この状態でした。確かに、伏木駅まで電車で来られたり、地元の方が徒歩で来られて自家用車で参詣されない方もいらっしゃるでしょうが、車社会の富山において、いくらなんでもガラガラすぎないかと思いました。</p>
<p>とは言っても、そんな駐車場の込み具合でグタグタ言っている場合ではありません。肝心なのは教えですから、早速、本堂へと足を運んでみましょう。</p>
<div id="attachment_2696" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><a href="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-4.jpg"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-4.jpg" alt="勝興寺の唐門（photo by 親鸞会）" title="勝興寺の唐門（photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-2696 " /></a><p class="wp-caption-text">勝興寺の唐門の向こうに御満座が勤められている本堂が見える</p></div>
<p>本堂に入ると、親鸞会の会館に比べ、かなり寒く、参詣者の皆さんはジャンパーなどを着てストーブの近くに陣取っていました。</p>
<p>無断で撮影するわけにもいかないので、係の方に「撮影してもよろしいでしょうか？」と聞くと、笑顔で「どうぞ、どうぞ」と承諾してくれました。近くにどこかのテレビ局のものと思われるビデオカメラも立っていましたし、観光客らしき人がパシャパシャと撮っていたり、参詣者も携帯のカメラで「チャラ～ン♪」とか音を立てて撮影していたくらいなので問題はないのだろう。</p>
<p>……で、本堂の様子はこんな感じでした。</p>
<div id="attachment_2697" class="wp-caption aligncenter" style="width: 510px"><a href="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-5.jpg"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-5.jpg" alt="勝興寺の本堂（photo by 親鸞会）" title="勝興寺の本堂（photo by 親鸞会）" width="500" height="333" class="size-full wp-image-2697 " /></a><p class="wp-caption-text">本堂で読経を聞く参詣者。この時が一番多かったかもしれない</p></div>
<p><span style="font-size: large;"><strong><span style="color: #ff0000;">これって勝興寺の御満座だよね？</span></strong></span></p>
<p>いくらなんでも参詣者が少なすぎないだろうか。報恩講（御正忌）は、浄土真宗で最も大切な行事です。これに馳せ参じないものは親鸞学徒ではないとも言われます。</p>
<p>たとえ、雪が降っていようと「雨、風、雪はもののかずかは」と蓮如上人が仰るように、ご縁を求めねばならないのではないでしょうか？</p>
<p>時間の午後２時になると、門徒総代の方が前に出てきて挨拶をしました。「昨日は山口県の宇部市からいらっしゃる方もありました」と誇らしげに言われていましたが、<strong><a href="http://www.shinrankai.net/" target="_blank">親鸞会</a></strong>では、富山県だけでなく、遠く北海道や沖縄県、そして、海外はアメリカやブラジルなどの法友も参詣されるんですけどなあ……と思うのでした。なぜ、海外からも参詣されるのか？それは、本当の親鸞聖人の教えを説いているからに他なりません。</p>
<p>ただ、このことは勝興寺は本山ではないからということもあるでしょうけど、<strong><a href="http://www.shinrankai.or.jp/" target="_blank">親鸞会</a></strong>の富山県呉西方面を中心とした行事だけでも、もっと参詣されるんです。どうしてかつて、あれほどの参詣者で溢れた勝興寺がこうなってしまったのか……理由を追求せねばなりません。</p>
<p>そうやって考えているうちに、御満座名物の２本の「デカローソク」が灯る中で「読経」が始まりました。</p>
<div id="attachment_2699" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><a href="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-6.jpg"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-6.jpg" alt="勝興寺のデカローソク（photo by 親鸞会）" title="勝興寺のデカローソク（photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-2699 " /></a><p class="wp-caption-text">御満座といえば「デカローソク」で、２本に灯されていた</p></div>
<p>勝興寺の住職が赤い衣を着て「読経」を開始。</p>
<div id="attachment_2700" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><a href="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-7.jpg"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-7.jpg" alt="住職による読経（photo by 親鸞会）" title="住職による読経（photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-2700 " /></a><p class="wp-caption-text">住職や近隣の僧侶によって読経がなされた</p></div>
<p>この住職の前には、勝興寺の本尊が安置されているのですが、阿弥陀如来の木像でした。さて、浄土真宗の本尊は木像でいいのでしょうか？浄土真宗の正しい本尊は<strong><span style="color: #ff0000;">「南無阿弥陀仏」</span></strong>の御名号だけです。その理由は<strong>「<a href="http://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/infoshinsyu/qa0418.htm" target="_blank">親鸞聖人が、御名号を本尊となされた根拠はあるのか</a>」</strong>や<strong>「<a href="http://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/myogohonzon-nagare01.htm" target="_blank">止まらない御名号本尊への流れ</a>」</strong>や<strong>「<a href="http://www.shinrankai.or.jp/s/kaiinkoe/2010/0630myougouhonzon-osusume.htm" target="_blank">“名号本尊”は親鸞聖人のお勧め</a>」</strong>などを読んでいただければと思います。改めて、最も大切な本尊から間違っているのですから、教えも間違ってくるのだと知らされるのでした。</p>
<p>さて、「読経」の後に親鸞聖人の御一代が記された御伝鈔の拝読などが一通りなされたんですが、節を付けて有り難そうに拝読するだけで、御伝鈔の解説は全くなく、参詣者はひたすらうつむいて聞いているだけでした。これでは、親鸞聖人がどのようなご苦労をなされたのかが分かりません。</p>
<p>それでは最後の法話に期待してみよう……と思ったら、御伝鈔の拝読が終わったあたりで、参詣者がゾロゾロと帰り始めました。</p>
<div id="attachment_2701" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><a href="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-8.jpg"><img src="http://www.keyrose.net/wp-content/uploads/2011/01/230115-8.jpg" alt="御満座の法話の様子（photo by 親鸞会）" title="御満座の法話の様子（photo by 親鸞会）" width="400" height="266" class="size-full wp-image-2701 " /></a><p class="wp-caption-text">法話の様子。親鸞会ではあり得ない程、読経の時より参詣者が減った</p></div>
<p>そして、親鸞会では想像もできないほど、空席が目立ち始めました。</p>
<p>今回は近くの寺のY師と呼ばれる布教使が担当。どんな話が聞けるのだろうかと聞き始めると、どうして自分が布教使になったのかという話を延々と始めました。</p>
<p>それでも、親鸞聖人の教えのどこに感動して、この教えを弘めたいと思って布教使になったという話かなと思って聞いてみたところ、こんな調子の「法話」でした。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">私にとっては仏教はあまり馴染みがなかった。ご縁がなかった生活をしていたので、学校（研修施設のこと）はやっぱり厳しかったですね。知らないことばかりですし。まして、周りの方々は若い人だらけで、私みたいな年いった人は、まあ、私は４０なんですね。なかなか同い年の人は少なくて、数名しかおりませんでした。まあ、その数名同士がどうしても固まるんですね。皆さん、大体、普通の高校や大学を卒業されて、すぐに来られる。お寺のご子息ばかりなんですね。中身にもついていけません。若い人達との一緒の生活にもなかなか馴染めない。まあ、オジサンばかりが固まって、何とか１年間頑張ってきたということでございます。</span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">想像以上に厳しかったですね、生活が。逆に言うと一番初め思ったのは、サラリーマン終わってからお寺のことやればいいやなんて言っていた自分が恥ずかしくなったりしてですね。これサラリーマン終わってからしていたら、もっと辛かったんだろうなぁと思ったり。それはやっぱり今までとは丸っきり違う生活ですし、違う勉強でしたし、非常に厳しかったことが今でも思い出してしまいます。そんな辛かったですから、１年で何とか住職になるための資格は頂いたわけですから、すぐに帰ってこれば良かったわけですけれども、何を思ったか「もうちょっと勉強してみようかな」なんて思いまして、もう半年勉強させて頂いてきました。そこで私が、実際は３ヶ月くらいなんですけども勉強してきたことというのが、こうやって皆様の前でお話をするための勉強をしてきたわけですね。それが、皆さんがよく聞かれる布教使という資格なわけですね。</span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">まあ、今はコレを取って良かったのか、良くなかったのか。まあ、「資格」と言われるものですからね。やっぱり、持っていた方がいいんでしょうけれども、<strong>決して私はこうして皆様の前で積極的にお話をしに出かけたいという思いではなかったわけです</strong>ね、正直。ましてや、他のお寺のご子息のようにですね「ちょっと京都で勉強してきました。その結果として布教使という免許を頂いて帰ってきました」だったらいいんですけれども、私の場合は、その免許が欲しいが為に京都にいるのを延長して勉強してきたわけですね。</span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">なぜ欲しかったのか？まあ、カッコつけたかったんでしょうね。ましてや、連れ合いであります私の妻の方が、私よりももっと先にですね、何年も前ですが得度させて頂きまして、布教使も取って、布教使という免許も持っていたんですね。旦那さんとしてはですね、やっぱり悔しいですね。なかなか頭が上がらないというかですね。僧侶としては後輩な上にですね、更には家に帰ってきても、今で言う上からモノを言われるんですかね。こう言われるんですね。「アンタ、後輩な上に布教使の資格を持っていないじゃないの」ってね。そういうのをチラチラと感じるたりするんですね。<strong>それが悔しくてですね「じゃあオレも免許を取りに行ってやる！」と、その思いだけで免許を取りに行った</strong>というのが正直な話です。それで<strong>頂いてきてしまった布教使という肩書き</strong>なので、正直、今はその重さに潰されそうになっております。</span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">こちらの勝興寺、１度だけ来た事があるんですね。普通にお参りするだけでした。それだけでもスゴイなあって思ったのに、今ではこの場で私がお話させて頂くなんていうのは、本当にこの１ヶ月間、胃が痛い思いでした。<strong>私、初めはお断りするつもりだったんですよ。</strong>「何で私なの？」なんていう思いもありましたし「いや、僕なんかじゃ、まだまだ、衣を着ているだけの僧侶ですし」ということで、お断りをするつもりだったんですが、それを考えている間に連れ合いの方が返事をしてしまいまして……、で、連れの方が返事した訳ですから連れがやるんだろう、お話をするんだろうと思っていたら「アタシ、この日は他の所で用事があるから、アンタが一つやって」「うん」というようなことがあったんですね。</span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">ですから、難しいご法義とかですね、内容のあるお話というのは、明日の私の連れ合いが話をさせて頂きますので、<strong>私は今日、そんなに中身のあるスゴイ話とかイイ話とかいうのは、本当にそういうのはチョット無理です。</strong>まだ。４０歳にしてこれはどうかなと思うんですけど、それでも無理なものは、無理しすぎることは良くない。私なりにですね、浄土真宗の教えって有り難いなあと感じているところを少し皆さんにお話できればなと思います。</span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">で、この布教使の資格というのは、勉強するのは結構大変で、一般の方々は２通りあります。地元でも取ることもできます。別に本山の近くに行って勉強しなくても布教使という資格は頂けます。まあ、２通りありまして、地元で勉強して試験を受けるか、ご本山の近くで３ヶ月間ですね、毎日合宿生活ですね。それをして、やっと頂けるか、どちらかを選べるわけですね。私はたまたまその時、時間があったので、ご本山の近くで勉強させていただくということになったのですけれども、まず、得度する時もそうだったのですけど、まず正座ということをする機会のない生活をしておりましたので、その辺で足の痛い思いもしました。</span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">更に先生たちはベテランの布教使で、現役の方がやっていらっしゃいます。非常に厳しいです。今でも思い出すのが、そこで先生が言ってたお言葉なんですが、<strong>「布教使として人の前で話をする肩書きをもらえたとしても、その中で１０年後、同じように門徒さんの前でお話をしている人は、大体１０人に１人だろうと、そうやって自然に話のできない、苦手な人は淘汰されていってしまうよ。</strong>だから、死に物狂いで頑張りなさい」というようなことを仰られていた先生がいらっしゃいます。今それをヒシヒシと感じております。</span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300;">布教使という免許を頂いてから、私まだそんなに経っておりませんが、<strong>恐らく５年後、１０年後にこうやって皆さんの前でお話するということは、多分もうないと思います。</strong>布教使としては、そんなに優秀な方ではないと思いますので、だから、皆さん、<strong>もう私の話を聞くのは最後かもしれませんので、私も最後のつもりで頑張って話をしたいと思います。</strong></span></p>
<p>……という調子です。</p>
<p>親鸞会の講師（布教使）は、生涯を親鸞聖人の教え徹底にかけたいと命をかけてなられる方ばかりです。教えを聞きたいという方があれば、「断る」なんてとんでもない。どこでも飛んで行かれますし、三界の大導師の自覚を持って説法されます。招待されて断るのは、先に法話の予定が入っている場合以外はありません。そして、親鸞聖人の教えをそのまま説くのですから「中身のない話」とか「スゴくない話」にはなりません。まして、５年後に布教使を辞めているかもしれないなんていう自覚でやっている方もおられません。これが、親鸞聖人の教えを布教する立場の覚悟です。</p>
<p>今日の「法話」をした人は、その覚悟が全く感じられず、こんな「おことわり」をしてからの話ですから、ここから、そんな「法話」を聞かされる、雪の中を参詣された門徒の方々がかわいそうでなりませんでした。</p>
<p>布教使の資格を取るときに試験をするのですが、その試験のときに説法の実演をするそうです。この時に、この布教使が話したのが、その実演で話をしたことを話すというのです。ということは、本山が良しとした話であるので大いに期待しました。ただ、そんな「内容のない話」で本山が布教使の資格を与えるというのですから、本願寺の程度というものが知らされました。</p>
<p>さて、その「法話」というものは、どういうものであったのか。</p>
<p>冒頭に、親鸞聖人のご和讃の、</p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>「生死の苦海ほとりなし　ひさしく沈めるわれらをば </strong><strong>弥陀弘誓の船のみぞ　乗せて必ず渡しける」</strong></span></p>
<p>を出してきたので、「おっ、親鸞聖人のお言葉を出して話をしようとしているな」と感心しかけたのですが、そのお言葉の話をするのではなく、布教使になる前に僧侶として葬式に行ったときの話しでした。</p>
<p>その葬儀というのが、流産した女性の依頼で、この世に生を受けることができなかったわが子の葬儀をめぐってのやりとりの話でした。その女性が、この世に生を受けることができなかったわが子と浄土で会うことができるんですね……というやり取りなのですが、ここに全く聖人の教えはなく、自分が感じたことなどを並べるだけでした。折角、ご和讃まで示しておきながら何をしているのか……。</p>
<p>そして、和讃を出して、「われらを弥陀弘誓の船に乗せて渡してくださる」と言われているのだから、自分だけでなく全ての人が船に乗せていただいているのだと「味わいました」と、まさしく十劫安心そのものを言ってのけました。</p>
<p>親鸞聖人のお言葉を出して……と言っても、自分の体験談に合わせて「味わい」を語り、かつては念仏のオンパレードだった本願寺の説教でしたが、その念仏も言わなくなっていました。既に、どっかの講演会で語られているような体験談だけで、こんな話を「法話」として聞かされている門徒の方々がかわいそうでなりませんでした。果たして、参詣者はこんな話を聞きに来られたのでしょうか？</p>
<p>親鸞学徒の本道とは、親鸞聖人のお言葉を示して、わかりやすく話をして徹底すること以外にありません。自分の味わいや体験などを聞きに来ているわけではないのです。</p>
<p>この布教使は、この話が自分では今まで作った法話の中で一番いい話と言っていましたが、勝興寺は報恩講でこんな話を依頼し、また本山も、こんな話で布教使の資格を与えているのかと思うと情けない限りです。</p>
<p>本願寺衰退の原因をここに見た気がします。</p>
<p>本願寺は伝統仏教、親鸞会は新興宗教と言う人がありますが、果たしてどうでしょうか？</p>
<p>建造物や教団が昔からあるものなら伝統仏教なのでしょうか？宗教で最も大切なのは「教え」です。その教えをネジ曲げている者こそ新興宗教といえるでしょう。親鸞会は、常に親鸞聖人や蓮如上人などのお聖教のお言葉を出して、そのことについて１つ１つ、自分の考えを一切入れずに伝えています。これこそ本道であり、真の意味での伝統と言えるのではないでしょうか？</p>
<p>こんな勝興寺が約３８億５千万円もの税金を使って、本堂以外の建造物の修復作業をしているそうです（参照：<a href="http://www.shoukouji.jp/restoration.html" target="_blank">修復の概要</a>）。</p>
<p>重要文化財に指定されていることかもしれませんが、何の為の寺の建造物なのでしょうか？目的は本当の親鸞聖人の教えを徹底するためではないのでしょうか？その使命を果たさずに、こんな話をしているだけなのに、これほどの国税が使われていいものでしょうか？それこそ、事業仕分けされるべきものでしょう。</p>
<p>ぜひ、彼らにも本当の親鸞聖人の教えを聞いてもらいたいと念ぜずにおれませんでした。</p>
<p>そして、改めて親鸞会でしか本当の親鸞聖人の教えを明らかにしていないことが知らされます。</p>
<p>ではでは。</p>
<p><a href="http://www.keyrose.net/2011/01/gomanza/">勝興寺の御満座に見た本願寺衰退の原因</a> is a post from: <a href="http://www.keyrose.net">ビジュアルで親鸞会を発信</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.keyrose.net/2011/01/gomanza/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.keyrose.net/2011/01/gomanza/" />
	</item>
	</channel>
</rss>

